スクク 18夏 One day
旅川スククは夕日に染まる街を駆けていく少女と、それを追いかける男を見た。
スククは自分の目を疑った。
少女の髪が金色に見えたのは夕日のせいだからだと思ったからだ。
けれど、後をつけているうちにそれは確信へと変わった。
彼女は現国王の一人娘、フィルリア姫に間違いなかった。
そして彼女は、スククの暗殺対象の一人だった。
こんな幸運があってもいいのだろうか。プラスの街どころかネクストの街にさえも滅多に姿を現さないこの国の姫を、ふらっと散歩していたときに見つけられるなんて。武器は拳銃が一丁あるだけなのが本当に残念だが、これ以上の幸運を望むのも野暮というやつだ。
スククは拳銃を構え、すぐにフィルリアたちのあとを追った。
川に架けられた橋の近く。そこに止められた車の前でフィルリアは男たちに取り囲まれていた。スククはそれを見て、建物の陰から飛び出した。
弾は六発。敵は見える範囲で五人。車の中にも何人かいるだろうし、まだ近くに潜んでいるかもしれない。無駄弾は一発だって使うわけにはいかない。
スククはフィルリアを狙って躊躇いなく引き金を引いた。
夕方の空に銃声が鳴り、鳥たちが羽ばたいた。
赤というにはあまりにどす黒い色をした血が、ビチャビチャと道にばら撒かれる。
はやる気持ちが手を震えさせたのか、もしくは走りながら撃ったためか。
ともかく狙いは少し反れ、となりの男を撃ち抜いた。
スククはふっと息を吐き、もう一度、今度は立ち止まって狙いを定めた。
護衛の男たちは狙撃に気付き、フィルリアを囲い始めた。
初弾で決められなかったことを悔やみながら、スククは落ち着いて一人ずつ敵を撃ち抜いていった。
スククの体術はテロリストの中では並み程度だったが、銃の腕は悪くなかった。これだけ近づけば、もう外さない。
銃を構える暇さえ与えない。
おまけに向こうは一塊になって姫を守っている。これなら的にしてくれと言っているようなものだ。
護衛というのもくだらない仕事だ。自分の命より大事なものなどないに決まっている。
最後の一発で、何とか護衛の奴ら全員を地面に這いつくばらせた。後はフィルリアだけ。素手でも十分に殺せるだろう。
スククは拳銃をジャケットの内ポケットに仕舞いながら、すばやくフィルリアに近づいた。そして、ためらいなく首に手を掛けた。
彼女は抵抗もせず、その場に棒切れのごとく倒れ込んだ。スククも一緒になって倒れ込んだが、首を絞める両手は離さなかった。
体を起こして馬乗りになり、細く白い首を絞める腕に、よりいっそう力を込める。
フィルリアは写真やテレビで見るよりもずっと美人だった。尤も、健康的で柔らかなその美しさは、スククの怒りをあおるだけだった。こいつらが裕福な生活を営む傍らで、自分たちアドバンストは地獄を見ているのだ、と。
けれど、彼女の白い肌が段々と赤くなっていくなかでスククは奇妙なことに気が付いた。
そして思わず手を緩めた。
「どうして抵抗しない?どうしてそんな顔をするんだ?お前はこれから死ぬんだぞ。どうして」
フィルリアはスククの手を振りほどこうとしなかった。ただぎゅっとワンピースの裾をつかむばかりで、一切の抵抗をしなかったのだ。
それに彼女の目は、どこか穏やかだった。顔はたしかに息苦しさから苦悶の表情を浮かべていたが、その目は真逆の感情を湛えていたのだ。
スククは気味が悪かった。
「私は、ついさっき、初めて愛を知ったの。もう、悔いはないわ。いいえ、むしろ素晴らしい人生だったわ。死ぬなら、今日しかないと思っていたの。ちょうどいいわ」
フィルリアはせき込みながら、掠れた声で言った。
「愛を知ったら、もっと生きたくなるものじゃないのか?」
彼女の首に残る自分の指の跡が、生々しく、そして醜く目に映った。
「もう二度と、会えないの。長生きしたって苦しいだけよ」
身分違いの恋というやつなのだろうか。
スククは途端に胸に淡く黒いものが滲み出るのを感じた。それはスククにとって、はじめての感情だった。
そのとき、肩に大きな衝撃が走り、スククは思わず倒れ込んだ。
痛みに悲鳴が出そうになるのを必死で押さえ、短い呻き声をあげる。
つらいときも泣きたいときも歯を食いしばって堪えろ。それが死んだ父の口癖だった。
どうやら左肩を撃ち抜かれたらしい。
痛みを堪えて目を開け、右手で肩を触ると生暖かい血がどっぷりと手についた。
弾は貫通したようだが、この出血量はまずい。
スククはなんとか身体を起こした。
フィルリアの白いワンピースが赤く染まっていた。返り血を浴びたらしい。
一瞬、その純白が朱く染まっていく様に目を奪われる。
が、すぐに現在の状況を思い出し辺りの様子を確認した。軍人らしき人影が一つ、こちらに近づいてきている。まだだいぶ距離があるが、狙撃してきたのは奴だろうか。
スククは立ち上がると、中腰の状態で走り出した。
あの距離で当ててくるのか。姫に当てる可能性だってあるのに、かなりの奴だ。頭を狙ったのが、少し外れて肩にあたったのだろう。ネクストあがりのお坊ちゃんじゃない。このままじゃ殺される。
「逃げるなら、姫を殺してからにしろ」
テロリストとしてのスククが、逃げる自分を怒鳴りつけた。
けれど、スククはもう彼女を殺せなかった。
彼女も自分と同じ、恋をして、運命に苦しめられて、もう死にたいと思ってしまう、一人の人間だと知ってしまったから。
太陽が沈み、淡い光だけが残る街を、スククは無我夢中で走った。
どれだけの時間逃げ回っていたのだろう。空にはたくさんの星が瞬いている。
スククはもう体力の限界だった。
肩に銃弾を受けた後一旦はその場から逃げられたが、追手はすぐにやってきた。
肩の傷は無尽蔵に血を吐き出し、視界を狭め、次の一歩を重くする。血はどこまでも滴り落ち、スククの居場所を追手に伝え続けた。
これではもう持たない。スククは自分の強運もここまでかと諦め始めていた。
スククは難民としてこの国にやってきた。生まれた国は戦争の真っ只中で、スククの両親は国を離れることを決断した。けれどこの国にたどり着いた途端、両親は殺された。この国では不法入国しようとする者はすべて問答無用で射殺されるというのは、後から聞いた。
しばらくは運よく自分だけ生き残った幸運よりも、その不幸を恨む毎日が続いた。
アドバンストには何の保障もなされていない。
年端もいかない子どもを養ってくれるところはもちろん、働かせてくれるところなどあるはずもなかった。
スククは移民の子だったため、他のアドバンストたちから迫害されることも多かった。クズがクズをいじめて心の安定を得る、醜い世界だ。
ゴミを漁り、商品を盗み、逃げ惑う。それの繰り返しだ。常にお腹を空かし、明日のこともまともに考えられない。今日の飢えをどう凌ぐか。それだけだ。
「この国で親のいないアドバンストの子どもが生きるためにはテロリストにでもなるしかない」
自分を拾ってくれたテロリストグループのリーダーに、スククはそう教わった。
実際、テロリストに拾われてよかったとスククは心から思っている。
食事を得て、寝る場所を得て、仲間を得ることができた。やっていることはただの人殺しであることに間違いないが、そこには大義がある。生きるために仕方なくやっていることだとしても、そこに大義があるのは救いだ。
それに、両親を殺された憎しみも、この世界に対する漠然とした怒りも、スククの中には確かにあった。
だから、今までネクストやプラスを殺すことを躊躇ったことなどなかったのだ。
「私は、ついさっき、初めて愛を知ったの。もう、悔いはないわ。いいえ、むしろ素晴らしい人生だったわ。死ぬなら、今日しかないと思っていたの。ちょうどいいわ」
思考の鈍くなった頭は先ほどから彼女の言葉を反芻している。
彼女の涙で濡れた顔が頭から消えなくなっていた。
自分が死ぬのは今日かもしれない。いや、今日がいいのかもしれない。スククはそんなことを考えていた。
もう足が前に進まなくなった。スククは細い路地で崩れ落ちるように座り込んだ。
プラスの街で座り込んでいればすぐにアドバンストだとわかってしまう。誰かに見つかれば通報されてしまうだろう。
そんなことはわかっていた。
けれど、スククにはもう立ち上がる気力も、その理由もなかった。
姫を殺して死ぬか、姫を殺さず死ぬか。それはもう、スククにとってあまり違いがなかった。むしろ、どうせ死ぬなら殺さなくてもよかったとさえ思っていた。
彼女も、人間だったのだ。姫とか、特権階級とか、そういうことは関係ない。ただ一人の、心を持った人間だったのだ。
今さら何を善人ヅラしているのかと、スククは自分を笑った。
誰かの声がする。声はとても近い。スククはうっすらと目を開けると、しゃがみ込んでこちらを覗き込んでいる少年と目があった。
「君、大丈夫かい?」
自分と同い年くらいだろうか。
「ほっとけ」
「肩、血が出てる。医者に行かなきゃ」
無垢な瞳。彼もきっと彼女と同じ、恵まれた子どもなのだろう。
「医者は、行けない」
「わかった。それなら君をどこへ連れていけばいい?」
そう言いながら、彼はスククの腕を自分の肩に乗せて無理やり起き上がらせた。
「仲間の、ところへ」
「わかった」
君、軽いな。大丈夫か、しっかりしろ。彼はそんな言葉を繰り返した。きっとスククの意識を保つためだろう。
スククはもう自分がどこを歩いているかも、どこをめざして歩いているのかもわからなかった。
けれど、彼の体温と、彼の言葉だけはしっかりと感じていた。それが今のスククのすべてだった。
ふらふらとおぼつかない足取りだったが、二人は確かに街を進んでいった。
「なあ、お前、どうしてこんなことをするんだ?お前、わかってるんだろ?」
「ああ、アドバンストなんだろ、お前」
「いいや、テロリストさ」
「そうなのか」
彼は驚いたようだが、それ以上の反応は何もなかった。
スククは回りくどい聞き方を止めた。
「どうして俺を助ける?」
「わからないんだ」
彼は考え込むように少し黙ったあと、思い出したように言った。
「ただ、今は、目の前で苦しんでいる人を見過ごしたくないって思ったんだ」
「なんだよ、それ」
「なんなんだろうね。ほんと」
彼の優しい笑い声を聞くと、スククの意識はそれっきり途切れてしまった。
輝く星だけが、スククとシオンを見守っていた。
目が覚めると、スククはベットの上にいた。
見覚えのある天井。スククの所属するテログループのアジトにある、医務室だった。
スククは何が起こったのかわからなかった。
ただ、あのとき感じた彼の体温と言葉が、夢でないことだけは確かだった。
後から聞いた話だがあの少年が、アドバンストの街の中で特に治安が悪いとされる端のあたりまで自分を背負って歩いてくれたらしい。そこで仲間の一人が自分を見つけ、ここまで運ばれたとのことだった。
少年は、スククの血で汚れた服を洗って乾いたら帰っていったという。
彼は特に何も言っていなかったそうだが、よくよく考えれば有り得ない話だ。
プラスの少年が、行き倒れているアドバンストを助ける。
そんなことが本当にあるのだろうか?
スククは長い間、彼の行動の意味を考えていたが、答えは出なかった。
いつか、そんな日は来ないかもしれないが、いつか再び出会えたら。彼に礼を言った後で、聞いてみよう。スククは珍しく、ロマンチックにそんなことを考えた。
そして、三人の十八歳の夏が終わる。
三人の物語は、ここで終わり、ここから始まる。




