第十八話「変化は常に」
「いたたたたたたたたっ!?」
「ほら、じっとする!」
僕は今、全身の痛覚に喚きながらも、アシュリーから治療を受けている。
どうやら見た目ほど大した傷ではなかったらしく、簡単な治療で済まされた。
「全く。よくあれだけ血流しておいて、貧血にもならなかったわね」
「同感」
もしもなっていたら、今頃負けていただろう。
そうでなくてもお父様が止めてくれていなければ、負けていたかもしれないというのに。
本当に運が良かったとしか言いようがない。
いや、こんな状況に陥る時点で運が悪いのか……?
「と、とにかく勝ってくれた事には、その……一応、感謝しとくわ。ありがとう……」
アシュリーは照れ臭そうに、手でその美しい髪を、クルクルと弄りながらそう言った。
「へ?」
「だから、えっと、お礼……とか……」
「いや、待って。何の話?」
「……え? 何って、交際の……」
「……あぁ、そういえばそんな理由で戦っていたんだっけ」
すっかり忘れていた。
傷の痛みやら、戦いが終わった安堵感やらで、そんな事はとっくに記憶の外に行っていた。
僕の言葉を聞くと、アシュリーの顔が途端に呆れた表情へと変わった。
「あなた、馬鹿?」
「ち、ちがうよ!!」
多分。
完全に否定しきれないのが悲しい。
「やぁ。付き合っているだけあって、仲は良いみたいだね」
そんな風に話していると、今回の件の張本人とも言える、お父様がこちらにやって来た。
「才人君、傷は大丈夫かい?」
「あ、はい。そんなに大した傷じゃなかったみたいです」
痛みなどはあるものの、動かす分にはさして支障がないと、体の感覚で分かる。
「そうか、それは良かった。流石はアモスに入っているだけあるね」
「お父様、そんな社交辞令は結構です。それよりも――」
長ったらしい話は嫌いなのか、アシュリーは簡潔に話を終えようとする。
「あぁ、言わなくても分かるよ。交際について、だね?」
「……はい」
考えている事など、全てお見通しといった態度にアシュリーは少し、不服そうにしていた。
「確かに才人君は鷹に勝った。その強さは認めるよ。だが、それだけではまだ交際は認めない!」
「お父様、それでは約束が違います」
お父様の発言に驚愕しながらも、アシュリーはあくまで食い下がる。
言葉は静かだが、明らかな怒りの視線を、お父様に向けていた。
「アシュリーこそ何か勘違いしていないかい? 確かにパパは試験をすると言ったけれど、試験があれで終わり、とは一言も言った覚えがないよ」
まるで子供のような言い訳に、僕は怒るよりも何よりも、呆れるしかなかった。
それと同時に、それ程までに娘の事を思っている父親の愛情に、心温まるものがあった。
しかし当の本人は、意地悪されているとしか、思っていないのだろう。
愛情と言うのは、注がれている本人は存外気付かないものだからだ。
「では、最終的に何を、どうすれば、認めてもらえるのですか」
「そんなに怒らなくても次で最後だよ。なに、簡単さ。今度はアシュリーが才人君と戦えばいいのだからね」
「「…………はぁ?」」
一体この人は、いやこの親子は何度、僕を驚かすと気が済むのか。
「もしいざという時、女性に守られる様な男性は、交際相手にはふさわしくない。才人君もそうは思わないかい?」
「え? ま、まぁ、そうです……ね?」
いきなり話を振られた事に、若干戸惑ったものの、お父様の言う事に納得出来るものがあったので、同意した。
「だからアシュリーと戦い、アシュリーに勝ったなら、今度こそ交際を認めよう」
こちらもその考えは理解出来る。
納得もいく。
だが、
「あの、リアトリス……さん」
耳打ちをする為に、お父様の耳元へと歩み寄る。
そして、囁く。
「もし、アシュリーがわざと負けたら、どうするんですか?」
囁いた途端、お父様の顔は「しまった」といった表情に変わった。
阿呆だろ、この人……。
「だ、大丈夫だよ、才人君。アシュリーは負けず嫌いなところもあるからね。そういう事には手を抜かないさ」
「じゃあ、僕がアシュリーを傷つけても、いいんですか?」
「だ、駄目だ、駄目だ、駄目だ!! あ~……傷つけずに勝ちなさい!!」
無茶言うな……。
「それに、アシュリーって優しいですよね?」
「あぁ、優しいね!」
何で自信満々なんだ……。
僕もどうせこう答えてくるのが、分かっていて質問したのだけど。
「そんな優しい子が好きな人と戦いたいと思いますか? もしかすると戦わせようとした、という理由で『お父様何て大嫌い!』ってなるかもしれませんよ」
「っ!?」
実際に言われる事を想像したのか、お父様の顔は最早泣きそうになっていた。
流石にちょっと言い過ぎたかもしれないと、後悔する。
「分かった、もういい。アシュリーとの試合は無しにする!!」
だがその甲斐はあったようで、概ね期待通りの結果に至った。
再びアシュリーの元へと戻る。
「あなた、一体何言ったの……?」
想像もしていなかったのであろう事態に、流石のアシュリーも動揺していた。
「問題点の指摘を、少々」
「どういう事?」
「あ~、気にしなくていいと思うよ」
「……分かったわ。気にしないでおいてあげる」
アシュリーはあくまで公言しようとしない僕に、不満を募らせている様子だった。
「それよりもお父様。結局交際は認めて貰えますか?」
「む、むむ……」
一体どうしたものかと、お父様は困り果てていた。
一度アシュリー側に味方した以上、これからもそうするつもりだが、お父様の方にもフォローを入れるべきか、悩む。
「……仕方がない。今だけは、認めよう……」
そして考えに考え込んだ末、遂に、お父様の方が折れた。
「い、今だけだからね!? パパは完全に認めたわけではないからね!!」
せめてもの抵抗。
しかしそれすらも、アシュリーは軽く払い飛ばした。
「分かっています。さぁ、才人。お父様にも認めて貰えた事だし、デートに行きましょうか」
アシュリーは僕の腕に、見せつける様に抱きつき、そう言った。
「え!?」
アシュリーの突然の行動と発言に、お父様ではなく僕が驚き、声を上げる。
「だって付き合っているんですもの。デートをしたところで、何もおかしくはないでしょう?」
「それは、そうだけど……」
それはあくまで、本当のカップルならば、という話だ。
嘘の交際で平静とした態度でデートを公言出来るほど、僕は出来た人間ではないし、女性慣れもしていない。
チラリと横目で、お父様を見る。
お父様は悲しみや怒り、様々な感情が入り混じった何とも言えない表情で、僕とアシュリーを見ていた。
その視線に耐えられなくなり、顔を背ける。
「どうしたの? 行かないの?」
おそらくアシュリーには僕がどう答えるか、分かっていて質問しているのだろう。
「行き、ます……」
この様な空間に、いつまでも耐えて居られるほど、僕は強靭な精神を持ち合わせていない。
「良かった。じゃあ早速行きましょう」
「アシュリーーーーーーーーー!!」
娘を取られたショックに、お父様は今度こそ泣き崩れてしまった。
そんなお父様を見向きもせず、アシュリーは僕を引っ張り、外へと連れ出した。
綺麗な薔薇には棘がある、というのはまさしくこの事を言うんだろうか……?
いや、微妙に違う気がする。
外へと連れ出された後、僕はアシュリーと二人、並んで街を歩いていた。
「あのさ……」
その間終始無言だったのだが、別に無言の空間が辛くて話し掛けたわけではない。
ただ少し、言っておきたい事があっただけだ。
「……何?」
「流石にちょっと、可哀想だった気が……」
今頃どうしているのか、怖くて想像もできない。
「別にいいのよ。昔からあんな感じだったもの」
昔から、と言う事は娘に近づく男達には皆、あんな調子だったのだろうか。
「私はよく覚えてないけど、私が三歳ぐらいの頃から、近づいてくる男の子は払っていたらしいわよ。払わなかったのなんて、鷹ぐらいじゃないかしら?」
流石にそれは、親として正しいのか、どうなのか……。
ここまで理解に苦しむ人物も、そうは居まい。
「本当、昔から変わってないわ。反抗期でなくても鬱陶しく感じるくらい……」
と、言葉は否定的なのだが、その表情は本当に微かにだが、笑っていた。
おそらく本人には自覚していないだろう。
それで、口ではああ言っていても、父親を嫌っていないのだと悟る事が出来た。
「何、その顔。妙に腹立つんだけど」
「え、僕何か変な顔してた?」
「ええ、とっても気持ち悪い顔していたわ。……ってこのやり取り、前にもあったわね……」
「確かに……」
以前にもあった同様のやり取りに、二人して既視感を感じた。
しばしの沈黙。
しかしそれは、アシュリーによって直ぐに破られた。
「そういえば、才人はこれからどうするつもり?」
「どうする、って?」
「本当は何か、用事あったんでしょう? 私が無理矢理巻き込んだから、今はここにいるけど」
確かに、当初の予定では僕はアモスに行くつもりだった。
そのつもりが、様々な出来事が折り重なり、今に至っている。
ただ、アモスには本来行かなくてもいい
自主的に葵さんに訓練をつけてもらっているだけだからだ。
そう、だから必ずしも行かなければならない、と言う事ではない。
葵さんに、連絡さえしていなければ。
「――とまぁ、その、色々ありまして……遅れました。ゴメンナサイ」
正座をさせられたまま今までの経緯を、掻い摘みながら葵さんに説明した。
「へぇ、人を散々待たしておいて、そっちは彼女とイチャイチャしていたわけ……」
「いや、だから彼女じゃありませんって」
因みにあの後、アシュリーと別れ急いでアモスに向かったものの、許しては貰えなかった。
まず着いた時点で一発、遅れた理由を説明している途中で数発、殴られた。
蘇芳との戦闘でついた傷が、いくつか開いたのは言うまでもない。
「全く、こっちにも用事とかあるのよ? それに携帯で連絡するとか、事前に出来る事もあったでしょうが」
「ゴメンナサイ……」
こちらが全面的に悪い以上、何も言い返す事は出来ない。
仮に出来たとしても、葵さんの場合はそれを聞きもせず殴ってきそうで、結局は出来ない。
「ま、これ以上同じ事言っても変わらないか。それよりも才人、あなたに任務的な事、来たわよ」
そう言って葵さんは、僕に何かの衣類を、投げつけてきた。
「これ、何ですか?」
「近くにある学園の制服。あなたそれ着て、来週からそこに通いなさい」
「へ? な、何で……?」
「理由はいくつかあるわね。まず一つは、記憶喪失で失った知識をまた学んでくる事。で、次に、これが一番大きな理由なんだけど、いわゆる『潜入捜査』をしてほしいのよ」
葵さんによると、とある大きな事件に、その学園が関わっているかもしれないという情報が、入ってきたらしい。
だがその事件がどういうものかは、教えて貰えなかった。
「でも学生として潜入しただけで、そんな簡単に分かるものなんですか?」
「十中八九無理ね。実際に調べるのはあくまで私達。あなたはその間を繋ぐ回線みたいなものね」
大した成果は、期待されていないと言う事だろう。
勿論そんな事は自分でも重々承知しているし、一々落ち込んだりはしない。
「実際に入学したら、必要に応じて私達が指示を出すわ。それ以外は基本的に好きにしてていいわよ」
「学園生活を満喫していろ、って事ですか?」
「まぁそういう事ね。彼女を作ったりしても、勿論オーケーよ? あ、でも既にいるわね」
と、葵さんはからかいながら言ってくる。
ここで向きになっては葵さんの思う壺だ。
一言言いたい衝動を無理矢理に抑え、平静な態度で対応する。
「どうせ出来ないでしょうし、変な期待しても無駄ですよ?」
すると案の定、葵さんはつまらなさそう顔をしていた。
「取り合えず用件はこれで終わり。訓練は……今日は止めておいた方が良さそうね。詳しい説明は今度するから、さっさと帰って休みなさい」
「は、はい」
僕は葵さんに言われるがまま、アモスを去り、家へと帰った。
◆葵
才人が去っていくのを見届けて、直ぐ様ある人物へと電話を掛ける。
「あ、もしもし? 才人に伝えといたわよ」
『そうか、ありがとう。これで一応仕込みは完了した事になるね』
相手はうちの上司だ。
誠や恭介の馬鹿が、数少ない苦手としている人物。
まぁその数少ない人物の中には、私も入っているのだけど。
「だけどいいの? よりにもよって才人に潜入させて」
『……どういう事かな?』
「才人なら、私達に指示された事以外は、相談するよりも先に、自分で解決しようとするわよ。多分それに関しては、記憶を失ってからでも変わってないと思うわ」
『それならそれで、こっちが楽でいいさ。ともかく彼には期待しているんでね。やりたい放題やってくれて構わないさ』
この上司が一体何を企んでいるのか、私でも分からない。
いや私どころか、他の誰も知らないだろう。
そういう人物なのだ。
誰にも明かそうとせず、何を考えているか分からない不気味な奴と、わざと周りに思わせようとしている。
本当に、嫌らしい奴。
「何を期待してるのかは知らないけど、そうそう期待通りにはならないわよ。記憶を失ってから、すっかり丸くなったもの」
『ふむ……見た限りだと、俺にはとてもそうは思えないな』
「……会ったの? いつ?」
本当にいつの間に。
あまりの抜け目のなさに、思わず感心してしまう。
『ちょっと前にね。気付かれない様に観察していただけだよ』
つまり見られている事に才人は気付いていなかった、という事だ。
いくら相手が同じアモスのメンバーで、相当な実力者とはいえ、気配に全く気付かなかったというのはあまりに情けない。
今度は目隠しさせて訓練をつけてやろうかと、少し嫌がらせじみた案が、頭に浮かぶ。
「それで、そうは思えない理由って?」
『確かに、表情や性格はそうかもしれない。けど彼の眼はまだ丸くなっていなかったからね。何かを決意したような、強く鋭い眼をしていたよ。それについては本人も気付いていないだろうさ』
「へぇ~、じゃあその強く鋭い眼とやらを、今度会った時にでも観察させてもらおうかしら」
『あぁ、そうするといい。ではこちらも忙しいから、そろそろ切らせてもらうよ』
「えぇ、また」
それ以降携帯が喋る事はなかった。
辺りを静寂が包む。
何か大きな出来事が動き始めている。
そのような感覚を私は、心の中で微かに感じ取っていた。
というわけで、ここまで読んでくださって、ありがとうございます!
次回からは『学園編』(○○編がしたかっただけ)が始まります。
以降も読んで頂けると幸いです。