第7話 忘れられない過去と相棒〈ヴァン・ユレイナ・キンブリー〉
まだ興奮が醒めないダンジョン〈セフィロト〉の麓。野次馬として戦いを見守っていた多くの人々は、その激しいぶつかり合いを見ていなかった観光客などに語っていた。
当の本人はというと、近くの宿で身体を休ませていた。
「ったく、考えなしにもほどがあるぞ」
「す、すみません……」
「ご厚意で治療箱を貸してくれたとはいえ、こんなにボロボロになって。ケンカを売る相手を考えろ」
「でもあいつ、ティナさんのことを――」
「それは聞き飽きた。ほら、今度は背中を見せろ」
レオンは痛みで顔を歪めながら、ティナに傷薬を塗ってもらっていた。時折傷口が染みて叫びそうになるが、見栄を張って堪えていた。
ティナがグチグチと説教を溢しつつも大きな絆創膏を貼っていく。「前を向け」と指示されて振り返ると、とても近い距離にティナの顔があった。
思いもしないことに戸惑いを覚える。しかしティナはお構いなしに絆創膏を貼っていった。
「身体中が傷だらけじゃないか。治っても残るぞ?」
「平気ですよ。それにあいつに勝ちましたし」
「偶然だ。ラフィルは明らかに本気を出していない。その証拠に魔法を使っていなかっただろ?」
「あっ、確かに」
「全く君は……。後でここの温泉に入っておけ。傷にいいらしいぞ」
ティナは大きくため息を吐く。明らかに呆れられている。
しかしそれでも、レオンは勝利した時のティナの表情を忘れられない。だからラフィルに勝ってよかったと思っていた。
「そういえばティナさん。あいつ、なんであんなに怒っていたんですか?」
ふと、レオンはラフィルと戦うキッカケについて思い出す。何気なく浮かんだ疑問をぶつけると、ティナの手が止まった。
少し考えた顔をすると、ティナはとあることを語り始めた。
「私は彼女の大切な家族を殺してしまったんだ」
「えっ?」
「正確には見捨てた、といえばいいだろうな。彼女の義弟、いや私の相棒ヴァンは私のせいで死んだ」
「ま、待ってくださいよ! 確かに冒険者は危険な仕事です。死もつきものだし、それに同じ冒険者ならそんなことわきまえて――」
「ああ、そうだ。冒険者だから死ぬ可能性はいつもついて周る。ラフィルだって百も承知さ」
「じゃあなんで!」
踏み込んでくるレオン。ティナはそれに少しだけ苦しそうな顔をした。
そんな顔を見たレオンは、思わずたじろいでしまう。
「ご、ごめんなさい」
「いや、気持ちはわかる。私が君の立場なら同じことを言っていただろう」
ティナはレオンから手を離し、まっすぐに顔を見つめた。その顔は凛としており、どこまでも美しくあり、だけどどこか弱々しいものだった。
「君に話しておかないといけないな。私がなぜ、ラフィルに恨まれているのか」
レオンは、まっすぐと見つめ返した。
どこか怖い。もしかしたらティナをさらに苦しめてしまうかもしれない。
だけど、ここで目を逸らしたらいけない。そんな気がした。
「聞かせてください」
それは強い覚悟からくる返事だった。ティナは勇ましく見つめるレオンに、ちょっとだけ困ったような笑顔を浮かべた。
「わかった」
ティナは語る。
かつての相棒〈ヴァン〉とはどんな人物だったのか。
どういった出会いをし、関係性を築いていったのか。
そして、ヴァンを失ってしまった事件について語り始めた。
「私はね、君と同じように特殊な魔力波長を持っているんだ。冒険者になりたくて〈自由の平野〉にやってきた。だけど魔力波長が特殊なせいで、魔力同調できる者がいなかった。
君に教えたように、ダンジョンではチームで行動する。足手まとい、もしくは同等のお荷物がいれば、パーティーは壊滅してしまう。そういう理由で私はどのギルドからも門前払いを受けていた。
だけど、そんな私に声をかけてくれたのがヴァンだったんだ」
懐かしむように、ティナは微笑む。レオンはその儚げで美しい笑顔に、つい息を飲み込んでしまった。
「どんな理由があったかわからない。だけど当時のヴァンは、スレインと一緒にギルドを立ち上げたばかりだった。もしかしたら単なる数合わせだったかもしれないが、誘われた時はとても嬉しかったよ。
だからかもしれない。私はヴァンの力になろうと、いろいろと無茶をした。ヴァンはそんな私を相棒と呼び、いつも無茶に付き合ってくれた。時にはぶつかり合って、だけどいつも笑い合って、とても楽しい時間を過ごしていたよ」
だけど、とティナは言葉を紡ぐ。とても真剣な顔をして、まっすぐとレオンを見つめてヴァンを失った事件について口にし始めた。
「とある討伐クエストで、私達はダンジョンのボスと戦うことになった。当時の私はまだ駆け出しだったが、当初と比べれば大きく成長していた。ヴァンもまた、そんな私と一緒ならできると思ってくれた。
だが、それが甘い考えだった。ボスは私達の想像を遥かに超えた強さだったんだ。
私は過信してしまった。ヴァンもボスの強さを見誤ってしまった。どうにか撃退しようとしたが、逆に返り討ちに合ってしまったよ。
私もヴァンも、死にかけながらどうにか逃げ切ってダンジョンを脱出しようとした。もうすぐ出口だという所で、ボスが現れたんだ。
逃げるにしても戦うにしても、私達はもう力が残っていなかった。最悪なことに私は魔力を使い果たしていた。だからかな、私は死ぬことを覚悟したんだ」
聞くだけでも壮絶な道のり。耳を塞ぎたくなる出来事が淡々と並べられていく。
悲しそうなティナの顔を、レオンはずっと見つめる。ティナはそんなレオンから目を背けることなく、最後に起きた出来事とその結末を語った。
「だけどヴァンは違った。死ぬことを覚悟した私を、最後の力を使ってボスの手から逃したんだ。足手まとい、いやお荷物でしかない私をだ。
ヴァンのおかげでダンジョンの外へ脱出できた私は、すぐに助けを求めた。でも、弱りきっていたためか途中で記憶がない。どうにかこうにか回復したのは一週間後だった。
そして、ラフィルから告げられたんだ。『お前のせいで、ヴァンは死んだ』と」
その後に、ベイスから事情を聞かされたとティナは告げた。
ボスの死体と共に、もう一つの死体があった。それはもはや人の形はしておらず、見るに堪えない肉塊だったということを。
だからこそ、ラフィルはティナに感情を剥き出しにする。ティナもまたやられても、仕方ないと思っていると告げた。
「私は、恨まれても仕方ないんだ。ヴァンの期待に答えようとして、無謀なことをした。その結果、大切な相棒〈ヴァン〉を失ったんだ」
ティナは受け入れている。どうしようもないことだとして、受け入れて無理矢理前に進んだ。
だが、レオンはその話を聞いてどこか納得できなかった。確かに無茶なことはしたかもしれない。だが、ラフィルから恨まれる理由も、ティナがそれを受け入れる理由もない。
そうレオンは感じたからこそ、強い言葉を放った。
「ティナさんは、悪くない!」
思いもしない言葉に、ティナは目を大きくする。思わず「え?」と言葉を溢すと、レオンは立ち上がった。
「どこにもティナさんが悪い理由がないじゃないですか! そもそも、あいつがティナさんを恨むのがおかしい。殺したのはボスだし、それにティナさんはどうにかしようとしてたじゃないですか!」
レオンは感情のままに叫ぶ。
ヴァンは確かに死んだ。だがそれはティナが全て悪い訳ではない。
ラフィルが恨む理由もわかる。しかし、ティナを恨むのはお門違いだ。
「ティナさんは悪くない。俺は、そう思います!」
レオンの言葉に、ティナは黙り込む。
その目からは涙が溢れると、突然顔を隠した。
ティナは「すまない」と告げて飛び出すように部屋を出ていく。
レオンは一瞬追いかけようかと考えたが、やめた。
「悪いのは――」
悪いのは誰か。
考えてみたが、誰も悪くないとレオンは思った。
冒険者には危険がつきもの。だからこそ、誰も悪くない。
しかしそれは、ティナにとってもラフィルにとって酷なことだった。
「誰も悪くない。悪くないんだ」
それがわかったからこそ、レオンは何とも言えない気分となる。
もし、それがわかっていればどうなっていただろうか。ティナはティナで自分を恨み、ラフィルはラフィルでティナを恨んでいたかもしれない。
「相棒って、大変だな」
レオンは疲れたように息を吐く。
先ほどの言葉を、ティナはどう受け取ったのか。気になりつつも、上着を手に取って上半身を隠すように覆った。
◆◇◆◇◆◇◆
ベッドの上で天井を見つめること数十分。一向にティナは帰ってこない。
レオンは少し心配になる。もしかしたら一人でダンジョンに向かったのではないか、とついつい考えてしまった。
「あり得ないか」
レオンは勢いをつけて起き上がる。途端に身体中に痛みが走り、つい顔が歪んでしまった。
「てててっ。やっぱ痛いよなぁー」
ふと、レオンは治療中にティナが言っていたことを思い出す。
そういえばここの温泉は傷にいい、と。ものは試しにと思い、レオンは立ち上がった。
フロントを通り、浴場がある部屋へと移動する。そこには見上げてしまうほど大きな入口があり、これまた大きい暖簾が掲げられていた。
レオンはどこか感心しつつも、暖簾を潜っていく。置かれていた真っ白なバスタオルを手に取り、脱着場で服を脱いだ。
意気揚々に扉を開く。目に入ってきたのはとても大きな露天風呂。立ち込める湯気と、白濁色のお湯。点々と立つ木々と広がる水面が開放的であり、その後ろにある濃淡な緑がまさに大自然を感じさせた。
「おぉー」
レオンは思わず感嘆の声を上げる。
これが世に聞く露天風呂か、と感心しながら足を温泉へと入れた。
「あちちっ」
身体に染みる熱さにちょっとだけ悶えつつも、肩までお湯に浸かる。若干傷口に染みるものの、嫌な痛さではない。むしろ心地いいと感じてしまった。
蓄積した疲労と傷だらけの身体が癒やされていく。そう思っていると、出入り口のほうで扉が開く音がした。
「こんにちはー」
何気なく振り返り、挨拶をする。だがレオンは、すぐに後悔した。
背中を覆うほど美しい雪のような髪。色白の肌に、仄かに膨らんだ胸と身体全体を隠す大きなタオル。
あどけなさが残る凛とした顔つきは、若干だが赤く染まっていた。
「え……?」
タオル一枚で身体を隠したティナが、すぐ目の前に立っている。レオンはそれに言葉を失った。
「あ、あぁ、その、えっと」
何か言い訳をしようとするレオン。ティナは自分の身体を見て、抱きしめるように咄嗟に隠す。だが、その行動がどこかかわいらしく、なぜか新鮮であった。
だからなのか、レオンに理不尽な不幸が襲いかかる。
「この、バカァー!」
唐突に発動する魔法。それは青い炎をまとっており、まっすぐとレオンへ突撃していった。
当然、何も身につけていない状態のレオンではどうしようもない。大きな爆発音と共に、更に濃い蒸気が発生したのは言うまでもない。




