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Case4.忘れじのデルフィニウム(前編)

 春の日の午後、森の奥のレイヴンズクロフトの屋敷を、一人の貴族令嬢が訪れていた。


「――婚約者の心変わりの理由を、調べてくださらない?」


 最高級の絹にオーガンジーリボンをふんだんにあしらった豪勢なドレスは、薔薇のような真紅。象牙色の胸元に輝くのは、大粒のダイヤモンドか。結い上げた髪には銀粉がまぶされ、陽光を弾いて眩しいほどだった。


 ここは夜会の会場だっただろうか――などと、思わずエドワードに考えさせてしまうほど、その少女は派手な身なりをしていた。ギリギリで下品に見えないのは、整った顔立ちと、ひとえにもの自体の質の高さのためか。

 エドワードがそれとなく目の前の少女を観察していると、彼女は「ちょっと、お砂糖をくださる?」と顔をしかめて言った。乾燥させた花を混ぜたエドワード渾身(こんしん)の新作ブレンドだったが、お気に召さないようだ。

 仕方なくエドワードが差し出した砂糖を惜しげもなく放り込み、少女は勢いよくカップを口に運んだ。


「……まずは、お名前をおうかがいしても? レディ」


 エドワードが(うやうや)しく尋ねると、彼女はカップを置き、ツンと顎を上げる。


「ベアトリス・ウェントワースよ」


(ウェントワース……。ああ、じゃあ彼女が、()()侯爵令嬢か)


 納得したように、エドワードは内心でひとりごちる。


 ウェントワース侯爵。海に面した領地を活かし、貿易で莫大(ばくだい)な財を成す、国内きっての名家の長だ。家業は二人の息子に任せ、もっぱら王都で貴族同士の交流を楽しんでいると聞く。

 侯爵は数年前、溺愛する三人の娘が相次いで嫁いでいき、ひどく寂しがっていた。そんな折、彼はかつての愛妾(あいしょう)に生ませた娘のことを思い出したそうだ。

 居場所を探し当てた時、彼女の娘は孤児院に預けられていた。愛妾は五年前、十歳になったばかりの娘を遺し、病で亡くなっていたそうだ。そんな悲劇を経て、父娘(おやこ)はようやく感動の対面を果たした。

 その娘が、このベアトリスだ。彼女は、孤児から名門侯爵家の令嬢と、まさにおとぎ話の主人公のように階級を駆け上った。


 紅茶の買い付け以外には、屋敷にこもりがちなエドワードでも、さすがにその噂話ぐらいは耳にしている。あれから数年が経過し、移り気な貴族たちが彼女の噂をすることはなくなったが、それでもその話はすぐに思い出せた。


 沈黙したエドワードに何を思ったのか、ベアトリスは「ふふん」と鼻を鳴らして唇を釣り上げた。


「孤児院から私を救い出してくださったお父様は、私のことを溺愛なさっているの。『私が認めた男以外に、ベアトリスは渡さん』と豪語なさって……」

「……その、侯爵に認められた男が、レディとの婚約に難を示していると? それはずいぶんと失礼な話だ」


(――侯爵の圧力があってもなお、婚約を渋るとあれば……よっぽどだな)


 エドワードの遠回しの皮肉に、ベアトリスはまるで気付かない。「そうなのよ」としたり顔で頷き、ベアトリスはふと瞬きをした。


「――ところで、こちらはどなた?」


 ベアトリスの視線の先に居るのは、いつも通りに紙束とペンを構えたシャーロットだ。

 いつも客の前では人形然として、冷たい無表情を浮かべている彼女だが、今日は心なしか顔を俯けている。陶器のように真っ白な肌が、青ざめてすらいる。

 体調でも悪いのだろうか、と案じながらも、エドワードが口を開きかけた、その時。


「シャーロットと申します。兄の手伝いで、記録をとっています。どうか、私のことはいないものとお思いください」


(……シャーリー?)


 卑屈(ひくつ)にすら聞こえる物言いに、エドワードは内心首を傾げる。これは、客人への言い訳とともに、エドワードに対する牽制(けんせい)か。


 ならば今回は、推理披露のきっかけとしている「神の託宣」は、使えないと考えた方がいい。


 ――厄介なことになりそうだ。

 エドワードはこっそりと溜め息をつき、ベアトリスに向き直った。








 ベアトリスの婚約者の名は確か、ナサニエルといったはずだ。ナサニエル・サマーフィールド。サマーフィールドは比較的歴史の浅い伯爵家だが、堅実な領地運営を行っていると聞く。ウェントワース侯爵がベアトリスを溺愛しているというのは、真実なのだろう。

 エドワードはニコリと微笑みながら、ベアトリスに単刀直入に尋ねた。


「婚約は、いつ頃?」

「あら、ご存知ない? 半年前よ。ずいぶん話題になって、辟易(へきえき)したものだけど」


 愚痴にみせかけた自慢に頭痛を覚えながら、エドワードは質問を続けた。


「何かきっかけはおありでしたか? その、彼がそのような失礼な態度をとり始めるような」

「――私のせいだと言うの!?」


 カッと頬を赤らめて立ち上がりかけるベアトリスに、エドワードは苦笑してしまう。けれど表向きは焦ったように振る舞い、彼女の機嫌をとって話を続けさせた。


 要領を得ない彼女の話をまとめると、こういうことだった。




 ナサニエルは当初から、ベアトリスの機嫌をとろうと躍起(やっき)になっていた。

 折にふれての贈り物。デビュタント前でも出席可能なパーティやお茶会には、すすんで彼女をエスコートをした。決してベアトリスが強要したのではない、彼自身の意志だった。

 けれどやがて、ナサニエルは少しずつベアトリスから距離を取り始めた。そしてついに、「僕はあなたには相応しくない。賠償金は払うから、婚約をなかったことにしてほしい」と唐突に言い出した。

 当然、ベアトリスだけではなく、ウェントワース侯爵も激怒した。しかし、ナサニエルも、彼の父である伯爵も、頑として破棄を主張し続けたのだ。

 これ以上、娘を好奇の目にさらしたくないと、最後にはウェントワース侯爵が折れた。いまだナサニエルに気持ちを残すベアトリスは父の説得を試みたが、結果は覆らない。


 そうして、思い悩んだ彼女は今日、エドワードを訪ねてきた。





 シャーロットの筆致は一貫して鈍く、勢いはない。



 エドワードはこっそりと溜め息をついて、窓越しに風に揺れる常緑樹を見つめた。


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