28 何とか止めたはいいけれど
「ええぇぇっ!?」
信太朗はエトラナの手を掴んだまま、綺麗にクレバスへとダイビングしていた。
「サウモーっ!」
頭上から声が追いかけてきてくれたが、声だけじゃどうにもならない。信太朗は必死でエトラナをかばい、引き寄せて抱きしめ、壁に剣を突き立てようとした。
ガッと剣が壁面に刺さる。
……斜めに。
「わぁっ!」
下向きに斜めなら支えが利いたが、剣先が上で柄が下となると、落下の力まで加わったら、さすがに支えきれない。
壁に取り残された剣を見ながら、さらに落下する信太朗は、慌てて頭と腹を上にした。エトラナにクレバスの壁が当たらないように抱きかかえ、足を伸ばして壁にしがみつこうと試みたのだ。
かかとと背中が、迫り来ている両側の壁にドンと当たった。
「ぬああああぁぁぁぁっっ!!」
信太朗は足を伸ばした。
背中と足で壁を押して、止まれないものかと踏ん張る。
っていうか背中が削れて痛い。おろされる大根の気分だ。何か背負っておけば良かったと思ったが、そんな暇なんかあるわけがなかった。両手が空いたのは、かえってエトラナを抱えられて良かったと思う他ない。
ずざざざざざと背中がこすれ、足がこすれる中で信太朗は何がしかを叫び続け――やっと止まったのは、亀裂の距離が1メートルぐらいしかなさそうなほど奥にまで落ちてしまってからだった。ちょうど岩のゴツゴツが、腰に当たって小さな椅子みたいに安定してくれている。できればお尻にはまってくれたら一層安定して助かるのだが、そんな文句も言えない。
ひとまず息をついて天を仰いだが、出口は遠い頭上である。
キラッと何かが光って落ちてきて、シュンっと信太朗の頬をかすめて落ちていった。
「どぅわっ!?」
さっきの長剣だ。ずっと刺さっててくれればいいのに、今さら抜けないで欲しい。動けないどころか、動きもできないうちに通過していった。っていうか今のが一番、死にそうだった。
信太朗は「うわぁ」と呟いて、谷底をしげしげと覗いた。ぶぅおぅと冷風が顎と背中に吹きあたっている。顔を引っ込めると耳の後ろに風が当たる。耳たぶがもげそうだ。毛糸の帽子をかぶるべきだった、なんて後悔しても遅すぎる。ハゲって色々辛い。
「大丈夫かぁー!?」
上から聞こえるのは、ユデアの声だ。思いきり大丈夫じゃない状況だが、ひとまず信太朗は顔を上げて「生きてるよーっ」と情けなく返事した。
足が滅茶苦茶痛い。右が折れてるっぽい。そんな経験がないので、この痛みが本当に骨折なのか分からないが、左より激烈に痛いし少し変な方向に膝の下が曲がってるように見えるので、おそらく折れていると思っていいだろう。背中も多分、血みどろだ。実は死んだんじゃないかと思われるぐらい、生きてるのが不思議である。
「……ニート」
胸に抱いたエトラナが目を開けて信太朗を見上げ、それから周囲に目を移した。
「きゃ!?」
抱きしめられている状況に気付いたらしく暴れたが、
「痛い! 本気で痛い! 動くな頼むから!」
いつになく真剣な信太朗の叫びに事態を把握したらしく、また大人しくなった。
「今ロープを下ろす! 掴まれ!」
頭上からの声に2人して見上げると、ユデアがロープを投げているではないか。さすが、ここ一番にいい仕事をする男である。2人がぱあっと顔を輝かせて落下するロープの行方を見守ると……。
……ロープは2人の、はるか頭上でゆらゆら揺れて止まった。
「長さが」
「足らない」
思わず2人の呟きが揃った。
「……登ってみる」
エトラナが身を起こして、壁に取りつこうとする。それを支えるだけでも至難の業だったが、腹の上から降りてもらえれば、かなり楽になる。ロープにまで辿り着けたら天国だ。が。
「うわっ!?」
雪のついた壁は、ごつごつなのにつるつるで、人が登ることを許してくれなかった。手をかけたまでは良かったが、足をかけようとすると重みで滑って落ちてしまう。手がかじかんでいるのも原因のひとつだろう。クレバスには下から風が吹き上げている。これがまた異様に冷たいのだ。手袋なんて、まったく役に立っていない。エトラナは登り損なって、サウモの腹の上に戻ってしまったのだった。
もつれて転んで落ちて、信太朗はエトラナからエルボーやらキックやら色々かまされるハメに陥った。とはいえ悪気があってのことじゃない。足を滑らせたんだから、仕方がない。むしろエトラナがこれより下に落ちちゃわないように、支えてあげないと大変だ。
またサウモの上に乗ったエトラナは、身をすくませて「ごめん」と呟いた。
「いや、いいよ。それより怪我はない? 血は出てないみたいだけど」
亀裂の底にまで落ちたせいで、光が足らない。亀裂の直径1メートル地点で落下が止まったものの、この下にもまだ落ちることができるし、上にも登れないと来ている。素敵な袋小路だ。
「ニート……お前」
言いよどむ彼女が何を言いかけたのか分からなかったが、信太朗の方は、はっと気づいて、いきなり「ごめん」と謝ったのだった。
「は?」
「謝るのは俺だよ。サウモの身体、傷だらけにしちゃったよ……。サウモなら、もっとスマートに君を助けただろうにさ。俺のせいで、こんな、」
「馬鹿か貴様」
「てっ」
至近距離のエトラナから、デコピンを食らわされた。
「身を呈して私を助けてくれたんだぞ。ここは誇っていいところなのに、まったく……お前は」
暗くてよく見えないのが残念なほど、エトラナが笑っている。
信太朗は一瞬呆けてエトラナに見惚れてから、いやいやとか何とか言い淀んで目をそらしたのだった。