第一話「再生」
目が覚めると、僕はベッドで寝ていた。
どうして寝ていたのか、今の状況を全く把握出来ていない。
というよりも、多分寝ぼけているだけなんだろう。
いや、そもそも本当に寝ぼけているのなら、寝ぼけているとすら思わないんじゃないか?
どうなんだろうか、よく分からない。
考えても答えが出そうにない事をいつまでも考えている気はなく、とりあえず体を起こした。
「どこ、だ? ここ……」
一人そう呟き、自分の体を見る。
何だ、これ?
来ていたのは病院などで入院患者がよく着ている、薄い水色の服だった。
この格好から察するに、ここは病院。
そして僕は入院患者という事だろうか。
でも何故自分がこんな状況下に置かれているのかが分からず、自分の記憶を思い返す。
が、全く思い出せなかった。
何だ?
何でこんな事になってるんだ?
僕に一体何があった?
「……ぐっ! あっ……」
分からない。
何があったのか、全く思い出せない。
いくら時間が経っても、何かを思い出せそうにはない。
それどころか考えれば考えるほど、頭が痛くなってくる。
そうなるともう訳が分からなくなる。
とりあえず誰かを呼ぼう、助けてもらおうと思考が働く。
「あ゛――」
そう思い人を呼ぼうとするも、声がガラガラで大きな声が出せなかった。
自分の喉が水分を欲しているのは分かったが、水なんて一体どこにあるのか。
どこかに水分補給が出来そうな物はないか、と辺りを見回す。
僕がいるこの部屋は、人一人が過ごすには十分と言えるぐらいの広さだった。
他にベッドはなく、おそらくは個室なんだろう。
ベッドの周りには医療器具だと思われる機材がいくつかあった。
医療にあまり詳しいわけではないが、漫画やドラマ等で見て知ったのか、その機械が医療関係の物であるという事は分かった。
他には事務用の椅子と机があった。
机の上では様々な物が散らかって置かれていた。
中でも目に留まったのは、煙草の吸殻がこれ以上は入らないほど入れられている灰皿。
医者に煙草を吸うなと言う気はないけど、流石にこれはどうなんだろうと思わされてしまう。
他にはよく分からない謎の書類があった。
一体何なのか気にはなるものの、勝手に見てはいけない物だと不味いのでやめておこう、と踏みとどまった。
そして最後、最も散らかっていたのが雑誌類だった。
今度は見てはいけない物かもしれない、という抵抗は思いの外なく、どんな雑誌なのか興味を持った。
だから手を伸ばし、取った。
「何、だこれ? ……うわぁ!?」
手に取った雑誌をパラパラと捲ると、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
雑誌には裸の女性が男を誘惑するポーズを取った写真ばかり載せられていた。
つまり俗に言うエロ本である。
僕自身こういった物にあまり興味はなく、多分これもここの医師の物だろう。
灰皿といい、これといい、ここの医師は大丈夫か?
兎にも角にも誰かが急にここに来て、これを読んでいるところを見られると、色々な方面で不味いので素早く元の場所に戻す。
こんなに散らかっていれば物の場所が多少移動していたとしても気付かれにくいだろう。
と、本を元の場所に戻したところで、あ、と間抜けな声が出た。
喉が渇いている事を忘れていた。
でも部屋を一通り見回しても、水分補給が出来そうな物など一つもなかった。
どうすればいいのか。
そう悩んでいると、「ギィ~」と扉が開く音がした。
誰だ?
ひょっとしてここの医師だろうか?
だとしたら色々と聞きたい事がある。
「あの――」
「あん? 何だ、とっくに目ぇ覚ましてやがったか」
「ゴメンナサイゴメンナサイ。何でもないんで見逃して下さい!」
開くのを待って、部屋に入って来たのは歳二十代前半ぐらいの外見をした成年だった。
服は全身黒系統の色で揃え、短い黒髪をオールバックにしている。
顔もいかつく、体つきもがっしりとしている。
傍から見ると『ヤバイ世界の人』としか思われないだろう。
確かに僕は誰か来てほしい、とは思った。
でもこんなどう考えても医師でもなければ、下手をすると助けてもらうどころか、殺されそうな人に来てほしいとは全く思っていない。
「すいません、怖いんで帰ってください」
なんて当然言えるはずもなく、黙っておく事にした。
誰だって命は大事にしたいだろう。
「何言ってんだ、テメェ? まぁいい。それよりテメェに聞きてぇ事があんだ」
言いながら黒服の男はズカズカと僕の目の前まで前進してくる。
「え、えっと……何でしょうか……?」
黒服の男は何やら少し怒っている様子で僕に問いかけてくる。
それに対して僕はおずおずとした態度でしか返せなかった。
何をされるか分かったものじゃないからだ。
「あそこで何があった? 詳しく説明しろ」
「は? あ、あのー何の事をおっしゃっているのかさっぱり……」
「あぁ!?」
「ひっ!」
黒服の男の迫力に押され、しどろもどろになる。
彼が一体何を言っているのか、この状況でどんな態度を取ればいいのか全く分からず、僕は困惑する。
「全く……お前はもう少し順序ってものを考えたらどうなんだ」
と、僕でも黒服の男でもない
黒服の男の後ろ側からまた別の誰かの声がした。
見るともう一人、黒服の男と同じぐらいの年齢だと思われる成年がいた。
今度は服を全身白系統の色で揃えており、黒服の男とは真逆の格好であった。
髪は薄い水色の長髪で、後ろ髪をゴムで一纏めにくくっていた。
顔はかなりの美形で、芸能人か何かに間違われてもおかしくないくらいだった。
もしかしたら本当に芸能人なのかもしれないけど、その辺は分からない。
さらに眼鏡をかけていて、美形かつ知的な印象がもたれる。
白服の男はどうやら黒服の男を止めてくれたようだ。
正直困っていたのでありがたい。
地獄に仏とは、まさにこの事だろう。
「いきなりただ質問だけをぶつけて、分かる奴がいるわけがないだろう。それに、詳しくはこちらも知らないが倒れていたんだ。多少は労ってやろうとか思わないのか」
「あぁ? 倒れてた理由なんざどうでもいい。それにあんな事しやがった野郎をわざわざ労わる必要あんのか?」
あんな事?
あんな事って、何だ?
何の事かも分からずただ困惑している中、男達は二人で勝手に話を進めていく。
「その一々突っかかってくる様な喋り方はやめろ、と前々から言ってるだろう……」
「今そんな事は関係ねぇだろうが。大体それで相手が喧嘩売ってくるなら買うだけだ」
「その所為で今まで一体どれだけ問題起こしたと思ってるんだ! いい加減学習をしろ!」
「あん? 何だよテメェ……やんのか?」
「そこでどうやったら喧嘩に繋がるのか、一度お前の頭の中を覗いてみたいな」
段々と険悪な雰囲気になっていく中、僕はどうしようもなく慌てふためく事しか出来なかった。
ど、どうしよう!?
何かないか!?
……うん、何もない!
って何もなかったら困るんだよ!
流石にこんな状況を放っておく事は出来ず、何か解決策はないか探してみる。
が、馬鹿みたいな自問自答をしただけで何も見つからなかった。
「あ、あのぅ……喧嘩は止した方が――」
「あぁ!?」「あん?」
「なっ、ナンデモナイデス!」
とりあえず制止の声をかけてみるも、二人の威圧感に押され直ぐに引き下がってしまう。
もしこの一部始終を見ていた人がいて、ヘタレと言われたとしても、こんな雰囲気の中で堂々と出ていけるわけがない。
そうこう僕が悩んでいるうちにも、二人は益々険悪な雰囲気になっていくだけだった。
一体どうすればいいのか。
もしこんな状況を救ってくれる救世主様とかがいるなら是非お願いしたい。
助けてください、お願いします!
「おい、お前ら……何、俺の職場で騒いでるんだ?」
僕の願いが通じたのか、突然扉の方から声がした。
自分を含め、三人ともが声のした方に顔を向ける。
するとまた新たに一人、男性が立っていた。
その男性は目が隠れるほどの長さをした白髪で、そしてかなり汚れた白衣を着ていた。
しかもその白衣すらちゃんと着ているわけではなく、ただ上に羽織っているだけで、かなりずぼらな格好をしていた。
その姿からはとても想像できないが、白衣を着ていて、「自分の職場」と言ったのだから多分ここの医師なんだろう。
願いが通じてやって来たのがこんな医師だなんて……神様ももう少し気を利かせてくれてもよかったんじゃないかと思う。
「……何でお前、そんな残念そうな顔しながら溜息ついてるんだ……?」
あなたが残念な医師だからです。
「いえ、別に……」
「まあいい、とりあえずそこのシロクロコンビ。何があったかは知らんがそいつは一応ここの患者なんだ。あんまり刺激するような事は控えてくれ。後、うるさい」
「「シロクロコンビ言うな!!」」
白髪の男の発言に二人が強く反応する。
「ブッ!? ――シロ、クロ――コンビって――クッ、クッ――」
確かに狙い澄ましたかのように上手く分かれている。その事実に耐え切れず少し吹きだしてしまう。
「笑うな!」「笑うんじゃねぇ!」
シロクロコンビは声を荒げて言ってくるが、言われたからって簡単に笑いが治まるわけでもない。
「だから前々から言ってるだろう? そんなに色んな奴らにシロクロコンビって言われたくないならその格好をやめろ、って」
白髪の男の言う通りだと思う。
ここまで正反対の格好をしていると、誰が見ても狙ってやっているとしか思われないだろう。
しかしそれより皆にも言われている事の方が気になる。
果たして突っ込んでいいのやら……
「「だったらコイツがこの格好をやめればいいだろ!!」」
どこまで息ピッタリなんだろう、この人達は。
もしかしたら漫才とかしたら人気になれるんじゃないか?
「ま、お前らの事なんかどうでもいいんだ。それより――」
「どうでもよくない!」「どうでもよくねぇ!」
「あ~、分かった、分かった。分かったから静かにしてろ、やかましい」
騒ぐシロクロコンビを余所に、白髪の男は僕の方を見る。
そして机の上にあった何かの書類を手に取り、それを見ながら僕に話しかけてくる。
「え――っと? 才人って言うんだな。才人、何でお前がここで寝ているか、分かるか? 後、体のどこかに異常はないか?」
「さい、と?」
白髪の男の言葉が理解出来なかった。
才人って……誰だ?
大体僕の名前は……あ、あれ?
僕の名前って……何だ?
「ん、どうした? 才人ってお前の――おい、まさか……」
どこか様子がおかしいと感じたのか、白髪の男は僕に更に何かを言おうとした。
そしてその途中で何かに察したかの様に言葉を止める。
「まさかお前、記憶がないのか!?」
白髪の男の言葉に、僕もようやく納得がいった。
記憶が、ない?
つまりは記憶喪失……なの、か?
あぁそうか、だから色々思い出せなかったのか……
「……はい、そうみたいです」
記憶喪失と知った割に、僕の頭はとても落ち着いていた。
何となくそうなんじゃないかと思っていたからだろうか?
それともあまりに突発すぎて実感が湧いてこないからだろうか?
何にせよ僕が記憶を失った事は変わりようのない事実だ。
これから僕がどうなるかは分からないけど、とりあえず、
拝啓、もはや僕の記憶にないお父様、お母様、僕は――記憶喪失になったみたいです。