4:家を出る、宿を探す
大股で闊歩するセシルは、自室へと向かう。ついてくる使用人はいない。居室を立ち去る時に、唖然と見送ったきりである。
使用人が仕えているのは家であって、個人ではない。家というしきたりを優先した果てで起きた今日の茶番もなにもなかったかのように済まされることだろう。
自室は、広い二間を繋げた部屋。生まれた頃から使っていた。その部屋も今日で最後。二度と戻る気はない。
家を出る準備はすでに済ませていた。
小ぶりな旅行鞄二つ分の荷物は職場に運び、保管済み。わずかな着替えと財嚢を入れた旅人がよく使う荷袋を部屋の隅にこっそりと用意していた。
騎士姿のまま、夜出歩けば目立つ。かといって女の姿も危険が伴う。いらぬ者に声掛けされたくはない。
市民街のボロ布屋で事前購入した一枚布のコートを羽織る。フードもついている。袖を通し、長めに垂れた裾で隠せば、足元以外すっぽりと覆い隠せた。
大鏡の前で姿を確認する。
隠しきれない菫色の瞳はフードを目深にかぶればいい。アッシュブラウンの髪はすっぽりと隠れる。目立つ騎士の衣装はボロのコートで覆われている。その姿は、男とも女とも知れない。
腰に佩く剣を確かめ、荷袋を肩にかける。目深にフードを被りなおした。二度と戻らない決心の元、自室を後にする。
街灯が闇を照らす。落ちる影には、無数の蛾が飛んでいる。星の瞬きは、雲に隠されている。
繁華街に向かって、セシルは歩く。求めるのは安宿だ。
(差し当たって、家を借りるまでの数日は安宿だな)
近衛騎士の副団長となり、それ相応の給金はもらっている。ほとんどは王宮に備えられた両替所に預けっきり。この時のために蓄えていた。
いつと決めていなかっただけであって、元々、セシルはどこかの段階で家をでることを常に考えていたのだ。
(今回の事件で、いい踏ん切りがついた)
ずんずんと進む。前だけを見て直進する姿は、周囲から少し浮き、すれ違う者の目を引いた。地方の荒くれ者を思わせるコートでも、細身で小奇麗な容姿は隠しきれていないなど、セシルは気づいていなかった。
男と女、同性同士、独り者など。着飾った大人や旅人などがごった返す繁華街のメイン通りを突き進む。
表の大通りよりずっと狭い道に並ぶ左右の店店は、煌々とランタンを灯す。宝石箱をひっくり返したような、艶めいた色を灯す。細道の暗がりは更に闇深い。
角にある店に入る。飲食を提供する店でいて、上階は宿を成している。初週の宿はすでに数軒見繕っていた。そのうちの一つに入店した。
がらりと店を開けると、飲み歩く客層と宿泊客の客層が大半を占める。繁盛している店内は、独りのセシルに気にも留めない。堂々と歩み、カウンターの一席に向かう。
注文をとり、料理を運ぶ女たちが小気味よく、テーブル席の間をくるくると小走りに動きまわっていた。
酒類を用意するカウンターに肘をかけた。座る気はなかった。
店の男がカウンター越しに立つ。
「宿を借りたい。軽食でいいので、部屋で食べれるだろうか」
「お一人ですか」
「一人だ」
「空き部屋を確認します。少々お時間いただきますので、軽食はこちらでお願いできますか」
「かまわない」
セシルは店員に促されるまま、目の前の席に座る。カウンターはセシルのような一人者が席を開けて座っている。
飲食と宿代の概算金額を確認し、提示した金額で料理を依頼した時だった。
「俺も同じ品頼めるかな。宿も込みでさ」
弾むように明るい男の声が降ってきた。肘をついていたセシルが振り向く。丁度、空いていた隣席に男が腰を掛けた。
店員が「かしこまりました」と応じ、一礼して立ち去る。
「ごめんね。俺も宿探しててさ、交渉する手間省くため、便乗しちゃった」
何の変哲もない褐色の髪と瞳の男が笑う。短髪に端整な顔立ち。特徴的なのは、左目の眼帯。