29 落ちて結果オーライなんて
で、地上へ出る方法なのだが……これが見事に、まったく思いつかない。
何しろ身体で落下を防いだ状態のまま事態が膠着しているのだ。壁を登ることもできないとなれば、地上の方々に期待するほかない。
「お爺ちゃーん!」
やっと何とかしてくれそうな声が聞こえて、信太朗は一筋の光を味わった。
「ミーニャ! 大丈夫かぁ!?」
「大丈夫よぉ! クサスも無事よ」
「心配かけちゃってゴメンね~。ミーニャちゃんの魔力をもらって、落ちついたわぁ」
まったく元通りらしきオカマオッサンの、くねくねした叫び声がクレバスに木霊した。
いや、この際クサスどうでもいいから。とか言いそうになったが、どうでも良くはなかったのだ、ひとまず危機を脱したのだ。ミーニャの魔力を食いつくして王都に舞い戻る、なんて最悪のシナリオにならなかったのだから。
それより危険な展開が自分に訪れちゃったせいで、それどころじゃなくなってしまったのだが。
「クサスあんた、アーバオクーはどこ行ったんだ!?」
気になって尋ねると、
「ここにいるわよ~」
と、あっさり返された。
「今のあたしがアーバオアクーっていうか、もうダナクサスそれ自体が魔物だったんでしょ、ってぐらい融合しちゃっててね~。魔力が暴走しないようにだけ封印されてた感じなの~」
どんな感じだ。
つまり長い年月をかけて、母親の胎内でこなれた魔物は胎児に解け込んで、すっかり胎児と同化していた……ということか。信太朗の漫画知識を駆使すると、そうなる。でもって、そうなるに値する、そもそもの原因を信太朗はサウモの記憶から引っぱりだしていた。
アーバオアクーが執拗にサウモを殺そうとした理由。サウモが王都に来たならば、誘いだして殺そう、と決めていた理由。
「もう大丈夫よ~」
頭上からクサスがほがらかに叫んでいる。
「あたしの身体を八つ裂きにしちゃったサウモのこと、もう恨んでないからね~」
「……え?」
きょとんと呟いたのは、腹の上で丸くなっているエトラナである。恐るべきアーバオアクーたる魔物の名前は知っていても、実体を持たない魔力喰らいの魔物という存在がなぜ王都を襲ったのかの理由までは、今まで誰も知らなかったのだ。
説明するどころじゃなく騒動となり、大団円となり、人々の記憶から薄れるところとなったから。
その昔。
勇者サウモヴァルが、この男こそが魔物であると豪語して斬りつけた、王室おかかえ魔法使いがいた。が、彼は普通に死んでしまいサウモは殺人犯として王都を追われ、日蔭者となった。ところが実際に彼の中には魔物が巣食っていたのだ――という物語。
ここに原因が潜んでいる。
つまり。
サウモが斬りつけさえしなけりゃ、魔物は魔法使いの中で大人しく眠っていたのだ、という事実に誰も気づいてなかったのである。
その後、実際に墓の下からアーバオクーが次の身体を求めてさまよい、ご飯として人々の魔力を吸いまくったせいで『勇者サウモは正しかった!』と皆が反省し彼を呼び戻すに至った。
よみがえっちゃった以上は何とかしなきゃいけないのが最強魔道士の使命でもある。いくらサウモの阿呆が原因でとなじったところで、事態は元に戻らないのだ。そんな次第でエノアが、かの魔物を封印せしめるに至ったのであった。
おかかえ魔法使いが悪くないヤツだったかといえば、そうでもない。横領や、ちょいと魔力の拝借で侍女一人こそっと裏山に……ってなことも、やらかしていた男だ。サウモの勘は、おおむねは外れてはいなかったのだ。ただ、やり方がまずかっただけと、大人しく寝かしつけておけば世界が滅亡しちゃうような大事件でもなかったのだ、というだけで。
といった内容をかいつまんで説明したものの、何のリアクションも取れないエトラナからは何の言葉も返ってこない。
「……エトラナ?」
不安に思って問いかけると、エトラナはサウモの胸に突っ伏して、何やら考え込んでいるらしかった。
「いや。何でもない。ただ……」
「ただ?」
「私でも、サウモと同じ立場なら、斬りつけて同じ事態を歩んだろうなと思っただけだ」
完全肯定と来たもんだ。そりゃそうだなと信太朗は思った。信太朗がやらかしたことじゃない。勇者サウモが、しかも若かりし頃にやったことだ。結果そうなると分かっていたなら誰も斬りつけたりなんかしなかった。誰かがやらねばと信じて、確信を持ってサウモは自分の責任で魔法使いを斬ったのだ。
もし信太朗が同じ立場なら、逆に斬ってない。もっと調べるとか、いっそ気付かなかったふりをしてスルーするだろう。そこをあえて立ち向かうところがサウモであり、エトラナなのだ。さすが弟子だ。
エトラナは顔を上げると、地上に向かって叫んだ。
「クサス、すまない! サウモのしたことを許してくれて、ありがとう!」
「いやぁね、なぜアナタが謝るのよぅ」
ころころ笑うさまが、吹雪く風の中から響く。本当にわだかまりを持っていないらしい。
それから信太朗は、地上の皆さんがすでに戦いを止めているらしい様子に気が付いた。人数分の頭が亀裂の端に見えているのだ。全員がこっちを覗きこんでいる。どうやら倒すべき男がクレバスに落ちたおかげで休戦となり、皆の頭が冷えたらしい。
自分そっちのけで事態が解決していくさまは何となく面白くないが、結果オーライじゃないかと言われたら納得せざるを得ない。人生なんて思い通りに行かないことばっかりなんだから、やりたいことやって、やれるだけのことやって、後は運を天に任せりゃいいんだよ、と。
サウモの人格が、思い出が、信太朗の肩を叩いて笑っている。