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夏季休暇呆け

作者: 泉田清

 夏の夜の、コンクリートの上には、カブトムシがひっくり返っている。

 ああ、なぜ、すぐにひっくり返ってしまうんだ。そのまま死んでしまうんだぞ。


 部屋の前で死なれるのは困る。拾い上げる。カブトムシにしては小ぶりな体、の割には、ギチギチと手の中で力強く暴れている。

顔にクモの巣がかかった。渡り廊下の蛍光灯に、無数の羽虫が集まっていて、砂みたいに大量にクモの巣に捕らえられるわけだ。足元には、羽虫たちの重さに耐えきれず、落下したクモの巣の残骸が無数にあるのだった。

 暴れるのを止めないカブトムシを手にして、一階に降り、アパート向かいの一軒家を伺った。人気は無い。植込みの木に放してやる。松の木では不満だったかな?とはいえ、木の幹にいるカブトムシはやはり絵になる。

 しばらくしたら、また蛍光灯に引き寄せられ、コンクリートの上でひっくり返ってしまうだろう。もう知った事か。今、我が目に触れなければそれで良い。目にしなければこの世に存在しないのと同じである。部屋に戻る。ジジ、ジジジ。今度はセミだ。飛ぼうとして、ドアにぶつかり、コンクリートの上にひっくり返った。


 深夜。汗だくで目が覚めた。エアコンは壊れている。シャワーを浴びて下着を替える。

 鏡の前に立つ。三日も髭を剃らなければ立派な世捨て人の顔だ。しかも髭までもが、髪と同じごま塩と来ている。老いた世捨て人。いやいや、私はこの世に絶望なぞしていない。

 「ちょっと旅行行くので」。ウソをついて五日ほど休暇を取った。周りは(当たり前だが)家族持ちばかりで、しょっちゅう休暇を取っては家族サービスに勤しんでいる。では私も、と同じことをやってみただけだ。

 隣の県にラーメンを食べに行く、親と食事、友人と映画を観る、三日目にはやる事は無くなってしまった。ずっと髭を剃らなかったらどうなるか、という実験は未だ継続中である。白というより銀色の髭が、ギラギラ蛍光灯を反射して、やたら凶悪に見える。ナイフを隠し持った初老の世捨て人。いや、部屋には使わない包丁くらいしかない。


 テレビゲームもスマートフォンも飽きてしまい、猛暑だというのに、気づけば朝も昼も寝てしまった。何てことだ。お陰でシーツもタオルケットも汗でグシャグシャになった。洗濯してコインランドリーへ行った。

 夜のコインランドリーには一台の車も停まってない。一台の洗濯機も乾燥機も回ってないし、うるさいテレビも点いてない。もちろん誰ひとり中にはいない。唯一エアコンだけが静かに音を立て、中を涼しくしていた。だが私には涼しすぎた。身震いして、乾燥機を回して、サッサと出た。

 時間を潰そうと、隣のドラッグストアへ行ったが買う物なぞ無い事に気づいた。ものの五分で、乾燥機が一台だけ回るコインランドリーに戻る。ここにあるマンガは10年前と少しも変わってない。手に取る、やはり何年か前に読んだものと同じだ。マンガの良い所はいくら読み返しても飽きない所だ。そんな良作は稀だが。読み進めて思った「もう乾燥終わってないか?」。時計を見る。もう10分も過ぎていた。何てことだ!効きすぎるエアコンも、乾燥機の終了音も気にならず、読み古したマンガに夢中になっていたのだ・・・

 どうせやる事なぞ無い。気にする必要なぞ無いではないか。


 歯を磨く。口いっぱいに膨張した歯磨き粉を吐き出すと、そのままえづいて咳き込んだ。大量の白い泡が髭に絡みつく。もうガマンならない。こんな髭、剃ってしまえ!。衝動的に剃った。何という清々しさ、生まれ変わった気分。もういつでも仕事に行ける。鏡に映る男をみてみろよ、立派なサラリーマンじゃないか。その夜は久しぶりにグッスリ眠れた。

 朝だ。出勤するのがこんなにうれしいだなんて。ドアを開ける。朝からもう暑い、それでも天気が良いに越したことはない。マイカーをゆっくり発進させた。国道では早速ランニングをする若者がいる、部活動の生徒がいる、自転車を漕ぐ世捨て人もいる。この世から逸脱した顔をして。この手のヒトは意外に多い、この世で生活するのは存外難しい。ヒトは何かの弾みですぐこの世に絶望してしまう。それでも生き続ければ希望は巡ってくる。さあ、宝くじを買いに行くんだ。私は宝くじさえ買いに行けない、怠け者なのだった。


 事務所に着いた。門扉が閉まっている。早すぎたか?近所の商店街も閉まったまま、何だか街全体が寝惚けているみたいだ。カーステレオから、日曜の朝にやるラジオ番組が流れ始めた。ああ、今日は日曜日だ。

 マイカーを出発させる。後方を確認する、と、ルームミラーに世捨て人の顔が映る。髭をちゃんと剃っているのに。日曜日なのだ。ヒトは誰でも日曜日に世捨て人となり、希望を探しに行く。パチンコ屋とか、スーパーマーケットとか、海や山に。


 アパートに向かってマイカーを走らせる。私が向かうべき所は、もう自分の部屋以外に無いのだった。

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