8 ここらで、ちょっと一休み
掲載しなおしたので、もし前回分までお読みだった方がいらっしゃいましたら、5からお読み下さい。
「ほんっっっと、いい加減にして!」
と怒るミーニャの、何と可愛らしいことか。
先ほどの裏番っぷりが嘘のようである。
ぷりぷりと怒りながらも、ちっとも怖くない、いつものミーニャだ。信太朗は「女が怒ると怖い」というのは、こんな状態を指すものではなかったのだと痛感していた。テーブルに着いてパンを食べながら小さく「ごめんなさい」と謝ると、ミーニャは毒気を抜かれた顔をして「も~」と言って矛を収めた。
「ねぇ?」とミーニャがエトラナに向くと、エトラナも若干ビクッと肩を竦めた。ように見えた。同志! と信太朗は、内心ぐっと親指を立てた。エトラナは女だけど、ちょっと男っぽいから男の気持ちを分かってくれそう。
3人は部屋を借りた後、パブに戻って食事にありつくことができた。店主が自治体に連絡して警備兵を連れてきてくれたため、騒動が収まったのだ。信太朗たちも危うく連れて行かれるところだったのだが、そこは金髪美少女ミーニャの笑顔と、なけなしの全財産をもって危険を回避できた。
店主がサウモファンだったことも救いだった。
「災難でしたねぇ、サウモさん。でも、あたしはアンタが再び勇姿を見せてくれると信じてますよ。頑張って下さいね」
などと言いながらビールをサービスしてくれるような人だったのだ。バーコード頭にちょろりん髭をつけて一人称代名詞が「あたし」ですか……というのは、多少ツッコミどころだったが。
サウモを励ましてくれる言葉には、信太朗本人はさくーっと綺麗に傷つくのだが、言った本人はそんなこたぁ気にしちゃいない。赤の他人を気遣うよりも、自分たちの生活に潤いをくれた元勇者の方がずっとか大事なんである。その気持ちは分かるので、下手に分かっちゃうがために信太朗は何も言えない。信太朗は傷ついた心をそっと撫でながら、店主にお礼を言ってビールを飲むのだった。
店内にはまだ濡れた箇所が残っていたし、アフター5を牛耳る男性陣が軒並みしょっぴいて行かれたため、信太朗たちだけが食事を摂っているに近い、閑散とした光景になっていた。店主にすまなかったと謝ると、彼は「なぁに、店としてのハクも付きますし、これでしばらくタチの悪い客は来ないだろうから、気が楽です」などと返してくれるのである。いいわきゃないだろうに、いいと言ってくれる優しさがありがたかった。
それに、しばらくしたら、ちらほらと新しい客も入って来るではないか。元々が繁盛している店なのだ。常連らしき客などは「今日は静かでいいね」などと軽口を叩いてくれている。その光景には、ほっとさせられたものだった。
だが、この店での飲み食いが何とかなっても、明日からの飲み食いには困る。何しろ全財産がなくなったのだ。稼がなければならない。
先のことを思うと、やっと落ちついて美味しく食べられるようと思った夕食も、とたんに色あせてしまう。信太朗のため息は小笠原海溝なみに深い(←微妙な深さである)。
ふと視線に気付いて信太朗が顔を上げると、女性陣2人が呆れた顔を向けていた。
「何?」
きょとんとした信太朗に毒気を抜かれたらしく、いつもなら嫌味の一つも言いそうなエトラナからは、おだやかな声しか出なかった。いや、やっぱり嫌味だったが。
「お前は何をしていても、危機を回避した今ですらも凶兆しか感じない男なのだな」
「暗い顔しちゃって~」
と、ミーニャもおどけ気味に続く。どうやら2人とも、そんな信太朗の言動に慣れてしまった様子だった。信太朗のネガティブ思考は根深い。でなければ人を避けてのヒキコモリなんぞにゃ、なっていない。
俺が何を考えていたのかも知らないくせに凶兆を感じていたなどと決めつけるとは、これいかに! ……と脳裏では色々な反論が展開するも、図星なだけに口には出せない。信太朗は「だってさー」と、うつむいた。
「なぁんか俺が何かするたびに、何か起こるんだよ。申し訳ないっていうか、もっと平穏無事にものごと運んで欲しいのにさ、なんか嫌になっちゃうんだよ」
今にして思えば信太朗がニートになった理由だって、ちゃんとあったのだ。
貸した漫画が返ってこなかったとかいう小さな理由から始まって、コクった女の子にはフラれ、カツアゲはされるし、面接にはことごとく落ちる、バイトではヘマをして減給、連帯保証人にさせられそうになったり新聞の勧誘は来るし掃除すればゴキブリが出るし。
貝になりたい、と思うようになったのは、いつ頃からだろうか。だったら死ねば? と辛辣に咎められたこともある。人間は、絶対に人と関わらなくちゃ生きて行けないようになってんのよ、その関わりを絶ちたいっていうんだったら、じゃあ信太朗君は、後は死ぬしかなくなるよ?
というセリフを吐いた女の子と関わりを持とうと決意して、コクってフラレたら、俺はどーすりゃいいんですか……?
「何しても、うまく行かないし。だったら何もしない、人に迷惑かけないようにしてたいだけなのに、こんなんなっちゃうし」
はぁとため息ついてから、信太朗は、訊かれてもいないのに慌てて付け足した。
「いや、俺だって、人なんて生きてるだけで誰かと関わり持つモンだって、知ってるよ? 迷惑をかけながら暮らして行くモンなんだって。でも必要以上に迷惑かけなくていいじゃん? 店内、滅茶苦茶だしさー」
「店内の滅茶苦茶は、お金を払ったんだから大丈夫よ?」
と、ミーニャ。頬杖ついて覗きこまれて、信太朗は赤くなりながら「そうじゃなくて」と手っとり早く要点を口にした。
「その金がなくなって、どうしよう、って思ったら落ちこむんだよぅ」
尻すぼみにシューンと小さくなった信太朗に、エトラナが「確かになぁ」と意外な同意を示してくれた。あまりの意外さにぎょっとして顔を上げると、おおむね食べおわったエトラナが立ちあがって、カウンターに歩いていくではないか。
信太朗のメルヘンな独白部分は綺麗に無視されても、現実的な悩みには乗ってくれるらしい。ミーニャもそうだ。2人とも、悩んでも仕方がないことは、言わないし聞かない。持っていないワケがないとは思う。精神的に強いのだろう。
なんか俺ばっかり、ぐちぐち沢山悩んでる……? と、これまた無駄な悩みを脳内でリピートしようとした時、そんな信太朗の思考ループを立ちきる音が店内に響いたのだった。
耳を撫でるように柔らかで、女性の歌声にも似た丸い和音だった。
たった一音が鳴っただけで、全員が口を閉じて目をさまよわせた。それは決して自己主張のない、弱々しい音だったというのに。和音は弱々しいまま徐々に音を溢れさせて曲を紡ぎ上げていた。気付くと立派な演奏が始まっていた。
正面のカウンターからだった。
椅子に座ったエトラナの膝には、弦楽器が乗っていた。音は、そこから発生していた。エトラナがゆっくりと長く弓を引くと、胡弓のような楽器が、しゅいいぃぃんと鳴く。目を閉じたくなる響きは時折軽快に、時折激しく、そして優しく店内を包みこんだ。
「シンテーヤバよ」
ミーニャが小声で、信太朗にささやいた。店内の空気を壊さないように、皆が小声になっていた。どこか緊張していた面持ちは全員から消えていて、先ほどの乱闘も嘘のような静寂さが店内にあふれていた。気のせいか、食事も倍、美味しく感じられた。
シンテーヤバ。エトラナが村にいた頃、パブで弾いていたとかいう楽器だ。ぐにっといびつな曲線を描いている胴部分は、現代世界でお目にかかったことのない形だったが、アフリカとか南米とか行ったらありそうな楽器である(←偏見)。もちろん聞いたことのない音色である。信太朗が、知っている音色で一番近いのはビオラかな? などと思ってみたが、本物のビオラも聴いたことがないので、実際には分からない。
分からないが、懐かしさを感じる音だった。
心が安らぐ。
何となく信太朗は「エトラナはずっと、この音をサウモに聴いて欲しがってたんだろうなぁ」などと思った。楽器の音色が、エトラナが持つ本当の優しさを現しているように思えたのだ。
音を身体に染みこませながら息をついた信太朗に、ミーニャが「君って優しいね」と微笑んだ。
だしぬけである。仰天の声を出すことすら忘れて、信太朗はひえっ?! と胃をひっくり返してミーニャを凝視した。だがミーニャは微笑んで信太朗を見つめたきり、目をそらさない。にわかに信太朗の血圧が急上昇を始めた。
異世界おっこち物語、8話目にして恋愛ネタに突入か?! と信太朗が期待した瞬間、ミーニャは「安心してね、別に君が好きだとか言わないから」と、さらっと弾丸を撃ち込んだのだった。いや妖刀ムラサメだったかも知れない。袈裟懸けにされた心に手を当てて信太朗は「そうですか」と呟くしかなかった。心は常に血の涙。
ミーニャは言う。
「ニートって、エトラナと似てる気がする」
ど~こ~~が~ですかっっ!?
ものすごくビックリしすぎて何も言えなくなり、信太朗が口をパクパクさせていると、ミーニャは「だって」と続けた。
「何だかんだ言ってもニートって、どんなに傷ついても、それでこっちに攻撃してきたりしないじゃない? 私、君にひどいこと言われたことないもの。元々は私の“転移”魔法の失敗が原因なんだし、もっとなじろうと思えばできると思う。君はそれをしないわ」
「え~……いや、だって、文句言って逆ギレされたら、もっと怖いもん……」
うっかり本音が出た。
自分の傷を癒す欲望より、相手を怒らせる方が嫌なだけだ。傷が余計に深くなるから。だから、ただの臆病者である。
「だとしても吼える子は吼えるし、なげく子はなげくよ。今だって君が好きとか言わないって私、言ったのに、君はそうですかの一言で済ませちゃうし。我ながら君に嫌われても仕方がないやって覚悟してるのに、君は私とうまくやってくれてるわ」
いや、それが普通じゃないんかい……? と思うもののミーニャの話がどこに着地するつもりなんだか分からないので、上手な相づちも打てない。「はぁ」と間抜けな返事をするばかりである。
そんな情けない信太朗は、自分とエトラナのどこに共通点が? と首をかしげるばかりである。凛々しいなんて用語は、あまりにも自分に似合わない。
「エトラナもね、自分が受けた傷を理由には他人を攻撃しない人なんだよ」
という、それを共通点と言っていいのだろうか。みんな普通はしないモンじゃないのか? と思ってから、
「ダメね、私は……」
と憂うミーニャに、信太朗はやっと「あ」と気付いたのだった。
いるじゃん。受けた傷のままに攻撃しにかかって「どっか行っちゃえ~!!」と自分の祖父を異世界にぶっ飛ばした子が。
歯切れの悪い会話の末に、信太朗はようやく「そうかそうか」と一人合点したのだった。この会話はミーニャの懺悔だったのだ。遠回しに婉曲しつつ信太朗を誉めることで、自分の汚点を許してもらおうとしている行為なのだ。
可愛いところがあるモンである。
「よしよし」
「何よ」
信太朗がミーニャの頭を撫でようとすると、ミーニャは本気で嫌がってコンマ3秒の速さで退いた。信太朗の手がバイキンマンもビックリなほど汚れているかの反応である。信太朗はじっと手を見てしまったが、しょんぼりしながらも何も言わずに手を引っこめた。
「何やってんだ?」
エトラナの声に仰天してふり向くと、その人が立っている。いつの間にか音もやんでいた。店内はまた元のザワザワとした雰囲気に戻っている。こうなると先ほどまで響いていたはずのシンテーヤバなんていう楽器の音は、幻想だったのではないかと思うほど思いだせない。
「あ、あれ?」
「終わったんだ。3曲弾いたら、お金をくれたよ」
エトラナは心底疲れた様子で椅子にドカッと背をあずけ、テーブルに皮袋を投げだした。
「もっとも、こっちが払った分の方が大きいけどね」
つくづく手放しでは喜ばさせてもらえない。信太朗は寂しげな目をして緩く拍手して、あいまいに笑うしかなかった。
エトラナの演奏を誉めたかった。脳内には、どれだけでも賞賛の言葉が浮かんだ。でも、それらの言葉を自分がサウモの声で、言ってはいけない気がしたのである。
また弾いてくれるだろうか。何しろ路銀は、まだ足らない。芸を持っていない信太朗としては、シンテーヤバの威力に頼りたい。そして、それより何より、もう一度聴きたかったし、弾いている時のエトラナを、また見たかった。
信太朗の気持ちを知ってか知らずか、ミーニャが「ありがとう」と頭を下げてから、また弾いてくれると嬉しいなとエトラナに言う。
エトラナは微笑んで「いいよ」と言ってくれた。安堵して、信太朗まで笑顔になった。
すると「ただし」と彼女が続けるではないか。
「今度はサウモがいない場所で演奏しよう。こいつがいると、騒動が起こって面倒だ」
「ええええ~」
「何?」
「いえ、何でも あ り ま せ ん 」
フェードアウト。
まぁ、こういうオチだろうなとは思っていたので、そんなには傷ついていない。んじゃ寝ます~、と一人寂しく個室に向かいながらも、結構この扱われ方に慣れてきた自分を感じる信太朗だった。