六波羅の退魔師
荒魂――それは怒り、悲しみ、憎しみ、悪意と言った負の感情の集合体であり、災いや、妖を始めとする人の世に害をなす怪異を生み出していった。
妖力という超常の力を持つ怪異に対して、人々は異能の力である〝魂式〟を駆使し対抗した。
特に強い魂式の力をその身に宿し怪異と戦う者たちを、人々は〝陰陽師〟そして〝退魔師〟と呼んだ。
平安時代に酒呑童子と呼ばれる鬼を首魁とした鬼の集団『百鬼夜行』が作られ京の都は混乱に陥る。
そんな『百鬼夜行』を始めとする怪異から人々を守るべく、退魔師と陰陽師による『陰陽退魔塾』が組織され、歴史の裏で壮絶な戦いを繰り広げていった。
それから千年近くが経った今でも、俺たち退魔師と『百鬼夜行』の戦いは続いている。
連中の首魁である酒呑童子は健在であり、その行方を知る者はいない。
――これが退魔師と陰陽師の成り立ちだ。時は流れ年号が令和になった現代でも俺たちは魂式の力を使って荒魂の生み出した怪異と戦い続けている。
この戦いに終わりが来ることはあるのだろうか。それとも永遠に続くのだろうか。それを知る者はいないだろう。
「はぁ~あ」
「こんな昼間からサボりか、燈火?」
俺が屋敷の縁側で横になりながら溜息を吐いていると、そこに兄弟弟子の春水が姿を現した。
――この男の名は氷室春水。
やや長めの白髪に顔は中性的で非常に整っており、ここ『六波羅陰陽退魔塾』に所属する退魔師の中でファンクラブが結成されているらしい。
俺と同い年の十六歳であり、師匠である黄龍斎に同時に弟子入りした。
そのためか、俺と春水はお互いをライバル視していて、弟子入りした八歳の頃からずっと競い合ってきた。
眉目秀麗で性格はクールという絵に描いたイケメン男だが、今まで浮いた話の一つも聞いたことが無い。
その理由を俺は知っているのだが、本人は気付かれてはいないと思っているので知らないふりをしている。
だって、ガキの頃から師匠である黄龍斎に惚れているなんて、内容が内容なだけにいじり難いだろう。
この事実に気が付いているのは、俺と兄弟子であるげんさんと姉弟子である美琴姉さん、そして『六波羅』の局長である総一郎のじっちゃんぐらいだ。
当事者である師匠は春水の思いに気がついてはいないので、このイケメン男がいつアクションを起こすのか俺たちはニヤニヤしながら見守っている状況なのだ。
「何をニヤついているんだ、お前は! そんな事より師匠がお前に話があるらしい。一緒に来い」
「師匠が俺に? ああ、分かった。すぐに行こう」
危ない危ない、顔に出ていたらしい。気を付けねば。
しかし、話っていったい何だろうか? 人使いの荒い組織だから、また大変な任務でも任されるんだろうなぁ。
俺たちが今いるのは、京都の六波羅に置かれている『六波羅陰陽退魔塾』内にある黄龍斎屋敷だ。
『陰陽退魔塾』は日本全国に複数置かれており、『六波羅』はその総本山にあたる。
平安時代に『百鬼夜行』や強力な妖と戦うために歴史上最強の陰陽師、安倍晴明によって組織された。
ここには他よりも数多くの退魔師や陰陽師が所属しており、日々鍛錬や任務に勤しんでいる。
その中でも現退魔師で最強と謳われているのが、俺たちの師匠である黄龍斎だ。
師匠は百年に一人と言われるほどの天才退魔師であり、十代半ばには頭角を現し四人の子供を弟子に迎え入れた。
その四人のうちの一人が俺、式守燈火だ。
やや赤みがかった黒い短髪に赤い瞳、ちょっとばかり目つきが悪いためか普通にしていても攻撃的な雰囲気が出ているらしく、昔は他の退魔師や陰陽師の訓練生から絡まれることが多かった。
そういった連中はことごとく返り討ちにしてきたので、今ではそういう事もなくなった。
歴史を感じさせる和風屋敷の廊下を進んで行き、とある部屋の前までやって来た。
「師匠、燈火を連れてきました」
「ありがとう春水。二人とも入って」
中から女性の柔らかい声が聞こえてくる。その声の指示に従い俺と春水は、襖を開けて部屋の中に入る。
そこにはそれぞれ椅子に座る二人の女性の姿があった。
一人は腰まで届く艶やかな長い黒髪を毛先近くで束ねており、目はやや切れ長で強気な印象を感じる。
いや、実際のところ強気なのだけれど、それを言ったら怒るから言わないでおこう。
それが俺の姉弟子である風花美琴だ。退魔師や陰陽師の戦装束である破魔装束に身を包んでいる。
破魔装束は魂式を伝達しやすい特殊な繊維で作られており、魂式を集中すると刃物や銃弾をはじき返す防御力を発揮する。
特に妖力への耐性が高く、呪いの類や妖力からなる超常的な攻撃から使用者を守ってくれる。俺たち退魔師や陰陽師にとって必須のアイテムだ。
破魔装束の基本的な外観は黒い袴姿なのだが、階位の高い者は独自のアレンジが許されている。
美琴姉さんの破魔装束は、上は白を基調として花柄が描かれており下は紫色といった構成だ。
その姉弟子の奥にいる亜麻色の長いウェーブ髪をした女性こそが、俺たちの師匠である黄龍斎だ。
仰々しい呼び名だが、これは二つ名で本名は稲妻沙耶。普段はおっとりした性格のゆるふわ美人だ。
現在二十五歳で二十代も半ばに差し掛かった事を気にしている。
今まで俺たち弟子を育て上げたり、戦いに駆り出されたりと忙しく男を作っている暇が無かったため、今になって婚期がどうとか言って焦り始めている。
そんな師匠の破魔装束は、上は山吹色を基調とし花柄が入っており、下は青緑色といったデザインだ。
若い女性二人がきらびやかな袴姿で並んで座っているのを見れば、一般の人はこれから大学の卒業式でもあるのかと思うかもしれない。
誰も、これが悪鬼羅刹と殺し合いをするための戦装束だとは思わないだろう。
――ちなみに、俺と春水は普通の黒色の破魔装束を身に付けている。刀を振るう腕を守るための籠手の種類にこだわってはいるが。
だいたい男性退魔師は籠手のような追加の武具にこだわり、女性退魔師は破魔装束のデザインにこだわる傾向がある。
こういう所からして男女の間には、ものの考え方の違いがあるのだろう。