1:啖呵を切る
暗くシリアスな小説です。
「問答無用! 婚約は破棄させていただく!!」
啖呵を切ったセシルの目の前には、たった今、引導を渡すと宣告した元婚約者が青白い顔をして立っている。
背後には、慌ててはだけた衣類をなおす、年若い使用人の娘が肩をすぼめて震えている。
セシルは腰に佩いた剣を抜く。鞘からきらりと白刃が光った瞬間、男と娘の目が怯えた。脅すだけだ。すべては抜かない。
「まっ、待て! これは、これはなあ……」
セシルはくいっと顎をあげ、身長差を気にもせず、目を細め、冷ややかに見下した。
「待て? 待ってなにがどうなるとお思いか! 元、婚約者殿」
菫色の眼光を尖らせれば、男は、今にも悲鳴をあげるかという歪な表情にさっと変わる。
下級文官である彼より、近衛騎士副団長であるセシルは腕が立つ。鍛えてもいないひ弱な男など、一刀両断。取るに足らない。
「ここは我が屋敷です。言い訳は、我が家の当主たる父へ直接お話いただきたい」
にやりとセシルはすごんで見せる。
婚約者の不貞は、数か月前から掴んでいた。
ある時期から急に、セシルが帰宅するよりも早い時間に元婚約者が訪ねてくる回数が増えた。使用人は『お嬢様にお会いしたくてお急ぎでいらしたんですよ』などとおべっかを使う。
セシルはそんな言葉を鼻から信用していない。そもそも、この婚約は家同士の利益により結ばれている。財で買った一代限りの男爵家と冴えない子爵家の合意。子々孫々貴族という地位にしがみつきたい男爵家の思惑で、一人娘の子爵家に、息子を婿へと出したのだ。
我が家は領地も小さく、生産物も限られている。中央と地方を行き来するだけで火の車。地位と財、双方の利害の一致により結ばれた縁であることは間違いなかった。
(家同士の交流時と、公の場で会う以外、二人で会うこともなかった。いまさら、どういう風の吹き回しだ)
別の目的を勘繰ったセシルは、黙って様子を見た。
訝ること、数日。年若い使用人の動きが余所余所しいことに気づく。華やいだ笑みを浮かべ、仕事中に手を止めることも見受けられた。なにより、シエルと目を合わせるたびに、過剰にビクビクする。後ろめたいことがあると容易に想像ができる。
女騎士という職業柄、厳めしい表情を崩さないセシルだが、使用人たちには礼を忘れた覚えはない。くだんの娘にも、冷たく当たることはなかった。
(これはいよいよもって、なにかある)
疑いだせば、確かめずにはいられない。
家同士での結婚であっても、将来は夫となる者の素行はやはり気になる。愛される、愛されないなどという、子どもじみた意味ではない。
この家を継いだ場合における女主人として、あるべき権威を守るためである。
年配の洗濯婦に硬貨を握らせ、様子を聞いた。するとまあ、にやにやしながら簡単に口を割った。
状況は想像通り、なんの捻りもない。
婚約者である子爵家の屋敷で、使用人の娘と浮気をしていた。それだけだ。
ならば、状況証拠をつかむまで。
硬貨を握らせた何人かの使用人に娘の動向と婚約者の動きを報告させた。
使用人のなかには、父の息がかかった者もいる。人選はなかなか骨を折った。セシルが探りを入れていることを、誰にも知られたくなかった。
そうして、いくつかの状況を把握し、彼らの行動パターンを見切った時に、セシルは素早く動いた。
決行は本日。仕事を早めに切り上げ、突き留めていた目ぼしい部屋へと乗り込んだ。後ろから、使用人の何人かが慌てふためきついてくるが気になどしない。
扉を開ければ、一室目から当たった。
長椅子で、絡み合う二人。立ち上がり、あわあわと言い訳を並べようとする元婚約者と、年若い使用人の娘の逢引き現場を掴む。
言い訳無用。
セシルは、この状況を無いことにさせる気はなかった。
(元婚約者殿よ。その不貞、逆手にとって利用してやる)
セシルの肚は座っていた。
ちらりと見せた長剣の白刃。大仰な音を立てて鞘に納めた。
その音だけ、目の前の男と女は戦慄する。
新しい連載です。どうぞよろしくお願いします。