Case1.黄色のカーネーションとホオズキ(前編)
晴れない悩みや、解けない謎に心を悩ませているのなら、森の奥のその屋敷を訪ねると良い。そこに住まう世にも美しき兄妹が、たちどころに憂いを払ってくれるだろう。
それはいつの頃からか、この街に密やかに広まる噂だった。
その話を耳にして、今日もまた一人、屋敷の門をくぐる者がいる。
音もなく目の前に座った男女を、彼は戸惑いがちに見つめていた。
常緑樹に覆われた森の奥。石造りの荘厳な屋敷の一角の、応接間。重厚な飴色に光る机、絶妙な座り心地のソファー。隅々まで美しく磨かれた壁には、色とりどりの花を描いた絵が飾られている。
その屋敷の若き主、レイヴンズクロフト伯爵と名乗ったのは、息を飲むほど美しい青年だ。金色の緩い巻き毛に海のような深い蒼の瞳、薄紅の唇を常に微笑ませている。細身の身体を、質の良い上下に包んだ彼は、二十歳前後だろうか。
一方、無言を貫くのは、十四、五と思しき少女だ。赤みがかった茶色の艶やかな髪を真っ直ぐに伸ばし、宝石のように煌めく瞳は妖艶な紫。微動だにせず姿勢よく座る様は、真っ白な肌と相まって、人形めいた印象を与える。
「あの……」
「ここへは、どうして?」
沈黙に耐えかね、思わず口を開いた彼の言葉を、優美な青年伯爵が遮る。彼は視線をさまよわせて、おずおずと答えた。
「友人が以前、レイヴンズクロフト伯爵にお助けいただいたと……。あの、彼の名前は、」
「名は結構。お帰りになったあとは、全てを忘れるようにしておりますので。……本名を名乗られる方も、稀ですし」
そうですか、と彼はほっとしたように答える。じっとこちらを見つめてくる青年に、誤魔化すように慌てて咳払いし、彼は再び口を開いた。
「……では、私も、ロバートとだけ」
伯爵はにこりと微笑み、頷いた。
「承知しました、ロバートさん。私のことも、エドワードで結構ですよ。妹のことは、シャーロットと」
(妹だったのか……)
伯爵――エドワードに示された少女を見つめてしまい、ロバートと名乗った彼は、焦って両手を無意味に振った。人形めいた美しい少女は反応すらしない。苦笑を浮かべたエドワードが、逸れた話の軌道を戻す。
「失礼、ロバートさん。――それで、あなたは、我々に『何』をお望みですか?」
はっと息を飲み、ロバートは真剣な表情を浮かべる。ぎゅっと膝の上で両拳を握り締め、彼は言葉を続けた。
「行方不明になった弟の居場所を、突き止めていただきたいのです」
弟が姿を消したのは、二週間前のことでした。
心なしか背を丸め、沈鬱な表情で、ロバートは語り始める。
「あの日、父と大喧嘩になり……夜にも関わらず、家を飛び出していきました。それから一度も、家に戻らないのです……」
ふと、シャッ、シャッという音が響き、ロバートは驚いて顔を上げる。人形のように動かなかったシャーロットが、どこかから取り出してきた紙の束に、ペンで何ごとかを書きつけていた。目を白黒させるロバートに、エドワードは微笑を浮かべる。
「妹には、お客人の話を書き留めてもらっています。お帰りの際、ロバートさんの目の前で、全て燃やしますのでご安心を。――続けて」
はあ、と要領を得ない返事をしたロバートは、気を取り直して再び話し始めた。
「喧嘩になる数日前から、何かを悩んでいる風に見えました。父にもそのことは話していますが、『帰ってこない者は知らん』と、聞く耳持たずで……」
「――それで、二週間ですか。ロバートさんも心配でしょう? 警察には?」
「知らせてはいません。父が嫌がったので」
醜聞を嫌うのは、ある程度の身分の家なら当然のことだ。それにしても彼の父は頑固で、けれど喧嘩のことがよほど堪えたのだと見える。すっかりへそを曲げ、意地になってしまったそうだ。
伯爵エドワードがそっと手をかざし、ロバートは怪訝そうにしながらも、口を閉ざす。静寂の広間にかすかに響く、シャーロットがペンを走らせる音。その音が落ち着いた頃、エドワードが再び促すように口を開いた。
「ロバートさん。弟さんのことを教えてください。年齢、外見、特徴、性格など、何でも結構ですよ」
小さく溜め息をつき、ロバートは頷いた。
「年齢は、私と同じです。外見も私とそっくりだと、皆に……。双子なんです、僕たち」
ふたご、とエドワードが声を出さずに呟く。ロバートは目を細めながら答えた。
「はい。二人きりの兄弟で、ずっと一緒に育ってきました。兄はおっとり、弟は活発と、性格はまるで違うのですが……」
何かを懐かしむようなロバートの声。シャッ、シャッと響き続ける、シャーロットのペンの音。
「なるほど。――失礼ですが、お家の方は、ロバートさんのお兄様が?」
「はい。『後継者は嫡男のみ』が、この国のしきたりですから」
初めて生き方が分かれることになり、弟は悩んでいたのかも知れません。
寂しそうに呟いたロバートに、エドワードは目を細めて尋ねた。
「大切なご兄弟なのですね」
「はい。――大事な、弟です」
シャッ。
ひと際強くペンの音を響かせ、シャーロットが筆記を終えた。驚いて顔を上げるロバートに、エドワードが微笑みかける。しかし彼は何も言わず、黙って立ち上がって妹の方へ歩み寄った。
「メモを見せてくれるかい? シャーリー」
穏やかに聞かれても、シャーロットはやはり無表情だ。目もあげず差し出された紙の束を、エドワードは苦笑で受け取る。
そしてそのまま、妹の記したメモに目を通し始めた。
「うん、そうか……」
「神はこのようなことを……」
ひとりごとを言いながら、マントルピースの周りをウロウロと歩き回る青年伯爵を、ロバートは不審そうに見つめる。コツ、コツと、彼の靴の踵が床を打つ音だけが、しばらく響いた。
やがて、エドワードは暖炉の脇の棚に近付いた。そこに置いてあった分厚い書籍を手に取り、何かを探すようにページを繰る。しばらくして目当ての内容を見つけたのか、彼は満足気にひとり、頷いた。
「そういうことか。なら……」
困惑するロバートをよそに、エドワードは顎に手を添えて目を閉じる。つかの間の沈黙のあと、彼は再び目を開けて、自分の腰掛けていたソファーに戻った。
「――分かりましたよ。弟さんの居場所」
「――えっ!?」
驚きに目をみはり、ロバートが立ち上がりかける。中腰のまま、彼はオロオロと口を開いた。
「そんな、だって、話を聞いただけじゃ……」
「はい。しっかりとうかがいました。もう十分です」
組んだ右足に両肘をつき、重ねた手のひらに顎を乗せ、エドワードはにっこりと微笑んだ。
口をぽかんと開けたロバートが、崩れ落ちるようにソファーに腰を下ろす。そんな彼らを、人形のような冷たい無表情のシャーロットが見つめていた。
額に浮かんだ汗を拭いながら、ロバートが尋ねる。
「弟は、いったいどこに……」
エドワードは細めた目で、正面のロバートの顔を覗き込んだ。
「いらっしゃいますよ、ここに」




