26 かなり衝撃映像だったに違いない
信太朗は夢を見ていた。
いつかはサクラちゃんに似た可愛い少女が現われて、最初はツンツンだった2人の関係が、徐々に信太朗へと傾いてくれてツンデレへと代わり、そして初のキッスを交わすのだ――と。
誰かコイツの頭をどうにかしてやってくれと言いたくなる妄想だったが、だからといって、そこまでヘビーな現実を突きつけてやらなくてもと同情したくなるファーストキスである。
23歳にしてファーストキスも語るに涙だが、あまりに美しくないビジュアルのキスシーンも号泣ものである。もし今すぐ家に帰れるなら、余裕で一週間は布団から出たくない。枕ずぶ濡れ必須である。
倒れた時、支えなきゃと思ったので腕を突いたのだが、間に合わなかったなんて残酷すぎる。かっと目を開いていたので、どアップになってゆくダナクサスの顔が嫌でも現実を突きつけてくる。数日を経てクラスも無精髭が伸びていた、その重なり合う感触は、えもいわれぬ気持ち悪さだ。
かろうじて前歯を折らずに済んだようだが、脳天にまで響くガチィンという互いの歯が当たった音には、泣きたくなった。痛かったから泣けたのではない。
若干肉付きのいいオカマオッサンの唇は、下唇がちょっと厚くて、ふっくらしてて……意外にも柔らかかったのであった。
「いぃ~~やあぁぁ~~だああぁぁぁ~~~!!」
すかさず転がって、のたうち回る信太朗。
ものの数秒だ。1秒なかったかも知れない。そもそも下手に水分のある皮膚が重なったら、この寒さでくっついてしまう可能性があるのだ。クサスとくっついちゃって離れない唇なんて、考えただけで、おぞまし過ぎる。
だが信太朗と同時に泣き叫ぶ、もう一人の男。
「わあああぁぁぁんっ!」
完全駄々っ子の泣き叫ぶ声に我に返った時には、もっとドえらい事態が起こっていた。
「ああああああぁぁぁっ!!」
悲鳴が雄叫びに変わり、クサスの髪が逆立ったのだ。取り巻く空気が色を変えて、雷まで鳴り渡った。どんよりと暗い。吹雪が一層、強くなった。彼を中心に渦巻いて……カマイタチのように、皆を切り刻んだのだ。
「うわぁっ!?」
「きゃあぁ!」
「ミーニャ!」
孫に迫るクサスをひっぺがして、殴りつける。
「お前さえいなきゃ……サウモおぉっ!」
するとクサスは、いきなり獣さながら四足で飛びこんで、信太朗サウモの首にしがみついて来た。異様な目の輝きは、魔力の発動と、別人となったことによるものだ。すなわち、アーバオクーの瞳となっているのである。
封印が、解けたのだ。
ものすごい力である。サウモの首じゃなかったら、枯れた枝みたいにポキッと折れていたかも知れない。呼吸ができない。信太朗は歯を食いしばる。
誰かにサウモと呼ばれた気がしたが、脳味噌にまで吹雪が入り込んだみたいに、何も考えられず何も聞こえず何も見えず、という状態になってしまった。自分も何かを叫んでる気がするが、なんかよく分からない。
いや、叫びは声になっていない。肺が空気を欲して、かはっと喉を駆使したが、声も空気も喉を通らない。
気が遠くなりそうな中で、そういえば前にクサスが、激烈なショック受けたら魔物が目覚めるとか言ってたなぁと思いだした。普通は封印解除っつったら大仰な扉とか箱とか魔法陣とか、いかにもっぽく、やりそうなものである。これで死んじゃったら目も当てられない。
周囲にまで被害がおよんでいるようで、クサスの放出する魔法だか何だかが皆を攻撃してるっぽい。いや、魔力を吸っている? 信太朗は締められている首から、力が抜けていく感覚に襲われた。
「クサス駄目よ待って、落ちついて!」
そんな声が、かすかに聞こえた気がした。
聞こえたとほぼ同時に、ちょっと首が楽になって視界が治ってきて、またミーニャの顔がはっきり見えたのだった。光は幻ではなかった。ミーニャの全身が、発光していたのである。
「……ミー……」
あろうことか発光する彼女は、オカマオッサンに抱きついている。
っていうか、顔が重なっている。
ミーニャがクサスに、キ、キス……して、る?
何やってんの?
びっくりしすぎて言葉が出ない。首絞められてたせいもあったが、それが外されて楽になっても二の句が継げないでいる。思わずせき込むが、ミーニャはクサスから離れない。唇は離れた。が、潤んだ目でオカマオッサンを見つめたまま、じっと動かないでいる。
ミーニャのそれは、まったく攻撃魔法には見えない。ミーニャの発光は、全身から手のひらからに集められていた。もう体は光っていない。光を当てられたクサスが、おとなしくなってミーニャの魔法に身をゆだねるように目を細めている。
彼を抱きしめたまま、ミーニャがささやく。
「落ちついて。大丈夫。大丈夫だから」
怖がる子をなだめるみたいに、そっと撫でている。ぜいぜいと肩で息をしていた凶暴なオッサンがなりを潜め、元の、オカマで朗らかなクサスの目が戻ったのだった。
「ちょっと怯えてただけなんだよね」
ささやかれて「うん」とクサスも子供みたいに頷いている。
「サウモは、アーバオクーを必ず殺すって刷り込まれてたから……」
どんだけ極悪やねん、勇者様。
とはいえ昔のアーバオクーなら、確かに、絶対に殺すぞと誓っていても無理はない。それだけヤツの方が凶悪だったのだ。
でも今のコイツは、長年封印されていたせいか、ちょっと様子が違う。解けた封印は、そのまま開いている。サウモにも多少だが魔力があるので、それは中にいる信太朗にも感じられているのだ。もう魔力の吸収はしていない。無駄な放出もしていない。雷はやみ、空気も落ち着いていた。いや、あいかわらず雪は降っているが。でも、さきほどの恐ろしい空模様は消えている。
つまりミーニャったら、まるで猛獣使いみたいにアーバオアクーを手なずけてしまったのだ。