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フィルリア 25冬 悪夢の果てに

 フィルリアは自分の目の前で起こっていることが信じられなかった。

 いや、信じたくなかった。

 自分が愛したこの国が、悲鳴と怒号で溢れていた。あちこちで火の手があがり、銃声と爆音が絶え間なく聞こえる。誰のものとも思えない泣き声が響き渡り、これがただの風景ではなく、紛れもない悲劇だということを叫んでいる。

 頬を伝う涙を止めることができなかった。

 自分に出来ることは何もない。自分がしてきたことには何の意味もなかった。

 悲しい。ただただ悲しかった。悲しむ資格もないが悲しまずにはいられなかった。

 フィルリアは涙を拭き、王宮のテラスから飛び出した。こんなところで壊れゆく街を見下ろしている場合ではない。この争いを止めるのだ。

「フィルリア姫殿下」

 誰かに呼び止められ振り返った。王宮の廊下にシオンがいた。

 とても優しい顔をしている。ずっと恋い焦がれた、あの優しい笑顔のはずなのに、なぜかフィルリアにはとても薄気味悪く感じた。

「どうしたの、シオン、どうしてここにいるの?どうやってここに来たの?」

 動揺が伝わらないように注意したが、声は震えていた。

 王宮の警備は万全のはずだ。どうやって彼はここへ入ってきたのだろう。

「お迎えにあがりました。ここは危険です。逃げましょう」

「逃げるって、どこへ?」

「遠くへ。テロリストたちの手の届かない、どこか遠くへ。僕はどこまででも、あなたを守ります」

「わけがわからないわ。私が今すべきことは、逃げることではなく、この争いを止めることよ。もう一度聞くわ、どうしてあなたはここにいるの?」

 彼は哀れむような表情で私のことを見つめ返した。

 どうして私をそんな目で見るの?私が間違っているの?

 フィルリアは無性に叫び出したい気持ちになった。

「君に何ができるんだい?君にこの争いを止められると、本当に思っているのかい?」

「できるかできないかじゃないわ。それが私の責任よ。私がしなければならないの。他の誰でもない、私だけの責任なのよ」

「君は何も知らないお姫さまだ。世界を知らず、人の醜さを知らない君は、いつも美しい。けど、それじゃあこの世界では生きてゆけない。大丈夫。僕が守るから。僕を信じて」

 彼は狂ってしまったのだろうか?

 フィルリアは恐怖で後ずさりしそうになる足を必死で踏みとどまらせ、「控えよ」と叫んだ。

 自分の中の何かが音を立てて切れた。

「たかが軍人風情が、王族に物申すとは。なんたる不遜な態度か。恥を知れ。命が惜しくば、今すぐこの場を去れ」

 声を荒げる自分をあざ笑うかのように、彼はまだその傲りに満ちた表情を変えなかった。

「大丈夫。君は僕が守るよ。怖がらないで」

「いい加減にしなさいっ」

 広い廊下に自分の声が響いた。こんな無意味なことをしている場合ではないのに。

「わかった、先に説明するよ。だから、よく聞いて。この国でテロが終わらない理由を君は考えたことがあるかい?君たち王侯貴族やネクストたちは、根本的な原因の部分から目をそらし続け、現状の問題だけを見続けた。そうしてテロを起こす人間たちの側に問題があり、それらすべてを排除し続ければいつか問題は解決すると信じていた。本当は、この国自体に病魔が巣喰っているとも知らずに。テロに使う武器はどこから入ってくると思う?他国から?もちろんそれもある。でも、それが全部じゃない。ピースタワーを襲撃してきた奴らが使っていた武器もそうだった。あいつらが使っていたのはこの国の武器だった。そう、この国の誰かがテロリストに武器を横流しているんだ。じゃあ次、誰がそんなことをしているか、だ。そして、誰があのピースタワーでの襲撃を引き起こしたか、だ。それは」

 この人はいったい何の話がしたいのだろう。これではまるで、このテロが正しいとでも言わんばかりではないか。

 彼は、本当に私の知っている彼なんだろうか。

「ゼロン伯爵でしょう?」

 彼はようやくその表情を変えた。

「わかっていたの?」

「なめないで。私は何も知らないお飾りのお姫さまかもしれないけれど、本気でこの国を変えたいと思っているわ。何もできないからって何も知らないわけじゃない。目を逸らさねばならないから目を逸らしているの」

「君も、この七年の間に色々あったんだね。それに、何かのために何かを切り捨てることが、出来るようになったんだね。でもそれならわかるだろう?僕はこの国の未来のために、君のために、すべてを切り捨ててここに来たんだ」

 ああ、わかった。

 彼は変わってなんていなかった。彼は、彼だったんだ。彼は何かを間違えたわけではない。彼は彼として、彼の生きたいように生きたから、こうなったのだ。

 攻撃が激しくなってきた。さきほどからすぐ近くで爆音が鳴っていたが、ついに衝撃が城内を走った。 建物全体がぐらぐらと揺れ、シャンデリアが落ちて甲高い悲鳴を上げる。

「一つだけ答えて、シオン。このテロを起こしたのはあなたなの?」

「ううん、これはテロじゃない。革命だよ」

 それはつまり、どういう意味だろう。

 フィルリアは頭が真っ白になっていくのを感じた。

「ごめん、話はあとで。いくよ」

 そう言って彼は私の手を引く。どこへ行くというのだろう。ここが私の帰る場所だというのに。

 城を飛び出し、停めてある車に乗り込む。街は火の海だった。どこもかしこも戦いが続いている。それをガラス越しに見ると、これは劇で、全部嘘なんじゃないかと思えてくる。いや、それを言うなら自分の存在さえも嘘であるかのようだ。

 一人の軍人が胸を撃たれて倒れた。一人のテロリストが爆弾で吹き飛ばされた。

 みんな、家族がいて、友達がいるのに、こんなにも簡単に死んでいく。

 私は車に乗せられて、どこへ行くのだろう。どうして私の乗る車は爆発して、吹き飛んではくれないのだろう。私が真っ先に死ねば、こんな光景を見ないで済んだのに。私が死ねば、こんな思いに駆られることもなかったのに。


「ここまで逃げれば大丈夫。じゃあ、話の続きをしよう」

 彼はそう言って、車から降りた。フィルリアも開けた草原に降り立った。

 どのくらい車は走ったのだろう。戦火は遠く、その喧噪はもう耳には届かない。

 けれど、西の空がオレンジ色の光を上げているのはしっかりと見える。

 いつか見たあの夕日のように、私の国が燃えて、この暗い世界を照らしていた。

「ゼロン伯爵は、自分が王になって、自分の一族を王族にしようと、君と、敵対する貴族を殺そうとした。テロリストを使って。君が死んで彼が国王になってからこれが公になったら、この国は終わりだ。いつか壊れるとわかってる船に乗り続けるなんて間違ってる」

 彼はまだそんな話をしていた。私にとって、この状況に至った経緯はこのさいどうでもいい。彼が私に何を話そうと、私が彼を許すことはない。

 彼はそんなこともわかっていないのだろうか。

 いや、私の目を見れば、聡い彼ならすぐにわかるだろう。

 わかっているから、許しを請うて、言葉を重ねるのだろう。もうたくさんだ。

「それで?あなたはこのあとどうするの?」

「君を守るよ、どこまでも」

「じゃあ、私はどうしたらいい?」

「自由に生きればいいよ」

「そうね。じゃあ、それを貸してくれないかしら、シオン?」

 シオンは少しためらったが、腰の拳銃を手渡してくれた。

 フィルリアの瞳に、遠く燃える街が映る。

 こめかみにそっと銃をあて、引き金を引いた。

 しかし、引き金は固く動かなかった。

「セーフティがついてるんだ。どうして君は、死のうとするんだい?僕は、君のために。君だけを愛して」

 彼の悲しげな表情は、この目には滑稽にしか映らなかった。

「私もあなたのことを愛していたわ、けれど私は、本気で私のことを愛しながら、それを理性で押さえつけてくれるあなたを愛していたのよ。使命も、尊厳も、幸せな思い出も、すべて忘れてしまったあなたを、私は愛することはできないわ」

「僕は、君のために」

「私のために?」

 思わず零れる笑いを、フィルリアは気にも留めなかった。

「僕は君を守るためだけに生きてきたんだ。君を守りたくて軍人になった。君を守りたくてテロリストと手を組んだ。君を守りたくて、僕は、僕は。テロリストとさえ手を組んで」

 愉快を通りこして、苛立ちを感じる。やはり死ぬ前にこの男を殺しておくべきだろうか。

 フィルリアは銃をいじくりまわしながらそんなことを考えていた。

「本当に私を愛していたなら、誘拐でも駆け落ちでもすればよかったのよ。あなたは、わかっていたのよ。自分が受け入れられないかもしれないということを。だからこんな卑怯な手を使ったのよ。私が、あなたの手を借りなければ生きていけないように仕向けたの。ここからどうやって私が生きてゆけばいいっていうの?私は、あなたの思い通りにはならないわ」

 こんなこと言わずに、さっさと死んでおけばよかった。

 ようやくセーフティが外れたようだ。

 まあでも、これだけは言っておかなければならない。

「私は、本当にあなたを愛していたわ」


 この国からテロをなくすこと。この国をよりよい国にすること。

 それが私の果たすべき役目。私が生まれてきた理由。私の存在理由。私の務め。私の責任。私の義務。私の価値。

 彼のような無垢な少年の美しい心を守るために。彼のような憎しみに囚われた人間を二度と出さないために。

 私は私のなすべきことをする。私という個人に意味はない。私という器だけ、あればいい。

 この七年間、何度も自分に言い聞かせてきた言葉を、フィルリアは思い出していた。

 彼とむすばれる人生もあったのかな。

 いや、それを言うならあのとき彼に殺される未来もあったのかな。

 たしかに、あのとき死んでいれば幸せだったろうな。

 シオンとスククの顔を思い出してから、フィルリアはゆっくりと引き金を引いた。

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