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シオン 18夏 プロローグ

 世間一般に溢れる物語ならば、この出来事はせいぜいプロローグに過ぎないだろう。

 大したことは何も起こっていない。むしろ、ここから始めなければならないくらいだ。

 けれど、シオンにとってはここがクライマックスだった。

 突然訪れたその一日は、シオンの人生にとって最も素敵な一日であり、最も美しい思い出となった。

 だからこの物語にはプロローグとエピローグしかない。

 彼の残りの人生は、そのたった一日によって鮮やかに彩られる、エピローグへとなったのだから。



 ギラギラと照りつける日差しが、人々に容赦なく降り注ぐ。靴を履いているからわからないが、タイルで舗装されたこの道も、きっと焼けるような高温になっているのだろう。

 しかし湿気はさほどなく、カラッとした空気は嫌な暑さではない。

 小湊シオンは首をつたう汗をそっとハンカチでぬぐった。

「あっついなあ、おい」

「ほんと。サウナだよ。はやくどっか入ろう」

「冷たいもんが飲みたいよね」

 この暑さだというのに、街は人であふれている。みな物好きだ。

 けれどそれはシオンたちも同じだ。

 長く続いた試験週間がようやく終わった放課後、いつもつるんでいる男女四人で街へ繰り出した。この解放感の中では、夏の日差しも汗も、それほど不快には感じない。

 けれど、その気分も耳をつんざく轟音ですぐに吹き飛ばされた。

 爆音のあとを追って、突風が街を駆け抜ける。

 シオンたちはすぐにその場にしゃがみ込み身体を小さく丸めた。

 物が破壊される音。短い悲鳴。物がぶつかり合う音。怒鳴り声。

 背中にぽつぽつと小さな礫があたり、肺を土煙が満たしていく。

 どうやらわりと近いらしい。

 視界は灰色に霞んでいき、思わず目をつぶった。

 それから数秒後、一瞬の静けさが訪れ、すぐに大勢の人間が動く気配が戻ってきた。

 シオンたちもおもむろに立ち上がり、あたりの様子をうかがう。

 目だけで会話をして、煙の濃く上がっているほうと反対に走り出した。幼い子どものように四人でしっかり手を繋いで、少しでも遠くをめざし地面を蹴った。

 出店が多く並ぶ繁華街をまっすぐに抜け、川に出る。

 煙はまだ見えるが、ここまでくればひとまずは安心だろう。川沿いに置かれたベンチに四人は崩れ落ちるように座り込んだ。

「はあ、つかれた」

「やばかったな」

「けっこう近かったよね」

 みな堰を切ったように話し始めた。緊張が緩んだのだろう。

 シオンたちの国では、テロは日常茶飯事だ。突然起これば誰しも驚きはするが、その衝撃は長くは残らない。出会ってしまったら運が悪かったというだけで、あまりテロを怖れてびくびくしていては生きてゆけないのだ。

 特に、シオンたちは物心ついてからテロが頻発するようになった世代で、テロの無かった時代を知らない。同級生がテロに巻き込まれ亡くなったのも一度や二度ではない。だからこそ、テロは日常の一部なのだ。

「あーあ、オレ、親に怒られるな」

「私も。お小遣い減らされるかも」

「黙ってれば?」

「いや、さすがにそれは。ばれたら後が怖いからな」

 四人はすぐにその場で解散し、各々家路へと急いだ。

 試験が終わった解放感はどこかへ行ってしまい、重苦しい現実感が背中に戻ってきていた。正直言って面白くないが、命があったことには感謝せねばならない。


 この国で起こるテロは、アドバンストと呼ばれる種類の人間によって行われる。アドバンスは移民や少数民族などで構成されており、身分を隠しての労働や物乞い、窃盗などで生計を立てている場合も多く、テロを起こす動機は数え切れないのだ。

 この国に住む人間は住む地区によってネクスト、プラス、アドバンストの三つに階級が分かれている。これは国が正式に取り決めた名称であるが、身も蓋もなく言ってしまえばネクストが富裕層、プラスが中間層、アドバンストが貧困層ということだ。

 この国ではその人の持つ経済力、すなわち金を稼ぐ能力が重視され、所得によって完全に居住区を分けられている。

 そして、能力によって人を測る仕組みであるため階級の差は、権利の差に直結している。具体的にはネクストにのみ参政権が与えられ、プラスは学校や病院などの公的施設を無料で利用する権利が与えられている。そしてアドバンストは所得税などの税を納めていないため、一切の保障がなされていない。

 もちろんこの制度は不平等ではないかという意見はしばしば聞かれる。

 けれど、それは必ず次のような反論にあう。

「これは不平等ではない。むしろ非常に公平で、なおかつ効率的だ。なぜならこの制度は完全なる能力主義であり弱肉強食という世の中の唯一にして絶対の法則を基盤としている。そして優れた者が統治することによって優れていない者も同じように自分自身の身の丈に合った幸せな人生を送ることができる」

 生まれですべてが決まるわけではない、というわけだ。

ある一定以上の収入があることを証明し、きちんと高額の家賃を払うことができれば誰もがネクストになれる。逆に、もしネクストの親を持つ者であったとしても、親の扶養を外れ自身の力で稼ぐようになり、そこで一定以上の財を生み出すことができなければアドバンストに転落する。

 たしかにこれは事実だ。

 けれど、金を稼ぐ能力を持たない者は政治に参加する権利がないのは間違っている。ネクストの連中が自分たちに都合の良い政治を行っている。と主張し、アドバンストの過激な思想の持ち主たちはテロを起こすのだ。

 近年、アドバンストの増加と、それに伴う治安の悪化、テロの増加が著しい、と学校で習った。そしてそれは税金も納めず勝手にこの国に棲みついている彼らの筋の通らない理屈であり、嫌ならそっちが出て行けばいい、という話も聞いた。これはシオンたちの通う学校がプラスの学校だからだろう。

 アドバンストたちは近年、ネクストたちから国を乗っ取ろうと、組織化してテロ活動を起こしているらしい。しかし、それはアドバンストに対する負のイメージを強化し、彼らに対する暴力や差別などの排斥運動がさらに過激化するという悪循環をもたらしているそうだ。

 そしてテロは今日も起こる。

以前はネクストの住む地域でのテロが頻発していたが、周囲に塀をはりめぐらし二十四時間体制での厳重な警備が敷かれたため、テロはプラスの住む範囲でも多発するようになった。

 テロリストの根城にたびたび兵を派遣したり、プラスの居住区にも警備の者を多数配置したり、武器の密輸ルートを押さえたりとネクストたちも対策に躍起になっているがまだまだテロは減らない。

 正直に言えば、シオンにとってはアドバンストや階級の問題はどうでもよかった。そんな難しいことを言われてもわからないし、どっちの言っていることも正しいように思われる。だったら、強い方の意見が通るのは当たり前だ。

 それよりも、テロそのものが、シオンには慢性的な頭痛と同じくらい困った問題だった。

 ネクストたちが彼らの要求を聞く可能性はゼロであるから、遅かれ早かれテロリストは全滅する。

 しかし問題はそれまでに自分たちの青春が終わってしまうことだ。命が惜しければ家でじっとしていればいいが、シオンはいま意味もなく街に出たい年頃なのだ。

 学校でも家でも指導はされている。人が多いところには極力行かないように。繁華街などは特に気を付けるように、と。

 みんなはきっと叱られるだろう。うちの親は「気を付けなさい」と一言二言小言を言って終わりだろうが、みんなの家はそうではない。

 シオンは憂鬱な気持ちと共にゆっくりと家へ向かった。


 翌日、することのなかったシオンは性懲りもなく一人街へと繰り出した。プラスの街の中心から少し離れたところに、行きつけのレストランがあるのだがそこに行きたかったのだ。

 普段は混雑しているそのレストランも平日の昼下がりはさすがに空いている。せっかくの試験休みに行かない手はない。

 髭まで真っ白なマスターは笑顔でシオンを迎えてくれた。

「おう、いらっしゃい。学校はサボりかい?」

「試験休みなんだ。昼ごはんまだなんだけど、なにかおすすめある」

「新作のパスタとピザが自信作なんだが、これが中々売れてないんだ。どうだ?」

 正面のカウンターに腰かける。売れていないのにマスターは楽しそうだ。

「じゃあそれにする」

「お、ありがとよ。せっかく天気いいんだし、外のテラスで食べるのはどうだ?」

「ん、そうしようかな」

 シオンは店先のテラスに頬杖をつきゆっくりと料理がくるのを待った。

 昨日よりも少しだけ弱まった日差しと、穏やかな風が心地いい。

 この時間のために自分は生きているのではないかと思えるほどの幸せを感じながら、シオンは遅めのランチを食べた。

 食後はゆっくりとコーヒーを飲みながら街を眺めていた。茶色やクリーム色の家々が並ぶカラフルで、でも落ち着いた雰囲気の街並みがシオンはとても気に入っている。

 プラスの子どもたちは高収入の仕事についてなんとかネクストになろうと必死に勉強するものらしいが、シオンはこの街が大好きでプラスでいられるならそれでいいと思っていた。

「あなた、どうしてこんな天気の良い日に一人でいるの?」

 シオンは声のほうへ顔を向けた。かわいらしい少女が店のすぐ前に立って、こちらを見ている。

「こんなに良い天気だから、一人でゆっくりしたいんだよ」

「わからないわ。ねえ、ごちそうしてくれるなら一緒にランチしてあげてもいいわよ」

 彼女はそう言いながら乱暴に椅子を引き、シオンの向かいの席についた。

「悪いけど、僕はもうランチを済ませたんだ」

「あなた、つまらない人ね。もっと人生楽しまなきゃ損よ。こんな可愛い女の子がランチに誘っているんだから、答えは一つでしょう?」

 眼鏡に茶色の長い髪。彼女の言葉や振る舞いはその上品な容姿に反して、いささかお転婆に映った。

シオンは小さなため息と一緒に手を伸ばし、メニューを彼女に差し出す。

「どれか一つだけだよ」

「食後の紅茶は別よね」

 口をすぼませ上目遣いで囁く。

 彼女の尊大な態度は、一周まわってどこか心地よかった。

 彼女は、見ず知らずの人間にランチをたかっていたとは思えないほど優雅に食事をした。あまりじろじろ見るのは失礼だとは思ったが、その上品な食べ方に少し見惚れてしまった。人の食べ方など気にしたことがなかったが、さきほどまでの振る舞いとあまりにギャップがあって、目を奪われてしまったのだ。

 食事を終えると彼女は幸せそうに紅茶を飲んだ。

「とてもおいしかったわ。シェフを呼んでくれない?」

「君は、ちょっと変わってるね」

 シオンは思わず小さな笑みがこぼれた。

「なに?私おかしなこと言った?」

 彼女が少し浮かべた恥じらいの表情も、なんだか気品が漂って見えた。

 そのとき、バンという破裂音が渇いた空に響いた。

 鼓膜が痛みを伴ってじんわりと震える。

 近い。あまりにも近すぎる。そう思ったときにはもう遅かった。

「何も持たずに店の中へ入れ」

 銃をまっすぐに空へと向けた男は、二人にそう言った。ニタニタと口の端を上げて笑っている。シオンは胃の中のものがグルグルとかきまわされているような気分の悪さを感じた。

 茶髪の彼女を先へ促し、シオンは店内へと入った。

 逃げ場のない店内に入る前にここでイチかバチか逃げた方がいいのかもしれないと思ったが、すぐにその考えは消した。

 銃を持った男たちは全部で四人もいたし、何より茶髪の彼女が震えていたのだ。

 自分の命を賭けるにしても、それが今じゃないことは明らかだった。

 店内には他に数人の客がいた。

 正面のカウンターで新聞を読んでいる初老の男性も、テーブルでおしゃべりをしている二人組の若い女性も、一人食事をしているきちんとした身なりの男性も、誰もが身体を固くしたのがわかる。

 リーダーらしきテロリストの中で一番年長の男が、カウンターの前に並んで座るように告げた。そしてさっき銃を撃った若い男が全員の手をロープで縛っていく。他の二人は店のドアを閉め、その周りにテーブルや椅子を積み上げバリケードをつくりはじめた。

 リーダーらしき男は40歳前後。他の三人は20代くらいだろう。他の三人は興奮しているのかいちいち動きがおぼつかないが、リーダーのほうは手慣れた様子だった。彼は準備が整ったのを確認し、店の電話を使って軍に連絡を入れた。

「我々はプラス居住区、セントラルタウンにあるレストラン、グランカフェを占拠した。人質は七人。要求は、王の身柄を差し出すこと、そしてマスターによる腐敗した独裁政治にケリをつけることだ。これから六時間以内に要求がのまれない場合、人質は全員殺される。繰り返す。これから六時間以内に要求がのまれない場合、人質の命はない」

 若い男たちは、口笛を吹いたり雄たけびを上げたりしたが、彼は何事もなかったかのように静かに受話器を置いた。

 シオンは自分たちの置かれた状況が絶望的であることを再認識した。

 人質をとったテロリストの立てこもり事件はこの街でも後を絶たない。

 そして人質全員が無事救出された例はほぼ皆無だ。

 理由は、テロリスト側の目的が要求を通すことではなく、世論に影響を与えることだからである。彼らは到底のめるはずのない無茶苦茶な要求をマスターにふっかけ、結局人質を殺す。そうしてこの腐った国のせいで無辜の市民が殺された、という印象を世論に与えたいのである。

 だからこそ要求はのまれないものだとわかっているし、彼らは自分たちの命さえも諦めている。いわば、時間のかかる自爆テロのようなものなのだ。

いきなり爆発してそれでおしまいでないぶん、生存率は少しばかり立てこもりのほうが高いだろうが自分たちの命が風前の灯であることに変わりはない。

 隣に座る茶髪の彼女は俯き、青い顔をしている。小さな物音に過敏に反応したりとずいぶん参っているようだ。さっきもテロリストの一人がくしゃみをしただけでびくりと肩を震わせ、怯えた目でそちらを伺っていた。

 初老の男性が少しつらそうにもぞもぞと動いている。腰でも痛いのだろうか。若い男性もさっきから冷や汗が止まらないようだし、若い女性たちは声を押し殺して泣いている。

何とかしなければならない。けれど、いま自分に出来ることは何もない。周りにどれだけ目を配っても、わかるのは自分の無力だけだった。

 少しして外が騒がしくなりはじめた。どうやら軍が到着したらしい。「人質を解放しろ、お前たちはすでに包囲されている。逃げ場はない」そんな内容の放送が何度か繰り返されたが、それもしばらくして止んだ。

 どれくらいの時間が経ったのだろうか。テロリストの一人が飽きたらしく立ち上がって店内をうろうろし始めた。そして、茶髪の彼女を見てこんなことを口走った。

「こいつ、なかなか上玉じゃねえか?」

 そう言うと、彼女の顎に手をやった。

 ふざけている。人を人ともみなしていないとはこういうことを言うのだろう。

 シオンは気が付くと、「その子に触るな」と口に出していた。

「ああ?」

 ぎろりと睨まれる。しまったと思ったがもう後には引けない。

 それに、引きさがるつもりもなかった。

「テロリスト風情が。汚い手でその子に触るなよ」

 我ながらキザなセリフだ。まあいい。テロリストは安い挑発に乗り、シオンを殴り飛ばした。

 彼は握り拳やら足やら、銃の柄やらを使ったバリエーション豊富な暴力を振るってきた。

シオンは何度殴られようとも、ニヤリと不敵に微笑んだ。そして、それが彼の怒りに油を注いだらしい。

「こいつ、殺していいか?」

 ひとしきり殴ったあと、そいつは肩で息をしながら言った。

「やめておけ。銃声で外の奴らが入ってくる可能性がある。それに、人質は多い方がいい」

 リーダーらしき男があきれた様子で答えた。

「いいだろ、一人くらい。見せしめに殺しといたって」

「俺たちは快楽殺人鬼ではない。目的達成のために、理性的に行動しろ」

 若い男は苛立ち、椅子の足を掴むと、シオンに向かって投げつけた。椅子がシオンにぶつかり、そのまま床に落ちて乾いた音を立てる。

 散々殴られた後で、もう今さら痛くもなかった。

「わかったよ」

「ありがとう、同志よ。殺しさえしなければ何をしても構わない」

「さすがリーダー。話がわかるな」

 彼はスタスタと茶髪の彼女のほうへ歩み寄った。

 シオンは何とか身体を起こし、男のもとへタックルを試みる。しかし難なく蹴り飛ばされ、シオンはまた床に転がされた。

 ざらざらとした床の感触を頬がひりひりと伝えてくる。

 両手が使えないと立ち上がるのも一苦労だ。

 けれど、ここでくじけるわけにはいかない。

 シオンは何度床に這いつくばろうが立ち上がり、足にしがみついてでも彼の歩みを阻もうとした。

「くっ、誰かこいつ押さえとけ。こいつの前で犯してやる」

 痺れを切らし、彼はそう言った。シオンのほうはもう体力の限界だった。

 そのとき、さっきまで下を向いていた男性が「うおお」と叫び声を上げながら立ち上がり、テロリストへ向かって走り出した。

 ドンドンと床を踏み鳴らし、一心不乱に進んでいくその様は、強い意志と圧を持った攻撃そのものだった。

 テロリストは受け身を取る間もなく彼に押し倒された。そしてその直後、パンという冷たい音が鼓膜を震わせた。

 殴られたせいで腫れているらしく、よく見えない目を必死でこじあける。

 男性の身体から血が流れだし、床に赤い池をつくっていた。

「おい、何してるっ」

「だ、だって、こいつが」

 彼の動揺した声がシオンにはただただ不愉快だった。

 体中を駆けずり回る怒りを足に込め、シオンは立ち上がった。

 そのとき、ドアのほうで何か大きな音がした。ガラスの破片が店内に飛び散り、高く積みあげられたテーブルや椅子が音を立てて崩れ落ちる。軍人たちがドアを突き破ったのだ。

「くそっ、迎撃だっ」

 リーダーの男がそう叫んだが、もう手遅れだった。

 破られた扉から銃を携えた軍人たちが次々と店内に押し寄せてくる。

 シオンは残った力を振り絞り、茶髪の彼女のもとに駆け寄った。銃撃戦はもう始まっている。

「かがんでっ」

 シオンはあらん限りの声で叫んだが、彼女の耳に届いたかはわからない。

 一発でも、急所に当たればまず命はない。

 あとは運に任せるしかない。

 シオンは彼女に覆いかぶさるようにして、身体をなるべく小さく丸めた。

 一発二発、弾丸が腕をかすめ、鋭い痛みが走ったときにはもうダメかと思ったが、気づくと銃の音が止んでいた。

「君たち、大丈夫か?」

 背中のほうで声がする。ああ、ようやく終わったのだ。

「大丈夫なわけ、ないよね。死ぬかと思ったよ」

 火薬と血の匂いに満ちたレストランで、シオンは涙を目に溜めた彼女にそう笑いかけた。


 二日後、シオンが退院すると、夏の日差しはいっそう強くなっていた。

 まだ体の痛みがすべて消えたわけではなかったが、せっかくの試験休みをもう一日半も潰してしまった。シオンは早々に病院を去ろうとすると、玄関の前に怪しげな黒塗りの高級車が停まっているのが目に入った。あまり関わりにならないほうがいいかと思っていたら、車の中から人が降りてきて、シオンのほうへやってきた。

「小湊シオン様ですね。一緒に来ていただけませんか?」

「僕、今退院したてなので出来れば真っ直ぐ家に帰りたいんですが、ご用件はなんでしょう?」

「姫殿下がお呼びです」

 車の後ろのドアが開かれた。物を言わせぬその様子にシオンはしぶしぶ従うことにした。

 開かれたドアから車へ乗り込む。広い車内やふかふかのシートにシオンは何だか居心地の悪さを感じる。いっこうに状況が理解できないまま車は真っ直ぐに王宮へと向かっていった。

 姫殿下が自分に何の用があるかはわからないが、直接聞けばそれでいいだろう。

 門をくぐりぬけ、ネクストが住まう地区を進む。

 基本的に、プラスとアドバンストの人間はネクストの住む地区に入ることができない。

 シオンはネクストの居住区に入るのは初めてで、あまりに清潔で整然とした街並みに驚いた。

 白く清潔感のある建造物の数々。道を歩く人々の上品な身だしなみ。道にゴミなどまったく落ちておらず、綺麗なことは綺麗だが、なんだか潔癖過ぎてシオンは自分が住んでいるところのほうがいいと思った。

 中心街に置かれた芸術的な噴水の前を通り過ぎ、車はさらに奥へと進む。いつも遠くに小さく見える城がだんだんと大きくなってきた。

 門をくぐり、城の敷地へと入る。

 プラス居住区とネクスト居住区の境界を越え、さらにネクスト居住区と城の間の門を抜け、ようやくたどりついたそこはまさしく別世界だった。

 綺麗に整えられた花々が咲き誇り、ネクスト居住区のそれよりもさらに美しく荘厳な噴水を横目に、車は城の前で止まった。

 ドアを開けようとすると、助手席に座っていた男が「いま開けますのでおまちを」と抑揚無く言った。

 いつも見ているはずの王城は、近くから見ると大きく少し恐ろしかった。

 中に通され、応接室のような場所に連れていかれた。高い天井を見つめていると、金髪の美しい女性が扉から現れた。

 テレビで見たことがある。現国王の一人娘、フィルリア姫殿下だ。

「こんにちは、小湊シオンさん」

「こんにちは姫殿下」

 いったい何の用だろう。ともかく余計なことを言わないほうがいいことは確かだろう。

「わからない?まあ無理もないわね。私の変装は完璧だから」

 その尊大な口調と声に、シオンは何か引っかかった。

「あれ?もしかして」

「そう。一昨日、あなたに命を救われた絶世の美少女はこの私、フィルリア姫殿下だったのです」

 彼女は胸に手を当て華麗にポーズをとって見せた。

「驚きました」

「なによ、その反応は。私が馬鹿みたいじゃない」

 率直に感想を述べただけなのに、お姫様はどうやらご不満らしい。

「目上の人間と話すときは、だいたいの人間はこんな感じですよ。それに相手はあの姫殿下ですから」

「気にしないで。あなたは私の命の恩人なのだから」

「いえいえ、めっそうもありません。知らなかったとはいえ数々のご無礼、お許しください」

 シオンは目をつぶり、頭を下げた。

「だからやめてちょうだいって。私はあなたに感謝しているのよ。私とあなたは対等よ」

「あ、そっすか?じゃあ敬語は使わなくていっすかね?」

「すでに敬語がくだけはじめてるわよ。あなた、真顔で言うから冗談なのか本気なのか全然わからないわね」

「やだな、全部冗談に決まってるじゃないですか」

 フィルリアは楽しそうに笑った。

「まったく、怖いものなしね。まあいいわ」

 彼女は仕切り直したいらしく、コホンと咳払いをした。

「あなたは私の恩人です。なにか褒美に欲しいものはありますか?」

 シオンはようやく自分が呼び出された理由がわかった。そして、一昨日のレストランでの惨劇を思い出した。

「僕は、何もできませんでした。僕には褒美をもらう資格がありません。代わりと言うのも少しおかしい気もするんですが、レストランのマスターと、亡くなられた男性の親族に補償金を与えてくださいませんか?」

 あのレストランは、大好きな街の、大好きな一部分だ。それにシオンが生き残り、彼が亡くなったのもただの偶然に過ぎない。

「レストランのマスターには、同じレストランを三つは建てられるだけの補償金を渡したところ、断られてしまったのできちんとレストランの修復を一流の業者に依頼しました。亡くなられた方の親族にも今後の生活に十分なお金を支払いしました」

 彼女は優しく笑った。そして声のトーンを変えて続けた。

「それに、彼が敵に立ち向かったのは、あなたの勇気ある姿に心打たれたからだと私は思います。私は、あなたが何もできなかったとは思っていません。私は、あなたに感謝の気持ちを受け取って欲しいのです」

 シオンは我ながらくだらないことを思いついた。けれど、一度思いついてしまったら、それを口にしないわけにはいかなかった。

「では、姫殿下。僭越ながら、一つお願いがあります」


 条件は四つ。

 その一、あらかじめ行く場所と時間を決めておくこと。

 その二、周囲に警護の者をつけること。

 その三、姫に絶対に触れないこと。

 その四、今回の一件、すなわち人質立てこもり事件に姫が巻き込まれたことと、姫と外出することを一切他言しないこと。

 この四つを守ることを条件に、シオンはフィルリア姫との外出、つまりデートを認められた。

 テロの危険もあり行先はネクスト居住区に限定するという話も出ていたが、姫の強い希望でプラス居住区へ行くことを認められた。ネクスト居住区では姫と直接面識のある者も多く、正体がばれてしまうかもしれないという懸念もあったのだろう。結局、秘密裏に護衛の者をつければいいということで話はまとまった。

 朝、なんということもなく普通に家を出た。

 待ち合わせの十分前に、集合場所の時計台にたどり着くと、黒髪の美しい少女が一人立っていた。

「はやいね」

「姫を待たせるなんて信じられないわ」

「君、自分のこと姫って言い過ぎじゃない?」

「いいじゃない、事実なんだから。それに今日はあなただけのお姫さまよ」

 彼女はまったく恥ずかしげもなく言いきった。

「くく、君は面白いね。よし、じゃあ僕は騎士だね。行こうかお姫さま」

 今回の姫殿下の変装は黒髪ショートにワンピースだった。とても似合っていると思ったので、それをそのまま伝えたら、少し恥ずかしそうに「選んでもらったのよ」と彼女は答えた。


 なんていうことはない、普通のデートだった。

 食べたものの感想を言い、見たものの感想を言う。

 彼女が話す言葉に耳を傾け、ツッコミを入れ、時々笑い合う。

 なのにそれが、シオンにはたまらなく幸せに感じた。

 彼女が食べ物を口に運んで、おいしいと目を丸くする。彼女が売られている眼鏡や帽子をつけて見せ、似合っているかと尋ねてくる。目に映るものがどれも珍しいらしく、あっちこっちをきょろきょろと見回す。 そんな一つ一つの動作が愛おしかった。

 彼女と過ごす時間は、一瞬にも永遠にも感じられた。

 日が傾きオレンジ色に街を照らすころ、二人は川沿いを並んで歩いていた。この先に迎えの車が止まっており、五時にそこで別れることになっていたのだ。

 夕日を受けてきらめく川の流れは、二人を追い越していく。

 少しずつ、なるべくゆっくりと二人は歩き続けた。

 無粋に黒光りする車が遠くに小さく見えたころ、フィルリアは足を止めた。シオンは一歩先に進んだところで気が付き、身体を彼女のほうへ翻した。

「どうしたの?」

「もうすぐお別れね、シオン」

「うん、寂しいよ」

「ほんとに?」

「はい。とても」

 なんだかシオンは涙が出そうだった。けれど、それはきっと川面に反射した光のせいだろう。

「駆け落ちでもする?」

「ご冗談を」

「ふふふ、ごめんなさい、シオン」

 彼女はそう言って、川沿いの手すりに手をかけた。

 今日、彼女は何度もシオンの名を呼んだ。

 口に出して、何度も何度も、何かを確かめるように。答えを待つように。シオンの名前を呼び続けた。

「私はあなたに本当に感謝しているの。あなたが勇気を奮って私を守ってくれたこと、一生忘れないわ」

「僕も、君のことは一生忘れない」

 シオンは彼女にこっちを向いてほしくて、力強く答えた。

 けれど彼女は川のほうを見つめたまま話し続けた。

「私、あまり自分のことを語るのは好きじゃないの。だって、私にはお姫さまっていうレッテルがどこまでも付き纏ってくるんだもの。自分で自分を語るなんて、虚しいとは思わない?シオン」

 そう言われてみれば、彼女は自分のことをほとんど話さなかった。

彼女が一人の人間としてどういう人間であるか。何を考え、何を思っているのか。何が好きで、何が嫌いなのか。そういうのはずっと二の次にされてきたのだろう。

「そんなことはないよ。僕は、君のことをもっと知りたい」

「ふふふ、じゃあ二つだけ、これから私の話をするから聞いてね、シオン」

 悪だくみをする少女のような可愛らしい笑みを浮かべた。

「私ね、ずっとこの国のことなんてどうでもいいと思っていたの。階級も、貧困も、差別も、テロリストも、私にはどうでもよかったの。ただ私は、他の年の近い子たちと同じように街に遊びに行きたかったの。友達をつくって、恋をして、毎日を楽しく生きていけたらどんなにいいだろうって思ってたの」

「うん」

「でも、プラス居住区に来て、テロにあって、そしてあなたに会って、私は変わったの。私はこの国の姫として、責任を果たさなければならないって思うようになったの」

「うん」

「二つ目はね、私は夕方が嫌いなの。ああ、もうすぐ今日も終わっちゃうな。また今日もなにも楽しいことができなかったなって思うから。でも、今日からは好きになれそう」

「うん」

「それとね」

 フィルリアはウィッグをはずし、川に投げ捨てた。

 長く美しい髪が、夕日に照らされ金色に輝いた。

 彼女は真っ直ぐにシオンの目を見つめた。

「シオン、あなたが私の初恋よ、光栄に思いなさい」

 そう言うと、フィルリアはシオンに近づきキスをした。

 短いキスのあと、彼女はシオンの横を通り抜けていった。

「さよなら、シオン」

 夕方の穏やかな風が、彼女の最後の言葉を運んできた。

 その風は、シオンの言葉を届けてはくれなかった。



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