紅義山の朝
三名の妖が登場した不思議な夢を見た後、俺は意識を失った。そしてまどろみが晴れるように意識が少しずつ鮮明になっていくのを感じた。
「燈火、目を覚まして!」
「起きろよ、燈火!」
「式守君!」
声が聞こえる。俺が知っている人たちの声だ。そうだ、これは藻香、朝斗、松雪の声だ。
俺は確か般若面の男を倒して、その後に出現した大蛇の妖を藻香と楪さんと協力して倒したんだ。
だんだんと意識が戻って来た。すぐ近くに誰かの気配がする。身体が温かい。俺は瞼をゆっくりと開ける。
すぐ目の前に楪さんの顔があった。すぐに状況が呑み込めず思考がストップする。
俺の唇に何か温かくて柔らかいものが当たっていた。
視線を下の方に向けると、俺の唇と楪さんの唇が重なっていた。彼女の息が俺の体内に送り込まれる。
止まっていた思考のスイッチがオンになると同時に俺は思わず息を吐いた。それが重なる唇を通して楪さんに送り込まれていく。
「んう!?」
「げほっ、げほっ、げほっ!」
驚いた楪さんが唇を離し、俺はせき込む。肺に新鮮な空気が入り始め、身体中に少しずつ酸素が回っていき頭の中がクリアになっていくのを感じた。
地面に座ったまま周囲を見回すと、さっき声が聞こえた朝斗と松雪が足元に立っていた。
左側には藻香と九尾がいて放心した様子で地面にぺたんと座り込んでいる。右側にいる楪さんは俺の顔を覗き込み、号泣しながら首元に抱きついてきた。
「燈火君……燈火君……良かったぁ……」
この場にいる全員が泣いていたようだ。大蛇を倒した直後から意識が飛んでいる俺は今一状況が分からなかった。
しばらく呆けていると、藻香が涙を流して怒りながら話してくれた。
「燈火は大蛇を倒した直後、そのまま湖に沈んで行ったのよ。私がすぐに引き上げてここまで連れてきたんだけど、その時には呼吸が止まっていて楪さんが人工呼吸を始めたの。私は――効果があるか分からなかったけど、癒火で治療して……でも、燈火……目を覚まさなくて……怖かったよぉ……」
最後の方は泣きながらで言葉が途切れ途切れになっていたが、皆が一生懸命に俺の蘇生を行ってくれたのが良く分かった。
「皆……ありがとう」
気が付くと空が明るくなり始めていた。漆黒の闇であった森の中に陽の光が差し込み、奥深くも優しい木々が姿を現す。
般若面や大蛇の妖と死闘を繰り広げた湖は、湖面に朝日が反射し眩しい光を放っている。ずっと続くかのように思われていた不安と絶望の夜が終わり、希望の朝がやって来た。
この一晩の出来事は全ての『陰陽退魔塾』に直ちに報告され、妖や『百鬼夜行』の活動が活発化していると結論付けられた。
それに伴い、京都本部である『六波羅陰陽退魔塾』ではすぐに特別部隊が編成され、『百鬼夜行』との戦いの準備に乗り出した。
その特別部隊のメンバーと言うのがつまりは俺の師匠や兄弟弟子たちのことであり、俺もそれに加わり更に激しい戦いに身を投じることになる。
そして、この戦いには藻香や楪さんも加わることになるのだが、この時の俺たちは自分たちが千年前から続く因果の糸で結ばれた者同士だということをまだ知らなかったのである。