第二十一話「姓は勇者」
その日の放課後、僕は蘇芳に会いに向かった。
時間が時間なだけに、既に帰っている可能性が十分に高いというのは、承知した上での行動だ。
だけど直接会えないまでも、せめて本人についての情報収集ぐらいは、しておきたいと思ったのだ。
そうして三年生の教室が並んでいる廊下に着く。
当然廊下を歩くのは三年生ばかりで、格好は変わらないと言うのに自分だけ浮いた気分にさせられる。
正直言うと、今すぐにでも帰りたい。
予想以上に後悔してしまった自分の行動に、深く落ち込む。
「どうしたんだよ。溜息なんかついて」
「いやね、ちょっと色々ありまして……え?」
聞き覚えのある声。
誰かは直ぐに分かった。
分かったのだが、どうして今ここでその声を聞くのか。
自分の後方に顔を向け、声の主を見る。
それは案の定の人物だった。
「佑助!?」
「ん、何だ?」
「『何だ?』って、それこっちのセリフなんだけど……」
「だってよぉ、お前、まだ俺と勝負してねえじゃん」
「まだする気だったの!?」
いい加減諦めたのだと思っていたが、とんだ勘違いだったようだ。
「本当よ。あんたいつまでそれ言い続けるつもり?」
佑助の後ろに目をやると、驚く事に雅も付いてきていたらしい。
二人共気配を消すのが妙に上手い。
どちらも声を発するまで気付かれずに居るなんて……。
それとも単に僕が鈍いだけなんだろうか。
「勝負、勝負って、勝てる自信あるわけ?」
「ない!」
雅の質問に、佑助は何故だか自信満々に、そう答えた。
「才人の実力も分からないってのに、勝てるかどうか分かるわけないじゃん。雅、お前馬鹿か?」
「あ・ん・た・ねぇ……!」
「わああああ、ストップストップ! 雅、落ちついて!!」
今にも佑助に襲いかかってしまいそうな雅を、必死になってなだめる。
明らかに佑助の方が悪いのだが、このまま放っておくと佑助の命が危ない。
僕の説得が通じたのか、雅は未だ佑助に殺意の籠った視線を向けているものの、どうにか行動に移す事だけは、やめてくれたみたいだ。
「じゃあ、何でわざわざ、勝負しようとするのよ?」
雅は多少の怒気を帯びた声で、佑助へと問い掛ける。
「はぁ、分かってないなぁ、お前も」
佑助は今にも殺されてしまいそうな状況が分かっていないのか、雅を小馬鹿回しにして返答した。
「俺が勝とうが負けようがどっちでもいいんだよ! 取り合えず戦えばフラグが建つわけだからな」
「ふらぐ?」
佑助の放った単語の意味が分からなかった。
フラグと言えば旗、と言う意味なのだが、一体何の旗が建つと言うのか。
「そ、フラグ。まぁ面倒くさいからフラグについての説明は無しな。で、俺が才人と戦った場合――」
佑助の話を纏めるとこうだ。
佑助が僕と戦って、佑助が勝ったとする。
その時点で佑助は成長を果たし、強くなる。
一方、僕は佑助に負けた悔しさから、佑助へ異常なまでに執着するようになる。
それがつまり永遠のライバルの誕生、と言う事だ。
これで佑助のなろうとしている『主人公』の条件を一つクリアした事になる、らしい。
逆に僕が佑助に勝った場合、佑助は何か特別な訓練をするようになる。
そして僕との再戦時に、新たな必殺技を使って僕を倒す。
僕の方はと言うと、また悔しさから執着するようになるらしい。
つまり、どっちにしても佑助は強くなり、永遠のライバルも出来あがると言う事だ。
「あの、ハッキリ言うと、意味が分からない……」
説明を受けた今でも、理解は出来ないでいた。
勝っても負けても強くなり、更に僕が佑助に執着するようになる、と言う根拠はどこから来ているのか。
新たな必殺技と言うけれど、今既に必殺技がいくつかあるのか。
考えれば考えるほど、生み出されていく疑問の数々を、とてもじゃないが処理しきれる気がしなかった。
「勝ち負けが重要じゃないんだよ。戦う事、その経験に意味があるのさ!」
何やら格好いい事を一人で言っているが、それ以前の発言が意味不明なので全部台無しだ。
「才人、あの馬鹿は放っておいて、さっさと行きましょう」
雅は佑助に聞かれないよう、僕の耳元で囁いた。
アシュリーの時もそうだったのだが、女性がここまで近付いて来ていると、心臓の鼓動が異様なまでに激しくなってしまう。
「う、うん……」
そもそも僕は、蘇芳の情報を集める為にここに来た。
その筈が、佑助達が付いて来た事により、中々行動に移せないでいる。
この際仕方が無い。
どうにか極力悟られないようにしながら、情報収集するという選択肢しか無さそうだ。
雅と共に、速やかにその場を去る。
佑助は未だ一人で語っており、僕らの行動には全く気が付いていない様子だった。
このまま今度こそ、蘇芳のいる教室に行こう。
そう思い廊下を歩いて行く。
廊下で一人語っている佑助を、その場に放置したまま。
「――とまぁ、そんな感じで俺の主人公ロードは完結するわけよ。……って、二人共いねぇ!?」
あ、気付いた。
「二人共待てって! どこ行くんだよ?」
「どこって……才人、どこ行くの?」
「えっと、知り合いがいるから、会いに……」
嘘は言っていないつもりだ。
だが向こうはそう思っていないのかもしれない。
だから果たして知り合いと呼んでいいものか、少し判断に迷った。
「へぇ、知り合いって誰?」
「それは――」
佑助達に教えるべきか迷った。
それにより一人の男性が近づいて来ていた事に気が付かなかった。
「おい、お前!」
「……僕?」
理由はないのだが自分の事かと思い、振り返る。
するとそこには、まさに今から会おうとしていた、蘇芳がいた。
蘇芳は僕がここに居る事に、目を見開いて驚いていた。
そして実を言うと、それには僕も当てはまった。
葵さんから名前を聞いたあの時から今まで、実は同姓同名の別人ではないかと、心の奥底、いや片隅では思っていた。
だから実際に現れた現状に、僕も驚きを隠せなかった。
「やっぱりか! 確か、さ、さ――」
「才人です。白銀才人」
「そうだ、確かそういう名前だ! お前、この学園の生徒だったのか!?」
「えぇ、まぁ……」
今日転校してきたばかりという事は、あえて黙っておく事にした。
怪しまれて警戒されると、調査し辛くなるからだ。
「まさかお前がこの学園の生徒だったとはな……。今ここに居るのも、もしかして俺様に会いに来たのか?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど……」
咄嗟の判断で偽った。
だけど僕はこの判断が、間違っているとは思わない。
自分にわざわざ会いに来た等と知ったら、その場合もおそらく警戒されてしまうだろう。
それを考慮すると、やはり今の咄嗟の判断は正解と思える。
「なら何でここに居んだよ」
しかしこうも立て続けに質問をされると、咄嗟の判断も出来なくなってしまう。
なら何故ここにいるのか、という質問。
わざわざ上級生の所まで来る理由など、上級生に会いに来たと言う他にない。
だがこの学園の上級生に、これ以上僕の知り合いは居ないはずだ。
そもそもこの学園自体に、他の僕の知り合いはもう居ないはず……ん?
そういえば……
「アシュリーならいねえよ」
「え?」
僕がその疑問を抱くより先に、蘇芳が先読みし返答した。
もしかして僕は思っている事が顔に出やすい性質なのか……?
「残念だったな。お前の彼女はこの学園に、いや、そもそも学校に通ってねえよ。てかそれぐらい聞いてねえのか?」
だって彼女じゃありませんし。
「まぁそんな事はどうだっていい。それよりも、俺様ともう一回戦え、今直ぐにだ!!」
予想通りと言えば予想通りなのだが、出来れば予想通りになって欲しくなかった事態に、激しく落胆せざるを得なかった。
「いや、僕は――」
「ちょっと待ったぁ!!」
断ろうとそう思い、口にしかけたところで、何者からか邪魔が入る。
それは、佑助だった。
「さっきから黙って聞いてたら才人! お前、彼女持ちだったのかよ!?」
「突っ込むところ、そこ!?」
争い事になるのを止めようとしてくれたと、少しでも思った僕が馬鹿だったみたいだ。
「彼女については後でたっぷりと聞かせて貰うからな!? それよりもそこの――」
「蘇芳だ」
「蘇芳、先輩? 才人と戦うならそれよりも先に、俺と戦ってもらいましょうか!」
「は?」
「あん?」
「ちょ、何考えてんのよ、あんた!?」
佑助の発言に対して、僕、蘇芳、雅は三者三様の反応をする。
「全くだ。お前、どういうつもりだ? そもそも誰だよ」
「先輩、あんたは才人以前戦って、多分だけど、負けたんですよね?」
佑助は蘇芳を挑発する様な物言いで、話しかける。
一方蘇芳は「負けた」という単語に反応し、表情が歪んだ。
「あぁ、そうだよ。俺は才人と戦って、負けた。後お前誰だよ」
「先輩、才人は俺の永遠のライバルだ」
そっちが勝手に言っているだけなんだけどね。
「才人に勝つには、俺にも勝つぐらいの実力がないと駄目だ」
「ほぅ……。で、誰だよ」
「つまり!」
「聞けよ」
佑助はとことん人の話を聞かない、と言うより周りが見えていない人間らしい。
「おい、こいつ殺していいか?」
「い、一応最後まで話聞いて上げて!!」
僕も蘇芳の立場なら同じ気分になっているかもしれない。
もし蘇芳が今直ぐ殺しに掛かっても、助ける理由が見つからない。
「俺に戦って勝たなきゃ、才人に挑む資格すらないって事ですよ!!」
ようやく佑助の長い自論が終わり、僕らに発言する権利が与えられた。
だが蘇芳は直ぐに返答する事はせず、暫くの間考え込んだ。
そして、返答する。
「ハッ、いいぜ。その勝負、乗ってやるよ」
何故だか分からないが、蘇芳は勝負事が好きなのか、実に楽しそうな笑みを浮かべる。
「おっしゃ、そう来ないと!」
勝負事が好きと言えば、佑助もそれに当てはまるかもしれない。
痛い思いのする行為のどこが楽しいのか、今の僕には全く理解出来なかった。
いや、これからもきっと理解出来る事はないだろう。
「あぁ~もう! 才人、どうにか出来ないの!?」
最早雅にすら、佑助を止める事は出来ないらしい。
涙目になりながら僕に助けを求めてくる。
「どうにもならないんじゃ、ないかなぁ?」
だが残念な事に、今の僕にはそれに応じられる程の能力はない。
自分の不甲斐無さを情けなく思う。
「じゃあ先輩。どこで戦います?」
「近くに空き地があっただろ。そこなら人通りも少ないから、思いっきり殺りあえるぜ」
物騒な漢字使わないで下さい。
「よし、じゃあ早速行きますかぁ! 才人も雅も、さっさと行くぞ!!」
振り回されるこちらの身にもなってほしい。
僕がこの学園に来るまでは、雅は一人で佑助の面倒をさせられていたのか。
流石に同情してしまう……。
そして場所は、例の空地へと移り変わった。
蘇芳と佑助はお互い五メートル程離れ、向かい合っている。
僕と雅は完全に観客となっていた。
「じゃあ、先に降参した方の負けだ、いいな」
蘇芳がルールの確認をする。
ルールの確認と言っても、ハッキリ言って喧嘩と一緒だ。
「こっちはいつでもオーケーですよ。ただ戦う前に一つ、良い事を教えて上げますよ。才人もよ~く、聞いとけ!!」
「良い事……?」
どうせまたロクでもない事だろうと、真面目に聞く気にはなれなかった。
「俺の名字は一色。伸ばすとヒーロー、勇者って事になる。勇者ってのは主人公だ。つまりこの名字は、俺の為にあるようなものなんだよ!!」
予想通りロクでもない事だった。
「ハッ、勇者か。おもしれぇ、相手が勇者なら、不足はねぇ!!」
だが意外にも蘇芳はノリが良いらしく、楽しそうだった。
もしかして僕がおかしいだけなんじゃないかと、自分を疑いたくなる。
「さぁ、勇者の実力、とくとその目に焼き付けな!!」
佑助が駆ける。
そして僕は、凄い結末を見た。