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−℃ "マイナス温度"  作者: ゐやま
1/1

I

こんにちは、こんばんは、おはようございます。

ゐやまと申します。


まず最初に。この作品に目を通していただきありがとうございます。


初投稿となっている為、誤字や内容の薄さが目立つかもしれませんがご了承ください。


初ではありますが、連載小説とさせていただきました。少しずつ、自分のペースで連載していこうと思いますので、よろしくお願い致します。

1___


ずきん。


瞳を薄らと開ける。浮上しきらない意識の中、手探りで目覚まし時計を探す。手に触れた酷く冷たくなった時計を顔前に持って来れば、時刻は午前10時前を表していた。あぁ、今日はまだ早く起きれた方だ。


ずきん。


ゆっくりと上体を起こす。ベッド横にある窓へと視線移すも、カーテンが邪魔をして外の様子は伺えない。しかしカーテンは薄くではあるものの、埃の様なものが落ちていく陰を映し出す。きっとこのカーテンを開ければ、見える世界は一色だろうな。なんて、他人事呑気に考えて。


ずきん、。


カーテンに手を掛ける。全て開けても良かったけれど、少しだけ開けた。予想通りの世界をカーテンの隙間から視界に写せばそっと掛けた手を離す。明かりが入り、少しだけ明るくなった室内は再び薄暗くなった。


ずき、ん。


どうして。なんで。どうして。

勝手に涙が溢れてくる。この部屋と同じ様に、薄暗く、冷たく、寂しい感情が身体を包む。

うずくまる事も出来ず、もがく事も許されない中、俺は独りで必死に涙を拭った。




[視線]




朝___


高校最後の冬休みが明ける。浮ついた雰囲気の教室を避ける様に一つ置かれている、廊下端後ろの席に 三富 聖 (みとみ こうき) は腰を下ろす。廊下と教室を繋ぐ扉が近く、朝ではまだ寒い事もあり、誰も近寄らないその席は聖にとってとても都合の良いものだった。


お年玉で買ったブランド品を自慢し合う女子達。

受験に向け黙々と勉強を進める眼鏡君。

部活動も引退し、ヘアスタイルをころころ変えるマッチョ。

あぁ、まだ坊主の奴も少なく無いか。


人間観察。それこそが聖の趣味であり、この席が都合の良い場所と言える理由であった。

虐められ、心を閉ざし、他人を伺ってばかりいたらついた癖…などでは断じて無い。幸いにも顔付きにも体格にも恵まれた方だと思っているし、何よりこのクラスは平和だ。空気で分かる。


卒業するまで残り数ヶ月。後少ない高校生活、存分に眺め楽しんでやろうかと伸びを一つした所だった。


カタン。


控えめに開かれる扉。この開け方をする奴は一人しか居ない。


「おはよ、カナデ」


振り返って声を掛ければ、予想していた姿が見えた。


志田 奏 (しだ かなで)

身長も体格も顔付きもそこそこ。男にしては女顔だというのが第一印象だった。運動部の名残か、髪は黒く短く綺麗に切り揃えられている。元々地毛の色が薄い聖にとっては羨ましい程に綺麗な黒髪だ。もう少し髪型にこだわってもいいのに、と常日頃思う。


それは置いといて、だ。


聞こえる様に声を掛けたにも関わらず、返事は返って来ない。目の前を通り過ぎる姿にいつもの事かと肩を竦ませては苦笑を浮かべる。


可愛くないなぁ。


最前列、窓側端の席へと腰を下ろす姿に内心呟いてやる。寡黙な性格な事は前から知っている。今日も普段通り、ヘッドフォンを耳に付け誰とも分からないバンドの曲を聴くんだろうな、なんて後ろ姿見ながら考えていれば、案の定机に置かれたリュックサックの中からベッドフォンが取り出される。特にここから変化は無いと思えば聖は視線を別の方向へと移した。




放課後___


テストは残り一回。最後のテストに向けて気合が入る者もいれば、卒業も近い為、聖と同じ様に授業は聞き流し腑抜ける輩も多い。

聖は普段通り、特にノートに書き写すという事もせず一日の授業を終える。何もしていなくとも、授業からの開放感からか肩の荷が下りる感覚に息をついた。


カタン。


背後から扉の開く音がする。振り返るももうその姿は無い。


「カナデの奴…まだ行くつもりかよ」


溜息が溢れる。毎日毎日、よく同じ事を繰り返すものだと呆れながらも、早々に見えなくなった姿を追い掛けるべく教室を出る。追い掛ける、とは言っても追いつける筈は無いので小走りに向かう。行く所なんて決まっているから。もう何度追い掛けたかも、分からない。




奏は放課後、必ずグラウンドへ向かう。

年末に降った雪はもう溶けきっていて、使えない状態では無い。しかし寒いものは寒いものだ。運動部もこの時期は校内での練習が殆どだとマッチョが言っていた事を思い出した。

誰もいない、殺風景なグラウンドに奏は一人、身体を動かす。今はストレッチ中だろうか。派手なトレーニングウェアのせいか遠目でも動きが見える。

聖は陸上部の為に作られた簡易的な部室に、いつもの様に入ってはその窓からグラウンドを眺めた。窓は大きく、場所によってはグラウンド全体を見渡せる。適当に椅子を拝借しては窓側に腰を掛けた。

丁度奏はストレッチが終わった様で、グラウンドに引かれたほぼ掠れている外周の円を辿り走り出す。またいつものメニューか。見飽きる程見た、走る奏をぼーっと見詰める。


高校三年の年明け。終わりも終わりに近いこんな時期にも関わらず、奏は部活を引退していない。そして、大前提に置いて欲しい事実が一つ。奏は陸上部なのだが、その陸上部自体が全く機能していないのだ。理由は分からない。しかし他の部員は誰一人として顔を見せない為、ほぼ活動していないに等しいだろう。

なのに、奏は練習を辞めない。毎日、一人で、黙々と練習メニューをこなす。


聖にとっては疑問でしか無かった。誰も来ない部活に、残り数ヶ月の学生という命を費やしていいのかという勿体無さだけが目立つからだ。これは聖だけでは無く、他の生徒も教員も、満場一致で感じている事だと思う。

しかし、辞めさせようにもどうすればいいのか分からなかった。ロクに挨拶も交わせない仲で何が言えるのか。と聖は歯を噛み締めながら、走る奏を毎日見守ってきたのだ。

暑い日も。寒い日も。


「…何をそんな、必死になってんだよ。」


ちり。

頭の中が小さく痛んだ。

何か知っている筈なのに、知っていたという事実しか頭には出て来ず、その正体は白い靄の中に覆われている。そんな感覚。


思い出せ、思い出せ。


何回か頭の中で唱えてみるも、結局思い出す事は出来なかった。




三年へと進級した春頃からだろうか。思い出せない事が格段に増えた気がする。


そうだ。卒業アルバム。


どういう考えで探していたのか、それは全く思い出せないのだが、中学の卒業アルバムを探していた。しかし、片付けた記憶すら抜け落ちていて、家中探しても無かった事を覚えている。


物忘れに悩まされるようになったのはそれからだった。家の鍵なんて小さな物から、好きな漫画の全巻セットみたいな意外と重くて大きな物まで、どこに片付けたのか、それとも捨てたのか、何も思い出せないのだ。頭の中に残っているのは、知っていたという確信と、それの本質を深く濃く覆い隠す靄。


ちり。

考える度に小さく頭が痛む。

思い出せる事もあるが、この痛みが走った時は必ずと言っていい程思い出す事は出来ない。




「……、クソ。」


誰もいない陸上部の部室。暫し考え込んでは頭を抱えた。靄が晴れてくれない。頭の中に、こびりつく感覚。嫌だ、嫌だ。思い出したい、のに。

嫌な汗が頬を伝う。苦しい、…助けて。


ガタン!!!


大きな音に、ぱちんと現実に戻される。

音の方向に視線を向けると、奏のリュックサックが机から落ちた音だった。ヘッドフォンが入っている事以外知らないそのリュックサックは案外重いのか、大きな音をたてた。


ゆっくりと息を吐く。驚きはしたものの、意識を引き戻してくれたくれた事には感謝を覚えた。嫌な汗を手の甲で軽く拭う。その手は酷く冷たくなっていて、恐怖に血が巡っていなかった事を物語っていた。




不意に、視線を感じ窓へと視線を戻す。


大きな物音は外にまで響いたらしい。窓の外から奏が不思議そうに室内を覗いていた。

突然現れた奏の姿に少しばかり息が詰まる。何か盗みを働いたと疑われてもおかしくない状況に、引いた汗が再びじわりと滲み出る。

窓外から消えたと思えば隣の扉から部室内へと入って来た。


相変わらず、こちらに視線は一つも向けずに。


疑われはしない。そう確信するも、こんな時にまでそう扱われるのは流石に胸が痛んだ。


いつのまにか、結構時間が経っていたらしい。

リュックサックへと近付き、机へ置けば着替え始める奏を見てそう思った。なんだ、物音に気付いた訳では無かったのか。と息を吐く。終わり時刻になり、帰ってきたら荷物が落ちていたのが窓から見えた、そんな所だろうかと予想して。


「お疲れ、カナデ」


やはり返事は無い。聞こえていない訳では無いからまぁいいかと着替えを待つ。やる事も無かった為、窓へと視線を向けた。


あぁ、明日には雪が降るだろうな。

暗くて、重たい雲が、空と地面を近くに思わせていた。




2___


全てが狂い始めたのは、いつからだっただろうか。


カーテンを少し開けた隙間から、また外の様子を伺う。いつもと変わらない、一色の景色に嫌気がさした。俺はこんなにも多くの色が混ざり合い、最早何色なのか自分でも分からないのに。そんな事は露知らず、しんしんと白は降り積もっていく。


童謡にすれば楽しくあり、ラブソングにしては切なくもある。白は様々な世界を想像させるのにうってつけの色なのだろう。人はこの色に影響されやすいと思う。


俺も、何か影響されてくれないだろうか。この胸の靄を白が溶けた水で、綺麗に綺麗に、洗い流してくれないだろうか。


…全てが狂い始めたのはいつからだっただろうか、


結局はここに戻ってくるんだな。自嘲する様な、乾いた笑みが静かな室内に響く。虚しくなった。


カーテンを乱雑に閉じてやれば、上体を横にし瞳を閉じた。普段通り、もうこのまま目覚めないでくれと願いながら。




朝___


昨日予想した通り、今日は雪が降った。

一粒一粒が大きい。これは積もる雪だと一目見ただけでも分かる。


いつも通りの時間、普段と変わらず人の寄り付かない座席に腰を下ろした。心なしか、椅子と机の表面が昨日より冷たい気がした。教室で談笑する人達も、マフラーや手袋など、防寒具が何点か増えた人が殆どだ。それが普通だろう。

そんな風に眺める聖は薄着だ。寒いのは嫌いだが、首元や手元に布が当たる感覚は好まないのだ。ならば寒い方がマシ、と薄着をしている。

おかげで不良に思われる事も多かったっけ。


未だに赤い指先を擦り合わせる。口元に持っていき、息を吐き当ててもそれ程変わりは無かった。ホッカイロでも使えたらなぁ。


カタン。


いつもと同じ、扉の開く音。

いつもと同じく、振り返り声を掛ける。


「おはよ、カナデ」


いつもと同じ、何事も無く無視され……、



瞬間、息が詰まる。

周りの音が聞こえなくなる。


視線が、____向いた。

少し茶色がかった瞳が、聖を捉えた。



驚き。それを表す様にお互い瞳を丸くする。

たった一瞬の事の筈なのに、異様に長く感じてしまう程、衝撃が強い。


返事は、無かった。

交わった視線も直ぐに奏の方から解かれてしまった。



…本当に驚いた、のだ。まさか、目が合うなんて。今まで無視され続けた身であるからか、随分とその視線に弱くなっていた様だ。気恥ずかしさなのか、何やら分からぬ感情に心が飲み込まれていく。暖かくもあるそれに、悪くは無いと感じた。


最前列窓側端の席へと腰下ろす背中を見詰める。普段通りであればこのままリュックサックの中からヘッドフォンを取り出し、音楽を…聴く筈だったのだが、今それを覆された。



再び、視線がこちらに向く。

振り返り、教室端の目立たぬ席を、その瞳に映す。



小さく息を呑んだ。遠くからでも分かる程に、その瞳は純粋で、綺麗だったから。


悪戯心が湧き上がり、右手を軽く振る。

肩が揺れ、こちらを見詰める瞳は直ぐに逸らされた。



初めての事に、酷く動揺する。外見には現れない様気を付けるも、やはり心音を落ち着けるのは難しい。熱くなる頬は気の所為にして、知らないフリを突き通した。


何か、あったのだろうか。卒業が近い事もあるから、最後くらいはと心を許してくれたのだろうか。色々な想像が頭を巡る。血液が身体を走る時の様に、早く、早く、巡る。人間観察より楽しい事は無いと思っていたが、何かを想像するのも楽しいのだと。奏に教えられた気がした。




放課後___


「カナデ。」


珍しく足早に教室を出て行かない奏に声を掛ける。荷物を片付ける手が声を合図に止まった。ゆっくりと、瞳が聖を捉える。


奏が出て行かない理由は簡単だった。朝から降り続いた雪が外を白く染め上げたからだ。当然、グラウンドは使える状態では無い。

グラウンドが使えない時、奏は部活に行かない。雨や雪の場合、屋内で使える練習場所は一人程ならばいくらでもある。メニューを変えれば充分時間を使える。それでも、奏はメニューを変えないのだ。


「今日は帰る? …あぁ、ごめん、よく見てたから分かるんだよ。グラウンドが使えないと帰るだろ?」


どうして知っているんだ。

言いたい事は見開かれた目を見れば分かった。分かりやすすぎて小さく笑ってしまう。あぁ、でも失礼だったかと思えば咳払いを一つ。理由を説明するも、驚く表情は変わらなかった。


「…コウ。」


奏が小さく声を洩らす。


ちり。

また、頭が痛む。何か、今のやり取りで変な所はあっただろうか。痛む頭は気にせず、首を捻った。


「なに?」

「……いや、」


やり取りは短く終わった。片付けを再び始める。視線は、動くその手へと移った。


どこか寂しそうな横顔。その理由は分からない。まだ知らなくていい事もある、なんて線を引いている自分がいるのも事実ではあるのだが。何もかも初めての事が多いのだから、それくらいは許されたい。


「…三富は、」


不意に聞こえた声。先程とは違う呼び方は、違和感が否めない。こちらへと視線の向かない横顔を見詰める。


「ん?」

「三富は……これからどうするんだ。」

「これから?……帰るけど、一緒に帰る?」


思わず問い掛けてしまう。しかし、直ぐに意味を理解すればその問い掛けを無かった事にする様に答えた。

奏がこちらを見た。真っ直ぐな瞳には、何か不安の念の様なものが入り混じっていた。綺麗な事に変わりは無いのだが。


「そうじゃない、そうじゃなくて…」


何かを言いかけるその口元は次の言葉を告げる前に、硬く結ばれてしまった。何が違うのか、聖には上手く理解が出来ない。視線を落とせば、握り締められた掌が見えた。


「…ごめん。」


謝罪の言葉。それが聞こえるまで、言葉が出なかった事に気が付く。…いや、出なかった、と言うよりも出せなかった、に近い。今は、どうしても奏の本心が読めなかった。何か一言でも言ってしまえば、バラバラと、ドミノの様に倒れていってしまう気がして。漏れたのは息だけだった。


「とりあえず帰ろう。これ以上降られたら後の方が面倒だ。」


詰め終わったのか、重そうなリュックサックを担ぐ。今までの会話なんてなかった様に、まるで今まで仲良くしてきた友達の様に、告げられた言葉に反射で小さく頷く。あれ、何か、大事な事を忘れている気がする。



ちり、と。また頭が痛んだ。




朝___


目が覚める。相変わらず、窓の外は一面銀世界が広がっている。寝惚け眼でも分かる程だ。これは暫くやみそうにないな、と。昨日は早く帰って良かったと、今思った。


カタン。


まだ誰もいない教室。聞き慣れた扉の音に思わず身体が反応する。机に突っ伏していた上体を起こしては振り返った。


「…おはよう。」


初めて、聞いた言葉だった。普段ならばこちらから声を掛けるのが暗黙の了解だった筈なのに。それは聖の勝手すぎる妄想に過ぎないのだが。


「お、はよ。」

「なんでそんな堅いんだよ。変なの。」

「いや、だって…」

「いつも通りだろ。」


何がいつも通りだ。今まで無視を決め込んでいたのは何だったのだ。拗ねた様に頬杖をつくと、お前は分かりやすいな。と奏が小さく笑みを溢した。


思わず顔を逸らした。大丈夫なのか。こんなに初めてを貰って。心臓がうるさく鳴り響く。死なないか、これ。なんなんだ、この気持ちは。


ちり。

不意にまた頭が痛む。奏と話す様になってから頭の痛む回数が増えた気がする。靄がより一層深くなった感覚が嫌でも分かるのだ。原因は奏にあるという事だろうか。

…いや、原因は奏なのだ。分かっている。ただ、どうしても認められない。奏と関わる事をやめてしまえばこの痛みも無くなるのだろうか、なんて。良くない考えが頭を過ぎるから。奏と話せたこの幸福感を、初めてを多く教えてくれた奏を、押し離す事などもう出来ないのに。


軽く頭を抑えると、奏は席へと戻って行った。また今日も重そうなリュックサックを背負っている。部活はしない筈なのに、本当に何が入っているのだろうか。


ぼうっと遠目に考えていれば、目の前にホッカイロが突然現れた。


「風邪か?こんな寒い教室で寝るからだろ。あったまっとけ。」


ホッカイロと奏を交互に見遣る。

……いつの間にここまで親しくなっただろうか、と上手く思考が回らなくなる。こんなにあったかくして貰ったのは初めてだ。また、奏に初めてを教えられた。


「…あ、りがと。俺こういうの初めてだからさ、すげぇ嬉しい。」


優しさが、本当に嬉しい。気恥ずかしそうに頬を掻いては視線を向ける。


しかし、視線が絡まる事は無かった。


「……カナデ、?」


今にも、泣きそうだ。

軽く俯き、苦虫を噛んだ様な表情で。綺麗な瞳は普段よりも濁っている気がした。


まずい。


「ホッカイロ…、ありがと。」


この空気を続けてはいけない。本能的に悟り、聖は差し出されたままのホッカイロへと手を伸ばした。



ずきん。



瞬間、大きく頭が揺れる。今までに感じた事のない衝撃。痛みというより、本当に衝撃に近い。心の中を埋め尽くしていた靄が視界を覆い尽くす。奏が、白く、薄く、霞んでいく。

奏が消えていくかと思った。思わず手を伸ばす。消える前に、失くす前に。掴まなければ。



ずきん。



再び走った衝撃に、聖は意識を手離した。



手離す瞬間、掠れた視線の先の瞳は、大きく揺れていた。




3___


同じ日々の繰り返しにはもう慣れてきた。やる事は特に無いが、ひたすらに音楽を聴いていれば時間が経った。ただ、ぽっかりと空いた胸の穴を埋めるには、音楽なんて微量の力しか無い。この生活で得たものもあるが、失ったもののほうが遥かに多いのだ。


ずきん。


あぁ、頭が痛い。思い出そうと思わなくても、思い出してしまう。その度に、汚い感情が溢れる、溢れる。吐き出したって、胸の中に戻したって、汚い感情には変わりが無い。いっその事、心臓丸々洗い流してくれ。苦しくて堪らない。


ずきん。


好きな曲の、好きな歌詞を口ずさんだ。何曲も、好きな部分をただひたすら、ずっと。吐き出せないこの気持ちを、ここには居ない誰かに伝える様に。静かに、口ずさんだ。


…ずきん。


少しだけ、ほんの少しだけ靄が晴れる。一時的とは分かっていてもこの方法に縋るしか無いのだ。

冷えた薄暗い室内では、どの曲調も、歌詞も、全て重く感じられる。それに気付いたら最後、靄はまた深くなる。


ずきん。


歌った。静かに。

悔やむ様に、妬む様に、小さく、か細く。



ほんの少しの、愛おしさを込めて。

ここまで目を通していただき、誠にありがとうございます。


次回はもう少し、進展が見える内容にしようと思っております。気になる、と思ってくださった方はもう少々お待ちください。

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