フィルリア 25夏 ある夏の日の夢
フィルリアは言葉を失った。
つい先ほどまでそこに迫っていた死の恐怖は、もうどこかへ行ってしまった。
初恋の人が、七年間一度も忘れたことのなかった彼が、そこにいた。
「姫殿下、ご無事ですか?」
ああ、やはり彼だ。少し声が低くなっているが、その優しい声の響きは変わっていない。
七年ぶりに会ったシオンは、当たり前だが成長していて、昔よりカッコよくなっていた。
「え、ええ。大丈夫よ。シオン」
彼は一瞬目を見開いたが、すぐに平静を装って見せた。可愛くない。
「シオン。あなた、その軍服良く似合ってるわね。昔はあんなにひょろひょろだったのに」
くすくすと笑っていると、シオンは困った笑顔を浮かべた。
フィルリアはようやく状況に頭が追いついてきた。
彼はどうしてこんなところにいるのか。それは彼が軍人だからなのだ。そうか、私は彼の友達ではなく、彼の仕える主君の娘なのだ。
「姫殿下の警護にあたっていた他の軍人たちはどうしましたか?」
「みんな、亡くなったわ。敵はとても人数が多くて。私一人を先に逃がして、最後の一人の兵士が爆弾で階段を破壊してくれたから、敵は追ってこれないはずよ」
フィルリアがバツの悪い思いをしていると、「お前、シオンていうのか。シオンは姫と知り合いなのか?」と誰かの声がした。
振り返ると、そこにも見覚えのある人物が立っていた。
「あなたは」
「七年も経つのに、お姫さまに覚えてもらえているなんて光栄だな」
本当は、あやふやな記憶だった。けれど、七年という言葉ですべて思い出した。
「あのときのテロリストさんね」
「旅川スククっていうんだ、まあ覚えてくれなくていいんだが」
スククはなんだか少し照れているようだった。テロリストとは思えない、不思議な雰囲気の青年だ。
「七年ぶりの再会、か。不思議な縁ね」
「どういう意味だい?」
「シオンに会ったのも、スククに会ったのも、同じ日なのよ」
フィルリアはしまったと思ったが、もう遅かった。
「もしかして、あのとき言ってたのはシオンのことなのか?」
そういえば彼にそんな話をしてしまったのだった。まったく、もう少し自覚を持たなければならない。
「スクク、そろそろ君がここにいる目的を聞かせてもらってもいいかな。それと姫殿下、階段を破壊したとしても敵が上ってくる可能性はあります。私の後ろにいてください」
シオンはスククに銃を向けてそう言った。
シオンに言われ、フィルリアは出入り口から離れた。
青い空に、草花の咲き誇る天空庭園。場所は素晴らしいけれど、できればもう少しロマンチックに再会したかった。シオンの背中を見ながらフィルリアはまたそんなことを思ってしまった。
「シオン、いつまでお仕事してんだよ?今は俺たち三人だけなんだぜ。なんなら俺は下で敵さんとドンパチしてこようか?」
「それはありがたい提案だね。今すぐそうしてくれるかい?」
シオンは冷たい声と少し怖い顔でそう言った。あの日の、幼く、テロリストになすすべのなかった、ただ優しく勇気のあるだけの、無力な彼はそこにはなかった。自分もそうだったように、彼にも彼の七年間があったのだろう。
「バカなこと言うなよ。お前一人でその子を守れると思ってんのか?」
「君を信頼するほうがリスキーだよ。質問に答えてくれないか?」
「じゃあ先に、俺の質問に答えてくれ」
スククはふざけた調子を止めた。彼の目にも鋭い光が宿る。
「お前はこの国が間違っていると思わないのか?」
シオンは少しフィルリアのほうを見た。
「どういう意味かな。僕は別に、この国の制度になんら不満はないよ」
「資産で地位が決まり、権利が決まり、差別が正当化されるこの国の制度が、間違ってるとは思わないのか?」
「どうして僕なんかにそんなことを聞くんだい?僕はただのプラスの軍人だよ」
たしかにおかしな話だ。どうしてこの国の最高権力者がいるのに、一介の軍人に過ぎないシオンにそんなことを聞くのだろう。
「いいから、答えてくれ。俺はお前の意見が聞きたいんだ」
「思わないわけではないさ。この制度は富裕層が特権を手に入れることを正当化するために、自分たちに都合のいい能力主義を謳っているに過ぎない」
「じゃあどうしてお前は軍人でいる?どうしてお前は間違っている側についてる?」
フィルリアもぜひ答えを聞きたかった。
シオンは面倒くさそうに答えた。
「君には軽蔑されるかもしれないけれど、僕は、それはそういうものだと諦めているんだ。世界は変わらない。今までずっとそうだったんだから、これからだってずっとそうだ。正義が勝つとは限らない。正しさを振りかざしても何も解決しない。いま、国がすべきことはテロリストの根絶だと僕は思っている。国王と貴族は継続性、安定性のシンボル。ネクストは美徳と名誉において卓越した存在。テロは無辜の市民を殺す許されない行為。そういうものなんだよ」
スククはシオンを睨み付けた。
「難しいことは俺にはわかんねえけど、学校でお前が学んだのは世の中の諦め方なのか?正当化するための理屈を教え込まれてそれでオッケーってか?」
「わかってるじゃないか。そうだよ、教育には自国の政治制度を維持するという目的もあるんだ」
「わかったうえで踊らされてるってことか。まったく、つまんない奴になっちまったんだな」
「じゃあ聞きたいんだけれど、まったく無関係の人間が、ある日テロで命を奪われることを、ある日突然大切な人が殺されることを、君はどう思っているんだい?」
シオンは呆れたように問いかけた。
「忘れてたよ。お前はやっぱり、プラスだったんだな」
スククの目は怒りを湛え、シオンを真っ直ぐに睨み付けた。
「明日も自分が生きている保障なんてない。大切な人が突然不合理に殺されても、何もできない。それが俺たちにとっての当たり前だ」
「だからって、君たちの行いを正当化することにはならない」
「俺たちの叫びはっ、もう誰にも届かないんだっ」
スククの悲鳴にも似た叫びは、青い空に響き渡った。
「奪われた言葉の代わりに、自分の命を一発の弾丸にして、この国に投げつるしかないんだよっ。ゴミみたいに死んでいく俺たちの命に意味を与えるには、そうするしかないんだよっ」
シオンは何も言わなかった。ただ、哀れむようにスククを見つめていた。
「フィルリア、俺はあんたにも聞きたかったことがある」
スククはそう言って、顔をフィルリアのほうへと向けた。
「あんた、七年前に俺に殺されかけたこと、覚えてるか?」
「ええ、覚えているわ」
「あのとき、俺になんて言ったかも覚えてるか?」
「覚えているわ。あの思いを話したのは、あなたとシオンにだけだもの」
あの思い。シオンを愛しているという、今も変わらぬあの思いだ。
「でもあんた、婚約したんだろ?」
嫌なことを言う。
確かに、今日の演説で婚約を発表した。その直後に一度目の爆破が起こったのだ。
「それとこれとは別の話よ。そんなのわざわざ聞かなくてもわかるでしょう?」
「いいや、俺にはわからないね。あんたは、そいつのことが好きだったんじゃないのか?」
「面白いことを言うわね。好きな相手と結婚できるとは限らないじゃない」
こんなときに、こんなところで、彼の前でそんなことを聞くなんて、いじわるにもほどがある。
「できるできないじゃない。したいかしたくないかって聞いてるんだ」
「あなたは、子どもね」
「自分の気持ちに蓋をして、やりたくないことを無理やりやらされるのが大人だっていうのか?そんなの奴隷と変わらないじゃないか」
「テロリスト風情が」
フィルリアはふつふつと湧き上がってくる怒りを隠すことができなかった。
「あなたはきっと自分よりも大事なものがないのね」
スククは明らかにその一言に動揺した。「違う、俺にだって。俺は、ただ」と言い訳がましく繰り返したが、バリバリという音が彼の声を引き裂いた。ヘリが近づいてきたのだ。
ヘリが巻き起こす風が草花を散らし、降り立った場所を踏み荒らした。
儚い夢は終わりを告げた。




