34 ようやく落ち着き終わりの兆し
筋トレメニューは、サウモの身体でおこなうより重くて鈍くて大変だったが、それなりにこなせた。汗が流れるのも、冷たい風が心地よく感じられてくるのも気持ちいい。半年で、信太朗の身体は驚くほど生まれ変わっていた。
中身が違ったんだから当然だし、色々汚されたものもあったが、異世界の人だったんだから仕方がないかと諦めもつく。怒っても過去を拭いたくても時は戻せないから、諦めるしかないという話もある。
「俺もエトラナにカミングアウトしちゃったことだしな。サウモがやらかしてくれた前科一犯っつっても、万引きとかじゃないし」
鉄棒で懸垂しながら呟いたが、あんまり気は晴れない。
サウモは前科を挽回しようと頑張ってくれていたが、信太朗はエトラナにバラしたことを、何ら改善していない。目覚めたサウモがサウモに戻っているのを知ったら、本人もエトラナも、すごく動揺してそうだ。
2人が無事にお父さん娘よと呼びあえてればいいけど……などと夢想しながら帰路についたものだった。きっと無理だろうけど。
「母さん……おはよう。いや、た……ただいま、かな」
シャワーで汗を流してダイニングに出ると、おはようと言いかけたらしい母親の笑顔が硬直していた。まるで知らない者を見る目である。いや、あなたの息子なんですが。
「信太朗!?」
さすが母は母であった。一発で分かってくれた。
母親の悲鳴に飛び起きたらしい父親も、慌ててダイニングに走ってくる。驚きと喜びが入り混じっている表情と叫びは、信太朗の想像を超えていた。
「信太朗! 本当に、お前なのか!」
母はともかく、父は自分に対してのリアクションが薄いだろうなと考えていたのだ。普段から接点のなかった父親が飛び込んでくる時点でビックリだ。
2人の反応は微妙だった。
信太朗の帰宅は嬉しいが、サウモとの別れも寂しい。その比重は悲しいかな、信太朗には後者が上のように思われた。職場でも怪訝な顔をされた日には、余計にのけもの思考に拍車がかかってしまう。
だが夕食の時なにげなく遠回しに口にしたら、母親にベシンと叩かれたのだった。
「馬鹿ね」
母親にまで叩かれたのは、初めてだ。しかも父親まで、うんうんと頷いている。信太朗が驚くほど。どうやら2人も、共に暮らしたサウモに当てられてか少しキャラが変わっている。
「嬉しくないわけないでしょう、息子なのに。あっちで、どんなに大変だっただろうかって、サウモさんといっぱい話したものだったのよ」
そう応えてくれた母の目にはうっすら涙さえ滲んでいて、信太朗に自分の存在価値を疑ったことを反省させたのだった。
どんなに信太朗が駄目駄目で部屋に閉じこもっていたって、ずぅっと養ってくれた理由は愛情だ。信太朗が無事に社会復帰できる日を、辛抱強く待ってくれていたのだ。
「……ごめん」
謝った息子に、父が問う。
「向こうじゃ、どんなだったんだ? サウモさんのお孫さんは、いい子だったか?」
どうやら、一通りは色々耳にしてあるらしい。ミーニャの面影を思い出して、信太朗は微笑んだ。
「いい子だったよ。すごく皆に良くしてもらったよ」
頷きあい、笑いあい。
信太朗はその日、遅くまで両親と語り合った。
遅くといっても以前の信太朗からすると、ずいぶん早い時間の就寝である。午後10時。ネトゲなら、ここからが本番だ。でも毎日の早起きと仕事を気持ちよくこなそうと思ったら、10時就寝が最適なのだ。
夕食を摂って風呂に入ってビールを飲んで、という家族の団らんを終えてストレッチして布団に入るのが、至福の時となっている。毎日ぐっすり、深い眠りである。という日々が定着していた。
信太朗はほぼいつも、寝る前に彼らのことを思いめぐらす。
一種の儀式みたいになっていたが、思い出しちゃううちは自然に色々考えときゃいいや、と信太朗は思っていた。心のままに。
――だから夢を見たことにも、あまり驚かずに済んだ。
見たというよりは、聴いたというべきかも知れない。
映像のある夢ではなかったのだ。
信太朗の脳裏で、誰かが呼びかけていた。
「ニート」
いや、それ名前じゃないから。
心中でツッコミを入れるも、声の主はお構いなしで「だって今さらシンナントカなんて、呼びつけないし」と開き直るではないか。可愛らしく、きゃっぴぃ声で。 まさかと思うも声にはならず、つい、いぶかしんでしまった。
「……まさか?」
「こんばんは。元気そうね」
ミーニャの声だった。嘘ぉと思うも、悲鳴も出ない。色々なことに慣れすぎたせいもあっただろう。何より自分の身体がサウモ仕様になっていたことを思えば、夢にミーニャの声が聞こえるぐらいは何てことないことみたいに思えてくるから、人間、慣れって怖いもんである。
「ミーニャ……? 君どうして」
言いよどんだ質問を取り上げて、ミーニャがパキッとした声で訊き返す。
「どうしてってのは理由を訊いてるの? 手段を訊いてるの?」
「あ、え、両方です」
「どうやってってのは、クサスと力を合わせて、私の心だけ飛ばしてもらったから。私も夢を見てるみたいなもんね。どうしてってのは、あれから皆がどうなったのか、君が知りたがってるかなと思ったからよ」
わざわざ来てあげたのよと言いたげな、得意げな声音だ。確かに訊きたかったが、こんなに早く会いに来てくれるなんてのも、何やら好意が感じられて笑ってしまう。
信太朗は一瞬、この夢が自分の想像からなる幻想だろうかとも疑った。でも、ミーニャの性格は非常にミーニャらしく、そして信太朗の想像を超えている。信太朗の思考だけで、ここまでのセリフをつむげはしないだろう。
「ありがとう、知りたいよ。でもサウモには、世の中は知らないままのことも多いだろって突き放されたから」
まさか顛末が訊けるとは思っていなかった。
と、そこまで考えて信太朗の胸中に、も一つまさかの思考が浮かんだ。言葉にするには、はばかれる。だが、もしやサウモが……と思ったら思考が止められなくなった。
「あはは、ないない、それはない」
ミーニャに思考を読まれていたらしく、いきなり大笑いされた。なんだよーと憮然とすると、ミーニャの笑い声もやんだ。
「お爺ちゃん元気してるわよ。ニートに会った話も聞いたわ。私がクサスと魔法を使ってニートに会うって提案したら、しぶしぶだけど了承してくれたし」
あのサウモが。
「へぇ」
と口では言いながらも驚きが隠せない。声にも現われている以上、多分この場に自分の顔があったなら、相当の皿目をしていたに違いない。
あれもこれもと、まさかの連続だ。
そのうち、まさか、また異世界に飛んじゃったりして、なんてぇことまで思えてしまう。