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43:紅

 二投目が風を切る音に、デュレクが首をそらす、短い白刃が眼前を抜けて行った。投じた者を把握する余裕はない。デュレクは子どもを抱きかかえ、背を低くして、走る。三投目が風を切る音が、流水音に紛れて耳に届く。

 歩いてきた道を引き返すさなか、急ぎ過ぎて足をとられる。間髪、地面に軽く手をつき、立て直す。抱える子どもがずり落ちる。片足で踏ん張りながら、もう一度、子どもを抱えなおした。

 走ることは止めない。三投目はどこぞの壁にささった。四投目、五投目と続くなかで、追い立てられるようにデュレクは外へ飛び出した。

 

 霧は晴れており、視界がきく。


 崖沿いを進めば、背後はがら空きだ。ナイフを投じられれば、さも当ててくださいと言っている姿でも、構わず必死で走った。


 伝って登ろうと画策していた、目標とする垂れた枝葉が見えている。心音が耳に痛い。ナイフが飛んでくることなく、目指す枝の影に隠れる。

 早い呼吸に、肩を上下に動かす。背後にちらりと視線を送るも、そこに人影は見えなかった。

 子どもは静かだ。胸が軽く上下し、寝息のような呼吸を繰り返している。


(今、起きられても、事情説明が面倒だよな。ここまできたら、母親と対面するまで寝ててくれよ)


 崖に自生し斜めに生える幹から伸びる枝を掴む。

 背後に警戒しつつも、目指すは太子御所。目的通り、殿下の元に子どもを連れて行く。掴んだ枝を引いてみる。ガサゴソと葉音が鳴り、枝が張る。枝と幹を伝い、斜面の上をデュレクは目指す。上る間、抱えている子どもはぴくりともしなかった。







「殿下……。私は、踊らされていたのでしょうか」


 セシルは、静かに問うた。

 

 霧が発生し、殿下の命が危険に晒された時点で、疑われるのは公爵だ。その公爵が失脚すれば、貴族の子どもが抱える問題は、再び先送りされる。嫡出子と非嫡出子の問題はセシルも身をもって体験していた。先送りはできないと、この一年、霧を晴らすことに務めてきた。


(殿下と宰相の立場を守るために、時間を稼いでいるのだと信じていた。女官の子息が犯人と分かっていた殿下。実はもっといろいろなことが見えていたのではないか)


 言い知れない不信が募る。

 告げられないことが数多あることは納得する。セシルにも、言えることもあれば、言えないこともある。仕事上、秘匿する事柄があることも理解できるつもりだった。

 まさか、犯人が分かっていようとは想像していなかっただけで。


 殿下は庭先を見つめている。

 遠くを見つめる殿下の視界が映す世界の欠片も見えていなかったと悟るセシルは、虚しく、胸苦しく、切なくなる。


「セシル。かつて魔眼は、貴族の子であれば生まれながら備わっていた。

 ところが、ある時期からぱたりと、瞳の色は備えても、魔眼を持たない子どもが生まれるようになった。

 魔眼こそが貴族の証。

 各家は、瞳が色づいていても魔眼を持たない子を恥じた。暗黙の了解のもとで、子どもは間引かれるようになる。


 さらに時が経つと、生まれつき魔眼を持つ子はほとんど生まれなくなった。さらに近親婚による弊害も生じ、子どもの出生数も成長する子も減っていった。

 貴族は平民を妾として囲うようになり、嫡出子と非嫡出子が混在する時代が始まった。

 

 魔眼を欠いた貴族は、色に縋るようになる。残された貴族の証を頑なに守り始めたのだ。


 瞳の色と魔眼が当たり前であった時代に、血統主義が形作られたのではない。魔眼を持つ誇りが凝り固まった血統主義は、時の中で、魔眼の力が失われ、平民との混血により色を持たない子どもが生まれるようになったこの頃に具現した。 

 かつての貴族の誇りを失っていく者たちが、くだらない思想に没して行ったのだ。

 形骸化した思想は、たくさんの子どもを殺めるに至り、血統主義はその行為を肯定した。


 嫡出子と非嫡出子の本質的な問題とは、色を持たない子を消していく貴族の歴史を隠匿してきたことにある」


 横に佇む女官を見た。彼女の目元は赤くなっている。黙して語らず、殿下を信じ、息子が戻ることを待っているようであった。


 憤るでもなく、淡々と語る殿下に、セシルも口元を引き結んだ。不信を募らせるのではなく、きちんと尋ねようと向き直る。


「殿下は犯人が女官の息子であるとお分かりであった。

 ならば、女官を助け、殿下の傍に推挙した人物も特定されているのではありませんか。その者が、黒幕とは断定できないにしろ、目星はつけられているのではありませんか」


 殿下はセシルの問いには答えない。

 窓の向こうに目を向けたまま、呟く。


「外に出よう。窓を開けてくれ」


 女官は殿下の言葉を受けて、窓を開け、横に傅く。窓伝いに進んだ殿下は庭へ出るため、窓をくぐろうとする。セシルはたまらず叫んでいた。


「殿下! 一体、どういうことなのですか!?」


 セシルの悲鳴を背に受けた殿下は、ピタリと歩みを止める。

 声を荒げたセシルの方が、不敬な態度であると自覚し、青ざめた。

 

 見下すように振り向いた殿下は、微笑を浮かべ、手招きする。


「おいで、セシル。そろそろ、彼らも戻る頃だろう」


 再び前を向き、窓をくぐった殿下。先に出るようにと女官が、セシルに手で促す。

 

 殿下に誘われ、女官に促されたセシルも窓をくぐる。霧が発生した場合、殿下の傍にいなくては意味がないとも自覚していた。

 

 殿下とセシル、それに女官が庭に出る。

 傍にきたセシルに殿下は再び笑いかけた。


「これはね、セシル。つまるところ、色々な問題を孕んだ兄弟げんかなのだよ」





 デュレクは、子どもを抱きなおし、御所に向かい歩き始めた。元来た道から少しずれるものの、先に進めば、せせらぎがある。水場を越えると林があり、御所の庭に通じている。


 上着で包んだ子どもを抱えなおしたデュレクは周囲を警戒しながら歩き始めた。


 林に足を踏み入れた矢先、頭上から、ひらりと葉が落ちた。


 見上げるや、長剣の白刃が飛び込んでくる。デュレクは重心を落し、林のなかへ踏み出した。長剣を落す人影が、デュレクの元居た立ち位置に落ちてくる。


 飛んだデュレクは身を返しながら、子どもを肩に抱えこんだ。子どもを肩に担げば、片手が空く。その手を柄へ添え、振り向きざまに剣を抜いた。


 頭上から剣を叩きつけ着地した者が素早く、横へ跳ね飛んでくる。迫る気配にデュレクは引き抜いた剣を縦に薙いだ。


 立てた剣に、水平に剣が叩きつけられる。二本の白刃が十字を切る。


 両足で踏ん張ったデュレクの双眸が剥く。火花が散る錯視の向こうに、兄がいた。


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