第十四話「未知なる研究所」
再び葵さんに車で、今度は研究所まで送ってもらった。
葵さんは不服を唱えてこないが、こうもタクシーの様に扱っていると、罪悪感にさいなまれてしまう。
「ほら、着いたわよ」
「着いたって、何もないんですけど?」
研究所らしき建物など、どこにも見当たらない。
「あのねぇ、倒壊したのにあるわけないでしょ……」
葵さんは僕の反応に呆れ、溜息をついた。
「あ……」
僕はとことん人の話を忘れるみたいだ。
いや、正確には目の前しか見えていない、といったところだろうか。
まぁ今周りを見ていられる程の精神的余裕などあるわけがないが。
確かに目の前に建物は存在しない。
だが建物が倒壊した跡のようなものはある。
それを見た時点でどうして思い出せなかったのか。
自分の間抜けぶりに恥ずかしくなりながらも、研究所だった建物のところまで進む。
途中、立ち入り禁止の意味で張られている、トラテープがあったが、アモスのメンバーなら入ってもいいとの事なので、躊躇なくテープの先へと行く。
研究所の前まで着くと、立ち止まり、研究所の瓦礫を見降ろした。
パスティアさんの言っていた通り、本当に原型を留めてはいなかった。
ここが研究所だったなど、言われでもしない限り分からないだろう。
ただそんな事よりも、
「どう、何か思い出した?」
そう、こちらの方が重要だ。
その為にここまで来たのだから。
「いえ、何も……」
だがその甲斐はなく、脳は何の反応も示す事はなかった。
「ま、そりゃそうよね。それで、どうする? もう帰る?」
「もう少し、もう少しだけ探索させてください」
おそらく反対される事はないだろうと、そう判断し、返事を聞く前に瓦礫を掻き分け、奥の方を探索する。
「探索するのはいいけど、私は手伝わないわよ。車の前で待ってるから、満足したら帰ってきなさい」
「はい、分かりました!」
葵さんは車の所まで戻り、僕はそのまま探索を再開する。
瓦礫を掻き分けていくと、元々研究所にあったまま、放置されていただろう機材等を発見した。
そのどれもやはり原型は留めておらず、元がどういった物だったのか全く分からない。
もっとも、原型を留めていても現状では何なのか分からなさそうだ。
「ふぅ~……」
探索を開始する事、十分ほど。
手作業で瓦礫を掻き分けていく作業は、流石に体力を浪費した。
頬を垂れる汗を拭い、一度瓦礫の上に座り込み、小休止する。
「何も、ないなぁ……」
愚痴を溢す。
記憶を取り戻す手掛かりになりそうな物は何も見つかっていない。
その事実に、落胆を隠せないでいた。
出来る事ならまだまだ探索をしたいというのが本音だ。
だが葵さんを待たせている以上、それは出来ない。
そんな事は十二分に分かっている。
いい加減諦め、戻ろうかと考え始めたその時、一冊の本を瓦礫の中に見つけた。
当然ながら興味を惹かれ、本を拾い上げる。
「何だ、これ?」
本を開き、中身を確認しようとするが、何故だか開かない。
どれだけ力を強く込めようとも、開く様子は全くない。
意味が分からない。
接着されているわけでもなさそうだし、どういう事だ……?
開かない理由を、様々な可能性から考えてみるが、どれも決定打には欠けていた。
結局今は開けないだろうと、そう判断するしかない。
だが開けはしないものの、記憶を取り戻す手掛かりかもしれないと、持ち帰る事にした。
「やっぱり、もう少しだけ探すかな」
思わぬ収穫とも言えない様な収穫を手に入れ、少し気分が高揚する。
するとまだ他にも何かあるかもしれない、そう考え終了しかけていた探索を再開する。
勿論、長く探索するつもりはない。
葵さんを待たせているのだから。
後数分、探索して何か見つかるか、見つからないかは関係なしに、その時点で探索を終え葵さんの元へ戻る事にした。
また少し移動していると、何か小さな物を踏みつける。
瓦礫等とはまた違った感触。
それが何かを確認する為に、足元に目を向ける。
すると視界が――反転した。
「うっ、ぐ――」
胃の中の全てが、口内まで逆流してくる。
異様な吐き気と、激しい頭痛に立っていられなくなり、その場に膝をつき、倒れこむ。
胃の逆流は止まる事を知らず、遂には耐え切れず嘔吐する。
朝食も、昼食も、何もかもが胃液と共に吐き出されていく。
吐いた後の口に残る、独特の味が気分を不快にさせる。
一体何を見たのか。
分からない。
分からないのに吐いたのか。
いや違う、拒絶したのだ。
脳が、網膜が、視神経が、その物に対して『視る』という事を拒絶したのだ。
みたくないミタクナイ見たくない視たくない観たくない診たくない看たくない。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
得体のしれない恐怖が僕の脳を支配する。
踏みつけた物が一体何なのかと確認する気など、既に失せていた。
それより一刻も早く、一分も、一秒も早くこの場から逃げ去りたいという気持ちの方が、圧倒的に強かった。
ふらつきながらも、立ちあがる。
奇跡的に汚れる事もなく無事だった本を片手に、僕は脳の命令するがままに、その場から早々に立ち去った。
「僕は、何を見たんだ……?」
自分へと問い詰めてみたが、返事が返ってくるわけがない。
どれだけ思い出そうとしてみても、脳がそれを拒否していた。
記憶を取り戻す手掛かりである可能性は、今右手に持っている本なんかよりも、十分高い。
だがそれを取りに戻る事は、先程の二の舞になってしまいそうなので、諦めた。
葵さんに取りに行ってもらうという手もあるのだが、これ以上迷惑は掛けたくない。
確かに記憶は戻ってほしいが、ここまで辛い思いをして戻ってほしいとは思わない。
そもそも記憶が戻る事は、今の僕にとって、第一に優先すべき事ではない。
記憶が戻る事以上に、瑠璃を悲しませたくない、皆に迷惑を掛けたくないと、そう考えている。
だから僕は今回の事は、忘れる事にする。
忘れ、何事もなかった様子で、葵さんの元まで戻ろう……。
そして僕はようやく、葵さんの元まで戻った。
「遅い!」
戻るなり、葵さんはいきなり僕を怒鳴りつけてきた。
予想通りと言えば、予想通りだ。
むしろいきなり殴られなかった事に、少し驚いた。
「一体いつまでいるつもりだったのよ! 人を待たせてるって自覚、ちゃんと持ちなさい!!」
「ごめんなさい!」
悪いのはどう考えても僕だ。
結局かれこれ数十分は待たせていたのだから。
「それで、結局どうだったのよ? 何かあったわけ?」
「いえ、それが何もありませんでした……」
本は葵さんには秘密にしておく事にした。
出来れば自分で調べたいからだ。
本は今、僕の服の中にあり、葵さんからは見えないようにしてある。
「何もなかったって、あなたねぇ~! あんだけ人を待たせておいて、それはないでしょう!?」
「ひっ!? ごめんなさい!!」
今にも襲いかかってきそうな葵さんに、素早く謝罪する。
でないとこの人の場合命がもたない。
「……もういいわ。怒るも疲れた」
「えっと、本当にすいません……」
「私はこのままアモスまで戻るけど、才人はどうする?」
「あ、僕はもう家に帰ります。時間も時間なんで」
もうすっかり日も落ち、夜になっている。
姉さんに夕飯をどうするかまでは伝えていなかったので、多分心配しているだろう。
一応後で電話は入れておくつもりだが、やはり帰らないと不味い。
「そう、じゃあまた今度ね。今度会うまでに一応グロウシェイドの能力も調べておくわ」
「はい、ありがとうございます!」
そして僕は葵さんと別れた。
葵さんと別れ、早速姉さんに電話をかける。
姉さんに電話をかけるとは言っても、正確には自宅にかける。
『はい、もしもし~?』
この微妙に間の抜けた様な声は、姉さんだ。
ただ何故だろう、微妙に鼻声になっている気がする。
「もしもし、姉さん?」
『その声は、サーくん!? うわあああああああん、サーくんのバカーーーーーー!!』
「え、何!?」
声の主が僕だと分かるなり、姉さんは突然泣き出してしまった。
何が何だか、全く分からない。
『ながなががべってごないがら、じんばいでじんばいで……うわあああああああん!!』
言いたい事は分かるのだが、上手く喋れてないよ、姉さん……。
「ゴ、ゴメン。ちょっと色々忙しかったんだ」
自分の命を守るのに。
「グスッ……じゃあ、もう帰ってくる?」
「うん、今から帰るよ」
「うわあああああん!! よかった、よかったよおおおおおお!!」
安心した所為か、姉さんは余計泣きだしてしまった。
「サーくんが中々帰って来ないから、誘拐されたかと思って、警察に電話しようと思ってたの……」
マジかよ……。
「と、とにかく急いで帰るから、もう切るね!」
と、これ以上話していたら更に泣きだされそうなので、急いで電話を切った。
心配はしているだろうなと思ったが、泣かれるのは流石に予想外だった。
しかも警察に電話までしかけたと言う、今まさにその警察署に行ってたんですが……。
早く帰らなければ不味い。
僕はこの際仕方がないと、金を惜しまずタクシーに乗せてもらった。
そして家に帰ると、姉さんに泣きながら抱きしめられ、また窒息死してしまいそうになったのは、言うまでもない。