第1話 プロローグ
どのくらい刻が経ったのだろうか……
暗い土蔵の中で、家中の者は息を殺してみな 手元や汚れた床板をじっと見つめていた。
誰も言葉を発しなかったし、誰ももう言える言葉は持っていないのだと思う。
わらわは右隣の若武者のがっしりとした肩に触れた。
それから、その手を下ろして彼の手のひらの上に添えた。
震えていたのだろうか……彼はわらわの手を包み込むように握った。
「母上、大丈夫ですよ」
あんなサクラ色の小さかった手が、こんなにも大きくなったことを知った。
ああ、なんで気が付かなかったのだろう。
いつだって大事なことは後で気がつくものだ。 なんてことだ。
どうして……どうして。
わらわの目を見てもう一度、秀頼は言った。
「母上、心配入りませんよ」
秀頼の目はとても澄んでいた。
口元には微かな笑み。
そうか……この子は諦めていないんだ。なにも諦めていないんだ。
鋭く風を切る音がして、蔵の壁に火の手が上がったのが見えた。
徳川方の弓矢がトントントンと小気味よく壁を撃つ。
「きゃあああ」
たまらず若い侍女が叫んだ。
そうだった……これが答えなのだ。
いつだってそうだった……。
家康がわらわの望みを叶えることなんてありはしないのだ。
どうして……いつから……?
わからない。わらわが間違っていた。いつから?
治部は言ってた。
あの男を信用してはならないと……関ヶ原合戦の折に……秀頼を出すべきだったのか。
いや、違う。だってあんな幼な子を戦場に出すなんてどうしたってできない。
でも、どこで? 方広寺で……?
そんな詰まらない言いがかりを、勝手なことを言わせたから? わらわが悪かった?
「母上は……」
「え?」
聞こえない。聞きたいのに……。
その声を耳に残しておきたいのに。
火の手がすぐそばまで迫ってきた。
「ははうえ……ごめん!」
秀頼はいつの間にか用意していた脇差しでわらわの首元を薙ぎ払った。
私が間違えたの? 私は貴方とただ安全な場所で生きたかった。
それだけだった。 私は「いつ」間違えたの?




