8:霧に輝く瞳
早朝。窓側に背を向け、壁を向くセシルが服を着る。
「早いな」
声がかかり、振り向く。
目を覚ましたデュレクが肘をついて横になっていた。昨日のような気のいい表情で、軽く笑う。眼帯を外した左目には貴族の証である紅の瞳が朝日を吸い、きらりと光る。
ぴちっと衣類を着こんだセシルは一瞥し、ベッドに投げていたコートを羽織る。袖を通し、荷袋を肩にかけた。
「仕事なんだ。早めに出る」
「早すぎない? 日が昇ったばかりじゃないか」
「早めに行かなければいけない事情があるんだ。チェックアウトは九時だ。あとは好きにすればいい」
「それだけ?」
「なにかあるか」
踵を返そうとしたセシルが足を止める。
デュレクは目を細めて、手を振った。
「いってらっしゃい」
返事もせず背を向けたセシルは無言で部屋を出る。
デュレクが眼帯をつけるのと同じように、コートのフードを目深にかぶる。平民が多い地域では貴族であることを隠したい。ばれて厄介事にまきこまれるのはごめんだった。
静かな廊下を抜け、階段を降りる。
昨夜は喧騒で満ちていた飲食フロアもひっそりとしていた。カウンターに宿の番をする男が腕組みをして座り、居眠りしていた。おこして先に出る旨を告げる。寝ぼけ目眼の空返事を背に、外へ出た。
朝もやがかかる石畳の道をセシルは軽やかに歩む。
(片目だけ色持ちなんて珍しいな)
王族や貴族は、その家独特の瞳の色を保有している。マティック子爵家の菫、ブリアーズ侯爵家の紅。瞳の色が分かれば、どこの家か判別し、見ただけで貴族と分かるのだ。
平民は褐色または赤茶を主色としている。片目だけ紅のデュレクが眼帯を身につければ、平民に間違われて当たり前である。
(片目だけというのは、貴族としても、平民としても生きにくいだろう)
とはいえ、昔に比べたら血統主義は薄れてきている。下級の爵位なら買うことができるようになり、表立ってはいないが、他家や平民との混血も進んでいる。数は把握されていないものの、非嫡出子はすくなくない。
歩調のまま思考し、人気のない繁華街を抜けた。メイン通りに到達する。朝一番の相乗り馬車を利用し、王宮正門で降りる。ボロのコートを脱ぎ、腕にかけた。
正門横に目立たない小屋があった。そこには守衛が昼夜問わず常駐している。名乗り、首から下げた身分証を見せると、勝手口を開けてくれた。
王宮には、様々な建物がある。そのなかに、騎士の詰め所や文官の仕事場、女官の控室などをひとまとめにした建物があり、その一角に騎士や女官が利用する更衣室があった。
鍵付きの細い棚が各々割り当てられており、女官や文官が制服に着替えたり、私物を詰め込んでいた。
セシルの鍵付きの棚には、家から持ってきた小ぶりの旅行鞄二つが重ねておいてある。事前に準備していた、必要な物を一通り詰めた鞄だ。
ボロのコートをハンガーにかけて押し込み、髪を手で梳く。長い髪を後方で一束にまとめて、縛り上げた。
棚の扉を閉めて、鍵をかける。通行証と同じ鎖につないでおり、首から下げ、衣類に潜めた。
(一応、恰好は整ったが、家を早々に決めないと辛いな)
セシルは王宮の裏道を通り抜け、足早に進む。
朝一番の仕事のために、王宮の最も東に位置する太子御所へと早足で向かう。月に数回、セシルにしかこなせない朝の仕事があった。
太子御所に近づくにつれ、霧が濃くなっていく。朝もやと言うには深い。煙幕のように、視界が閉ざされる。
御所へと続く石畳の脇に灯篭が並ぶ。左右に等間隔で並ぶ灯だけ頼りに直進する。足元はすでに見えない。ざっざっと石畳の上を薄う覆う砂に靴底が擦れる音だけが反響する。
息を吸えば、喉がひりりと痛んだ。セシルは腕を口元に寄せた。
(昨夜はずいぶんと濃く出たな)
灯篭が途絶え、セシルは足を止めた。白い空間に、両足を開き立つ。片手は剣の柄に添えた。
目を閉じる。意識を眼球に集めれば、じくじくと燃えるように熱を持つ。
ゆっくりと開眼する。発光する瞳が、白い空間に菫色の光を放つ。白煙を紫に染め上げた。
開ききった瞳が煌々と光り、真っ白い霧が、潮が引くように散って、消えた。
差し込む朝日の元に、アッシュブラウンの髪をなびかせるセシルの瞳から輝きが落ちてゆく。眼前に荘厳な太子御所が現れた。




