Case4.忘れじのデルフィニウム(後編)
(――覚悟を決めるしかないか)
エドワードはそう内心で呟き、わずかに身を起こした。無言で立ち上がり、シャーロットのもとへ歩み寄る。
ベアトリスの目線を受け、シャーロットはかすかに肩を揺らす。どこか怯えた様子に片目を細めながらも、エドワードはためらいなくシャーロットに右手を差し出した。
シャーロットはやはり黙って、紙の束をエドワードの手に近付ける。エドワードはそれを受け取り、じっと目を通し始めた。
「……な、なんですの?」
戸惑った様子のベアトリスを無視し、エドワードはいつものように花言葉辞典を取り上げる。侯爵令嬢がムッと顔をしかめた気配を感じたが、エドワードは構わずにそのページの記述を何度もなぞった。
しびれを切らしたベアトリスが、ついに声を荒らげた。
「――レイヴンズクロフト伯爵。いったいなにを、」
「分かりましたよ。婚約破棄の理由」
振り返って断言するエドワードに、ベアトリスは鼻白む。しかし、すぐに表情を取りつくろい、彼女は腕を組んで横柄に告げた。
「――そう。では、言いなさい」
(本当に、このお嬢様は……)
大抵の訪問者は、唐突にエドワードがこう言うと、度肝を抜かれた様子でうろたえる。だが彼女は当たり前のように、それを受け止めた。
それは肝が据わっているのではなく、「そうされるのが当たり前だから」なのだろう。
軽く頭を振り、エドワードは答えた。
「結論から申しましょう。ナサニエル氏の心変わりの理由。――それはあなたです、レディ・ベアトリス」
ベアトリス・ウェントワースは、ポカンと間の抜けた表情を浮かべた。
「な、何を言うの……」
心底困惑しきった様子で、ベアトリスはうわごとのように呟く。エドワードは、彼のかたわらで顔面を蒼白にしたシャーロットを見やり、ひと息に告げた。
「あなたはとても、物の言い方がお上手だ。ここへ来られた時も、『婚約者の心変わりの理由を調べてほしい』。紅茶の味が気に入らなかった時も、『お砂糖をいただける?』と。私の物言いが気に入らなかった際は、『私のせいだと言うの?』でしたか。
そうやってあなたは、相手を悪く言うことなく、ご自身の不満を伝えたり要望を押し通たりする。……ナサニエル氏は、それに耐えられなかったのでしょう」
呆然としていたベアトリスが何か反論を口にする前に、紅茶で喉を湿らせたエドワードは続けた。
「あなたは、決して強要はしていないのでしょう。でも、それとなくナサニエル氏に伝えていた。彼は名家のお嬢様の機嫌を損ねまいと、懸命に応える」
そこでエドワードは、ベアトリスの全身に視線を巡らせる。ぶしつけな行動に、ベアトリスがサッと頬を赤らめてエドワードを睨みつけるが、エドワードは一笑に付した。
「心配ご無用、子どもの身体に興味はありませんよ。
……ねぇ、レディ。そのドレスとネックレスは、お父上から? すごい品だ。例えば、サマーフィールドと同じ伯爵の私が、妹にそれらが欲しいと言われれば、贖えないものではない。……ただ、それを普段使いにされるのは、さすがに止めるでしょうね」
出生当初、血筋は保証されたものの認知はされず、平民として育ったベアトリス。孤児院を経ていきなり、国内随一の裕福な貴族に引き取られたのだ。他の貴族の生活がどういったものであるのか、恐らくは知らないのだろう。
現に、エドワードの言葉を、ベアトリスは理解不能といった表情で聞いている。自分が身を寄せるウェントワース家が、どれほど恵まれているのか。彼女には、分からない。
エドワードはもはや呆れも隠さず、ベアトリスに告げた。
「あなたがある日、当然のように呟いたのだろう、『……あら、あの宝石、綺麗ね』という言葉。それを聞き流せる度量があれば、ナサニエル氏も苦労しなかった」
(――でも、彼は言葉に敏感で、金銭感覚も一般的だった)
ベアトリスはエドワードの長講釈に、着いてくるのがやっとのようだ。エドワードは極上の笑みを浮かべ、そんな彼女にとどめを刺す。
「あなたが当たり前に差し出す望みを、叶え続けることは出来ない。ナサニエル氏は憂いた。彼の父も、それを理解していた。
……ならば、いつか来る破綻に怯えるよりはと、一瞬の負債を選んだのでしょう。幸い、婚約を申し出たのは侯爵側で、期間もまだ半年ほどだ。賠償金も知れている」
以上が、心変わりの真相です。
そう告げたエドワードは、優雅に一礼してみせた。ベアトリスは何が何だか分からないといった面持ちで、ソファーの上で固まっている。
無言で話を聞いていたシャーロットのかすかな吐息が、静まり返った応接間に響いた。
「……もしかして、彼女、知り合いかい?」
客人が帰ったあと、会話の口火を切るのは、たいていシャーロットだ。
今日は紅茶の鮮やかな色の水面をじっと見つめ、微動だにしない彼女を案じ、エドワードがそっと声をかける。シャーロットはわずかに息を飲み、紅茶のカップを静かに置いた。
「――私がここへ来る前のことは、覚えている?」
迂遠な返事を気にすることなく、エドワードは頷いた。彼の反応を見て、シャーロットは俯きながら続ける。
「彼女も昔、私と一緒の孤児院にいた。
……知らなくても無理はないわ。あの子、当時もあんな感じで、色んな相手と揉めごとを起こしていたから。すぐに『うちでは面倒をみきれない』って、シスターが別の院に頼み込んで、引き取ってもらってた。時機的に、兄さんが彼女を孤児院で見かけたことはないと思う」
エドワードとシャーロットは、四年前、レイヴンズクロフト家が運営に携わる孤児院で出会った。
人の話を聞くと落ち着かない様子のシャーロットに、エドワードはすぐに違和感を覚えたそうだ。
誰かの言葉を聞いていると、変なにおいがすることがある。
幼い頃、親にそう告げて気味悪がられ、捨てられたシャーロットは、自身の能力については徹底的に隠し通した。けれどエドワードには早々に「何かある」と見破られ、シャーロットはついに誤魔化しきることが出来なくなった。
彼女の能力を知ったエドワードは、シャーロットをいたく気に入った。それに飽き足らず、彼女を家族として迎えると言い出したのだ。
その頃にはもう、先代レイヴンズクロフト伯爵は亡くなっており、エドワードが爵位を継いでいた。死者の戸籍を触ることは出来ないので、シャーロットはエドワードの「養子」という形を取っている。
エドワードが訪問客に、彼女を「妹」として紹介するのは、そのあたりのややこしさを誤魔化すためだ。
目を丸くするエドワードに、シャーロットは気まずい表情で詫びた。
「……ごめんなさい。あっちは覚えてもいないと思うけど、私、あの子がいた二ヶ月弱の間、かなりいじめられたのよ。あんな調子で、周囲を動かして。……だから、関わりたくなかった」
いつになくしおらしいシャーロットの様子に、エドワードは噴き出してしまう。途端にムッと顔をしかめたシャーロットに、彼女お手製のクッキーを口に詰め込まれ、エドワードは目を白黒させた。
彼女が密かに、紙の束に記した「嘘」の確証たる花。
落ち着いたらその話をしようと、エドワードは心に決めた。
花の名はデルフィニウム。
その花言葉は、『傲慢』。




