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龍との戦いを終えて

 とある惑星の砂浜でタロは目を覚ました。空は夕陽で赤く染まっている。起き上がると海から流れる波がザザーンと音を立てているのが見えた。そこではルートスとツキミが丁度追いかけっこをしていた。かなりのスピードである。以前の自分よりも速い気がする。ルートスは黒髪に戻っていた。タロは状況が上手く読み込めなかった。頭が、思考が霧に掛かって見えないような、歯車の動きが鈍ってぎこちなくなっているような、そんな感覚だった。要は寝起きでボケーっとなっているのだ。

 タロは立ち上がる。すると自分の視線が見慣れてた景色よりずっと地面に近い事に気付いた。そうだ、太陽の龍にブラッドジェルを奪われて、人の姿を失ってしまったのだ。今のタロは狼と猿を合体させたような、少し変わった獣の姿をしている。四足歩行。この姿になったのはいつ以来だろうか。


「……しかし俺は生きているんだ。……え? なんで死んでないの?」


 タロはブラッドジェルを奪われる瞬間、そして直後、確かに自分の体が衰えて死に向かっているのを実感していた。死の恐怖を悠長に感じる暇も無く意識を失ったタロには、そこから今に至るまでの記憶は無かった。

 うーん、とタロは唸る。そんな時、何かが自身の腹に手を伸ばした。体を捕まれ持ち上げられる。人間が猫を持ち上げるように、タロは何者かに持ち上げられた。抵抗する術は無い。タロはそのまま、何者かの胸元に密着させられた。ふと顔を上げると頭上には白髪の少女の顔があった。


「……何だお前。この星の住人か?」


 少女はタロの言葉を聞いてニヤリと笑った。口角を上げて、余裕を見せ付けているような表情。別に馬鹿にしているようには見えなかったがなんというか、良い気分はしなかった。……しかし夕陽に照らされた彼女の顔は中々良かった。タロの胸はドクンと音を立てた。

 どういうわけか初めて見るはずのこの顔に、タロは見覚えがある気がした。矛盾しまくりであるが、何故かずっと近くにいたようなそんな気がしてならない。


「……なんか美味そうだな」


 タロは無意識にそうこぼした。すると少女は指をタロの口に当てて、ちちちと呟き顔を横に振った。


「この状況じゃ、私を食べるのは無理だ。ご愁傷様です」

「は!?」


 タロはカッと怒りが湧いてくるのを感じた。すると彼は怒りに任せて彼女の小指に噛み付いた。タロの牙は獣らしく鋭い。少女の細い指を容易く貫く。少女は顔をしかめるがタロにはその姿は見えない。ギリギリと顎を動かして指を切断していき、あっという間に噛み千切るとそれをゴクンとひと飲みしてしまった。少女の指からは赤い血がどくどくと流れている。タロは得意気な顔で少女を見上げた。その気になればお前みたいな小娘なんて食い殺せるんだぞ! とタロは心の中で叫んだ。

 かつての原野の中、タロは決して食物連鎖の中の頂点に位置するわけでも無く、自分より小さな動物を食べて、自分よりも大きな動物が自分を食べようと迫るのを必死に逃げてきた。原野の中は常に戦争状態。こんなひ弱な小娘に舐められてたまるか! とタロは思っていた。

 しかし少女はタロに指を食い千切られたというのに何食わぬ顔をしていた。だからタロは拍子抜けしていた。体の一部分でも食べられたのだ。ただのかすり傷でもなんでも、痛みで顔をしかめそうなものを。少女はタロに食い千切られた小指をタロに見せ付けた。少女は指をよく見ておけと告げるように小指をフリフリと揺らしている。第二関節辺りまで食い千切られた小指を揺らして。その様子をタロはただ眺めた。まるで催眠術にでもかけられているかのように、小指から目を離す事が出来なかった。


「テッテレー」


 少女が陽気な声を上げると同時に、切断されたはずの小指の断面から、新たな指がニョキニョキと生えてきた。そしてそこにはタロが食い千切る前の小指があった。なるほどね。こいつは体を再生出来るタイプか。宇宙は広い。こういう強い再生力を持つ生物は珍しいものではない。特にブラッドジェルを持つ者は例外無く絶大な治癒力を持っている。この少女がどちらの要因で再生させたのかはわからないが、指を食い千切られても平然としているはずである。


「私の指は甘かったか?」


 少女はタロを見下ろしながら答えた。そういえばそんな気がしたかもしれない。タロは何も答えず黙っていた。すると少女はタロを抱いたまま、海の方へと歩いていった。波立つ海面が少女の足にかかるくらいに近付いた時に少女はルートス達を呼んだ。


「二人共、こっちおいで!」


 少女が叫ぶとルートスとツキミは急いで海から上がってきた。二人共、海で泳いでいたのでずぶ濡れだ。ルートスはパンツだけ履いたほぼ裸の状態。ツキミはいつものレオタード姿だ。ルートスは少女の姿を見て急に様子が変わり、緊張した様子になっていた。


「ご先祖様! いつの間に来てたんすか? いつもいつもあなたは突然やって来ますね!」

「それほどでも無いよ」


 そして少女は片手でワンピースの裾を上げた。中の紐パンが顔を出す。ルートスは鼻から血を吹き出して倒れた。その様子を見て少女はニヤニヤと笑っている。


「相変わらずだなルートス。そろそろ慣れたらどうだ? そんなに珍しいものかねぇ」


 するとツキミが呟く。


「止めてあげて下さいよ、もぉ。そんなに見せたいなら次からパンイチで来てください」

「それ良いね。次はそうするよ」

「冗談ですからね?」


 ……なんて、彼女達は勝手に話し合っていた。流し聞きしていたタロだったが、後になってルートス達が少女を「ご先祖様」と呼んでいた事に疑問符を抱いた。ルートスのご先祖様と言ったら、思い当るのは深淵の君しかいない。それに気付いた瞬間、タロは全身が硬直するのを感じた。食物連鎖の頂点に立つ、巨大な獣に睨み付けられた時のような感覚がその身に湧き上がる。

 いやいやいやいや、いやいやいやいや。

 タロは遅れて身を乗り出して少女の腕から脱出した。砂浜に降り立ち、少女を見上げる。見た目はたまに見かける人間の子供でしかない。ルートスやツキミよりもずっと弱い非力な存在にしか見えないのだが……。


「あんた……」


 タロは恐る恐る口を開いた。視線の先の少女はニヤニヤと笑いながら、タロを見下ろしている。


「なんだい? 言いたい事があるなら言ってごらん。食べたりしないから、さ」


 少女の顔色は変わっていないが、タロはひたすら恐怖を感じていた。こんな場所にいるはずがない相手が、そこにいる。タロの声は震えだした。


「あんた……あんたは、深淵の君なのか? 至天の君と戦って、世界を滅ぼしたあの魔神なのか?」

「正確にはちょっと違うけど、そう思ってもらって構わないよ」


 タロは更に何か言おうとしたが言葉が見付からず黙ってしまった。この世界を支配する至天の君と対等の存在が目の前にいる。こんな小娘が魔神だって? こうして対峙していても威圧感等は感じないが何故か恐怖心が湧き上がる。

 するとルートスが口を開いた。


「まぁ、ご先祖様の姿なんてみんな知らないよな。ブラッドジェルを通した記憶なんて曖昧で誰も覚えてないし」


 鼻から垂れた血を手で拭いながらルートスは言った。そうして立ち上がる彼に、タロは噛み付く勢いで声を荒らげた。


「なんでこんな所にいるんだよ! 深淵の君は神々に敗れて無上地獄に閉じ込められているはずじゃないか! こんな場所にいるはずがない!」


 深淵の君に関する事は取り込んだブラッドジェルから教えられた。深淵の君が至天の君に敗れてブラッドジェルに閉じ込められている事は当然知識として知っている。知識というより、ブラッドジェルに刻まれた記憶として、タロの頭にも流れていたのだ。それは天使達が意図して細工したもの。彼らが深淵の君の体をバラしたところも無上地獄に閉じ込める瞬間もしっかりと五感に残っている。思い出せば思い出す程、目の前の少女の姿が深淵の君のそれである事に気付き始める。尚更、目の前にその悪魔がいる事が理解出来ない。まさに記憶違いの事が起きているような感覚だった。


「それなぁ……。俺もよくわからん」


 どこか呑気な声でルートスが言う。タロは苛立ちを爆発させた。

 

「わからないじゃねーっ!! お前まさか! まさかというかやっぱり! ブラッドジェルを集めてこの悪魔を復活させるつもりなんだろ!?」


 ブラッドジェルは深淵の君の体の一部だ。天使達が彼女の力を奪う為に、その体を何度も何度も引き千切ってバラバラにしたのだ。それならブラッドジェルを全て集めて元の持ち主に差し出せば力は戻るはず。戻るはず、というのはこれはタロの憶測でしかない。が、もし深淵の君がそうして復活してしまえばすなわちこの世界は終焉を迎える事になる。言い伝えでは、至天の君と深淵の君の戦いは過去何度も起きており、その都度世界はリセットされているというではないか。

 タロは頭がおかしくなりそうだった。

 しかし、ルートスは顔を横に降った。


「俺もね、最初はそのために集めてたよ。自分のご先祖様だもん、助けてあげたいじゃない? でもご先祖様が言うんだ。そういう事の為に集めるなってね」


 ルートスの返答に更にタロはこんがらかってしまう。すると少女もとい、レイが口を開く。


()が言うには、手助けはいらない、余計な事はしないように。するなら殺す。だそうだよ」


 言い方がどこか不自然であるがレイはそう言った。よくわからないが復活させる気がないのならまぁ良いのかな? とタロは思った。


「……って、そんなわけあるか! 無上地獄って所に閉じ込められているんだ! だって地獄だぜ!? なにがなんでも抜け出したいって思うのが自然じゃないか! ……いや、もうそこにいるけどな! もうわけがわからんぞ!」

「事情は複雑なんです。折角だから教えてあげるね」


 するとレイはタロの体を軽々と持ち上げて胸に抱いた。タロは彼女が怖くてたまらなく、抵抗する素振りも見せなかった。レイはルートス達を連れてどこかへと歩き始めた。その間にレイはタロに事情を話した。

 彼女が言うには今この場にいる自分と無上地獄に閉じ込められている深淵の君は厳密には別人であるという。この場にいるレイは無上地獄にいるレイから分裂した存在。微生物が細胞分裂をして増えた方。一人の人間から片腕だけが分かれて、その片腕が意識を持って自立しているようなもの……らしい。ルートスに自分を助ける真似はしないように告げているのは無上地獄にいる本体の意思だ。曰く、助けられるのは癪に障る、ルートスが集められるであろうのブラッドジェルを集めた程度では何の意味も無いとの事。この場にいるレイは本体の意思を汲んで、ブラッドジェルを取り込むような事はしていないそうだ。


「私は君達と違ってブラッドジェルは集めてないんでね。趣味は酒飲みながらの温泉巡りさ。ルートスや、ブラッドジェルを求める人達の手助けも、気が向いた時にやってるよ。気紛れでね」

「……天使達があなたを放っておかないはずだが」

「返り討ちにしてるから。あいつら大して力無いもん」

「そ、そうっすか……」


 至天の君に仕える天使達はそれぞれが下界の人間達からは神と崇められる程、絶大な力を持っていると聞いているが……、タロは苦笑するしかなかった。

 その後、彼女らは浜辺から少し離れた地にある小屋へと入っていった。この小屋はいわゆる旅人用の休憩室。少し前にルートスとツキミが、太陽の龍との戦闘を終えてこの星に来た際に立ち寄った場所だ。ここで二人は少しの休憩をしてから海で遊んでいた。そこに突然レイが現れたのだ。

 小屋にはまた一人、タロの見知らぬ老人が椅子に座って酒を飲んでいた。机の上には空になった缶ビールが六本、置かれている。だいぶ飲んだ後であり、顔は少し赤くなっている。既に酔いが回っているようだった。老人は時折、酒を口に運びながら机に向かって人形か何かを弄っているように見えた。長い白髪の人形だが、タロの視線からはよく見えなかった。

 この老人は立派な顎髭を蓄えていた。髪も髭も真っ白。髪は長く腰まである。ボサボサで清潔感の欠片もない。とても大柄で老人に似つかわぬ筋肉質な体を持っている。この老人はレイ達が小屋にやってきても然程興味が無さそうだった。レイはそんな老人を鼻で笑いつつ、彼の隣にある椅子に座った。椅子は彼女の体格に比べると少し高い物だったが、レイはジャンプして軽々と椅子の上に登った。

 この老人の名はラークと言って、深淵の君の付き人だった。レイのいる所には大抵彼もいる。しかしブラッドジェルの記憶には彼の事は記されておらず、タロも彼の存在は知らなかった。ラークはとても不気味な様子だったが脅威的な力を感じなかった為にタロは然程彼を警戒しなかった。それよりも自分を抱いているレイの方が怖くて仕方が無い。


「やっぱりラークのおじさんもいたんだね。あいさつくらいしてくれれば良いのにさ」

「まったくだよね。また変な人形弄ってるし。そんなに面白いの?」


 ルートスとツキミは各々の言葉をラークにぶつける。しかしラークはふふふ、と笑うのみでまともな反応をしない。手元の人形の事で頭がいっぱいな様子だ。その後ルートスは自分の服を着るために部屋を離れて、ツキミはラークが人形を弄る所に参加してちょっかいを出している。ツキミが人形に手を触れようとするとラークはそれを拒否する。お気に入りの人形を取られたくないと言っているかのようだ。

 レイは足をパタパタさせながら、特に何をしてくる事も無い。それがタロには余計息苦しかった。タロは自分がこれからどうなるのか、震えた声で問うた。


「……あの、深淵の君は私めをどうするつもりなんでしょう? まさか、殺すつもりですか??」


 レイはタロの背中を撫でながら答える。


「殺すつもりならこうして話したりしないさ。君はルートス達に命を救われたんだ。ちゃんとお礼を言いなよ?」


 タロは自身が死にゆく所をルートスのブラッドジェルによって救われた事を告げられた。なるほど、だから死んでないのか、とタロは納得した。どうして自分を助けたのかは理解出来ないが。

 するとルートスが着替え終わったらしく、部屋に戻ってきた。冷蔵庫から炭酸のドリンクを二本持ってきて、レイとラークとは迎え側の席に座る。ルートスは炭酸ドリンクの一本をレイに渡した。レイは喜んでそれを口に運ぶ。「酒の方が良かった」なんて愚痴を零すレイ。机の上にある空の缶ビールに視線を落とす。試しに手に持って口に流し込もうとするが当然空なので中身は出てこない。何度か振ってみても水滴がちょっと降ってくるだけだ。レイは酒を惜しみ、舌打ちをする。

 するとルートスは言った。酒は無いと。ラークが全部飲んだのだろうと。ルートスとツキミは海で泳いでいた。最初、この小屋についた時には酒はあった。ルートス達は一本ずつしか飲んでおらず、まだたくさん酒は残っていた。それが無いのなら、飲んだのはラークかレイのどちらかだけだ。ラークはきっとかなりの量を短時間で飲み干したのだろう。机の上の空き缶で全てというわけだ。

 レイは不機嫌な顔となってラークの腰に肘を打ち込んだ。「なに全部飲んでんだよ、残しとけよ」とラークを睨みながら呟く。ラークは口から酒を吹き出してその場に蹲る。


「おい」


 タロが口を開く。ルートスに向って声を上げたのだ。


「なに?」

「なんで俺を助けたんだ。俺はあんたのブラッドジェルを奪った。敵同士だろうに」


 ルートスは炭酸ドリンクを口に運び、こう言った。


「助けたというか、あの龍がお前を殺す気だったから、そこまではする必要無いだろと思ってね。……死にたくないだろお前も」


 ゲフッ、とルートスはゲップをする。タロは礼は言わないと吐き捨てて、今度はレイの方を見た。


「……それで、あなた様はどうしてさっきから私を抱いているんです? どうする気なんですか??」


 タロにとってはレイにいつまでも抱かれているのがとにかく怖くて仕方が無かった。得体の知れない化物の腕の中にいつまでも収められている感覚。まるで敵の巣窟に閉じ込められているようで気が晴れない。するとレイはタロの頭を撫でつつ、こう答えた。


「君が承諾するなら、で良いんだけど。私に飼われてみないかい?」

「は?」

「前からペット欲しかったんだよね」


 ペット。人間に家族として、あるいは配下として向かい入れられる動物の事である。タロは人間の住む街に赴いた事がある。ペットとして人間と共に住む獣達の姿もよく見ている。野生を忘れて平和ボケした、狩りも戦いも知らないような連中――というのがタロの認識だ。たまに特殊訓練を受けているものもいたが。つまりはこの少女は自分に忠誠を尽くす獣になれと言っているのだ。


「別に嫌なら良いんだ。君を君が望む惑星に送って別れる。でもほら、そう。私のもとに来るなら好きな肉とか食べさせてやるよ。なんならブラッドジェルもくれてやる。嫌になったらいつ離れても良いし……」


 少し照れる様子でレイは言った。タロは自分が他人に服従を強いられるのは嫌だった。当然、レイに従うのも嫌である。しかし相手は深淵の君。抗った所で勝てる相手ではない。


「……ブラッドジェルくれるの?」

「私が取りに行くわけじゃ無いけどね。私を知る者は天使であれなんであれ、私を放っておかない。黙っててもブラッドジェルはやって来るから、それをくれてやるよ」


 何かと親切にしてくれるものだとタロは思った。ブラッドジェルが手に入るなら大人しく従っていても良いかもしれない。レイのペットになるのを拒んで離れる事を彼女は認めている……が、それが本当かどうかなんてタロにはわからない。口ではなんとでも言えるし、結局力づくで来られてはタロではどうしようもないのだ。タロは考え方を変える事にした。深淵の君が味方をしてくれるのならば、もはや敵はいない。至天の君が直接来ない限りは安泰であると。

 タロは別に深淵の君やその末裔のルートスを憎んでいるわけではない。彼女が至天の君に挑んで世界を滅ぼしたという行為自体はどうとも思っていない。ただ世界が滅びる事になると自分が困るというだけだ。深淵の君の下について困る事と言ったら、この世界を支配する至天の君と敵対する事になるという事くらいだ。それはとても重大な事である。


「……ペットにするなら私の命は当然守ってくれるんですよね?」

「もちろん。君が側にいる限りは守ってあげるよ」

「それなら、あなたに従います」


 やばくなったら寝返れば良い話である。せっかくの好意を無理して拒否する道理は無い。タロはレイの望みに従う事にした。

 ルートスのブラッドジェルを奪ったタロだったが、まさかこんな事になるとは。人生、獣生というものはわからないものである。




「酒買うから金くれ」


 深淵の君からまさかの発言。神が買い物をしてくると言い出した。手を差し出した先はラーク。ラークはしばらく考え込む。懐に手を突っ込み、取り出した硬貨は三枚。ラークはそれをレイに手渡した。


「我が君、あなた一人で買いに行くんですか?」


 レイは硬貨を手に取るとワンピースの内側にある胸ポケットにそれを突っ込む。そしてタロを抱いたまま席を立った。


「お前に任せても、自分の好みのヤツしか買わないだろ? 自分で見て選んでくるよ」


 レイはルートスとツキミに視線を向けて言った。


「それじゃ私はこれで。次会うまでに死んでなかったら会えるだろうよ。じゃあね。ラークは適当に時間潰してて構わんよ。私は用事済ませたらその辺ブラブラしてるから」


 レイはそれだけ言い残し、小屋から飛び出した。銀色のオーラを纏い、あっという間に宇宙空間に飛び立つ。やはりというべきかそのスピードはとんでもない。ルートス達ではどんなにひっくり返っても追い付けないようなスピードだ。ルートス達は小屋の席から離れていない。レイの飛び立つ所を見たわけでは無かったがみるみる遠ざかるタロの生命力を感じ取り、レイの速さを実感していた。


「あの人、急にいなくなるんだもんな。自由な人だよ」


 ツキミが呟く。するとルートスはふふふと笑いながらこう言った。


「絶対に店員さんに拒否されると思うよ。あんなちっこい見た目の相手に酒提供してくれる店なんてあんまり無いでしょ」


 ルートスの言葉は的外れだ。要はレイは子供のような見た目だから酒は買えないだろうと言っている。そういう決まりがあるかどうかはその星によって異なるだろうし、レイのそれが子供に見えるかどうかも種族によって違うだろう。ツキミのような大きさの小人が住む星もあるのである。

 ちなみに、深淵の君という立場の彼女が平然と公衆の場で買い物が出来るのか? という疑問はもっともであろう。実際の所、深淵の君や至天の君という神の存在を信じている種族というのは宇宙では少数だ。神話というものがあってもそれに登場する神様が本当に実在すると思っている者は少ない。信じている者は少数派、レイが深淵の君と知っているのは彼女と直接関わった者とブラッドジェルの記憶を持っている者達くらいだ。その上、ブラッドジェルの記憶というのも曖昧でそれを覚えられるかは個人差があるし、レイの姿を覚えている者も少ない。世界を滅ぼした過去を持つ悪魔が何食わぬ顔で町中で買い物する様は中々滑稽である。

 それよりも俺も酒飲みたい、とルートスは愚痴をこぼした。するとそれまで黙っていたラークが口を開いた。


「ルートス、ツキミ。お前達はブラッドジェルを集めて、何かしたい事は無いのか?」

「……ラークさん、人と話す時はその人の顔を見て話しましょうよ。まるでその趣味悪い人形に話しかけているみたいですよ」


 ルートスの指摘した通り、ラークは手元の人形を弄りながら、その姿を凝視しながら話していた。傍らから見れば精神異常者、少し病んでる老人と映るかもしれない。ルートスが趣味悪い人形と言ったのも、その人形が四肢が切断されて、左目が眼球が無く空洞になっているという、どこかグロテスクなデザインをしているからだ。しかも汚れだらけであちらこちらが傷付いており、糸で縫い付けた跡がたくさんある。染みも付いていて、清潔感が無いというか、年季が入っているというか、かなり乱暴に扱っているのが手に取るようにわかるのだ。


「会話するなら会話する。人形で遊ぶ手を止めてね? どちらかにしましょう」

「……ちっ、わかった」


 ラークは人形をポケットに乱暴に突っ込むとルートスに視線を向けた。するとツキミもルートスのもとへと移動する。


「で、ブラッドジェルを集めてしたい事とかあるのか?」

「子供の進路相談じゃあるまいし。別にしたい事なんてないよ。ブラッドジェルを集めるのが好きでやってるんだ。力も付くし、誰かと戦うのは楽しい」

「ツキミちゃんは?」

「ボクもルートスと同じかな。無上地獄のご先祖様には自分には干渉するなって言われてるから、下手に手を出せないし」


 「そうか」とラークは呟く。するとまた黙り込んだ。何が言いたかったの? とルートスが聞こうとするとそれを遮るようにラークは口を開く。


「お前も深淵の君の血を引くなら、至天の君に挑み、この世界を足で踏み付けるような度胸を見せたらどうだ?」


 低い声でラークは告げた。するとルートスとツキミは困ったなぁ、といった様子でお互いを見つめ合う。ラークがこの話をするのは今回が初めてでは無い。やっぱりまた来たか。


「俺はそんなつもりは無いって言ってるだろ?」

「戦うのが楽しいんだろ? それならこの世界で一番強い至天の君に挑めば良い。第二の深淵の君に、いや、先祖を超えてやるという気概を見せてみろ。……お前は男だから尚更な」

「確かに戦うのは好きだけど世界を滅ぼしたいとは思ってないよ。それにどうせ至天の君には勝てないさ。ご先祖様でも結局勝てなかったんだろ? それなのになんで俺が勝てるんだ?」

「勝てとは言ってない。気概を見せろと言ってるんだ」

「死にたくないし。ご先祖様と違ってこっちは不死身じゃないんでね。勝てない戦はしませんよ」


 ラークの言葉はルートスの耳には痛い話である。いつもいつも、天下を狙えと、深淵の君を超えてみろと言ってくるのだ。至天の君と深淵の君が戦えば世界は滅びる。世界を滅ぼすようなレベルにならないと同じ土俵にも立てないのだ。仮に同じ土俵に立って戦う事になったら、その瞬間この世界はおしまいである。このジジイは自分にわざわざ大量殺戮をしろと言っているのか。ルートスは戦いは好きであるが負けるのは嫌いだし、なるべく殺生はしたくない。相手の可能性をそこで潰してしまうからだ。ツキミも同様である。


「はぁ……。お前の親父も母親も、ご先祖様を超えてやろうと躍起だったぞ? 結局天使の手に落ちてしまったがね」


 ルートスの両親。父の名はユーラスといい、母の名はルチアという。ルートスが物心つく前に天使によって殺されてしまったとか。ルートスは彼らの顔も覚えてない。ラークやレイから、話だけ聞いているだけだ。顔は覚えてないが、その姿は映像としてレイから教えられている。ルチアはレイより大人っぽい見た目で、レイを大きくして金髪にしたような姿だ。ユーラスは人というよりは完全に改造された機械の姿をしていた。理由を聞いてみると、ユーラスは人の体を捨てたというのだ。深淵の君の血を引くのは母親のルチアの方。父のユーラスは人間でありながら彼女に恋をした。機械の体なのはその方が都合が良いから、だそうだ。詳しい事情はルートスも知らない。興味はあるがそこまで強く知りたいという程でも無かった。


「親がそうだったからなんだよ? 俺は俺だ。好きにさせてくれ」

「せっかくの大剣もただ草原の草を刈り取るだけではもったいない。草刈りなんて、素手で十分だ。そうだろ?」

「……俺は自由にやりたいのさ。変な真似して、事態を大きくすると色々と面倒くさい。飛んでくる火の粉はそりゃ消すさ。でも人の家を放火する気は無いね」


 ルートスはライバルとの小競り合いは好きだ。しかし大国を単身潰しに行くとなるとその労力を惜しむ。深淵の君のようには行かない。大敵に挑む勇気は持ち合わせていなかった。


「お前は……中途半端な男だな。天を突き破ってやろうという勇気は無いのか。玉袋の中身は空っぽか? その力は世界を手の内に納める為にあるのではないのか?」

「ラークさんはどうしてそう、話を大きくするんだ。好きなように遊んで飯を食って、カワイイ女の子とイチャイチャ出来れば、俺はそれで満足だよ」


 ルートスはそう言うと席を立った。これ以上ラークと話を続ける気は無いという事だ。そんな彼の意思を察してツキミも宙に浮かぶ。


「ボク達は天使を下して世界を混乱させるつもりは無いんだ。もちろん彼らに頭を下げる気も無いよ。彼らがボク達を倒しに来たその時は、受けて立つさ」


 去り際にツキミはそう呟いた。そして二人は小屋を後にする。二人は強い事と戦闘を求めるが、世界を巻き込むような大戦をする気は無い。それはラークが言うにはルートスの先代とは考えが違うらしく、またラークもそれが気に食わないようだ。

 一人残ったラークは大きな溜息をつく。相変わらずだな、と呟くとポケットにしまった人形を取り出した。肘を机に置いて、人形の首をつまみ、その顔を見つめる。首をつまんだ指を器用に動かす事で人形の頭を動かしている。まるで人形は意思を持って何かを話しかけているかのようだ。それはラークの手によるもの。まるでままごと遊びをする女の子だ。

 ラークは人形とまるでふざけた会話をするように変顔をしてみせた。小屋の中で一人、人形と戯れている。


「ルートスに野心が無いのはあなたにとって都合が良いかもしれませんが、私としてはなんともつまらない。やはりあなた程の存在は現れないようだ」


 そして指を動かすと人形の頭は縦に振られた。ラークは再び溜息をついて椅子の背もたれに体重をかけた。そして力の抜けた表情で天井を見上げる。

 それから少し経って、ラークは歌い始めた。


 神の子供はたくさんいるさ

 色々なヤツらがいるもんだ

 その中にゃ不良もいるさ

 父の頭に登る不届き者

 彼女は兄弟の不満を買って

 五体をバラバラに引き裂かれた

 彼女は怒りに燃えた さぁさぁ兄弟を皆殺し!

 父の首を斬り落とせ!

 世界はすべて君のあしもと!

 君は天の上に立つ!

 そんな彼女に俺はほれぼれするのさ!

 君に献上しよう極上のビールを!

 イエイ! イエイ! イエイ!


 ラークのそれはまさに酔っぱらったオヤジそのものだった。歌いながら、いつしか席を立ち、踊り始める。イエイ! イエイ! イエイ! と叫び、人形を天井に放り投げると同時に、ラークはその場に崩れ落ちて眠りこけてしまった。いびきをかきながら眠る老人の上に、四肢と左目の無い人形が落ちてきた。それは老人の体を転げ落ちて床へと落ちつく。その後もラークの歌声が小さな声で繰り返されたがやがてそれはただのいびきへと変わった。

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