15 最終話 リアンの白い雪
その日。
俺は夢を見た。
夕方だった。
重い身体を引きずりながら帰れば、家にあかりが灯っていた。
咄嗟に身構えた。
考えにくいが、まさか泥棒か?
そう思い、剣に手をかけそっと玄関のドアに近づいた。
が。
俺の足はそこで止まった。
嗅ぎ覚えのある飯の匂いがしたのだ。
しかし……そんなはずはない。
ああ、夢なんだな、とそこで気がついた。
胸が熱くなった。
残酷な夢だ。
……でもいい。
とても幸せな夢だ。
ドアを開ければ消えてしまうだろう夢。
俺はただドアを見つめていた。
動けなかった。
すると
ドアは中から開けられて
「お帰りなさい」
そう言って笑うその顔は―――――
「―――――」
「リアン。何、ぼーっとしてるの?」
「…………は…………え?」
「もう、早く入って」
「―――――」
その声は妙にはっきりと耳に響いた。
腕に触れるその手の大きさや温もりはよく知っているものだった。
だが、あり得ないことだ。
そんなはずはない。
俺はまだ夢を見ているのか?
そうは思ったが……。
促されるまま家の中に入り、剣を置き上着を脱ぎ、鎧をおろし顔と手を洗った。
何度も洗った。水は身震いするほど冷たかった。
恐る恐るリビングに行けば……食事の用意がしてあった。
並んでいるのは俺の好物ばかりだった。
「さあ座って」と言った人物から、俺は目を離せなかった。
「……これは……夢、だよな……?」
俺が思わず呟けば
その人物は一瞬言葉を失って、そしてくすくすと笑い出した。
「じゃあ目が覚める話をしてあげる」
呆然としていた俺のすぐ前に立つと、その人物は楽しそうに言った。
「リアン。国王陛下が貴方に称号を与えたいんですって。
記憶をなくして彷徨っていた第四王女を救ってくれたから」
「は?……いや。俺はそんな……」
「それとね。隣国の辺境伯様が貴方に会いたいって。
甥御さん――行方不明の、弟さんの忘れ形見にね」
「……は?……待て……。何の話を――」
「――会ったことのないその甥御さんが
この国の辺境伯の婚約者だったなんて、って。驚いてみえたわ」
「―――――」
息が止まった。
空いた口が塞がらなかった。
それどころか大きく空く一方だ。
とんでもないことを言われている!
俺は全力で首を振った。
「―――いや。いやいやいやいや!
ちょっと待て!
なんだその設定?!
どう考えても無理があるだろ!誰が聞いたって嘘だとわかるぞ?!
あり得ないだろ!」
「辺境伯二人が言い張っちゃえば誰も嘘だなんて言えない。
どうにでもなる。平気よ」
「辺境伯《二人》?!
隣国の――魔物の森の向こうの辺境伯サマを抱き込んだのか?
抱き込んだんだな?
いったい、どうやったらそんな――」
「――違うわ。この話は、あちらの辺境伯様が言ってくださったの」
「……あちらが?」
「そうよ。
私と、私の婚約者の話を聞いた隣国の辺境伯様が。
小さな夢を見させてもらってもいいでしょうかって」
「……夢?」
「はじめての討伐中に魔物に襲われ行方不明になった弟は。
記憶をなくしてしまったようだけれど、他の地で幸せな人生を送って逝った。
そして自分には、弟の忘れ形見の甥がいたんだという小さな……優しい夢」
「―――――」
「ねえリアン。そんなの嘘だろうって揶揄われるのは嫌?」
「……いや。だが、俺は……」
「あちらの辺境伯様とは魔物の動きや数。弱点。効果的な仕留め方。
あらゆる情報を共有することになっているの」
「…………え?」
「国が違うからって、ばらばらに対処してても良いことはない。
三年前の雪の季節の終わりに、この地に大きな魔物が一斉に現れたのは
あちらで、最新の武器を使って多くの魔物を撃ったことが関係しているのかもしれない。
両国に現れる魔物には、何か法則がある可能性がある。
だからこれからは協力して魔物の討伐にあたるの。
そしていつか魔物を完全に絶滅させるか、封じ込める。
もう誰も、傷つくことのないように」
「―――――」
「リアン。一緒にいてくれる?」
「…………」
「時間がかかったけど。約束通り、私と結婚してくれる?
……それとも。ただの《フィンリー》じゃなきゃ……約束は無効?」
「―――――」
「あ!貴族として暮らして欲しいわけじゃないの。
社交に出たり、ダンスを踊ったりしなくていい。
私もしないもの。この地でやらなきゃいけないことは山のようにあるんだから。
肩書きだけよ。でも、それも嫌なら今のままのリアンでいい。
…………だから……」
俺は。ぐっと手を握った。
「お前には……グレンが……」
「グレン?リアンヴェルトのこと?何故ここで彼の名前が出てくるの?」
「いや。……それは……」
思わず俯いた。失敗した、と思った。
身長差が大きいのだ。
目の前の小さな人物は、俺の顔を覗き込んで、そして言った。
「……彼は私の幼馴染で。
王女誘拐の真犯人から命をかけて王女を守った侍女アイリスの弟よ」
「……え?」
「だから彼は私と一緒にきた。姉の命を直接奪った仇を討伐するために。
ううん。むしろ彼の方が私をここまで連れて来てくれたの。
たった一人で王女を救い出し、前辺境伯の罪を暴いたグレンはね、
その褒美に私を辺境伯にすることを望んでくれたの。
だから私は辺境伯になったのよ。
許しをもらうのと、辺境伯として学ばなければいけないことが沢山あって、ここに来るのに三年かかったけれど」
「……グレンが……」
「すごいでしょ。私の優秀な幼馴染は。
八年前に別れを告げたけれど、それでも待っていてくれた人と一年前に結婚して。
今は初めての子どもに会えることを心待ちにしてる。
女の子なら姉のアイリスと姪のデイジーにちなんで花の名前をつけるんだって」
「結婚?!子ども?!」
言ってからハッとして、慌てて手で口を塞いだ。
目の前の人物はぷっと小さくふきだした。
「リアン。もしかして。
何か勘違いしてた?彼は幼馴染だって言ったのに」
「笑うな」
「だって。顔、真っ赤よ」
「言うな」
俺は熱くなった顔を両手で覆った。
―――それでも。
言わなければいけない。
顔を覆った両手に力をこめた。
「……俺の家は……ここだ」
「違う。私たちの家よ。
二人でデボラお婆さんから受け継いだ、二人の家。でしょう?」
「いや。私たちって……お前は――」
「――そうね、ここが辺境伯邸になるのかな。
ここは魔物の森に一番近い。魔物を討伐する最前線の村よ。
ピッタリじゃない?」
「いや……駄目だろ……」
「必要な時は行くわよ。屋敷まで」
「通いの辺境伯サマなんて聞いたことないぞ」
「私も聞いたことないけど。
グレンができるっていうんだからできるわよ」
「……グレン……」
「彼、あなたに早く会いたいって。
楽しみにしてたわよ。腕がなるって」
「―――――絶対、殴る気だな……」
「難しいのはわかってる。でも諦めたくない。
貴方を困らせているのもわかってる。
でも……離れたくない」
「―――――」
「駄目かな……リアン」
「…………」
俺は。
両手を下ろした。
「……俺は。兵士だ」
「知ってる。強くて優しい兵士で、鈍くて、照れ屋な―――私の唯一の人よ」
「―――――」
ゆっくりと
その人物に目を向ける。
俯いたままだった俺の視線の先にはまず足があった。
細く頼りない足。
その足は……震えていた。
「―――まいったな」
「……え?」
どうすんだよ。
もとから骨抜きだったんだぞ。
なのに。
俺は
笑った。
「―――惚れなおした」
俺は胸に飛び込んできた小さな身体を抱きしめた。
雪のように白い肌。白銀の髪。
お願いだから消えないでくれと
必死に祈りながら―――――




