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Case5.ワスレナグサの戸惑い(1)

「誕生日おめでとう、シャーリー」


 目覚めの直後に、エドワードから手渡された両腕いっぱいの花束。シャーロットはかすかに頬を赤らめ、コクリと頷いた。


「……ありがとう、兄さん」


 今日、四月四日はシャーロットの誕生日だ。朝一番に花をもらい、身支度が整い次第、二人で街に()り出すことになっている。シャーロットの行きたい場所にエドワードが付き合ってくれ、欲しいものをなんでも買ってくれるのだ。

 シャーロットがレイヴンズクロフトの養子になってから、毎年変わらない、誕生日の過ごし方だった。


 花はシャーロットにとって、『嘘』の象徴だ。恐ろしい花言葉と共に、知りたくもない事実を押し付けてくる。

 けれど、こうしてエドワードに手渡された花束は、可憐な色合いとみずみずしい芳香で、シャーロットの心を和ませてくれる。バラ、スイートピー、ラナンキュラス、カスミソウ。「花は花に過ぎないのだ」と、気持ちをリセットさせてくれる。


 お気に入りのワンピースドレスに着替えてきたシャーロットを、エドワードが笑顔で迎える。二人揃って玄関ホールに向かった、その時だった。


 ――ガン、ガン……。


 弱々しいドアノッカーの音が響き、二人は顔を見合せて溜め息をついた。








「――大丈夫ですか?」


 フラフラと起き上がってきた男に、エドワードはそっと声をかけた。


 シャーロットの十五歳の誕生日を祝うため、まさに出かけようとした、その時。ドアノッカーを叩いたのは、異様な姿の青年だった。

 青年は頭から血を流し、シャツとウエストコート、ズボンだけの格好で、ぼうっと玄関ポーチに(たたず)んでいた。エドワードと目を合わせた直後、彼はその場に倒れ込んだ。


「――私を、探してください……」


 そんな謎めいた言葉を残して。


 仕方なく手当をし、青年を客間に寝かせたのが、三時間ほど前のこと。今日の外出は明日に延期し、少し話を聞いたのち、エドワードはこの青年を警察に届けることに決めた。


 起きてきた青年は、不思議そうに周囲を見回している。エドワードは肩をすくめ、ひとまず彼を応接間に誘った。







 応接間のソファーに腰を落ち着けた青年は、均整の取れた大き目の身体を、申し訳なさそうに縮こまらせていた。エドワードは彼の斜め向かい、シャーロットは彼の正面。それぞれいつもの席に腰掛け、エドワードは青年に話を切り出す。


「お名前をうかがっても?」


 青年は戸惑いがちに、首を左右に振った。


「……分からないんです。自分がどこの誰で、何をしていたのか」


 思わず視線を交わし合ったエドワードとシャーロットに、青年はポツリポツリとこれまでのことを語り始めた。


 朝、目が覚めると、この森の近くに倒れていた。痛む頭に触れると、固まった血が手のひらに落ちた。上着もなく、春とはいえ早朝の寒さに凍えそうになり、ひとまず青年はあてもなくさまよい始めた。

 この森の奥に行けば、知りたいことが見つかる。なぜか、そんな思いに突き動かされながら。



レイヴンズクロフト(わがや)の噂を知っているということは、恐らく貴族の身内。この軽装で近くに倒れていたというのなら、恐らく、別荘が近くにある……)



 この森はレイヴンズクロフトの領地の端に位置しており、隣は有名な別荘地だ。王族直轄領となっているので、貴族たちは皆、地代を国に納めて別荘を所有している。つまり、青年はそれなりに裕福な家の人間なのだろう。

 歳の頃は二十代後半。爵位を持つのか、跡取りなのか、判断に迷う年齢だ。

 エドワードは内心の溜め息を隠し、ニコリと青年に微笑んだ。


「では、私は警察を呼んでまいります。あなたはこちらで……」

「っ、警察、ですか……」


 咄嗟に声を上げた青年に、エドワードは右眉をわずかに上げて尋ねる。


「お嫌ですか?」

「分か、りません。ただ、何かモヤモヤと……」


(――事情持ちか。分かってはいたが、面倒だ)


 さっさと片付けて、せめて夕食だけでも豪勢に楽しみたかったのだが、致し方ない。シャーロットの誕生日祝いは完全に明日に回し、今日はこの青年の事情解明に専念した方が良さそうだ。


(『急がば回れ』と言うらしいし)


 無言で紙束とペンを手に取ったシャーロットを横目に、エドワードは気合いを入れ直した。






「――お名前がないと、会話がしづらいですね。差し支えなければ、アーサーさんとお呼びしても?」


 仮名に意味はなく、単に貴族男性によくある名前を述べただけだ。青年も特に嫌がる様子がなかったので、以降、彼のことはアーサーと呼ぶことに決めた。

 

「さて、アーサーさん。ご自身のことや、これまでの経緯、まるで思い出せないのとは先ほどうかがいました。それでは逆に、何か覚えていることはありませんか? はっきりとでなくても、構いません」


 エドワードの問いに、青年――アーサーは顎に手を添えて考え込む。彼はしばらく無言で俯いていたが、やがて恐る恐る顔を上げ、呟いた。



「……『私を忘れないで』。そう呟く、女性の声が聞こえます」


 意味深長な言葉に、思わずエドワードも目を瞬かかせる。その言葉を手元に書きつけるシャーロットの、筆の音だけが響く。

 しばしの沈黙のあと、エドワードは苦笑気味に答えた。


「『忘れないで』、ですか。いったいどんなシチュエーションだったのでしょうね」


 アーサーは黙って首を振る。そこまでは思い出せないようだ。

 シャーロットの能力は、意図的であれ無自覚であれ、話者の発した「嘘」に反応する。何も覚えておらず、記憶も断片的な相手に、果たしてそれが通用するのか。

 またエドワード自身も、相手の話のちょっとした矛盾や、微細な表情の変化をヒントに、あらゆる可能性を想定していく。語るべきストーリーを持たない相手に、そもそも推理など働かせようがない。


(まずは記憶にアプローチするしかないか……。話題を打ち続け、何かをきっかけに、記憶の扉を開かせるしかない)


 青年の記憶の混濁は恐らく、頭の怪我に由来するものだと思われる。エドワードは医者ではないので、自信はないが、そうしたものは一時的な症状であることも多い。


 なんとしてでも今日中に決着を、と意気込み、エドワードは深く息を吸い込んだ。

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