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勇者で候  作者: 加上鈴子
9/39

9 異世界あらば現代もあるでしょう

 女は強いなぁ……と、しみじみ感慨にふけざるを得ない。

 爽やかな朝日が入る室内の隅っこで、禿げ爺が入れ歯をカチャカチャ洗う。ポリ○ント欲しいなぁとか思いつつも、思考の大部分は昨夜の件である。

 昨夜の信太朗は、結局くつろげたのか何なのか分からない気分のまま熟睡してしまった。入れ歯を洗うの忘れて気持ち悪かったはずなのだが、寝るまで悶々と考えていて気になっていなかった。でもって考え事は、今朝になっても脳裏から取れていない。

 こちらに来てからというもの、信太朗はことあるごとに、ことごとくエトラナとミーニャの世話になりっぱなしだ。自分じゃあ何もしていない。

 サウモの記憶を頼りに道を進めてはいるが、それも信太朗の手柄ではなくサウモによるものでしかない。つくづく己の無能さを認識せずにいられない。せっかくの柔らかいベッドを堪能することなくイジケまくるのは、もはや習性といっていい。

「俺、どこ行っても駄目駄目なのか……?」

 改めて思い知る、この事実。

 お役立たずのニートちゃん。

 せめて口が臭くならぬよう、身体が衰えぬよう、毎日を維持するぐらいしかできないのだ。

 女が強いのは、何もこの世界に限ったことではない。信太朗は脳裏に母親を思い描いて、あの人元気かなぁ……きっと元気だわなぁ、と思ったのだった。親父もちょっとだけ思い出したが、オカンの印象には負ける。自分がかろうじてニートフリーターにとどまっていられたのも、あの母なればこそだ。

 自分がこんな状況になってしまい、親たちはどうなっているのだろう。そして自分はどういう状態にあるのか。今の己にばかりかまけて思いいたってなかったのだが、ここに来て信太朗は重要な問題に気がついたのだった。

 俺、今どうなってんの? と。

 異世界おっこち物語において時間の流れがどうなっているかを言及した場合、パターンは大きく2通りになる。

 時間が進んでいるか進んでいないか、だ。

 つまり時間が進まず寝たままでいるのか、進んでいて、起きているのか寝たままなのか死んでしまったのか消えてしまったのか。身体はこっちに来てないようなので、死んだとか消えたとかいう展開は勘弁願いたいが、そうなると……。

 進んでいる場合、現代に残ってる(はずの)信太朗の体は、意識不明だとかになっている(に違いない)。もしくは、ちょうど綺麗に入れ替わっているなら、信太朗の中にサウモがいるということになる。

「うわあああぁぁっ」

 信太朗は布団の中で思わず頭を抱えて、丸くなった。考えたくない。このマッチョ爺が自分の中にいるというビジュアルも考えたくないが、信太朗の過去23年の記憶がすべて爺にバレただろうことを思うと、それの方が耐えられない。っていうか、いっそこの場で死にたい。

「俺のサクラちゃんが穢れた……」

 悩むべき点は他にもいっぱいあると思うが、とりあえず信太朗にとってはそこが大問題だった。そんなことになっていないと信じたい。「進んでいない」の方向でお願いしたい。現代では今も信太朗はスヤスヤ眠っていて、こっちでの時間の流れは無視されている方向で話を進めていただきたい。でもって現代に戻れた日には朝の目覚めで、おや、あの世界は幻だったのかしらと首をかしげる結末であっていただきたい。

 通称、夢オチ。

 これ最強。

「サクラちゃんよ無事でいてくれ!」

 人生をかけて強く願う信太朗だった。

 ある意味では、23歳ニートの脳内サクラちゃんほど穢れているものはないと思うのだが、信太朗にとっては心のオアシス、生きる支えの一本である。他に何本あるのかってぇと世の中に存在するエロいゲームの本数分は支えがある気がしないでもないのだが、その中でもサクラちゃんはダントツである。

 今は世の中から滅び去っただろうと思われる、古きよき大和撫子サクラちゃん。“脱いだらスゴイんです”をキャッチコピーにエッチゲームに登場し、素っ裸にまではされるものの絶対に犯されないというキャラクターなのである。ゲームを買った男性陣からは「ありかよ!」と不評らしいが、信太朗はそんなサクラちゃんが大好きだ。

 いつか俺のものに……という劣情を抱いているワケではなく、いつまでも綺麗なままでいて欲しいキャラだなぁと思って愛でているだけなのである。信太朗は、そういうオトコノコなんである。

 なぁんて妄想していたら、いい感じにうつらうつらしてきて、気が付けば朝になった次第だった。


          ◇


 ――サウモはこんな信太朗のことを、世界のこっち側から心配するやら呆れるやらで、毎日が楽しくて仕方ない。

「あやつは張り切っとるかのう……」

 サウモが呟く、その外見は信太朗だ。

 そう。

 異世界おっこちパターンの時間は前者『進んでいる』であり、サウモと信太朗はちょーど綺麗に入れ替わっているのである。信太朗いわく最悪のケース、サクラちゃんは穢れきっている。

 とはいえ特別何かしたいわけではなく、ベッドの側にポスターが貼ってあるもんだから夜な夜な愛でているだけである。信太朗の記憶があるので、サクラちゃんが特別な存在であることは分かっている。だが今はサウモだ。中身は老人でも精神年齢は信太朗より若いかも知れないサウモだ、その彼が若い体なんか手に入れちゃった日には、もう人生ウハウハである。

「いやー奥さん、今朝もお美しいですな!」

 二次元サクラちゃんよりも、正しく三次元が好きな爺であった。

 サウモは信太朗の体に入ってしまっても、いつもの日課を崩さないでいる。朝4時にスッキリと起床してジョギングに行き、近くの公園で軽く腕立て伏せと鉄棒運動をこなしてから帰宅してきて、母親が作った朝食にありつくのだ。

「あら嫌だ、サウモさんったら今日も口がうまいんですから」

 ホホホなどと口元を押さえて笑う信太朗の母親も、頬を染めちゃったりなんかして、まんざらでもない。朝刊に隠れてこそーっとパンをかじる出勤前の父親は、今頃になって息子のヘタレっぷりに同情している次第だった。

 何しろ身体は信太朗なのに、中身がサウモというだけで当社比150倍増でイケメンに見えちゃうのである。痩せてきたためもある。毎日のジュギングやトレーニングは、たるたるだった信太朗の体を、面白いほどスリムにしている。サウモも鍛え甲斐があるせいか、毎朝はつらつとした笑顔で信太朗の体をイジメに行くのだ。

 サウモは自分が異世界に飛ばされたと理解しても、さほど取り乱さなかった。最初から魔法の何たるかを知っていたからだ。ミーニャが悪ふざけしやがったな……と思った程度だった。

 元に戻れた日には、孫を叱りとばして市中引き回しの刑に処するぐらいは決意しているが、今のところは戻れなくってもいいかな~とお気楽である。人生直球勝負のサウモはいつ死んでもいい心構えで毎日を暮らしている。勇者だった激戦の過去を経て御年70ともなれば、そこらは悟りきっている。

 なのにアホ孫の悪戯で異世界に飛ばされ、取り憑いた先が23歳という男の体だ。これを楽しまない手はない。

「不幸中の幸いって、このことを言うんでしょうね」

 母親など、朝食のパンをちぎりながら、しみじみと言いだす始末である。

「あなたのお話を聞いた時は、それはもう驚きましたけど。こうして一緒にいれば、あなたが信太朗じゃないことは明らかですわ。あなたのお話ですと、信太朗は今頃、あなたの体内で四苦八苦しているんですよね」

 一言一句を確認しながら、母親は同じような会話を毎朝、繰り返す。半ば儀式のような会話でもあった。息子を忘れないための、息子に送るためのエールだった。

「向こうで、あの子が頑張っていればいいんですけど」

「頑張っていますよ。きっと」

 サウモは母親を励ましながら、彼女の手をぐっと握ろうとしてしまうのだが……ぐっと堪える。これも毎朝の儀式みたいなモンだろう。息子を語る時、母親は本当に優しく色っぽい顔になる。50だか何だか知らないが、まだまだ50だ。70のサウモからすれば射程範囲内なのである。

 毎朝この激情を我慢するのに、どれだけの精神力使ってると思ってんだ、この○○○野郎……とサウモは信太朗の顔をたもって父親を眺めるのだが、父親の方はなぜ睨まれているのか知ったこっちゃない。さりげなく、こそーっと朝刊に隠れて牛乳をすするだけである。

 こうして奇妙な攻防を含んだ朝食が終わる。

「行ってきます、奥さん。帰り、何か買い物して来ましょうか?」

 出かける用意をするサウモに、母親は「何も」とつつましく微笑んで見送る。信太朗が元々請け負っていたバイトである。母親が彼を連れだし、色々と教えたのだ。とはいえサウモの方も興味津々だったので、どちらかと言えばサウモが母親に頼みこんで外出したようなものだった。

 散歩から始まって、自転車に乗り、バスに乗り、電車に乗り、買い物をして品物を覚えて、バイトをして金を貰って……覚えること、体験したいことは山ほどあった。

「じゃあ何かあったら携帯に連絡を。こちらも帰る前に一度、連絡を入れます」

 携帯電話まで駆使しちゃう有様である。

 サウモはそんなワケでセカンドライフを満喫しつつ、信太朗の行く末を案じている昨今であった。戻れなくてもいいや~とは思っても自分の身体だ、あちらが死ねば自分も消える。消えること自体は覚悟しているが、アホ孫であってもミーニャに会えないまま死ぬのは心残りだし、あと彼にも彼女にも、せめて言葉だけでも残してやりたく思う。

 サウモは駅のホームに立ったまま「そうじゃのう……」と小さく呟いた。後ろに並ぶオジさんが、23歳から吐きだされた爺言葉に驚いたようだったが、サウモはそんなこと気にしちゃいない。朝の駅は人で混雑しており、皆、自分のことに精いっぱいで人にかまう余裕がない。そうした人の群れに、最初は寂しさを感じたサウモだったが、昨今ではそうしなければ毎日がこなせないのだなと分かってきて、さほどの嫌悪を感じなくなり、いつしかサウモ自身も周囲を気にすることがなくなった。

 元々一匹狼を気取って生きてきたのだ。身内の心配ぐらいはするが、基本的には自分のことは自分で何とかせいと思う性格である。背後に気配があることだけは気になるものの、ホームの一番前ではそれを避けるスペースもないので無視しておくしかない。サウモはおもむろに携帯を取りだし、何やらピコピコと打ちだした。

 メールまで体得しちゃった爺。

 しかも速い。

 ぼうっと23歳青年を眺めていたオジさんは、指さばきの速さに違う意味で釘付けになった次第だったが、それがいけなかった。ピリリリリと電車到来を告げるベルの音に合わせて動いた群衆に、うっかり膝を折ってしまったのである。

「うわ」

 小さく叫んだが、もう遅い。

 膝カックンの技が、サウモの膝裏に炸裂した!

「!?」

 予期していなかったサウモの足から、かくーんと力が抜けてしまい、彼はなんとホームに転落してしまったのだ! 先ほどのベルは、電車が来るのを知らせた音である。

 転がる23歳は、最近痩せてきたとはいえ、ニート生活が長かったヘタレ男である。そこへ到来する電車は、まるで悲鳴を上げているようなクラクションを鳴らしながらサウモに突進していくではないか。

「危ない!!」

 誰も彼もが、この惨劇に息を止めた。

 以下次号。

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