◆旅立ち
強い風が顔面に吹き付けている。
ナツは腕で風を防ぎながら身を伏せる。
黒く整った鱗に覆われた床は仄かに暖かい。
「そんな必死に掴まってなくても落としたりしないわよ」
そんなナツをからかうような声が聞こえてくる。
鈴を鳴らすような高い少女の声はナツにとってはよく聞きなれたような、しかし誰かは分からない。
「でも怖いんだよ、***ちゃん!」
「大丈夫よ。
ほら、顔を上げて?」
呼んだ名前はなんだったか。
クスクスと笑う声につられて顔を上げる。
巨大なドラゴンの背の上に居たらしい。
ぐっと頭を下げたドラゴンが翼を羽ばたかせて上昇していく中、星空は滲むように差した黄金の輝きに消えていく。
「……きれい」
どんどん広がる黄金の輝きに包まれる奇跡のような光景に自分がどこにいるのか一瞬忘れたナツが惚けたように呟く。
その声に満足そうに喉を鳴らしたドラゴンが口を開く。
そして先程までの少女の声で祈るように言葉が紡がれる。
――忘れないで、この世界の美しさを。
「いて……っ、ゆ、夢か」
ベッドからどさりとおちた痛みでいてて、と目を覚ました青い髪があちらこちらと跳ねているショートヘアの少女。
青く澄んだ瞳を擦りながら起き上がる。
何やらとても良い夢を見ていた気がするんだけどな、とぼやきながら部屋を出る。
顔を洗って朝食を食べ終わる頃にはすっかり目が覚め夢のことなどすっかり忘れ去ってしまっていた。
「さて、あとちょっとやっちゃいますか」
ナツが黒い箱を指先で操作するとピコン、という独特の起動音の後、壁の一部が光り輝き色鮮やかな映像が流れていく。
画面の前に座り込んだナツがコントローラーを手に真剣な表情でゲーム画面を見据える。
ピコピコと小気味いい機械音が規則正しく鳴り響く部屋にがちゃがちゃとコントローラーの操作音が響く。
「…次のラスボス手強いんだよなー」
真っ白なリボンを揺らしながら少女は、んーっと伸びをする。
この少女こそ救国の少女の曾孫にあたるこのお話の主人公、ナツ。
ペットとテレビゲームを愛してやまない王都の辺境で暮らす貴族の少女。
「…さて、覚悟しろ魔王っ!」
ナツは気合いの声をあげると再びコントローラーを握り操作を始める。
ピコピコ音は派手な爆発音にとって代わられ、剣戟の音が勇ましく響く。
ガチャガチャと忙しなくコントローラーを操作する音が速度を上げていく。
ナツは部屋に響くノックの音も聞こえない程に集中し全力で画面の中の魔王を倒しにかかる。
「つよ……いやでも、あとちょっと……何!?」
背後で響いた爆音に振り返った瞬間、樫の木で作られた頑丈で、盗賊避けの魔法のかかっているはずの部屋の扉は木っ端微塵に砕け散り、白い服に身を包んだ白髪の全体的に白い同じ年頃の少女は王宮魔術師の紋章の入ったマントを翻してつかつかと部屋に入り笑顔で手にしていた背丈ほどもある杖をゲーム機本体に当てる。
「今すぐ旅に出るのと部屋の扉のようにこのゲーム機を木っ端微塵に壊されるのとどちらが良いですか?」
そのゲーム画面に浮かび上がる"Game over"の文字。
「や、やめて、出るから、旅に出るから!
だから、ゲームは……、ゲームだけは勘弁して…っ!
あとちょっとでエンディングだから、エンディングまで長かったから、破壊だけは本当に勘弁してください」
そんなの酷い、と言いつつナツは迷うことなく白い魔術師に白旗を上げる。
そして名残惜しそうな顔をしながら壁際で待機している宮廷魔術師をチラ見してからゲームの電源を切って終了させる。
「では、改めまして。
私は貴女の魔王討伐の勅令による旅のお供を命じられました。
王宮魔術師、ライムと申します。
以後よろしくお願いします、勇者ナツ」
「待って何の話?
私何も聞いてないよ!?」
「先月話はあったと思いますよ、忘れてても決定事項ですので早く準備してください」
こうして、ナツの旅は始まったのでした。
「…ライム、見て美味しそうなキノコあった!」
「それは毒キノコです、勇者ナツ。」
勇者ナツと魔術師ライムの魔王討伐、その前途は多難である。