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Case5.ワスレナグサの戸惑い(4)

 クスクス、と空気を震わせるような笑い声が零れる。

 真っ直ぐに背筋を伸ばすエドワードの前で、アーサーは肩を震わせて笑い始めた。その声は次第に大きくなる。エドワードは無表情で、彼の変容を眺めている。

 アーサーはひとしきり、一人で笑い続けていた。ようやく落ち着いた頃には、その目尻に涙が浮かんでいる。

 彼は目元を拭い、呼吸を整え、エドワードに声をかけた。


「……はあ、はぁ……。いや、すごい妄想力だ。尊敬に値しますよ。作家か何かを目指されては?」

生憎(あいにく)、花と絵画以外には興味がなくてね。――さて、私の推測は以上ですが、何か他に質問は?」


 飄々(ひょうひょう)と両手を上げるエドワードに、アーサーがにこりと微笑んだ。


「では、私が聞いた女性の声は、どう解釈しますか?」


 どこか楽しんでいるようなその物言いに、エドワードは鼻白んで答えた。


「女性もあなたに思いを寄せていたとしたら、単純に、死に行く自分のことを覚えていてほしいという哀願。

……ただまあ、そんなロマンチックなことを思うなら、殴ったりはしないでしょう。恐らくは、『お前が殺そうとしている、私を忘れるな』という、呪いの言葉ではないかと」


 アーサーは子どものようなわざとらしい表情で、しきりに瞬きをしてみせた。


「……それはずいぶんと、熱烈な愛の告白ですね」


 この解釈を『愛の告白』と捉えるとは、やはり、この男は歪んでいる。眉をひそめるエドワードに、アーサーは楽しげに言った。


「もし私が、あなたの言うような、恐ろしい殺人鬼だとして。――そんなに堂々と推理を口にして、大丈夫なんですか?」


 ピクリ。

 エドワードは口元を引きつらせ、俯く。


 アーサーは好奇心に満ちた瞳で、顔を伏せたエドワードを観察している。だが、やがて顔を上げたエドワードの目の色に、ギクリと身体を強ばらせた。

 エドワードの瞳は、海の底を思わせる、深い蒼色をしている。その瞳が今は、高温の炎のような、冷たい青色に燃え上がっていた。

 片目を(すが)め、エドワードは無言でアーサーを見つめる。ただ見つめられているだけなのに、全身を押さえつけられているように、呼吸が苦しい。二十歳の青年伯爵の異様な迫力に、アーサーは思わず息を飲んだ。

 普段の優美さも、推理で人を追い詰める時の軽やかな皮肉もなく、エドワードはその瞳だけでアーサーを制圧してしまった。


「――我が家紋。(からす)と、黄金のミモザ。この花の意味を、知っての発言か?」



 レイヴンズクロフトは、長年名家として一目置かれてきた存在だ。だが、その重みは、紋章に描き込まれた黄金のミモザにより、いや増した。


 この国の四代前の王はある年、最愛の正妃との間に待望の息子を授かった。だが、正妃の実家は政争に巻き込まれて没落し、このままでは大きな後ろ盾を持つ側妃に、息子ともども命を狙われかねない。平和な現代では考えられないが、当時は暗殺や裏工作が当たり前の時代だった。彼らは泣く泣く、愛する息子を死産と偽り、信頼する配下に託した。王太子には側妃の息子を立てた。

 一方、配下に託された息子は、王位継承権は失ったものの、王室による永劫(えいごう)庇護(ひご)を密やかに約束された。その証として、正妃が愛し、王がその意匠を頻繁に取り入れたミモザの花を、家紋に加えることを許されたのだ。丸いミモザの連なり、特にリースは、途切れないことから「永遠の絆」の象徴となる。

 つまり、レイヴンズクロフトは、王室を後ろ盾に持つ一族ということだ。表向きの身分こそ伯爵だが、その歴史を知る者たちからは、公爵に等しい扱いを受けている。

 

 記憶を取り戻したアーサーが、エドワードの口封じを企んだとして、それは王家に牙を剥く行為と同義だ。貴族社会に生きている者が、そのことの意味を理解できないはずはない。


 じっと自分を見つめるエドワードを、アーサーも暗い眼差しで見返す。緊迫した空気はしかし、不意にエドワードの口元に浮かんだ、いつも通りの笑みによって、強制的に塗り替えられた。


「……まあ、ただの私の推測ですから。妄想を口外する趣味もありません」


 その言葉を受け、アーサーも吐息のような笑みを零して告げる。


「……体調も落ち着きましたし、私はそろそろ失礼します。目を覚ました場所に戻れば、おそらく家人か誰かが探しているでしょう」


 そう言って立ち上がったアーサーに見せつけるように、エドワードはシャーロットのメモを破り捨てた。


「そうですか。――では、お気を付けて」


 アーサーは無言で会釈をし、扉を開けまま部屋を後にする。彼が玄関ホールに向かうのを見届け、エドワードは内心で溜め息をついた。


(今回の花は、ワスレナグサ。――花言葉を調べるまでもなかったな)









「――終わったよ、シャーリー」


 シャーロットの部屋の扉を軽く叩くと、彼女はすぐに飛び出してきた。不安に表情を曇らせ、シャーロットはじっとエドワードを見つめて尋ねてくる。


「大丈夫?」

「大丈夫。帰ったよ」


 エドワードの返事に、シャーロットはほうっと溜め息をついた。「無茶しないでよね」と顔をしかめる妹に、エドワードは頬を緩ませる。

 シャーロットはあくまでレイヴンズクロフトの養子であり、その血を引くわけではない。ミモザの威光が届く範囲に居るかは、微妙なところだった。ゆえに、エドワードはあれほど高圧的に、青年(アーサー)を脅した。


(私の推理には、シャーロットが必要だ。――だが、それ以上に)


 エドワードは、自分の思考を手助けするパートナーとして、シャーロットを謎解きに巻き込んだ。けれどそれと同じくらい、彼女には自身の能力に折り合いを付け、前向きに生きてほしいという願いも抱いている。

 だからその謎解きが、彼女の生命を脅かすことなど、あってはならない。


「……何とか今日中に片付いて良かったよ。これで明日は心置きなく、シャーリーの誕生日を祝える」


 心の底からそう呟くエドワードに、シャーロットはニッコリと微笑んだ。アメジストの大きな瞳を細め、普段人形めいた印象を与える少女は、年相応の愛らしい笑顔で兄に釘を刺す。


「……一日遅れた分、埋め合わせはしていただけるのよね?」



 (したた)かな妹に、エドワードは肩を(すく)めて苦笑した。







「――お望みのままに。マイ・レディ」

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