表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/27

襲来する刺客

「この星の海は硫酸で出来ている。クイーンとその家族は平気だけど、あんたら二人の薄い皮膚じゃ溶けてしまうんじゃねーのかな」


 モルスが呟く。ユーラスとルチアはモルスにつれられてこの星(以下、イート星)の海に案内されていた。クイーンの命令によってこの星を色々と案内されてきたが、つれて行かれる場所といえば岩石がむき出しの山やら、谷ばかりであった。しかしいずれもあの迷路のような洞窟から辿り着ける地にある。この洞窟はこの星の中に張り巡られた通路のようで、それはまるでアリの巣であった。


「一つ聞かせてくれ。りゅうさんってなんだ?」


 ユーラスが頭を傾げる。硫酸という化学物質の存在をユーラスは知らなかった。


「硫酸は硫酸だよ。詳しくは俺も知らね」


 モルスも知らないようだった。モルスが言うにはクイーン・イートのみが知っているようである。どこかで聞いた事があるとか。


「私は知ってるよ。名前は聞いた事ある」


 とルチアが言う。ルチア曰く、何でも溶かす溶液だという。子供の頃、自分を悪魔の子と忌み嫌っていた家族の一人にかけられた事があるらしい。ユーラスはふぅん、と頷くだけに留まった。既に硫酸の事について興味を失った様子である。

 それよりユーラスが知りたいのはブラッドジェルの在り処だった。


「ブラッドジェルの場所は教えてくれないのか?」

「誰が教えるかってんだ。探したきゃ探せ。でもこの星で、クイーンの目を逃れるのは不可能だ。クイーンには全て筒抜けになる事は肝に銘じておけ」


 そこでモルスの案内は一通り終わったようだ。モルスはユーラス達に自由にして良いと伝えて、いつかのように霧となって消えてしまった。するとユーラスはルチアについて体の異変を聞く事にした。ルチアの体は既に近くにいても感じ取れる程、力の流れが不安定になっていた。


「腹の中にガキがいるのは確定――って事でいいんだな?」

「たぶんね。正直に言うけど私はしばらく戦えない。ちゃんと守ってよ?」


 ルチアは冗談を言うように笑みを浮かべながら告げるが、戦えないのは本当であろう。既にルチアの体からは覇気も消えている。ユーラスは妊婦というものを見た事が無いがまるでこれでは病人の類いである。


「俺に守られなきゃいけなくなるなんて、お前もおしまいだな」

「他の言い方出来ないわけ?」


 しかしルチアには不安があった。この二人が最初に交わってから一月と少し。その間にも気が向いた時に何度か交わっていたわけであるのだが……。人間の男女が交わってから子供が生まれるまではおよそ十ヶ月。一月でこの異変は早過ぎるのだ。ルチアが魔神の血を引くため、一般的な人間と異なるとしてもだ。

 それに、ルチアが子を宿すのはこれが初めてでは無い。ユーラス以前にもラークが選んだ男と交わった事は多くは無いがある。多くの場合、ルチアが無理して戦闘したりしたため、主に外的な要因で子が命を落とす事が多かった。天使に狙われたり、ブラッドジェルを求める旅人に不意を突かれて膨れた腹を貫かれたり。生まれる前に子供が死ぬ事もあった。ちなみに配偶者の多くは早くに死亡するか、ルチアと敵対する事態になったりしている。今回のように配偶者と長く連れ添う事は稀である。ユーラスのようにブラッドジェルの力に適応していないからなのか不明だが彼らの多くは途中で殺されてしまっているのだ。

 とにかく長く生きて、ラークの指示通りに動いてきたルチアはそういう経験も豊富であった。だからこそ今回の子供は普通でない事がわかる。ルチアは先程から全身のエネルギーが腹の中、我が子に吸い取られていくのを実感していた。母親が子に分け与えるというより、子供が強引に奪い取っているというイメージか。


「ユーラス……この子はたぶん突然変異体だと思う。私よりもずっと強い子になると思うよ」

「……なんでわかるんだ? まだ見てもいないのに」

「勘だよ」


 ルチアの言葉にユーラスは上機嫌となり、思わず笑いがこぼれた。


「そうか。そこまで言うなら俺達の思惑通りの、強い子になって欲しいものだな。それで、いつ頃生まれるんだ? そのガキは?」

「それは……どうだろう。わからない」


 その時、空の彼方から爆発音が聞こえた。振り向くと空の上から何十人もの旅人達が徒党を組んでイート星に攻め込んで来ているのが見えた。狙いは当然、この星にあるブラッドジェルだろう。

 対するイート星側もイートジュニアこと小さなイート達が、まるで戦闘機のように空を飛んで旅人達に向かっている。イートジュニアは背中から翅を生やしていた。縦横無尽に空を飛び回り、旅人との空中戦を繰り広げている。

 ユーラスは戦闘の火の手が飛んでくるのを良しとせず、ルチアと共に洞窟内に逃げ込んだ。そして洞窟内に逃げ込んだ途端、ルチアが膝を落とした。息が乱れている。少し走っただけで疲れたと言うのだろうか。体力落ちすぎではないか?


「おい、腹の中に子がいるとそこまで弱くなっちまうのか?」

「わからない。耳鳴りがする。頭が割れそう……」


 ルチアは急に頭を抱えて蹲った。全身から黄金のオーラが噴き出し始める。まるでお湯を入れたヤカンが沸騰して水蒸気を噴き出しているようだ。ルチアの体温は急激に高くなっている。全身から滝のように汗を流していて既に正気では無くなっていた。さすがに普通じゃないとユーラスは思った。ユーラスはルチアを抱き上げると駆け出した。駆け出すと言ってもどこに向かえば解決するのかなんてユーラスにはわからない事だ。取り敢えず、イートにでも聞いてみようか。彼女はこの手の話はきっと詳しいだろう。ユーラスはイートのもとへと向かった。

 迷路のような洞窟を駆けるユーラスだがどこに行けばイートのもとへと辿り着けるかわからない。洞窟の中は何故かブラッドジェルのエネルギーが充満していて、それが気配の察知を妨害している。まるで霧の中にいるようなものだ。外で旅人と戦闘しているからだろうか。するとルチアが急に唸り出す。


「う〜……う〜……」

「今度はなんだ!?」


 ユーラスが問い掛けるがルチアは答えない。答えられないのか。ユーラスはいつぶりかの焦りを感じていた。そうしている内にユーラス達は通路の分かれ道に辿り着く。道がいくつにも分かれている。どこに向かうか悩んでいるとルチアがある一つの方向を指で指し示した。


「そっちに行けば良いんだな!?」


 問い掛けるがルチアは苦しそうに唸るだけだ。ユーラスは急いでルチアが指差した方向に走る。そこから何度も分かれ道に遭遇するがその都度ルチアは指で向かう先を指し示す。ユーラスはこれがルチアの意思なのか疑問に思ったがとにかく走り回った。

 そうして、おそらくはルチアが行きたがっていた目的地に辿り着いたのであろう。そこにはイートはいなかった。ジュニア達もいない。あるのは紫色の鉱石。ブラッドジェルに囲まれた部屋がそこにはあった。見渡す限りブラッドジェルで覆い尽くされている。当初ユーラスも行きたがっていた場所、旅人達が求める地。しかし、今はここじゃない。ユーラスはルチアを連れてイートのもとへと向かおうとする。しかしルチアは突如ユーラスの腕から飛び上がった。身軽な振る舞いで空中を回りながら、ブラッドジェルの上に降り立つ。


「おい、ルチアどうした?」


 ユーラスの言葉にルチアは答えなかった。ルチアは唸り声を上げながらその場に蹲る。全身から溢れ出る黄金のオーラは乱れている。ブラッドジェルに触れたいかのように黄金のオーラがそこら中のブラッドジェルに向って伸びては消えていく。そしてルチアの目から急に涙が零れ落ちた。


「おかあさ〜〜あああう〜〜」


 ルチアの口から発せられたそれはルチアの声ではなかった。蹲りながら唸る姿はただをこねた赤子のようだ。ユーラスは呆然としている。すると壁の向こうから黒い小さな管が突如生えてきてユーラスの耳元まで伸びてきた。それは二本の突起を生やす。目だった。


「直系がのまれてるな。初めて見たぜ!」


 イートの声だった。ユーラスは驚いて身を避ける。


「イートか? のまれてるってなんだ?」


 ユーラスが問い掛けるとイートの体から伸びた管が口をユーラスに向けて話した。


「腹の子供に意識を取られているのさ! お前とヤッたようだな直系。子宝は授かりもの。凄いのを引き当てたみたいだぜ!」

「……」


 ルチアに目をやると、ルチアは地面にあるブラッドジェルにしがみついていた。まるで気の狂った何かである。ルチアは子供のように泣きじゃくり、声にならない声で唸っていた。


「突然変異の子を宿すとあんなふうになるのか? 初めて見た」

「わからん。俺も初めて見るからな。ただ腹の子に意識を取られているのはわかるぜ。安心しろ。あれは一時的なものだ。ラークのジジイから聞いた事がある」

「……あのじいさん何者だよ」


 するとイートはブバババと笑った。


「知らないはず無いだろう? 深淵の君の付き人だよ。まぁルチアちゃんの事は心配するな。後で顔を真っ赤にして戻ってくるさ」

「そうか」


 一安心するユーラス。ルチアの正気の失いようは驚くべきものであるが、一時的なものであるなら気にする事もないだろう。


「それよりお前に見せたいものがあるんだ」


 イートが突如呟く。ユーラスが返事をするよりも前に、管がユーラスの体を縛った。ユーラスは抵抗するがそれよりも早く、管はユーラスの体ごと通路を移動していく。ブラッドジェルの部屋から抜けて、ユーラスはものすごいスピードで連れて行かれる。


「おい、どこに連れて行く気だ!?」

「じきにわかるさ」


 そうして連れて行かれた先は産卵の場、初めてイートと会った場所であった。中央には産卵管を股から伸ばし、卵を生み落としているイートの姿。イートはユーラスを見て笑みを浮かべた。そして手をユーラスに向ける。その手は伸縮自在のようで元のサイズからどんどん伸びていき、そしてユーラスの胸元まで伸びてきた。そしてその手の平には何も無い。ユーラスが何か言おうとするが、その時手の平の肉にくぼみが発生する。そしてくぼみの中からは小さなチップが一つ、姿を現した。コンピュータチップだ。しかしユーラスは初めて見るのでそれが何なのか理解出来なかった。


「……これはなんだ?」


 ユーラスが問いかける。そのチップに触れようと手を伸ばすがイートはそれを拒否するように自身の腕を引っ込めた。


「ワームホールで見付けたコンピュータチップだ。これはたぶんお前が持つべきものだと思っている」

「こん……なんだって? どうして俺が持つべきなんだ? その、金貨みたいに小さなやつ」

「なんでだろうな? ブバババ!」


 イートの笑い声はユーラスには腹立だしく感じた。そんなくだらない話をするくらいならルチアのもとへ戻るとユーラスは背を向けた。するとイートは触手を伸ばし、ユーラスの体を回転させてユーラスと顔を合わせた。


「本当はお前を子種ごと取り込みたいと思っていたが、このチップがお前を欲しているみたいでな。俺には理由はわからんが、ユーラスという名前にぴんと来たんだ」

「ワケのわからん事を。それならさっさとよこせ」

「嫌だね。ただ渡すのは悔しいから上げないもんねー」


 ブバババと笑うイート。ユーラスは怒りを覚えたようで威嚇するようにオーラを体から放出する。


「気の引く事言っておいてどういうつもりだ? ケンカ売ってるなら喜んで買うぞ醜い怪物が」


 構えを取るユーラス。するとイートはまたブバババと笑う。直後、ユーラスの背後に忍び寄る細長い触手。次の瞬間、触手はユーラスの背中を貫いた。ユーラスは血を吐く。触手に体を貫かれて、ユーラスは空中に持ち上げられる。


「やっぱりお前の事は取り込む事にしたよ。ルチアも一緒にな。だってムカつくからー!! ブババババババ!!」


 ユーラスは咄嗟に手刀で触手を切断した。そしてイートの顔面に蹴りをくらわせる。イートは怯むがまるで効いていないようだった。


「結局そうする気か! 俺は最初から片付けるつもりだったがね。しかし良いのか? 外でも敵が来てるんだぜ?」

「ブバババ! あんな奴らしょっちゅうさ! 何も問題は無いぜ!」

「そうかい」


 イートは全身から触手を生やした。それは伸縮自在の針のように先端が尖っている。それらはユーラスの体を刺す事でその体液を吸い取る事が出来る。イートはユーラスを子種ごと吸い取り、皮だけにする気なのだ。だがユーラスはそれに臆する事無く、自ら突進していった。数百の触手の間を掻い潜る。素早い動きで触手をかわしていく。そうして距離を詰めていき、ユーラスは産卵管の上に立った。そして両手で産卵管を掴み、それを強引に引き千切ってしまった。イートは叫び声を発する。


「あぁああああ!!!」


 イートは今現在産卵の真っ只中。そもそも戦闘出来るような状態では無いのだ。自由に身動きも取れない。触手でしか攻撃してこないのもそのためだ。なんたる愚行。ユーラスは鼻で笑った。更にイートの腹に思い切り飛び蹴りを放つ。イートはその大きな体を持ちながらふきとんでいき、壁に激突してしまう。引き千切られた箇所からは凄まじい量の体液がドバドバと溢れる。そして卵の原型と思わしきゼリーのようなものが股から体液と共に流れ落ちる。

 イートは怒りに顔を歪ませた。そして叫び声を発する。子供達を呼んだのだ。


「ふん。初めからそうすれば良かったんだ」


 ユーラスは手の平から光線を放った。それは視力を奪うための一撃でほとんど攻撃力は無かった。目を覆うイートを尻目にユーラスは部屋を抜け出した。向かうはブラッドジェルの部屋。ルチアとブラッドジェルを回収してこの星ごと全てを消し灰にしてやるとユーラスは考えていた。

 通路の壁を破壊しながら横断するユーラス。やがて目的地であるブラッドジェルの部屋に辿り着く。そこにはペタンと尻をついて呆然としているルチアの姿があった。ユーラスはルチアのもとへと駆け寄る。


「あの怪物は俺達を喰うつもりだ。ブラッドジェルを取り込んで奴らをぶちのめす!」


 しかしルチアは反応せずに呆然としている。何やらとある場所をじっと見つめているようだった。


「お母さん……」


 ルチアが呟く。表情はおぼろげでまるで夢を見ている子供のようだった。


「お前まだ意識を取られているか? いいかげんに正気に……」


 そう言いかけてユーラスも動きが止まった。背後から感じる確かな気配。殺気では無い。敵意でも無い。ただただ得体の知れない何かの気配。イートやその子供達が攻めてくる。急がないといけない状況でありながら、ユーラスはその何かを見ないといけないようなそんな感覚に襲われた。まるで吸い寄せられるようにユーラスは視線を移す。そこはルチアが向けている視線の先と同じ。そこには少女が立っていた。長い白髪の少女。

 ユーラスにとっては見覚えのある顔だった。ブラッドジェルを取り込む際に流れ込む記憶の中に必ず映る顔だからだ。しかし服装が見慣れたものとはちょっと違う。上はアンダースーツ、下はホットパンツ。足と腕にはプロテクターのような防備らしきものを身に着けている。見慣れているラフな格好とはまるで異なる装備だ。


「あれは深淵の君か? ブラッドジェルで見た記憶の中はみんな同じはずだが……」


 ブラッドジェルの記憶がたまに外に映像を映す事はある。珍しい事だが。しかし目の前にある彼女の姿は初めて見る。少なくともユーラスがこれまで取り込んできたブラッドジェルには存在しない姿だ。

 しかし、今はそんな事などどうでもいい。自分がすべき事はブラッドジェルを全て取り込む事だ。ユーラスはそう自分に言い聞かせた。

 ユーラスは手を伸ばす。ブラッドジェルのエネルギーを取り込むために。すると部屋全体のブラッドジェルが光り輝き、そのエネルギーがユーラス、そしてルチアの体へと流れ込んでいく。ユーラスは自身の体に力が流れ込むのを感じた。この瞬間、生命力があふれる瞬間というのは心地良いものだ。ユーラスは思わず笑みが溢れる。


「愛しい我が子、頑張ってるようでなによりだ」


 深淵の君の幻影がそう口にする。ユーラスは構わずブラッドジェルのエネルギーを取り込んでいく。やはり良質なエネルギー。力の上がり幅が違う。気持ちが高鳴るのを感じる。いつまでも消えない幻影を不思議に思いながらもユーラスは力を取り込み続けた。

 しかしその時だった。急にエネルギーの流れが変わった。ユーラス達に取り込まれているはずのエネルギーの流れる向きが逆方向に、あの幻影のある方向へと流れていく。ユーラスは驚いた。どういう事なのか? そこで脳裏によぎる可能性。この幻影は本当に幻影なのか? 幻影は常に無表情のままだ。黙りこくり、何かを見ているわけでは無い視線を前方に向けている。ユーラスは負けじと吸い取る力を上げるがビクともしない。


「くそっ! どうなってる。ルチア、お前も黙って見てないで取り込め!」


 しかしルチアは反応しない。幻影を見つめて呆然としているだけだ。やがてブラッドジェルは光と形を失っていく。いよいよ幻影に、その向こう側へと吸い切られてしまう。そしてエネルギーの流れにいつしかユーラスとルチアのエネルギーまで乗ってしまった。ユーラスは自身のエネルギーが吸い取られている事に気付き動揺した。


「どういうつもりだお前! 何故俺達の邪魔をする!?」


 ユーラスは幻影に向って叫ぶが幻影は答えない。しかし少しして、幻影は微かに微笑んだ。そしてその顔を横に振った。そして告げられる言葉。


「私じゃないよ」


 幻影は自らの背後を指差した。と同時にルチアの表情が一変して恐怖一色に染まる。ルチアは急にユーラスの手を掴むと立ち上がる。そしてユーラスを連れて逃げ出そうとした。しかし力が足りずユーラスの体を動かせない。ユーラスはわけが分からず、呟いた。


「なんなんだよ今度は!? いくらエネルギーが吸い取られているからって逃げるのか!? お前の母親が俺達の邪魔してやがるんだぞ!! 一言くらい言ってやれよ!」

「違う違う違う!! 早く逃げるの! 早くしてよ!!」

「何が違うってんだ! あれ見りゃわかるだろ!」


 そしてユーラスが視線を変えた時、幻影の姿は無かった。尚も吸い寄せられるエネルギーの波。エネルギーは部屋の向こう、ある一箇所に向けて流れていた。状況を把握出来ずにユーラスはたじろぐ。次の瞬間、目の前で何かが光を放った。それはユーラスのすぐ横を横切った。ユーラスの肩を光線がかすった。同時にエネルギーの流れが止まる。ユーラスは反射的に肩を手で抑えた。肩は光線が触れた箇所の肉が完全に抉られていた。迫りくる激痛。大量の出血で腕が真っ赤に染まる。こんな強烈な攻撃は初めてだ。


「ちくしょう……誰だ」


 直後何かが倒れる音がした。ユーラスは背後に目をやった。するとルチアがうつ伏せに倒れていた。ユーラスは肩を抑えながら、ルチアの方へと近付く。そこで倒れたルチアの姿を見てユーラスは驚愕した。ルチアの頭部が、右側頭部付近が完全に抉れていた。あの光線に貫かれたのだろう。抉れた所、火傷の隙間から中身、脳が見えている。ユーラスは言葉を失った。普通の人間ならばおそらくは即死しているかもしれない傷、重症、致命傷である。

 ユーラスはルチアのもとへ駆け寄るとルチアの名前を叫ぶ。しかしルチアは反応を示さない。ユーラスもルチアも腕や足をもがれたって死にはしない。脳の一部が消し飛んだって死にはしないはず……。しかしこれまでそんな傷を負う場面に遭遇した事が無いためユーラスは不安を覚えた。このまま死んでしまうか、あるいは後遺症が残るのか……。ルチアの体を起こそうとするが安易に動かしていいものかユーラスは迷っていた。

 すると背後から声が聞こえた。


「直系が宿した子は放っておくのが厄介なんでね。ここでまとめて始末する事にしたよ。聞こえてるかルチア=サファイア」


 ユーラスは振り向いた。そこにいたのは筋骨隆々の男。背中から両翼を生やし、額に一筋の傷がある。緑の髪。ユーラスは彼が何者かわからないが、これまで出会った誰とも違う威圧感を感じた。人間では無い。そしていかにもわかりやすく背中から生やしている一対の翼。背中から翼を生やした人間のような姿というのは、故郷の星でも仙人などが絵に描いたものを見た事がある。

 目の前の男は十中八九、天使であろう。こんなタイミングでまさか天使の方から接近してきたとは。ユーラスにとっては願ったりと言った所だが……。感じるパワー、威圧感。一目でわかる。こいつには勝てないと。

 初めて見る相手だが一目でユーラスは実感させられた。体中の細胞が危険を察知したのか逃げろと叫んでいる。ルチアも倒れたこの状況であれば逃げるのが得策だろう。イート達とぶつけてその間に逃げるしか無い。しかし、ユーラスのプライドがそれを許さなかった。


「名はユーラスと言ったか? 深淵の君の直系を妻に持つなんて……元は人間だったはずなのに愚かな事をしたな」

「……黙れ。ただのなりゆき、偶々だ。てめえ、いつから知っていたんだ?」

「お前らが性行して子を宿した辺りかな。後は宇宙の記憶を探ったのさ。ユーラス、お前はルチアを殺さずに行動を共にし、最後まで民を殺し続けた。生かしておけん。ここで死ね」


 ユーラスが言葉を返そうと口を開く。それより前に天使は距離を詰めると同時にユーラスの顔面をぶん殴った。ユーラスは弾丸のような勢いでふきとんでいき、壁を貫いて彼方へと行ってしまった。ふきとばされたユーラスはどこかの通路の上に倒れる。意識は既に事切れる寸前で、殴られたショックで体が痙攣している。状況を掴むどころではない。更にその場にいたイートジュニアに囲まれてしまった。そして彼らと共にあるイートの触手。彼らもまた天使の気配を察知していたのだ。




 ユーラスがいなくなり、残るのはルチア一人となった。天使はルチアの首を掴み持ち上げる。ルチアは右側頭部が消し飛んだ状態で、意識はあるが身動き出来ずにいた。左半身がひとつも動かない。左の手足だけ力無くぐったりとしている。右の手足は拘束を解こうと少しだけ動いている。天使の姿を視認したためか全身がガクガクと震えだし、目からは涙を鼻から鼻水を口から唾液を撒き散らす。フーフー、と息が激しく乱れる。天使はフフ、と鼻で笑う。


「俺を覚えていたかルチア。でかくなったな」


 天使は片方の手でルチアの腹部を撫で始める。腹は張っていた。中には確かに彼女の子が入っていた。腹部ごしに子供から伝わるパワーを天使は感じていた。


「親子共々、死ね」


 天使はそう吐き捨てるとルチアの心臓を貫き、それを引き抜いた。ルチアは口から血を吹き出す。返り血が天使の顔に触れる。天使は笑いながら、頬にかかった血を舐めた。


「せっかくだから夫の前で殺してやろう。それよりせっかくの再開だ。遊ばせてもらうぞ」


 天使はルチアの服をビリビリに破いた。柔らかい皮膚があらわとなる胸、腹。そして天使の手の平から光が放たれる。それは形を作り始め、やがて具現化しナイフへと変身した。ルチアを地面に仰向けにさせるとそのナイフでルチアの胸を一文字に裂く。血がふきでた。天使は胸が高鳴るのを感じた。


「久し振りだからなぁ。俺はやっぱりこういうの大好きなんだ。天使の中でも変わり者って呼ばれてるんだぜ俺は!」


 天使はルチアの体にいくつもの切り傷を刻んだ。しかし腹を突き刺す事はしない。脳にナイフを突き立て、一部を切除する以外は致命的な傷は与えなかった。しかしルチアの体は真っ赤に変貌していった。そして額には「ジュウリョク」と刻まれている。この天使の名前だ。


「聞こえるかルチア? 聞こえるか? お前を切り刻むのはいつ以来だったかな。切りたくて仕方が無かったよ。なんか言ってみろよホラ!」


 唾を吐きながらジュウリョクはルチアに詰め寄る。ルチアは泣いて怯えるだけだ。その右手はしっかりと腹部を抑えている。せめて守っているつもりなのだろう。ガチガチと歯を鳴らしていてマトモな受け答えは出来そうに無い。こんな状況のルチアでも幸運なのは脳の半分が消し飛んだため、そもそもの痛覚が鈍っている事か。


「お前の母親にも同じ事をしてるんだがあいつは何も言ってこないからな。つまらないんだよ。その点お前はちゃんと叫んでくれるから面白い。しかし……今日は何も喋らんな」


 ルチアは既に発声器官もダメにしてしまっていたようだ。もちろんジュウリョクはそれを知っている。わかっててこう言っているのだ。

 ジュウリョクはルチアの口をナイフで裂いた。そして口の中に刃先を突っ込み、脳天目掛けて突き刺す。頭部から貫通した刃先が飛び出す。フン! とジュウリョクが叫ぶと同時にナイフはルチアの顔面を二つに割ってしまった。ルチアの右手が徐々にコントロールを失い、腹部からズレ落ちていく。その様を見てジュウリョクは笑いだした。


「ダメダメ頑張れよ! 子供を守らないと、動かせるのはその右手だけじゃないかー! ほらほらどんどん落ちていくぞ手を上げろー!」


 ジュウリョクの声が届いたのか右手が静止した。そして今度は徐々に上がり始め腹部へと移動を始める。ジュウリョクはその右手を下にずらし、腰へと移動させた。そしてナイフを上から突き刺した。ルチアの右手は腰に固定される。


「これで動かせねぇなルチア! 次はどうする? ははは!」


 これまで溜め込んできたストレスを解き放っているかのように、ジュウリョクは取り乱していた。今度はルチアの右足が動き出す。しかしただ動くだけでなにかするわけでもない。動きも鈍くなっていて、まるで虫の息であった。その様子を眺めていたジュウリョク。しかし目立った動きが無い事にジュウリョクは潮時だと感じ、終わりが来たと溜息をついた。ルチアの首を持ち上げ、ルチアの体は宙に浮く。そして服が破かれてあらわになっていた腹部に再び手の平を押し付ける。今度は力を込めて徐々に押し付ける力を増していく。


「そろそろ終わりだ。あの男も全然助けに来ないし、とっくにくたばったのかもな。口ほどにも無かった。それじゃあこの張ったお腹を貫かせて貰うぜ」


 ジュウリョクの手が光を発し、腹を貫くのと腹が自ら光るのはほぼ同時だった。ルチアの腹は光線によって抉り取られ大きな風穴を作った。と、同時にルチアは宙を浮き上がり、地面に倒れる。腹を貫かれたのを感じ取ったのだろう。子を殺されたと思ったルチアは声に鳴らない声を上げた。まるで動物の鳴き声だ。口は既に無いので鳴き声というよりは空気が漏れ出ているような音、というのが正確であろうか。しかしその呼吸音もすぐに小さくなり、やがてピタリと止まった。ルチアの体は力尽きるように動かなくなった。

 動かなくなったルチアのもとにジュウリョクが現れる。ルチアは死んだのだろう。魔物の体は頑丈で再生能力も高いがそれを支えているのは強靭な精神力である。その精神力、心の支えというものを失った魔物は持ち前の再生能力がまるで無かったかのようになる。多量出血程度でも死んでしまうのだ。ルチアは死んだ。深淵の君の娘の人生もここまでだったのだ。ジュウリョクは少し寂しそうな顔をした。そしてルチアの裂けた頭を踏み潰す。


「はぁ……。母親と違って不死身じゃないから今まで手加減していたんだぜ? やはり俺ってダメだな。好きな玩具はつい壊れるまで夢中に遊ぶ性質なんだよ。幼い頃からそうだった。ちなみに昔、カマキリをそうして殺しちまったのはナイショな? まぁ、もう死んちまったから聞こえねぇか」


 ここにきてジュウリョクは一番の高笑いをした。途中で息苦しくなって倒れて転がってしまう程だった。ルチアとこれまで歩んできた過去を思い出すと笑いが止まらず顔を手で抑える。

 そうして笑っていると突然何かの圧力が彼の体にかかりジュウリョクはふきとばされた。ジュウリョクはふきとばされながらも空中で姿勢を整えて着地する。一体何が起こったのか。ルチアは死んだはず。生きていても抵抗する力なんて残っていないはずだ。

 目を向けているとルチアの体の上に浮かぶ赤色の光があった。それは手の平サイズの大きさの光球だ。その光にジュウリョクは思い当たる節がある。ルチアの腹を消し飛ばす瞬間、腹部が赤い閃光を放ったのをジュウリョクは見逃さなかった。気配を感じなかったので共に死んだと思い込んでいたが……。

 ルチアの息子か娘かはわからないが、赤い光球の正体はルチアの子であろう。他にはありえない。まさか生まれる前から活動出来るとは思えないが、あの深淵の君の直系である。なんでもアリと考えてかからなければならない。深淵の君はジュウリョクの父であり主である至天の君と対等の力を持つ怪物なのだ。

 それにその子はルチアが言っていた通りの突然変異体――。


「来いよ三代目。捻り潰してやる。子供でも容赦はせんぞ」


 ジュウリョクが突進するのと赤い光球が突進するのは同時だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ