第十七話「少年の感情」
◆アシュリー
目の前で、二人の男性が戦っている。
ある意味では私をめぐって、という事になる。
戦っている二人の内、片方は蘇芳鷹と言って、私の遠い親戚のようなものだ。
もう片方は、白銀才人と言う、最近知り合った不思議な青年だ。
そんな二人が、今戦っている。
鷹は確かに優秀なマジシャンだけれど、それはあくまでその歳にしては、という意味だ。
アモスに入るほどの実力は、ハッキリ言って、ない。
つまりまともに戦って鷹が才人に勝てる可能性は、万に一つもない。
ないはず、なのに、
「ひぃっ!?」
「オラッ、逃げんな!」
「逃げるに決まってるでしょうがーーーーーー!!」
どうして才人の方が、逃げ回っているのだろう。
「一度信じた私が言うのもなんだが、彼は本当にアモスに入っているのかい……?」
先程まで信じていた父ですら、今は疑いの目を向けている。
「お父様も見たでしょう? それともあれが偽物だったとでも?」
私にも把握出来ていないが、強気に出る。
信頼している、これで良い、これが普通だ。
そういった態度を取っておかないと、嘘の交際を認めて貰えなくなってしまいかねない。
まぁ、認めて貰えなかったら貰えなかったで、手はあるのだけど。
「いや、そんな事はないのだが……」
確かに父の気持ちも分かる。
アモスに入れる程の実力者が、高々少し強い一般人から逃げ回っているなんて、周りに言ったところで誰も信じないだろう。
それほどまでに強さの世界が違うのだ、アモスは。
もしかして親のこねで入ったとか、そういう類のものなんだろうか。
いや、アモスはそんなもので入れる世界じゃない。
じゃあ一体何で……?
考えても、考えても、納得のいく答えは全く出なかった。
才人と言う人間は、本当に分からない。
アモスにまで入っていて、実力は一般人とは比べ物にならないほどのはず。
はずなのに、それを自慢する事も、偉そうな態度を取る事も全くない。
今だってその力を見せずに逃げ回っている。
その上、変に律儀というか、お人好しだ。
今回の事だって、断る事は出来たはずなのに、私に付き合ってくれている。
本当に、不思議……。
「えっとだね、アシュリー……」
「……何ですか?」
「分かっていると思うが、彼が負けた場合、交際は――」
「分かっています。承知していますから、黙って見ていて下さい」
今の私には、信頼する事しか出来ない。
ならその信頼を、余す事なく注ぐ事が、私に出来る最良の選択だ。
「そうかい。それならいいが……」
「ところで、お父様」
「何だい?」
「この庭、誰が後処理するんですか?」
鷹が魔法を使う事によって、庭の地面は抉れ、草木は散り、元の綺麗さなど、微塵にも残っていなかった。
いくら父がだらしない人物でも、全くの考えなしではないはずだ。
ちゃんと後の事も考えて――
「ん~……まぁ、どうにかなるんじゃないかな?」
「……」
◆才人
「ひぃっ!?」
「オラッ、逃げんな!」
「逃げるに決まってるでしょうがーーーーーー!!」
もう何度目かも分からない、同様のやり取り。
いい加減諦めてくれないかと、叶わないと分かっていても願わずにはいられない。
だが同様のやり取りをしている中で、分かった事がある。
蘇芳と名乗る青年は、魔法を使っている。
おそらく身体能力の強化か、触れた物を破壊する等といった、そういう類の魔法だろう。
だから彼の攻撃を、絶対に食らうわけにはいかない。
もし食らってしまえば最後、僕の意識は間違いなく、シャットダウンしてしまうだろう。
危険な魔法だが、唯一安心出来る点が有るとすれば、使用者が使いこなせていない事だろうか。
魔法を使っている分、破壊力等は恭介さんよりも凄まじいのかもしれない。
でもその攻撃は単調だ。
おそらくその破壊力に怯え、反撃される事があまり無かったのだろう。
葵さんの攻撃に比べれば、十分に避けられる。
もっとも、それはあくまで、拳は、という話だ。
「ぐっ――」
彼が大地を抉り、それによって吹き飛ぶ小石や、砂粒までは避けられず、体に直撃する。
それが一度や二度の事ならば、さして支障はない。
ほんの少し、痛いと感じる程度だ。
しかし何度も、となるとその度に疲労が蓄積し、少しずつだが、動きが鈍くなっていくのが分かる。
不味い、な……。
そろそろ何か得策を見出さないと、いつ攻撃を食らってしまうか分からない。
「おい!」
先程まで嵐のごとく続いていた攻撃が、突然止んだ。
叫んだ蘇芳の表情を見ると、最初は楽しんでいた表情が、イラついたものへと変わっていた。
「何……ですか……?」
疲労により、呼吸もままならない。
近くにあった木まで寄り、体を預ける。
「お前、何で魔法使わねえんだよ!?」
「どういう――意味ですかね……」
「どういう意味も何もねえよ! さっきから逃げるだけで……俺様を馬鹿にしてんのか!?」
「それは……」
舐められていると、そう思ったのだろう。
相手からすれば、そう考えるのも当然の反応かもしれない。
何故なら相手は、僕が魔法を使えない事を知らないからだ。
実はルーザーで、身体能力だけでアモスに入ったという可能性は、体格から見て考えて貰えなかったのだろう。
魔法が使えない事を話すわけにもいかず、どう返答すべきか思考に思考を重ねていった。
そしてその結果、行きついたのは、
「それは――あなた如きに、わざわざ魔法を使うまでもありませんから!」
これだった。
よし、完璧!
「ふ、ざ、け、やがってええええええええ!!」
だが思いの外、相手は先程以上にその怒りを、高まらせていた。
な、何でだ……!?
「死ねぇ!!」
「うわっ!?」
憤怒の形相で迫り、攻撃して来る。
怒りで我を忘れている分、簡単に避ける事が出来た――筈だった。
外れた攻撃は、僕の体を預けていた木に当たり、代わりにその体を、脳にまで響く轟音と共に散乱させた。
「な!? ――ぐあっ!!」
明らかに威力が、先程までと全く違う。
凄まじい勢いで散っていく木片を、避ける事が出来なかった。
あまりの衝撃に吹き飛ばされ、それと同時に服も裂ける。
木片は身体の様々な場所に刺さり、全身のほぼ半分が、赤く染まった。
「才人っ!!」
遠くでアシュリーが叫んでいた。
そりゃあそうだろう。
いきなり全身が血まみれになって、心配しない方がおかしい。
「大、丈夫……」
本当は全然大丈夫ではない。
痛い、泣き出しそうな程に。
葵さんに殴られた時とは全く違う。
体中が悲鳴を挙げている。
思えば初めてかもしれない、記憶を失ってから血を流すのは。
一体どうしてこんな事になったのか。
自分の不運さに、憐みを感じる。
「これでぇ――!」
蘇芳はこちらの事情など気にもせず、とどめを刺しに来ていた。
彼自身も先程の木の散乱で体に怪我を負っている筈なのに。
全く、どうしてこうも僕の周りには、人の事を気にしない人が多いのだろう。
「全く……」
誰にも聞こえない声で、呟く。
記憶を失ってから、僕は引っ張り回されてばかりだ。
確かにいくつかは自分から行動した事もある。
でもそれは、既に制限されている行動範囲の中で、僕が選んだというだけだ。
僕の頭は未だに整理がついていないのだから、少しぐらい、待っていてくれてもいいじゃないか。
足元にあった、握り拳程の大きさの石を拾う。
「どいつも、こいつも――」
理不尽だ。
本当はアモスがどうだとか、記憶がどうだとか、今はどうでもよかった。
取り合えず何よりも先に、落ち着きたかった。
それだけなのに……。
どうしてこうも、落ち着かない生活をしなくちゃいけないんだ!
「終わりだぁ!」
「ふざけんなああああああああああああああああああああ!!」
殴ろうとしていた蘇芳の右手に、拾い上げた石をぶつける。
木や、地面と同様に、石も激しく、そして粉々に散る。
それは僕と蘇芳、両方の体にぶつかっていく。
「ちぃっ!!」
予想外の反撃に、蘇芳は怯んでいた。
僕も十分に痛いのだが、最初から分かっていただけ、怯む時間は短かった。
怯む蘇芳の顔面に、今まで感じてきた理不尽への怒りを、全てぶつけた。
「ぐぉっ!?」
蘇芳の体は吹き飛び、自分で作っていった荒れ地に、倒れ伏した。
「この野郎……!!」
だが完全には倒せていなかった。
蘇芳はより一層怒りの感情を高ぶらせ、立ちあがろうとする。
「そこまで!!」
そこで、アシュリーの父、リアトリスから制止の声がかけられた。
お父様はそのまま、蘇芳の元へ歩み寄った。
「もう分かったよ。鷹、悪いけど、君の負けだ」
蘇芳は考えもしていなかったのであろう言葉に驚愕する。
「ふざけんな! 俺は、俺様はまだ――」
「もう無理だ。いくらなんでも君は、自分の体を気にしなさすぎる」
確かに、僕と同じぐらい破片等を浴びていて、これ以上派手に動き回るのは危険だ。
そもそも今の今まで、どうしてあれだけ動けていたのか、不思議でならない。
「それに、彼はまだ魔法を使っていない。つまり、本気を出していないんだよ」
「っ!?」
本気を出していない、その事実に、蘇芳は激しく落胆した。
魔法を使えない以上、僕は本気を出していた事になる。
だがそれを今ここで言うのは、賢い選択ではない。
「分かるね? 君の、負けだ」
「ち、くしょおおおおおお!!」
そうして最後、蘇芳は何も喋らなかった。
蘇芳の状態を確認し、お父様は、今度は僕の元へとやってきた。
「おめでとう。君の勝ちだ。君の方が傷も酷いからね。先に手当てしよう」
「ありがとう、ございます」
傷も、勝ち負けも、今はどうでも良かった。
今までのストレスを全部ではなくても、発散する事が出来て、少し清々しさを感じていた。
その清々しさに、しばらく浸っていたいと思った。
「どうも様子がおかしいと思ったら、まさか魔法無しで勝つ気でいたとはね。恐れ入ったよ」
「いえ、そんな……」
もしここで僕が魔法を使えない事を話したら、お父様はどういう反応をするのだろう。
やはり娘は任せられないと、交際をより一層反対するのか。
それとも、魔法無しでも相当な実力である事に、賛美の言葉を送ってくれるのか。
どちらにしても、面白い反応が見られそうだ。
そんな事を考えていると、自然と笑みがこぼれていた。
「ふっ、余裕そうだね。じゃあ治療はなくてもいいかい?」
「それは困ります!!」
治療もなしに家に帰ってしまえば、瑠璃が心配する。
姉さんに至っては気絶するんじゃないだろうか。
そもそも家に帰る事すら困難だ。
「ははっ、冗談だよ」
慌てる事が分かっていたのか、お父様は軽く笑い飛ばす。
「それじゃあアシュリーに案内してもらいなさい。私にはまだする事があるからね」
「はい、分かりました」
おぼつかない足取りで、アリュリーの元まで歩く。
「ちょっと、大丈夫?」
あまりの有様に、アシュリーは心配そうに声を掛けてくれた。
人として当然なのかもしれないけど、その優しさに、思わず涙が出そうになった。
「ほら、行くわよ。歩ける?」
「うん、なんとか……」
そして僕は、アシュリーに連れられ、治療を受けさせて貰った。
◆リアトリス
「……悔しいかい?」
アシュリー達が居なくなったのを見届け、私は彼、鷹にそう話しかけた。
「悔しくないわけ、ねえだろ」
先程まで怒り狂ったりしていたものの、今はもうすっかり落ち着きを取り戻していた。
「相変わらず君は口が悪いね」
小さい頃から見てきたが、この口の悪さが治る様子はない。
人の言う事も素直に聞かず、自分の子供だったら体罰を与えていたかもしれない。
「強く、なりてえ……」
それは心からの叫びだろう。
鷹は喧嘩等を、それはもう頻繁にしていたが、負けた事が無かった。
そんな彼が、初めて負けたのだ。
彼の言う通り、悔しくないわけがない。
「なら、どうすればいいか、分かるね?」
鷹は無言のまま、小さく頷いた。
才人と言う少年に感謝しなくてはならない。
これでようやく鷹は、本当に優秀なマジシャンとして、成長するかもしれないのだから。
「しかし、才人、ねぇ……」
ある一人の人物を、頭に浮かべる。
「彼の言う通り、面白い子だね」
一人の人間に、ここまで興味を持ったのは、久しぶりかもしれない。
この興味が、期待通りなのか、期待外れなのかは定かではない。
だが久しぶりに感じた興味の対象に、心を躍らせた。