序
友人宅へ遊びに来たのはいつ振りだろう。
道中、友人の車の助手席で、今日明日のことを考えて黙りこくる。勿論、「友人」であるので、そういう空気に気まずさはない。日常として職場の研究所と自宅を行き来するだけの今までを過ごしていた私は、日常ルーチンの崩れた今日をあまりよろしく思ってはいない反面、普段と違い彩度の高く感じられる今日に多少期待を抱いていた。
「あ、今すんごい散らかってるけど、許してねー?あなたが家に来ると思っても緊張感湧かなくってね。思わぬ友情の副作用、だね。」
扉を開けたやいなや、自宅の安心感に飲み込まれた友人は、そのまま玄関に四つん這いになりながら、ヒールとソックスを玄関に脱ぎ散らかす。と、「おえー」のような感じの声を発しながらルーズになったスーツで廊下を転がり始めてみせた。とくに自分の中にはっきりとした像があるわけではないが、社会人の礼服を着た大人らしい大人がゴロゴロとしているのはかなり醜い。東京の比較的安価な賃貸の激のつく狭さの玄関。否応なしに目に入る出来損ないのピーターパンの横を通り過ぎようとしたとき、知らない視線に気づいた。
「ここ、猫飼えるんですね。」
毛が長く上品さが見て取れたのでおそらく海外の、またこの人間の経済面を考えて雑種、譲渡されたものだろうという想像はつく。猫は、異邦人を怪しんでいるのか、主人に餌をねだっているのか、ただ単に呆れているのか、猫らしい顔でこちらを覗く。鞄を抱えたラッコのような友人が「あ~、紹介してなかったね、アレルギーとかなかったよね?」と、逆転した視界の中から私と猫をそれぞれ一瞥しながら、異種間の形容し難い空気を打ち破ってくれた。
曰く、一昨年引き取った猫らしく、一人暮らしと仕事からの抑鬱に耐えかねてのことらしい。まず何故この間合わなかったかを説明すると、お互い忙しかったのだ。目を移せば、猫は大人しくソファーの上でくるまっている。私を睨みながら。
だから私も睨み返している。何の思慮や思惑もない、ただ空の眼で。
ああ、あのときは気が付かなかったが、憐れみくらいはあったかもしれないな。
其も、私は動物が嫌いだ。