第25話 負けるな〈勇敢に立ち向かう少年〉
近づくタイムリミット。
もうすぐ〈世界樹の果実〉を掴み取れるというのに、その男は絶望を振りまく。
レオンはそれでも、ピエールを睨みつけた。だがどうしても、その顔が祖父と重なってしまう。
「ふふ、フフフッ。気になりますか?」
ピエールはわざとらしく問いかけた。レオンは思わず目を鋭くすると、その表情が楽しいのかピエールは歪んだ笑みを浮かべる。
「気になりますよね? この顔。私があなたの立場だったら、もう泣いて懇願して聞いちゃっていますよ。まあ、あなたならどんなに気になっても、聞かないでしょうね」
知った風な言葉をピエールは吐く。
レオンもまた、挑発に乗って黙り込んだ。
模索するのは、どう時間を稼ぐかということだ。このまま激突すれば確実にレオンは死ぬ。
『バカね。戦う以外で時間を稼げばいいでしょ?』
どう判断し、動くべきか。考えていると声が呆れたように言葉を並べた。
『嫌だけど、背に腹は代えられないか。仕方ないから手伝ってあげるわ。
いい、レオン。これから私がいうことを一字一句、間違えないであいつにぶつけなさい。そうすれば道は開ける』
レオンは一度拒もうかと思った。しかし、声がそんなレオンを落ち着かせる。
『戦えば近くで寝ている妖精も、タダじゃ済まない。それわかっているでしょ?』
一度だけティナに目を向ける。心地よさそうに眠っている姿は、とても愛らしい。だからこそ巻き込みたくもない。
ならば、やりたくないがピエールと言葉を交わすしかない。
『それでいいの。早速やるわよ』
声に促され、レオンはピエールを見据える。
するとピエールは一瞬だけ怪訝な表情を浮かべた。それはまるで、想定外だったと物語っているようだった。
「じゃあ、敢えて聞こう。なんで俺のじいちゃんと同じ顔をしているんだ?」
「あぁん?」
「気になるんだ。だから教えてくれよ」
ピエールの顔が途端に険しくなる。すると声は楽しげにクスクスと笑っていた。
『いい気味。レオン、次の攻撃に移るわよ』
声は楽しげに言葉を並べていく。レオンはそれに沿い、言葉を口にした。
「もしかして、わからないのか? 教えてくれるって言ったのに。それとも本当は、言いたくないんじゃないか?」
「何舐めた口を聞いているんですか?」
「教えてくれないからだよ。知っているなら教えてくれてもいいよね?」
「黙りなさい。さもなければ――」
それは、鬼の形相と言ってもいいほど恐ろしい表情になっていた。
だからだろうか、声はゲラゲラと笑う。
あまり心地いいものではない。だがそれが、一つの真実へと導いてくれる。
「知っているよ。言わなくても。
私は知っている。あなたが何者なのかを」
興が乗ったのか、それとも時間を稼ぐつもりなのか。
勝手にレオンの口が動く。声はレオンのままだ。しかし、レオンの意思に反して言葉が吐き出されていく。
「ねぇ、ピエール。あなたはどうしてこの子を〈一番〉と呼ぶの?
ううん、言わなくてもいい。私は知っているから。だってこの子は、彼の血を引いている。
あなたが最も憎しみ、最も愛した人の血を引いているから。だから〈一番〉と呼ぶのでしょう?」
「黙れ」
「ねぇ、答えてよ。違うのなら私が納得するように教えてよ。
愚かで愚かで、本当に愚かで仕方のないピエール。教えてよ、ねぇ?」
「黙れ」
「できない? できないよね? だって認めてしまうことになるからでしょ?
彼を。あなたが憎んでも憎んでも憎しみ切れない彼を。同じ血を引く彼の偉大な存在を。
そうでしょう、ピエール?』
「黙れと言っている!」
何かが弾けた。途端にピエールの身体から、黒い光がすさまじい勢いで飛び出てくる。
声は、少女は、そんなピエールを見て笑った。
レオンはというと、あまりの迫力に気圧されていた。
『ホーント、バカな奴』
「ちょ、ちょっと! なんで挑発したんだよ!? 時間を稼ぐつもりだっただろ!!」
『十分に稼いだわ。嘘だと思うなら、あいつらを見なさい』
声に促され、レオンはギッシュ達に目を向ける。
その手には〈世界樹の果実〉があった。だが、ピエールが怒ったことによって発生した風に飛ばされそうになっていた。
『さて、もうひと踏ん張りしましょうか』
「簡単に言うなよ! いくらなんでも――」
『今は勝つことが目的じゃないでしょ? それにまだ、時間稼ぎは終わってないわ』
レオンは剣を取り、どうにか持ち上げて構える。
ヘトヘトな身体にムチを打ち、ピエールを睨んだ。
しかし怒ったピエールは容赦をしない。
「〈清浄なる蒼き炎よ〉〈彷徨う魂を天へ〉〈穢れし身体を地へ〉〈あるべき理ために全てを導け〉」
それはティナが扱うレゾナンス・フレアの詩だった。しかし、手の中に生まれる火球はとてもドス黒い。
まるで情念が捻じれに捻じれ、絡み合っているかのように見えた。
「〈否、我は黒〉〈我は蛇〉〈全てを飲み込み、漆黒に染める者なり〉」
付け加えられる詩。それは聞いたこともないものだった。
思わず警戒してしまうレオン。本能が告げる危機感に従い、タクティクスを振り上げた。
『それが正解よ』
魔法が発動すればレオンに勝ち目はない。
しかし、この身体で発動を止めるのは難しい。
ならば一か八か、魔法を跳ね返してみる。
だがこれは、普通の武器では不可能だ。
だからこそ、幻想神〈フォルティア〉は無償で力を貸す。
『今回だけ特別サービス。だから、これで決めちゃえ』
タクティクス自体に、不思議な光がまとっていく。
それは純白と呼べるほど白い。
伸びる刀身は、雪のような白さだった。
美しい刃だ。だが、レオンにはそれを眺めている余裕はない。
「死に晒せ――レゾナンス・フレア」
放たれる禍々しい火球。
レオンはタイミングを合わせて、タクティクスを振る。
途端にすさまじい衝撃が腕に走った。
白と黒の稲光が弾け飛ぶ。
身体は押され、今にもふっ飛ばされてしまいそうだ。
だがそれでもレオンは、足に力を入れて踏ん張る。
押し切られる訳にはいかない。
押し切られてしまったら、レオンだけでなくティナも死ぬ。
「ぬぅうぅうううぅぅううぅぅぅぅぅッッッ」
力の限りを尽くす。
いやそれだけではダメだ。
持てる力を使っても、この勢いには負ける。
ならどうすればいい。
これ以上一人では、持ち堪えられない。
「あぁあぁああぁぁぁあああぁぁぁぁぁ――」
力が欲しい。
この場を乗り切るだけの。
いや、あいつを倒すだけの。
いや、ティナを守れるだけの力が欲しい。
ここで、こんなところで、あいつに負けたくない。
「一人で戦おうとするな」
優しい声が聞こえた。
「冒険者はチームワーク。それに教えただろ? 相棒の危機は、自分の危機だと」
小さな手が、弱々しい笑顔が、背中を押す。
「君は私であり、私は君だ。だから、一緒に戦うぞ」
その目覚めは何を意味するだろうか。
どこまで走って追いかけても、見えない背中。
だからこそ初めて強烈に憧れた。
もしこの人が、相棒でなかったら。
そんなことを考え始めた瞬間、ティナは一つの詩を詠む。
「〈果てしない夢〉〈辿る軌跡は君の証〉〈長い道のりの先で見るもの〉〈それは君が望むものなり〉」
ティナは、レオンのためにとっておきの一つを口にした。
それは対象者の能力を一時的にだが大幅に強化する魔法だ。
「負けるな――ヴァリアント・ライズ」
死力は尽くした。
それでもなお、ピエールには勝てない。
一人ではあまりにも大きな敵だ。
だが、二人でなら怖くない。
「うあぁああぁぁぁあああぁぁぁぁぁっっっ!!!」
持てるだけの力でタクティクスを振る。
途端に飲み込もうとしていた小さな火球は、ピエールへと跳ね返った。
ピエールは目を大きくする。
予期していなかったのか、避けようとする素振りはなかった。
――ボッ。
小さく音が弾けた。直後、激しく燃え上がる火柱が立つ。
ドス黒く染まったそれは、月を飲み込むほど天高くそびえ立った。




