踊りたいおじさん
私は、ヨーロッパのある国の田舎街で暮らしている40代の"おじさん"に分類される男だ。数年前までは妻がいた。しかし、その元妻は私よりも他の男のほうが良いという結論に至った。そして、なかば強引にも離婚を決められてしまい彼女は私の元を去った。
当時はとても悲しく、こまめに整えていたヒゲが散々に乱れるほど気持ちが沈んでいた。しかし、彼女が去ってしまった現実は変わらず、近所の友人の手助けもあり、みずからの気持ちを変えるしかないと気づいた。そして「なにか新しい趣味や楽しみなことを見つける必要がある。」そう思った私は、前から気になっていた「踊り」というものに手を伸ばしてみることにした。
40代にもなると、若い時のようにスムーズに体を動かせないかもしれない。でも、高齢になったとしても、その年齢に応じた踊りがあって楽しんでいる人が多くいる、という情報は新聞や噂から手に入れていた。
私は「踊り」をはじめるとしても、目標つまりゴールを決めなくては何もはじまらないと思った。そこで、踊っている姿を見られる場所に出向くことにした。新聞や街の掲示物で情報を探してみると、どうやら夜のお酒の飲める場所で女性が踊っている姿を見られるようだ。一度これを見てみようかと思った。しかし、私が彼女たちの踊りを見たところで、40代の男が真似できる要素があるのかとも思った。それでも、「踊り」の一種であることは間違いないと思いを改め、ひとつの酒場の場所と営業時間をメモし、夜の時間を待つことにした。
さて、時間は過ぎ20時頃となった。街の明かりが歩道を優しく照らしている。太陽のある時間帯とは異なり街の雰囲気が変わる。真面目に家族のために仕事をしてきたこの男は夜の街をあまり見たことがない。私からすると、その街の景色は自分の知っている街とは違ってみえた。目の前には夕方ごろにメモした、踊る女性のいる酒場がある。すこし緊張するが思いを決めて少し重いその扉を開けた。
そこには私の知らない世界が広がっていた。やや薄暗い照明の部屋の中心で、レオタード姿の女性がヒールの高い靴を履いて踊っていた。女性としての麗しさを大胆に、時には慎ましやかに体を使って表現している。彼女の動きに目を奪われていたので、控えめに流れる音楽にはじめは気づかなかった。それは、主役である彼女の踊りを遮ることは決してない。むしろ、その表現に厚みを加えているかのようだ。
正直なところ、酒場での踊りと聞くと、女性の「性」を誇張したものだと思っていた。しかし、実際の姿を見るとその思い込みは大きな間違いだったことを理解した。確かに、女性特有の表現方法はある。だが、彼女の踊りは、その雰囲気にあった落ち着きとちょっとした高揚感を与えるものなのだ。
私は、彼女の踊りが一区切りつくまで立ったまま踊りを見ていた。私には彼女と同じ踊りはできない。それでも、彼女にはできない私にはできる踊りはあるのではないか、と思った。それが何であるかは分からない。私は、ビールを一杯飲み干してからその店を後にした。
気がつけば周りの家の明かりはだいぶ消えている。ふと懐から時計を取り出すと、時刻は22時を回っていた。上を見上げる。少し雲が歩いているが、ちらちらと優しく星が夜を照らしている。私の心には小さな夢と目標ができていた。