第4話前編 蠢き笑う者〈狂花咲乱〉
「ハァ、ハァ、ハァ」
僅かな光が溢れる緑が広がる空間。その中を一人の男が走っていた。
簡易的な盾に、剣が収まっていない鞘を背中に背負うその姿は冒険者のようだ。だがおかしなことに、その手には剣がない。顔は恐怖で染まっており、必死に何かから逃げている様子でもあった。
そんな男に迫る何かがいた。それは地面を盛り上げてどんどんと突き進んでいく。
「うわっ」
何かが男の足に絡まった。男は痛みで顔を引きつらせながらも、自分の左足に目を向ける。
そこには一つの蔦があった。それはしっかりと足に巻き付いており、男がどんなに暴れても解ける様子はなかった。
「くそっ、こんな所で!」
男は見えない希望を掴もうと足掻いた。だが、どんなに藁を掴む思いで暴れても、希望は掴み取れない。
「うおっ」
あるのは、ただ絶望のみ。
絡まった蔦は暴れる男の足を一気に引っ張った。男はありったけの力を込めて地面を掴む。だが無常にも地面は砕け、身体は勢いのまま滑っていった。
「うわぁあああぁぁぁぁぁ!」
どうすることもできないまま、男は引き寄せられる。
気がつくと視界は上下反転しており、もう二度と目にしたくない姿を見てしまう。
ニュルニュルと、大きな花から伸びる蔦。異様な匂いと溢れ出す蜜に、男はつい唾を飲み込んでしまった。
『冒険者だ』
『ぼうけんしゃだ』
『ボウケンシャだ』
大きく真っ赤な花びらは、それぞれが言葉を放っていた。男はそれに思わず顔を歪めてしまう。
祈るように、だけど刺激をしないように、男は見逃してくれることを願った。しかしこのダンジョンのボスであるモンスターは、そんな願いを聞き入れない。
『美味しいかな?』
『マズいかな?』
『どっちカナ?』
『確かめてミヨウ』
男の身体は、大きく広げられた口へと持っていかれる。思わず叫び、暴れ、抵抗するがもはやどうすることもできなかった。
そのまま身体は放される。男はどうすることもできず、そのまま口の中へと落ちていった。
『うん!』
『うん?』
『うんっ』
『マズい!』
男を丸呑みにしたボスは、残念そうにしていた。だが、どこか満足げにも見える。
そのままゴックンと大きな音を立てた。すると不思議なことに、すぐ傍にあった花の蕾が開き始めた。
その花の中からは、先ほど食べられてしまった男が姿を現す。頭には妙に大きな花が咲き誇っており、その目には生気が籠もっていなかった。
『美味しいってなんだろうね?』
『マズいものしかないね』
『ボウケンシャってマズいのかな?』
『美味しい冒険者はいるのかな?』
ボスは笑う。楽しいげに、ただ不思議そうにしながら。
その周りをかつて冒険者だった男は、彷徨うかのように歩き回っていた。