7 旅にお宿はつきものです
そんなこんなで辿りついた県境は、境にしては賑やかで、「旅してる~」という気分が満喫できる町だった。ファンタジーゲームでお目にかかったような宿が、もひとつ嬉しい。木造の入り口からは暖かそうな光が洩れていて、中が賑わっているのだろう風情を彷彿とさせている。
なぁんていう、この体験が全部夢だったらどうしよう……? と信太郎は、ふと我に返った。
でも、先日エトラナに体験させられた恐怖の腹筋が夢だとは思いにくかったし、その前のザクだって、夢にしちゃあアホすぎる。ネタにしたって、ひどすぎる。誰だ書いたのは。
異世界おっこちの上、殺陣に宿屋に魔法に勇者。いっそ、これが実はゲームで信太朗はゲームん中に入ったんですわと説明を受ける方が理にかなっていると思える。ファンタジーは理屈がなくて分かりにくいが、SFだったらアリかなぁなんて思える、悲しき現代人である。
信太朗の腹が鳴った。
ゲームだろうが夢だろうが、この空腹はリアルだ。
村にいた時も毎日ミーニャの作ってくれたご飯を食べていたのである、ここでだって、いっぱしの酒や食べ物が出るだろう。信太郎は財布を預かっているミーニャの顔色をうかがいながら、入っていい? と訊いた。
「テント暮らしが続いたからさ~。たまにはベッドで寝たいかなぁ、なんて」
本当のところ、まともなご飯が食べたいんです……というのが本音だった。が、さすがに女性2人に対して使うセリフではない。信太朗とて、それぐらいの常識は持ちあわせている。絶対殴られるから言えないワケではない。
町には夕暮れ色がしっとりと落ちていて、家路の顔をして歩いている者ばかりである。アフターファイブが本番じゃという雰囲気のヤツもいる、そういうのが信太朗たちの前を通りすぎて宿の中へ入っていく。きっと一階がパブになっているのだろう。
現実世界ではスナックや飲み屋へ行かないくせに、こういう時には入りたくなる。荷物のすべてを持たされている信太朗は、宿の前に立ち止まって動かない。女性2人は振り返って信太朗を見たとたん、げっそりした。
「このナマケモノが、いつまでたっても、その性格か」
夕焼けをバックにしてエトラナが信太朗を見おろす。ちょっとの旅で人間向上できりゃあ苦労しない。信太朗とて変わりたいとは思っているが、しょせん23年間も身にしみついてきた習性は、そうそう変えられないものなのだ。
マイペース。ナマケモノ。よく言われるセリフである。
泊まっちゃ駄目なのかな~お金ないのかな~と子犬のような目でエトラナを見てみるが、きっと彼女はその目に嫌悪を感じるのだろう。眉間のしわが一層深さを増した。やっぱり殴られるのかしらと信太朗が肩を縮こまらせたところへ、ミーニャが「まぁまぁ」と口をはさんだ。
「村長さんが貸してくれたお金もあるし、へそくりも出してきたからさ。ちょっとは泊まってみても大丈夫だよ?」
「ミーニャ、そんなこと言ったらコイツがつけあがるだろ」
エトラナひどい……と思ったが、当たっている。信太朗はミーニャの優しさに感動しながら、エトラナの洞察力に感嘆した。いや一目で分かるとかいう話は置いといて。
ウチってヘソクリなんかあったんだー? と思った瞬間、信太朗はサウモ家の状態を思い出した。
「あ」
「何?」
「いえ、そういやウチって貧乏だったって思い出して……」
村の用心棒として雇われた分の一定収入はあるものの、2人が食べていく分には若干足りないし、しかもミーニャは年頃の娘さんである。小さな村で暮らす彼女の楽しみは買い物しかなかったと言っていいのに、浪費できない毎日を強いていたのだ。
いきなり旅に出ることになった彼らの所持金は、かなり乏しい。エトラナが2人を養っているようなモンだったのである。
「いつもすまないねぇ」
思い出した信太朗は、咳き込む真似をしながら2人に謝ってみせたのだが、2人はシラケるばっかりで何のリアクションもない。
「おとっつぁん、とか言って欲しかった……」
呟いたが、それもスルーである。分かんないんだから仕方がない。
恒例になっちゃった信太朗の情けない姿だが、段々と彼の言動に慣れてきたのだろうか、エトラナは観念したように「分かった」と言ったのだった。
「たまには骨を休めないと今後の旅路に支障が出る。こんなヤツでもいないと不都合だ、少しは好きにさせてやろう。ミーニャも買い物に行くなら行っていいよ?」
「村にはないもの売ってそうだもんね」
ミーニャがうけ答えて微笑んだ。
「でも行かない」
「?」
「余分なもの買って荷物になったら大変だもん。見たら欲しくなっちゃうから」
女の子らしい言い分である。気遣いたっぷりなミーニャに、信太朗としては恐縮せざるを得なかった。きっと、へそくりというのも、こうして貯めたのだろう。
が、ここで「やっぱり宿はいい」と言っても、モメそうである。信太朗は小さ~くなりながら宿の扉を開けるしかなかった。
エトラナが「あ」と発したものの信太朗の足は止まらずに、宿の扉が開けられた。開けてから「何?」と訊いても、もう遅い。
内心「げ」と思った。
室内の皆から、ざっと視線が集まったのだ。幾つかはすぐに離れたが、そうではない視線が信太朗に向いたままになった。
強烈な熱気と人いきれである。
男たちの体臭と酒の匂いが混じりあい、せま苦しいパブが一層ごちゃごちゃとして見えた。ゲームやら映画やらで見て憧れていた、西洋の酒場風景である。
勝手に、きっとすっげぇ臭いんだろうなぁと思っていたら、それはそうでもなかった。掃除が行き届いているみたいだ。それに、いい匂いが酒臭さと男臭さを中和していた。ハーブか何かだろうか。
分からんモンだなぁと、ポカンと口を開けて室内を堪能する信太朗が、ウザかったのだろう。エトラナが後ろから「早く入れ」と小声でこづいた。皆には見えないように。
だが遅かった。
「あんたサウモだろ?」
と客の一人が、声をかけてきたのだ。それを封切りにして、他の男たちもわらわらと寄ってくるではないか。国一番と誉め称えられたサウモ様である。信太朗はサウモの知名度をそれなりに熟知していたつもりだったが(何しろ本人だし)、想像をはるかに超える歓迎ぶりだったのだ。
……剣呑な目の方で。
ガマ蛙よろしくダラダラに汗をかきながらも、何とか平然とした顔を保った信太朗は、とりあえず「人違いです」と答えてみた。皆が一瞬、騒然となる。
「アホかーっ!」
背後からハリセン鉄拳が飛んできた。
「サウモを汚すなと何度言えば分かるんだ、このクソバカが! 堂々としろっ」
エトラナが力いっぱい演説する。しかし殴られたこの姿を皆に披露してる方がサウモを汚してる気がするぞ……? と信太朗は遠い意識の中でツッコミを入れたのだが、殴られちゃったモンは取り返しが付かない。
2人のドツキ漫才を奇異な目で眺める筋肉マンたちに向かって、信太朗は立ちあがって胸を張ってみた。
「いかにも俺がサウモだ。だが体だけがサウモなのであって、中身の俺はサウモじゃない。異世界から召喚されてきた者なのだ」
必殺バカ正直。
店内が一瞬静かになり、信太朗たちを囲んでいる男たちはポカンとなった。説明がマズかったかな? と思ったが、彼らの顔に疑問符は見られない。理解はしてもらえたようなのだ。
「じゃ、そういうことで」
信太朗は皆にシュタッと手を挙げて、店の奥へ進もうとした。入った時から、ずっとハーブのいい匂いに混じって、肉の焼ける匂いやらアルコールの匂いやらが信太朗の、じゃないサウモの鼻孔を刺激し続けているのだ。ゲームだろうが夢だろうが我慢できるモンではない。
だが。
「おぉっと」
すんごいありがちな遮られかたで、信太朗は男に肩をどんと押されたのだった。
「?」
わけが分からず、普通に突進しようとする信太朗。
「まぁ待てよ」
他の男まで、ずいと出てきて、信太朗の肩をこづいた。
エトラナが前に出ようとしたが、彼女も通せんぼされていた。信太朗はふり向いて状況を確認してから、やっと、自分がマズかったのは説明でなく、セリフそのものだったと悟った。
そしてミーニャは、すでに遠く離れた広間の隅にまで非難している。なんか店員さんとにこやかに「何にする?」「取りあえず果実酒♪」とか言ってるらしいのが聞こえる。信太朗が心で泣き叫んだのが聞こえたのか、そんなミーニャがこちらを見て可愛らしく笑い、合掌するではないか。
なにが「ゴッメ~ン」だーっっ☆
と思いながらも脳の隅で「異世界だけど、謝る時は合掌なのか」などと分析しちゃう信太朗。意外と余裕。
とか思った瞬間、目の前が真っ暗になった。
顎から脳天へ衝撃が突き抜け、後頭部にもガァンと何かが衝突し、頭のこっちからあっちから、マジで星が飛んだ。背中で派手な音がした。家具か何かにぶつかったらしい……ということは、これはテーブルか何かが壊れた音か。目を開けると、テーブルの残骸と避難する野次馬の群れが見えた。
いつもエトラナに殴られていたので免疫ついたかと思っていたのだが、世の男たちの鉄拳は全然甘かった。ものすごく痛かった。奥歯の2、3本折れたかもしれなかった。前歯は大丈夫だったようだ。信太朗は口を撫でて呟いた。
「前歯は保険が利かないんだぞ」
いや、そういう問題じゃないから。
どこかで誰かがツッコミを入れたようだったが、それ以上ボケ倒している余裕もなかった。筋肉マンたちが、ここぞとばかりに信太朗へ蹴りを入れてくるのである。椅子を振りまわしている馬鹿者までいるようだ。なまじ耐えられる強靱な身体が、こんな時だけ恨めしい。
「あっ、やめろ、こら! 俺は何もしてないぞ」
「お前がしてなくても、サウモは色々したからなぁ」
男たちが、情けない信太朗の喘ぎをせせら笑った。
「中身がお前さんのうちに殴り倒せたら“サウモをやった”ってぇハクがつくからな」
信太朗の脳内変換が「やった」を「殺った」と表示した。
「い~~~~~や~~~~~~っっ!!」
ハゲ爺が縮こまってオネェ言葉で悲鳴を上げるさまは、かなり萎える。が、男らはここぞとばかりに攻撃の手をゆるめない。
押しつけられたまま身動きが取れないでいるエトラナが、声を限りに「やめろ!」と叫んでいたが、こうなると火のついた群衆は頭から水をぶっかけられでもしない限り、収まらない。あまりに気持ちよく殴れちゃうサウモ様の醜態に、周囲の者たちも失笑を始める始末だった。
しかも被害が店内に及び始めた。テンション最高潮の筋肉馬鹿が見境なく暴れる様子は、この世の終わりのような凄惨さである。本当に殺されそうだし、サウモが耐えても、店内に被害者が出てしまう。
立ちあがらなきゃ!
と、やっと信太朗が決意した時には、すでに足に来ていて立てなかった。
「や~~~め~~て~~っ!」
殴られると足に力が入らなくなるのって本当だったんだぁ……と遠くなる意識の中でお花畑を見ながら、信太朗が感心した時。
バシャッ! と、本当に全員の頭へ水が降ってきた。
「?!」
「な、なんだ?!」
「きゃーっ」
店内がくまなくビショ濡れになった。腕を振りあげていた男らも、店の隅でくすくす笑っていたご婦人も、全員ぬれねずみである。やーだーもー、と誰かが泣き出し、良識ある者は「どこから水が?」と天井を眺めて右往左往した。
信太朗は慌ててミーニャを探した。彼女も濡れたはずだ。やだもーなんて泣き方は、いかにも彼女らしいではないか。
あたふたしてミーニャを探すと──。
──彼女ただ一人がまったく濡れていなかった。
ミーニャはゆらりと男らの前に立ちはだかり、腕を組んで三白眼で皆を睨んでいた。可愛らしい顔で。金髪のるんるんキャラのまま。妙な迫力である。
「いい加減にしてよ、図体でかいばっかりで弱い者イジメしかできない腐れ外道どもが」
訂正します。
すごい迫力である。
なんか中学生時代に裏番はってた女の子とかいなかったっけ……と信太朗はボンヤリ思った。表面上は一般人で、可愛いふりして、裏ですんげーの……。
信太朗はもはや、イジメられた弱い者呼ばわりされたことに関して、何も言葉を持っていなかった。