5:宿を借りる
「初めまして。ごめんね、都は久しぶりでさ。便乗させてもらっちゃった」
男はおどけるように肩をすくめる。片肘をカウンターにのせ、セシルをみて笑った。
(愛想の良い男だな)
セシルはふいっと視線を背け、興味なさげに前を向く。
「今日だけどうしても宿が必要で探していたんだけど、どこもかしこも高くて驚いたよ。地方感覚で、一泊にこの金額は辛いね。さすがに三軒目でねをあげたらさ、宿の人が親切にここを教えてくれたんだ」
素っ気ないセシルは両腕を前につき、軽く背を丸めた。もう相手の顔を見る気は無かった。
「あんたも旅の人か。俺は地方にいたんだけど、事情があってこっちに来ることになってさ。急ぎというから慌てて来たら、一日早くてな。貸家の契約が明日からになってたんだ。いやあ、困ったね」
「それで、宿探しか」
「そうそう。でっ、宿を探したら、さっき話した通りだ。なあ、兄さん。兄さんはどこから来たんだ。旅人のような恰好をしてさ。店のなかでも、フードを被っているのも珍しいな」
「別にいいだろ」
代わりに眼帯に触れてやろうかと悪意が芽生えて、セシルはやめた。片目を失う事情もちに首をつっこんでも、ろくなことにならない。
「お待たせしました。お食事おもちしました」
元気の良い女の子が、プレートに盛られた料理とパンを持ってきた。セシルと男の前に同じ食事が並ぶ。
「ごゆっくりどうぞ」
下がった女の子が、厨房へ次の品を取りに行く。同僚の女の子と合流し、きゃあきゃあと言葉を交わしていた。
(……あれが、普通の女の子なのだろうな)
幼少期から訳があって、剣や体術を師よりみっちり習ってきた。算術も、語学も、歴史も、男子なみの教養を身につけるよう求められた。刺繍やダンスなど女性的な家庭教師もいたため、セシルは男女両方、文武両道、身につけている。
厳しい親元で管理されてきたセシルは、華やぐような淡い十代の娘時代を過ごしていない。代わりに、ほどこされた高度な教育は、セシルを近衛騎士副団長まで押し上げた。
(母の教育が今の私の地位へつながった。おかげで、家を出る資金源を手にし、私は家を出ることになった。家のために施した教育がこんな風に利用されようとはね。なんという皮肉かな)
自然と口角が上がる。
「どうした兄さん、笑って。それ美味いの」
隣の男があっけらかんと話しかけてきて、セシルは現実に引き戻された。
考えながらも食べすすみ、料理は三分の一は減っている。味は気にしていなかった。
両面を焼いたミディアムレアの牛肉。温野菜がふんだんに添えられている。肉を食べ、野菜を食べる。回しかけられている赤黒いソースも美味い。
ちらりと横を見れば、男も同じ品を食べていた。
「きくなよ。同じものを食べているんだから味ぐらい分かるだろう」
「まあね。十分、美味いよ。もう少し量が欲しいぐらいかな」
「少ないのか?」
「ちょっとな」
セシルには多い量である。残そうと思っていただけにぴんと来なかった。
(残すのも、もったいないか)
断られてもセシルに痛手はない。二つ添えられていた丸パンを一つ手にし、男の方にプレートを寄せた。
「残すつもりだった。食べるなら、どうぞ」
丸パンをちぎって口にほおりこんだ。スープカップに口をつけ、一口飲む。
「少食だな。まだけっこう残っているじゃないか」
「いらないなら、残せば」
「いいや、もらうもらう。昼からぶっとうしで馬を駆ってきただけにペコペコなんだ。ありがたくいただくよ」
男はセシルのプレートも寄せて、食べ始めた。
セシルは、ちぎったパンをスープにつけて、頬張った。
男はしゃべることに集中し、セシルは黙ってパンを食べ、スープを飲み干した。カウンター越しに店員が慌てて戻ってくる。
「申し訳ありません。只今、部屋を確認してきたところ、一人部屋は埋まっており、ご用意できるのが二人部屋のみになります。相部屋でよろしければ準備できますが、それぞれお一人の部屋がよろしいということになりますと、大変申し訳ございません」
眼帯の男は目を丸くする。ちょっと仰け反り、セシルをちらっと見た。
セシルは、目元を歪め、舌打ちした。