2:黒幕を暴く
セシルは元婚約者の首根っこを掴み、廊下を引きずるように進んでいく。ひと睨みすれば娘も大人しくついてくる。今さら逃げ出そうとしても逃げきれないと分かっていると見えた。
元婚約者は変わらず怯えている。ひいひいと弱々しく物のように引きずられ、今にも転びそうだ。ひ弱なことこの上ない。
金で爵位を買った男爵家の息子は身ぎれいに教育され、文官の地位を得る。それなりに秀才だが、特徴はない。臆病な男が、自ら浮気など出来るはずがなかった。
(この状況を作り出した張本人は別にいる)
ある居室の扉に到着したセシルはその扉を蹴り開けた。
「父よ!」
その部屋には、子爵家の当主たる父がくつろいでいた。大きな音に、座っていた椅子から転がり落ちんばかりに仰天した父が振り向いた。
セシルは部屋へと元婚約者を投げ捨てる。
床に叩きつけられ、力なく座り込む男。セシルの横を、背後からついてきた娘が、走り抜ける。男の横に座り、背を撫でる娘。その娘に弱々しく笑いかける男。
(決定的……)
セシルは直視する。
(これが、現実だ)
セシルの父は突然のことに、呆気にとられている。なぜセシルがいるという表情を顔面に貼り付けたまま口を上下に震わせる。滑稽この上ない。
「先ほど、婚約者殿の浮気現場を確認しました」
「まっ、まさか!」
「相手はそこの娘です」
「そっ、そうか……、それは由々しきことだ。だがな、セシル、男という者は……」
セシルはガンと床を踏み鳴らした。その音と床から伝わる振動に三人は戦慄する。
「知らぬを通しますか。それもいい。
だが、父よ。この浮気を仕組んだ黒幕は、子爵家当主たるあなた自身でしょう!」
腰に佩いた剣の柄に手をかける。かちっと剣を抜く音を響かせた。
「ひぃ!!」
喉を鳴らし、一人掛けの椅子で身をかばうように、当主は隠れる。
元配偶者と同じく、子爵家当主も臆病な男である。長年、同じ屋根の下で暮らしていれば、嫌でも分かる。セシルは実父を見下す。
そもそも、実父は入り婿。領地の縁戚から、選ばれた婿養子。元は立場も弱かった。
武の心得がない母でも、子爵家直系の長女たる威厳は持っていた。その堂々たる振る舞いに気圧される配偶者は、立場の弱さを露見させ、誰から見ても置物や人形のようであった。母にとって、父は種馬。セシルは凍り付いた夫婦関係を下から眺める幼少期を過ごしていた。
(この男は、私が何も知らないと思っているのか。能天気なものだ)
子爵家の転機は母の死だった。
突然亡くなったセシルの母は、もちろん家督をセシルに継がせるつもりであった。しかし突然すぎる死のため、とても領地を治められる年齢にセシルが達していない。そのため、暫定的に父が当主に就いたのだ。
セシルは、分かっていた。この茶番の本当の意味を。
これは婿養子であった実父の復讐。
母に種馬、置物として扱われた男の復讐だ。
浮気をされたセシルを被害者に見立てれば、悪いのは元婚約者だろう。
しかし、この現状を導いたのは、高慢な母の態度。死んだ母がセシルに残した遺物の一つに過ぎない。
(私が碌な親に育てられていないことぐらい、とうの昔に気づいているさ)
恐れを抱く三人を見下し、セシルは娘の背後に立った。
娘が怯えと恐怖を隠さない目の色をセシルに向ける。
この場には同じ瞳を持つ者が三人いる。
子爵家当主、子爵家長女たるセシル。そして、セシルの目の前で怯える娘。
三人とも、菫色の瞳を持つ。これは、子爵家の血統であることを示す色だ。
父もまた、領地から招き入れた子爵家の血を薄く引く分家。
分家をないがしろにした母の結末に、セシルは今、立っている。娘の前に、しゃがみ込んだ。
娘の顎を掴む。ぐいっと力一杯、押し上げる。頬が歪み、娘が苦しそうに目元をゆがめた。
「娘。いや、この屋敷に隠された私の妹よ」