黄龍斎の一番弟子
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帝都ホテルを含む近隣の公共施設では避難してきた住人の受け入れを朝から行っていた。
突然の地震と地下から出現し都市を瞬く間に覆った植物を前に、人々は訳も分からず恐怖に打ちのめされている状況であった。
帝都ホテルに滞在していた近藤たちはこの異常現象を『百鬼夜行』による仕業と考え、同施設を拠点とし敵を迎え撃つ体制を早い段階で整えていた。
――そして燈火たちが帝都ホテルを目指して三手に別れた頃、目的地である帝都ホテルでは朝から断続的に続く妖の攻勢をたった一人の男が食い止めていた。
「ったく、歯ごたえが無さすぎて欠伸が出るな。――よっと!」
長さが四メートル以上ある巨大な刀――金剛破邪の御太刀。
この規格外の式武を軽々と振り回す男こそ、黄龍斎の一番弟子である土御門元であった。
分厚く長い刃の範囲内にいる妖は問答無用で斬り潰され一瞬で灰になっていく。今度は横一列になった妖たちが一斉攻撃を仕掛けてきた。
「やれやれ、そんな単純なフォーメーションがあるかよ。六波羅土刀流、壱ノ型――草薙ぎ!」
魂式を刀身に纏わせ横一文字に振うと、発生した斬撃波が妖たちを粉々に粉砕した。元は巨大な刀を肩に担ぐと右足を地面に思い切り踏み付ける。
彼の足元が踏み砕かれ、地表に出て来た巨大な岩が魂式によって圧縮されていく。
掌サイズにまで小さくなった岩は黒色の球体へと変化し、元はそれを手に取ると野球のボールのように真上に放り投げる。
「そんじゃいっちょいってみますか。肆ノ型――岩筒!」
岩を圧縮した球体を刀で打つとその射線上にいた妖たちを次々に貫通して飛んでいく。ついには最奥にいた巨大な人型の上半身を拭き飛ばし絶命させた。
ここまで全ての妖を一撃のもとに粉砕してきた元を前にして敵は怯み撤退を開始した。
「どうした、もう終わりか? 根性ねぇなー」
逃げる敵の群れを深追いすることなく彼はホテルのエントランスへ戻っていく。そこには師匠の稲妻沙耶がおり戦いを見守っていた。
「お疲れ様。お腹空いたでしょ、はいどうぞ」
そう言って沙耶が差し出したのはおにぎりだった。元は戦闘中に敵にも見せなかった険しい表情をお皿に載ったライスボールに向ける。
「あの……失礼ですが師匠、このおにぎりは……師匠が握ったんですか?」
「え? このおにぎりはホテルのコックさんたちが作ってくれたんだけど――」
「いただきます」
おにぎりに沙耶が関わっていないと知るや元は美味しそうに食べ始める。中には鮭が入っているものや高菜が入っているものなど種類が色々とあり、空腹の身体が喜んでいた。
最初は訝しんでいた弟子が急にがっつくように食べ始めたのを不思議に思いながら師匠はポツリと言葉をこぼす。
「私も手伝おうかと思ったんだけど、アレンジを加えようと思ってチョコやジャムを入れようとしたら厨房から追い出されちゃったのよ。ここは大丈夫ですからって言われて。なんでかしら」
その話を聞きながら元は冷や汗をかいていた。
(そんな創作料理を食わせようと思っていたのかこの人は。やはり師匠……それに美琴は厨房に立たせない方がいいな。見たことの無い暗黒物質が食卓に出される恐怖はもうこりごりだ……)
おにぎりをぺろっと平らげた元が再びホテルの外に出ようとすると沙耶が引き止めて休むようにたしなめる。
「長時間戦い続けていたのだからちゃんと休憩を取らないと駄目よ。その間、見張りは私がしているから大丈夫」
「ですが、師匠を戦わせるわけには――」
「だからと言ってあなた一人だけを戦わせるわけにはいかないでしょう。それに私が戦うことになったとしても本気でなければ負担も少ないし大丈夫よ。だからあなたはしっかり休んできなさい。――師匠命令よ!」
腰に手を当てて自分よりもずっと身長の高い大男を優しく叱る袴姿の女性の図。――帝都ホテルに避難していた人々は遠巻きにこの不思議な光景を見守っていた。
一般人からすればこの日の朝から身の回りで起こっていることは全て非現実的なことばかりだ。
突然地震が起きたかと思えば地中から大量の植物が現れ一瞬で建物を飲み込んでしまった。
それにより電波妨害が起きているらしく通信機器が使い物にならず、現在何が起きているのか、そんな情報すら手に入らない。
普段簡単に外の情報を得られる彼等からすれば、情報が簡単に手に入らないという事実一つだけで恐怖するのには十分だった。
彼らが恐怖するのはそれだけではない。街が植物に飲まれたと同時に出現した大量の異形の怪物。
それ等は問答無用で襲って来て沢山の人々が訳も分からずに命を奪われていった。
そんな地獄の中、怪物と戦う人物がいた。それが帝都ホテルを拠点として周囲に現れた妖を討滅していた元であった。
人間でありながら巨大な刀を振るって怪物を倒していく彼は、一般人にとって救いの人物であると同時に畏怖を感じさせる存在だった。
自分たちには到底持ちえない圧倒的な力は恐れを感じさせる。
その事実を熟知している沙耶と元は早々にエントランスから離れ、沙耶の提案通りに行動を開始した。
「この異変が起きてから数時間が経過した。そろそろ美琴たちが『東京』に入った頃ね。あの子たちなら大丈夫だとは思うけど、これだけ大規模な仕掛けをしてきたと考えると『百鬼夜行』側もかなり強力な戦力を投入してくる可能性が高い。――それに人口密度の多いこの土地で異変が起こったことで大気が歪むほど負の思念が集中している。最悪の事態を想定しておく必要がありそうね」
沙耶はそう言いながら空を見上げる。そこでは暗雲が渦のように集まり中心に黒い球体が形成されつつあった。




