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砂に沈む銀色の真実

旅立ちと、それぞれの対決とその決着です。

その日は晴天だった。

出発の朝にふさわしいわね?とガルスは上機嫌だったが、ライの表情はどことなくぼんやりしていた。

ソニアは、本当にサラナーの記憶をうっすらとしか持ってはいないようだ。

では、先日のガルスに言ったことを、彼女が口にするわけはないのだが。

など考えていると、ガルスがいつのまにか傍らから覗き込んでいた。

「なんか、昨日から、おかしいわよね?ライも、あと颯も。」

「颯さんも?」

聞き返すと、ガルスはコクコクと頷いた。

「そうよ。おかしいの。だって、なんか別人みたいよ?あの面白い言い回ししなくなっちゃたし。ずっと考え込んでるみたい。」

そういえば、一昨日の夜も、いつの間にか言葉使いが標準語になっていた。

「なああんか、好きじゃないなあ。深刻なカンジがどんどん濃くなってきて。砂漠は楽しく歩きたいのよねえ。辛気臭いのって縁起悪いわよ。」

ガルスは師を砂漠で亡くした、と言っていた、とライは思い出した。

確かに悩んでいても仕方ない。もう砂漠へは向かっているのだから。と思って改めて一行を見回す。ソニアがいた。髪に昨夜の髪飾りを挿している。気に入ってもらえたようだ。色素の薄い髪に、銀色の花は良く似合っていた。

「プレゼント?気の利いたことするのねえ、意外と。」

ガルスが目ざとくライの視線の先を追って、にやにやとからかってくる。

「なかなかいい趣味じゃない?ちょっとお子様向けかもしれないけど。ま、ライくらいの年ならあれくらいが限界かな?」

そう言いながら肩にもたれかかってくる。

「重たい!それにうるさいって、いい大人がお子様をからかうなっての。」

「おや。言うじゃないの。昨日よりは元気になったみたいね。」

そういうと、すっと離れて今度はセルゲイの元へと行く。

「ねえ。ちょっと訊きたいことがあるんだけど?」

とさらっと。本当に、なんのためらいもなく、

「どうして、船長のことちゃんとしないわけ?」

と訊いた。

「はっきり言って、なにに遠慮してるわけ?アタシは砂漠に慣れてるから言うけど、何が起こっても不思議じゃないんだからね?」

と、加える。当の本人がすぐ横に居るのに、だ。

「何の話だ?」

案の定、フィーザが硬い声で割り込んでくる。

「なにって。いつ死んでも、後悔ない状態ってのが船乗りの基本形だと思ってたのにな、って話。二人とも全くさ。」

「何?」

ぎ、と空気がきしんだ気がした。まさしく、一触即発といった感だ。

「ほら。なによ、その態度。明らかに変じゃない?やましいことが在るんでしょう?」

「……なにを言ってる?」

フィーザは落ち着いた声で、まっすぐガルスを見つめて言った。

「砂漠はね。躊躇いが人を殺すから。……だから。」

それが何を意味するかは、分かるわよね?とガルスは言った。

「考えておく。」

そう、言ったのはセルゲイだった。


 そして、一行はガルスの案内で順調に進み、時刻は夜半。

砂漠の夜はとても冷える。日中の酷暑ががらりと反転して、吐く息も白い。

二人づつ、交代で焚き火の番をすることになり、最初はガルスと颯だった。

「砂漠は、死者を蘇らせたりして、躊躇いのある人間を取り込むのよ。」

ガルスは言う。颯が問うたからではあったが、夜更けにする話ではない。

「不思議なんだけど。躊躇う人にはとっても現実的な姿で、死者は現れるのだそうよ。」

「それは……罪悪感と過酷な環境が見せる幻?」

問う颯の声は静かだ。一昨日からまったく、口調と纏う雰囲気、服装までも変わっており、今は簡素な濃い茶色の旅行者のスタイルになっている。

あのぞろっと長い黒マントは?と出発時に顔をあわせた際に聞いたら、『あれは師匠のものだから、知人に言付けた』と返ってきた。本当は、マントの他に重要なものを言付けていたことも、この街に詳しいガルスは知っていたが、それは訊くのは野暮だろう。

「そんなところかも知れない。でも死者は死者。アタシはここで亡くした師匠を暫く見たな……本当に、辛いわよ。だからあの二人は、吹っ切るに越したことはないと思うんだけど。」

そう言って、ガルスは離れたところに眠るセルゲイとフィーザを眺めた。

「こう見えても、アタシほら客商売長いからね。あの船長が、女なのにそんな素振りも見せまい、ってしてること位はすぐ分かる。いろんな人間見てるのよ、間違えようもない。」

何に遠慮してるのかしらね?とガルスは小首を傾げる。

「人は……人は、そんなに割り切れるものじゃない。無くした、と分かりきっていても、刹那の夢にこそ縋ってしまい、目を閉ざしてしまうこともある。」

そう言って、颯はじっと焚き火を見つめる。

「俺は、……見ないで済めばいいんだが。それを望まない俺もいる……」

そう言って、口を閉ざす。

それきり、二人の間には沈黙が流れた。空からは、刺すような冷たい星明りが降り注いでいる。


「ライは、あの死者が蘇るって話は、信じる?」

唐突にソニアが問う。

「死者は、死者だ。埋葬されて、弔われたものだよ。もう終わってしまっている。」

ライが答えたのは明らかに、彼の母のことだと感じられた。だがソニアはそれと知らない。

「そうよね。でも、終わりは概ね、唐突で、そこには未練とか、悔恨とか、なにか後ろ向きなものが付きまとっているんじゃないかしら。」

「ソニア?」

「唐突に断ち切られたものは、きっとみっともなく足掻いて、少しでも、ほんの、ちょっとの間だけでも、もうすぐそこに終わりがあって、それは刹那的な回避で、逃避でしかないけどそれでも縋ろうとする。そして周りを巻き込むのよ、蟻地獄みたいにね?結局は周りまで巻き込んで、なぎ倒して、吸収して歪な軋みと痛みが残るわ。」

今や、はっきりと、彼女は。

見たことも無いようでいて、実は一番共に過ごしたのかもしれない、

「サラナーだ。」

ライの静かな断定に、サラナーは寂しげな笑みで応えた。

「……多分、あなたの言うサラナーとは全く同じではない。サラナー、あなたの道行きであった彼女は厳密な意味では居ないから。彼女は吸収されてしまった。ソニアの言う汚れ役の私に。」

そう言って、彼女は髪に挿した飾り―ライがソニアに渡したものだ―をすっと外し、ライに差し出した。

「これはもっていてくれないかしら?私のではないから。」

勿論、またソニアに代わるから、そのときには挿してやって、と彼女は言う。

「私こそ、幽霊みたいなもの。砂漠にツキモノ、というべきかしら?」

そう言って自嘲気味に笑う。その表情は悲しいことに、知ったサラナーのものでは確かに無かった。

「この砂漠を越えたら。この、道行の目的、どうして私は死ななければならなかったか?を知ることが出来たなら、……私は、消えると思う。」

正確にはどういった状態になるかは、予測もできないけど。でももう、辛いから。

そう彼女は言った。

「ソニアが居てくれてよかった。だってもう、私は耐えられない。サラナーのふりは出来ないし。そして私は……とっても汚れているから。」

汚れている?その言葉を問うと、彼女は応えた。

「ジェプトで、叔父が言ってたでしょう。もうこんな仕事は辞めれば、と。その仕事はね。主に、暗殺。……蒼の悪魔って聞いたことあるでしょう?あれ。私たちなの。各地に、少数の支部があってね。まあ、ライのケースみたいな、結社は手を下せないけどあんまり酷い事件の、敵討ちとかね。そんな感じ。」

さらっと、彼女は言う。それなりに、意義も感じていた、と言う。

「だから、叔父と話していたサラナーは私。ほとんど、私。時々あの、貴方が知っているサラナー。でもね……何でか分からないけど、その仕事を始めたきっかけは思い出せないの。」

ライには全く、どう捕らえていいか分からないことばかりだった。

「え、でも、叔父さんと話していたのはほとんど君だったって……なら、ジェプトでは結構一緒に居た?」

サラナーは、その問いに少しうろたえた。

「そうね。少し、だけ。」

妙な歯切れの悪さ。それでライは確信した。

―彼女は、嘘を言っている。と。

おそらくもっと、頻繁に、サラナーとして過ごしていたはずだ。―ライと、共に。

「はっきり言って、ちょっと、ついていけないけど。でも、なんて言うか。知りたいんだろ?俺も、何でこんなことが起こってるのか、それが知りたい。治療法もきっとここで見つかると、思う。」

だから。とライは言った。

「これからの砂漠の旅。改めて、よろしく。ソニアの記憶は、えっと…サラナーの中にも残るんだろ?」

サラナーは顔を背けた。細かく、震えているようだったので、余っていた毛布を肩にかけながら、お休み、と言って交代のセルゲイとフィーザを起こしにいった。


「ガルスが言っていたこと。」

フィーザは誰に言うとも無く、焚き火を見ながらぽつりと呟いた。

「……確かに何でも、起こりうるのかも、知れません。あんな航海を経て、原因を探りに…来たわけですから。」

セルゲイの口調も重い。沈黙が、暫く続いた。

「ウィーナは。」

唐突に言葉を発したのは、フィーザのほうだった。

「わたしの、物心がつく前から、良くしてくれた。自分の事は置いてまで。でも、あんな死に方をした。……だからわたしは、彼女が得るはずで、得られなかったものは、遠ざけようと、決めた。」

「それは違う!」

唐突だった。セルゲイは強く遮った。

「彼女はそんな人間じゃなかった。フィーザ、本当にそんなことを信じてなんて。」

セルゲイは、彼の真実を語った。


 彼が、ウィーナとフィーザに会ったのは、実に10年も前のことだった。

 彼女たちは、召使として、セルゲイの家にやってきたのだった。

 2人ともとても美しい銀髪で、姉は青い、澄んだ瞳の少女だった。

 だがフィーザの容貌の類稀なことは、稀な美少女といって良いウィーナと並んで一層際立った。召抱えられたのは、姉のほうだけで、フィーザはその姉に養ってもらっていた。

 姉、ウィーナはとても利発で朗らかで、周りの評判も良かった。そして、滅多に表にでないフィーザには並以上の教育を与えているようだった。自分は働き、妹の面倒を良く見ている。そんな気立ての良い、仲の良い姉妹だった。

実際セルゲイもそう思っていたのだ。……事が、起こってしまうまで。

 「本当に、偶然でした。彼女が、決して周りには悟らせずにやっていたことを、見てしまったんです。」

そう言って、なおセルゲイは言いよどんだ。

「死者の冒涜、卑怯な行為だと思われても、事実を言います。……彼女は、父と関係していました。」

「!?」

フィーザは、傍目にもはっきり分かるほど、その一言に衝撃を受けた。

「でも……。ウィーナは婚約を……。」

と、小声で、呟くように言った。

「ええ。婚約の以前からです。彼女は私のことを本気で、想ってくれてはいました。……でも、私の心はずっと、彼女には無かった。それが、彼女を歪ませたのかもしれない。」

そして、フィーザには伝えないほうが良かったであろうことを、初めて、言った。

「彼女は、実はあなたの姉でも、何でもなかった。あなたが物心付かないうちに、捨てられていたのを、拾って、育てて、類稀な、容姿を利用してきたんです。美しい姉妹、優しい姉。自分の得たいものは皆、あなたをダシにして手繰り寄せてきた、と」

「嘘だっ!」

突然、フィーザはセルゲイの胸元をつかみ上げ、遮った。

「恵まれた、お前に何が分かると?確かに物心付いたときには、ウィーナと二人だった。だが、彼女はそんな、下劣な人間じゃない!」

「彼女が言ったんです。」

セルゲイは、フィーザの手をそのままに、まっすぐに見つめて言い放った。

「貴方たちが暮していた、使用人棟の一角が燃えましたね。あれは、事故じゃなかった。彼女が放火したんです。」

「!」

「彼女は、私に言いました。『わたしの望みは全て、フィーザに。わたしは自己犠牲を望んではいなかった。あの子に与える優しい姉。それが結局わたしの立場を強くしてくれるから。人はあの子を見る。あの子を手に入れたい、そう想う。そして、近しい立場のわたしと関係しようとする。そこでわたしは振舞う。あの子への関心がわたしにも有利に働くように。なのに、一番の望み、貴方は振り向いてはくれない。もう、いや。もう、あんな役立たずは要らないわ!』と。」

そこで、セルゲイはまた言いよどんだ。胸倉を掴んだフィーザの手が、震えているのを感じたが…最後の一言を放った。

「あなたも聞いたはずです。……噛み合っていないと、思ってはいましたが、確信しました。あなたは、彼女の最期の言葉を全く覚えていないんですね。」

フィーザの手が、激しく震えて滑り落ちた。

「……そ、んな。」

彼女は、呻く様に言った。

「でも、彼女は……」

「そうですね。ウィーナは、危ないところであなたを助けた。そして自分は火の中に取り残された。彼女の言ったことは真実だと思います。そして心の中では貴方に嫉妬し、また憧れてもいたのも事実でしょう。しかし、あなたは彼女を、とても美化していたんです。」

「・・・・。」

「もう、…縛られるのは止めに、しましょう。」

セルゲイがいい、そっと、フィーザの手に手を重ねる。

「あなたと、ウィーナは、姉妹で、……助け合ってきた。でも、分かり合えないところもあって。しかし、もう、今は悔やんでも、問いかけても、解きほぐせないものです……。」

「……少し、…頭を冷やしたい。先に休んでもいいか?」

と、フィーザはやんわりと彼の手を解くと、視線を避けるように俯いて背中を向けてしまった。

「おやすみなさい。」

とセルゲイが声をかけたが、それには答えは、無かった。


そんな夜を幾度か重ねるうちに、一行は目的地に近づいていった。

砂漠は、果ても無く、澄んで清浄な佇まいを見せているともいえた。

日中な皆、言葉少なに歩く。所々に井戸があるとはいえ、砂漠の水源は確実ではない。以前の情報をそのまま信じて進むのは危険だった。極力、消耗を抑えて、無言で酷暑をやり過ごしていた。


「ちょっとかかったけど。もう明日には着くわよ。通称、デビルズヒル。」

ガルスが言った。それは夕食時で、ずいぶん軽くなってきた食料の点検と調理をしながらのことだった。

「まあ、アタシも初めてのところだから楽しみね。噂だととっても綺麗な岩山みたい。」

夕日と朝日がそりゃあもう、綺麗なんですって。と。

「そっか。……なんか思ったより早かったなってカンジ。」

「そりゃ、アンタが旅慣れてるからよ!でも旅慣れてる方向音痴って胡散臭いわ。」

とガルスが乾燥させた肉を薄く切り分けながら言う。

「ソニアは?きつかった?」

ガルスの失礼な物言いは聞こえなかった振りをして、ソニアに話しかける。

「え?……ん、わたしも思ったより早かった。」

そう言って荷物の中から水筒を取り出し、残りを確認している。

その仕草がなにかためらっているようで、ライは気にかかった。

「ほんとに?なんか疲れてない?」

そのやり取りを聴いていた、颯が2人には気づかれないようガルスを引っ張って、少し距離を置く。

(なによ?)

と目で問うと、

(あの2人と、船長たちは少し2人きりにしてやったほうがいいんじゃないか?)

と唇だけで伝えてくる。

(そうね。…明日は目的地だし、なんか2組とも重たいモンね?)

ガルスも気にはなっていた。適当な理由はなにかあったろうか?と暫く考えたが。

(じゃあ…ちょっと、寄り道しましょうか?)

と小声で囁く。

「んじゃあ、あたしたちはちょっと薪になりそうなもの探してくるわね!」

と言って、切り分けた干し肉をソニアに託すと、颯をつれてその場を離れた。


「颯は、知ってたわけ?あの船長のこと。」

そもそも、あなたって実は有名人でしょう?なんで船のガードなんかやってるわけ?とガルスは尋ねてきた。

「そんなことより、寄り道とはどういう予定か?」

と颯は質問を仕返す。

「あの2組と分かれたら、必然的にあまりは我々だし。話すことがあればその時で良いだろう?」

とも。

「それもそうか。で、寄り道なんだけど。」

そう言ってガルスは地図を示す。明日には到達するデヴィルズヒルの傍には、噂に聞いた程度だがとても不思議な建造物があるというのだ。

「ええっと。あの、ジーマのところみたいな大きな建物なのよね。でも、なんか平べったくて。白いのよ。とっても。」

砂漠に埋まるような白さ、とガルスは表現した。まあ、噂なんだけどね、とも。

「そこの探検なんていかがかしら。砂漠観光ってものよ。」

とガルスは言う。食料も余裕があるし、あと2~3泊増えても差し支えない、とも。

白い建物。

「……デヴィルズヒルは赤褐色の岩山と聞いたが。その傍らに、白い建物か。」

と颯が少し考え込む。ふと目に付いた潅木を拾いながら、戯れに砂を掻く。

「では。そう提案してみるか。なにかその建物にも収穫があるかもしれない。」

と。


 その建物は、ジーマの住んでいた赤褐色の建物を、そのまま漂白したようなつるりとしたものだった。全体的に、平たく横に伸びている。

「確かに見たことも無い建物だな。」

とフィーザが言った。

「なんか見覚えがあるなあ。やっぱりアシュアスの砂漠にもこんなのがあったような。」

とライが言う。

「じゃあ、3組に分かれて探検ってどう?今はまだ昼だし。明日にはここで集合。この入り口で。」

さらっと、なんでもないようにガルスは言って、颯の手を引いて右手のほうにさっさっと進んでいってしまった。

柱の多い建物で、確かに入り口まで戻るのも時間のかかりそうな建物だった。探検、探検!といいながらガルスが遠ざかっていく。

「……我々も、行きますか?」

そっと腕を取り、セルゲイがフィーザを左側へといざなっていった。

「じゃ、俺たちは真ん中まっすぐ行ってみる?」

とライはソニアを誘う。

「まっすぐって、……こっちだけど?」

と言ってソニアはライの腕を取った。


「なんか、ここ、変な感じね。時間潰し観光って考えていたけれど、ちっと目論見外れたかな?」

とガルス。

「そうだな。何だ、この奥行き。地下何層まであるんだ?」

という颯も、傍らに生えていた草を手折りつつ、足下の石畳を注意深く観察している。

「だが人の気配はしないな。」

そういって、明かりとして使用していた小さな黄色い花をかざし、更に進もうとした。

その瞬間、あたりが暗闇に包まれた。

「え!なにこれ!」

とガルス。

「術が利かなくなった。」

と颯は言い、暫くしてかち、と音がしたかと思えば、急にあたりが明るくなった。

――ようこそ。黒き民の末裔よ。

そう、建物全体が鳴動するように、告げた。


「……ゲームの、始まりね。」

ソニア、ではないサラナーが言った。とても静かな声だった。

「ほんとうは、ソニアの記憶は間違っていたみたい。彼女は死ななくていいわ。死ぬのはわたしだもの。うふふふふふ。」

「…サラナー?」

「あはははは。あっははははは!下らない。死ぬのはわたしでソニアであなたの知ってるサラナーよ!肉体は全部ここにあるんだもの。あたしたちって私たちっていったいなに!なんなのよおおおお!」

彼女は絶叫し、そのままはじかれたように駆け去ってしまった。

何故突然、彼女はあんなに取り乱したのだろうか。きっかけといえばそれはあの、建物全体に響いた声のような気がする。

あの声は何か。それより自分たちはココに誘導されたのだろうか。

――とにかく今は、彼女を探そう。そう決めて、ライは彼女の気配を探った。

不思議なことに、いつもはこれほどはっきりとは感じ取れない他者の気配がそこここに色濃く感じられる。建物自体に突然、網でも張り巡らされたかのようだ。

 何故か、網というより神経が通ったような、そんな連想が頭に浮かび、まとわり付いて離れない。まるで巨大な何者かの中に紛れ込んでしまったかのような気がした。

 あの声。何なんだろう。

(ゲームについて、こちらだけが知っているのも不公平だな。もうすぐ、キミたちの協力者が来るよ。それまで、わたしからの説明をキミたちに差し上げよう。)

 まただ。直接頭に響く。

(キミたちは、追放された民なのだよ。黒き民、と我々は命名した、わずか100人にも満たない雑多な民族の集団で……皆一様に、シンパシー能力が異常に強かった。他者と、共感する能力だ。今君たちの世界では呪術が使われているだろう?あれがその能力の最終形態のようだね。)

 なんだか耳障りな声だ。聞き取りやすくて発音も明瞭なのだが聞いていると不安になるような冷たい声音だ。

『ガルスの歌のほうがよっぽどいいな。』

と漠然とライは思った。サラナー……いや、ソニアの気配は一定速度で遠ざかっているように感じる。追わないと。

(その共感能力は、一体何故、人に与えられたものなんだろうね。我々は、そんな能力は退廃を招くと判断した。新たな可能性だと、誰かは言ったが。しかし新たな能力など何になるか考えてみてくれ。科学は哲学から新たに分化し、そして地球の寿命を短めた。未分化であればどうだったろう?)

なんの話だ。カガクとか、チキュウとか。聞いたことも無い。そんな単語がつらつらと流れては頭に入り込む。

(もう、進化など必要ではない。必要なのは安寧。平穏。そして差異なき世界だ。宗教の違い、人種の違い。能力の違い。それらが戦乱と荒廃の引き金であり続けたことなど明白だ。だから我々は、黒き民を抹殺しようとした。だが、……あの男が逃がした。)

 相変わらず、不快な声だ。平坦すぎる。なんの感情も、見出せない。驕りや、黒き民、と排斥した人たちのことを言うときでも蔑みの色が混じらない。

(あの男こそ、全て感情を統制し、無慈悲であったはずなのに。何故抹殺命令を無視し、新天地まで導き、今日まで守り続けていたのか分からない……余興として、千年の期間を与えてみたが、選んだのは)

なぜ、そこで言葉を切るのか。続きは聞きたくないような嫌な予感がした。

(私の傀儡の少女を、手駒に加え。)

ああ、……サラナーのことか。

(心の傷も癒えない少年と。)

俺のこと?

(過去に目を閉ざした女と。)

(それを盲目的に守る男に。)

(強い力をもってしても、何一つ得られなかった男。)

(そして、過去を振り返らない残酷な男。)

どくどくどく。と建物内の気配が濃厚になった。いや、自分の鼓動が早まって内耳にこだまする音かも知れなかった。

(そんなキミたちに、一体何を託そうというのかな。余興にしても、これでは、ね。)

声がはじめて歪んだ。蔑みの色を感じる。

(悲しいことだ。結果は明白。やはり少数のうちに抹殺すべきだったのだ。キミたちは生贄だ。黒き民は一瞬で滅ぶだろうが、キミたちには過酷な最期が待っている。)

耳を劈くような轟音。そして意識は暗転した。


――コロシアムがいいか。

――いや。最期の一人まで会い争わせようか。

―――キメラがいたな。あれとでも争わせようか。

―――いや、きっと真実を話すだけで、彼らは崩壊する……そうか。


意識の中で、そんなやり取りを垣間見た。それは夢のようでまたひどく現実的だった。


なんだというのか。これは俺の記憶だ。

死ぬときには過去の記憶が蘇るというがそれだろうか。

目の前には母が横たわっている。母はまだ、意識がしっかりしている。俺は他愛のないことを話しかけ、母は穏やかに微笑んでいる。

そして、次の場面では。俺は、父と家を後にしている。時間差で発火するようにヤスさんが装置を置いてくれた。母は、昼間近所の人が手向けてくれた花に埋もれるように眠っていた。父は去りがたそうに、ずっと母の死に顔を見ていた。

夷庵が、父の背中を支えていたのを覚えている。3人の間柄は、なにか深い縁があるようだったが、……いつかわかるだろうか。

そして、場面は躍動する、城の闇を縫って駆ける。目に付いた部屋は豪奢で、そして幼い王子、皇女がいた。母の膝に、怯えてすがり付く幼い手。……こんなことを、したいわけ、ないじゃないか。心で母を思って、泣いていた。

たしか、逃げろ、と言った。側室の部屋だったのか、気取らない女性が多かった。その辛酸を舐めてきたであろう彼女らは、哀れみとも慈愛ともつかない目をライに向けて、駆け去って行った。誰かが、あなたも逃げなさい、こんなこと成功しても何にもならない、と言った気がする。

 成功しても何にもならない。とは随分な言い草だと、そのときかっと血が上ったのを覚えている。そうだ、何にもならない。父が刀を献上するのを拒否したところで。母の遺言を守ったところで。そして、……今、サラナーを守ろうとするのさえ。


―そうよ、私はなんの価値もない。

そこで意識が曖昧に歪んだ。

なにか別の映像に、すり替わったようだった。夢に似ている、とライは……いや。どうやらサラナーは思った。

―まるで、ライになったみたいだった。そう感じた。夢。他人の価値観、他人の感覚、他人の感情から、外界を覗く感じだった。

それは何度も何度も繰り返したことなので、サラナーには馴染みすぎて何が真実か、分からない。確か、私はここで何度もなんどもなんども。覚醒しては回収されていた気がする。

―そうだ、私は本当に繰り人形だったんだ。

最初は何だっただろう。おぼろげだけれど。心中。回収。戦禍に飲まれて焼かれた。回収。そのたび毎に、……わたしの記憶は彼に読まれて、読み捨てられて、また1から始まったのだった。何のために、とか、は、

(最初から意味なんてなかった)

いろいろな記憶、愛された記憶、灼熱の記憶、そして、ライとの記憶、様々な記憶がぐるぐるまわり、ぶつん、と視界が黒に染まった。


―黒。

彼女の瞳は確か淡い青で、黒ではない。

でも、黒い。底なしの沼のような黒だ。

「あなたさえ居なければ。」

血を吐くような呪詛の言葉にふさわしく。炎の乱舞の中、極彩色の赤の中でさえ、その瞳はただ黒かった。そして、黒色のドレスのレースの繊細な細工さえ見える至近距離にその手が伸べられ、彼女の背後は燃え盛る炎。彼女は、確かにわたしを誘って背後の地獄に向かうつもりだ。そこで、背後から巻きつく力強い腕の感触。

闇色の瞳がすっと、いつもの青になり。そして、彼女はその腕を自らの体に巻きつけ、踵を返した。振り返りはしなかったが、一瞬見えた横顔は泣いていた。

それを見て、私は振りほどき、追いすがったのだ。そして、両腕の付け根まで、炎の中にくべたのだった。……彼女には、その手は届かなかったけれど。


一端引き止めた命をまた、失ってしまった。

その不甲斐なさは身にしみている。その代償を今こそ払うときなのだろうか。

戦禍のなかに、彼女は傷を得、そして、助かることを拒んだ。

何故だったのだろうか。なぜ。

―そんなことも、分かってくれない。そんな貴方の元に私はい続けなければならないなんて、辛いのよ。分かり合えない絆なんてただの押し付け。束縛から、逃れたかったの。

彼女の物言わぬはずの唇が、聞きたくなかった言葉を紡ぐ。


―息が、できない。苦しい。何故、こんな重苦しい記憶ばかりが奔流のように心に去来しているのか。これは誰の感じたもの?ライ?サラナー?フィーザ?取り留めの無い感情が、黒い、重い感情がじわじわと、喉をふさぎ、目を覆う。足を捕らえる。たまらずにその場に屈みこんで、地を掻き毟り慟哭をあげたい。そんな思いばかりが心を蝕む。


―思い出せ。それだけではないはずだ。

一筋の光のように、または一陣の風のように、それは視界を覆った絶望を吹き飛ばす、声だった。聞いたことのあるようで、でも、…彼がそんなことを言うだろうか。

それだけではない。わたしは、そんな絶望のために、この場所に皆を集めてはいない。


声は更に、言い募る。いつの間にか、暗く、冷たい地面に顔を伏せてしまっていたらしい。目前の地面から目を上げると、サラナー、フィーザ、ライ、颯、ガルス、セルゲイ、そして…銀髪、銀眼、黒衣の人物が立っていた。

「ヤスさん。」

とライが呼びかけ。

「メタファルク…?」

とセルゲイとフィーザが言う。

「遊多。」

と言う颯の声は掠れていた。


「随分、身勝手な講釈を述べるようになったな。傀儡はお前のほうだろう?私には、もはやそんな戯言は効かない。」

いつの間にか集められていた広場のような、競技場のような建物のフィールドの真ん中で、彼は銀の瞳を中空に据えて高らかに言い放った。

「定められた時には、まだ満ちていない。だが、ここに集まったのは、我々の希望のかたしろだ。」

また、頭の中に直接響く不快な声が笑った。

「時が満ちるまで待つのは無意味だからだよ。もう千年の約定など無意味。我々は、黒き民の可能性など、認めていない。」

「違う。不完全なのは、安寧と秩序、差異なき社会などという、白き民の理想のほうだ。だからこそ、我々の、差異と、成長と、変革の社会を畏れ排除しようとしているのだ。」

「何を、世迷言を。それならば、見せてみるがいい。その、成長と可能性を!」

声の調子が変わった。明らかに動揺が感じられた。

言い終えると同時に、地鳴りと共に競技場の四方の門扉が開放される。そして、咆哮と共にそれぞれ、黒い大きな獣が解き放たれた。

「皆。術は使えない、それぞれ、身を守ってくれ!」

そういうと、銀髪の男はそれぞれ黒い獣に向かって小さな刀のようなものを飛ばした。

「少しは足止めできる。この建物には武器も、非常用で隠してあるはずだ。それぞれ、手分けして探そう。」

そう言うと、彼は率先して正面の扉に向かって駆け出した。獣の真横を通り過ぎるが、なるほど、ぴくりともしない。

「我々は、では右に行く。ライ、サラナー、ソニア、無事で。」

フィーザは右の、獣の傍らをセルゲイを伴って駆けていった。

「じゃ、後ろ行きます!アタシたちは百戦錬磨よ、任せなさい!ちゃちゃっと全滅させてやるわよ!」

とガルスと颯は連れ立って背後の扉に消えた。

「左だね。いこうか?」

ライは、サラナーの手をとった。


「不思議だね、みんなの気配が感じにくくなった。」

ライが話しかけても、サラナーからは返事がない。

「……あたしと一緒って、不気味じゃない?」

しばらくして、サラナーは口を開いた。

「あたしはここで、多分何回も、蘇生してる。記憶の量からいったら、ライの何十人分もの、人生の記憶を体験して、……多分、娯楽、だったのかな。白き民、とか言う人の。本は、その人たちのものだった……。あたしみたいな傀儡を、外に出しては回収して、その、平和な人たちの娯楽に、してたんだよ。思い出した。」

ライは立ち止まって、サラナーの話を聴いている。じっと、目を逸らさずに。

「思い出した。あたしたちって、わざと、諍いの中に、送り込まれるの。でね。酷い状態になって、回収されて、で、そうだ……褒められるの。点数?がね、付くの。こんなことを何回も繰り返して、で、何回も繰り返して、そうなればなるほど、私たちは壊れていく。それが得がたい娯楽なんだって、いつか誰かに言われた。そうだ。私は確か、最期の3人にまで減ってしまった、白き民の繰り人形……ほかにも、居たはず……」

「サラナー。」

ライが呼びかける。

「正直、正確にはどんな子なのか、なんて、……ここで得た情報や、サラナーのさっきの話から考えても突飛すぎて分からないよ。でも。」

でも、といってライは、サラナーを抱き寄せた。

「過ごした時間。あんまり長くは、無かったけど。でも、……もっと、一緒に、居たい。だから、守るよ。みんなでこんなところ、出よう。またあの船に乗っけてもらおう。」

サラナーはしばらくじっと、腕の中に納まっていたが、

「……とにかく、今はみんなの命がかかってるものね!考えるのは、あの化け物をやっつけてからね。」

と言って、笑った。ソニアと、サラナーの印象が重なって聞こえたが、それは、気のせいではないだろう、とライは想った。

そして、何故か、無精に、…嬉しくなったのだった。

2人は、建物の深部へと向かった。


「わたしが死んでもだれも、悲しみはしないわ。だから多分アタシは一番強いと想う。」」

そう言ったのはガルスだ。

だが、颯は静かに首を振った。

「いいや。悲しむ人がいるだろう?きっと、沢山居るんじゃないか?」

と。

「そんなものかしらね?ファンの子なら居るかもね。」

そう言って、はぐらかす。

「親もいないし。天涯孤独っていうやつなのよ。それより、あなたよね。待ってる女性がいるでしょう?」

「そうだな……待っていてくれたなら、今度こそ、ちゃんと向き合おうとは思っている。」

そう言う颯の表情は、とても複雑な色を帯びていたので。

「あなたこそ、なんだか『自分が死んでも構わない』って思っていそう。さっき、なんか、いろんな人の頭の中を泳ぎまわっているような気分になったわ。……あなたは恋人を亡くした?」

と気になっていたことを尋ねる。

「恋人か……そう思っていたのは、俺一人だけだったのかもしれないな。」

そういった途端、ぐい、とガルスが颯の肩を掴んだ。

「事態が事態だから預けておくけど!ほんとなら今ココで、張り倒したいセリフよね!」

ガルスは、緑の瞳を爛爛と輝かせて詰め寄り、

「一方通行なわけないでしょうが!あなたの、記憶らしいものを感じたアタシからしたら、あなた本当に好かれていたのよ!そんなことも分かってあげられないなんてね!」

そう言うガルスの瞳の色はとても生気に満ちていて、前向きで、思わず颯は目を逸らせた。

「だが、彼女は俺にはもう付いていきたくは無いと言った。」

独り言のように言った途端、また、ぐい、と強く肩を引かれた。

「ばっか!あなたに前向いて生きて欲しかったんでしょうよ、その女性は!覚悟の上で身を引いた女を引き止めて、で、2人して流浪の人生なんて耐えられなかったからこその決断を、わかってやれないなんてね。で、挙句の果てに捨て鉢なんて、なっさけない!ここで死んでも、あんたを待ってる大事な人に形見なんか届けないよ?生きて帰る腹括りなさいっての!」

さすが、歌唄いの肺活量である。これだけの長啖呵をよどみなく切ったと思いきや。

至近距離の瞳から挑発的な光を発しながら、

「ここであんたが死んじゃったら、あの、贈り物のあて先の沙羅ちゃんって子はアタシが取っちゃうからね!」

とまで言い、ごち、とそこそこの強さで額をぶつけてすっと離れた。

「こんなへぼ呪術師を待ってるなんて、きっと純情可憐な初心っ子なんだろうし。ああ~楽しみね~。」

そう言って、さっさと先にたって歩き出す。置いてくわよ、と言いながら、歩調は明らかに颯を待っていた。


「あの、化け物……あんなものを4体も倒せる武器など、あるんだろうか?」

そういうフィーザの声はいつに無く気弱で、セルゲイは傍らの彼女を省みた。

「らしくないですよ?こちらは人数もいます、あのメタファルク氏―ええと、そう言って良いのか?も、自信たっぷりでしたよ?」

そんな事を言いながらも、セルゲイは気になっていた。次にもっと、聞きたくない彼女らしからぬ言葉を言うのではないか、と。

「巻き込んでしまったな。また……あのときと同じだ。いっそ、姉と諸共に」

次の言葉は、セルゲイの胸板に吸い込まれて声にならなかった。

「そんな不吉なことは言わないでください。」

そう、セルゲイは言った。

「あなたは、どうしてそれほどまでに彼女に拘るんです?もう十分でしょう!」

そういうと、今まで、決して彼が踏み越えなかった距離を縮め、初めて、彼女の頤に手を添えた。喉、鎖骨、肩と性急に、確かめるようにその手は滑り。

「!やめ、な」

静止の言葉は唇に吸い取られる。抗議の声はくぐもった呻きにしか生り得なかった。身を捩るが、しっかりと胸元に抱きすくめられて僅かな隙間にもならない。激しく身じろぎをし、やっと唇が僅かに離れた。

「セルゲイ……。わたしは、分からない。まだ……こうしたいのか、どうか…。」

今まで、これほどの近い位置で彼を見たことは、無かった。初めて見る男のような気もした。あの火事のとき、引きとめた彼の腕は、自分とそう変わらず、華奢な世間知らずの腕だった記憶しかなかったが、今の彼はもっと、力強い腕を持っている。


―今なら、みずから火中に進もうとしても振りほどけそうも無いほどに。

ぞくりとした。そして、その感覚はまた、心地よさや安心感のようなものも孕んでいるようだった。

「セルゲイ……。」

今まで、他人とこんな風に接することは拒んできたフィーザだったが、それは歪な事だったかと思った。接する。その重なり合った部分がとても柔らかく変容してゆくようだった。

「ここから出たら、色々と、……その、……言いたいことがある。」

そう言う自分の声は、柔らかさを覚えた心とはうらはらに、まるで今まで出したこと無いようなかすれたこわばった声だった。

「俺もです。」

答えながら、抱きしめる腕に力が篭った。


建物を揺さぶるような咆哮が聞こえる。

これから、あの訳の分からない男の放った、見たことも無いような化け物と戦い、そして生き残る。それは可能性のあることなのかは今だ分からないけれど。

皆の思いは、確実に前を向いていた。こんな唐突な、終わりは受け入れられない。絶対に、ここを出る。そして今一度、

取り返したい思いがあり。

伝えなければならないものがあり。

始めたいことがあり。

帰るべきところがあった。

その熱意が導くように、皆、それぞれ武器を手にしていた。やがてまた、最初の競技場に似た広い空間に皆、引き寄せられるようにたどり着いた。

サラナーの記憶を顔間見た際に、皆の脳裏に移ったこの建物の記憶が助けになったのかもしれない。

見たことも無い形状のものだったが、皆が一目で使い方を理解したのだから。

「これで、少しはキミたちの勝利の可能性もあがった訳か。面白い。我々は見物させてもらうよ。」

また脳裏に直接響く声が言う。

「キミたちが負けても寂しくないよ?全ての黒き民を滅ぼすウィルスが完成しているんだ。もう滅ぶのは決まっているのだから、先に、暗君に少し、与えてみたのだけれど。」

酷く苦しむみたいだね、ライくんには分かるだろう?それが一斉に、広まることになる。全ての外の世界の人間は死に絶える。寂しくはないよ。


 視界が、激しい怒りでぎゅっと狭まったようだった。裏腹に体は解き放たれた獣のように、鋭敏になるのがまるで膜の向こうのことのように感じる。先だっての共感作用のような、自分がライなのか、サラナーか、ガルスか、そんなことが分からなくなるような不思議な感覚。

 一閃。ライの持った短刀が、黒い腕をなぎ払う。返す刀で腹を叩き斬るのはガルス。振り返り、よどみなく振り下ろすセルゲイ。下ろした刃を突き上げるのはフィーザ。

だが獣は最初の4匹だけでなく、広場のそこここにある門から次々と湧き出てくるようだ。それぞれの持つ刀は、眩しい光線のようなもので刃こぼれもない。獣の切断面を焼き、切り飛ばし、またなぎ払い。永遠に続くようだった。黒い壁のような獣の群れ。僅かにかいなを延べ、切り裂いた空間も瞬く間に新たな黒で埋まる。迫る。…埋め尽くされる。腕、足、肩、少しづつ、黒に、割かれる。新たな色彩が赤く、黒と白の狭間を染める。ざり、と誰かが膝を付くのが聞こえた。

 黒いアギトが、闇色の牙が、ついに全てを飲み込まんとしたとき。


銀色の光線が、黒に覆いかぶさるように落ちた。獣たちは動きを止めた。


「繋がった!」

と、高らかな声がした。

「皆、無事か?今、ミハシラに全ての情報を繋いだ。審判が下された!」

それは聞いたことも無いくらい、―喜びと希望と、あと、充足感に満ちた、声だった。


それから後のことは、夢の中の出来事のようでありまた、酷く鮮烈であり、一生忘れないような、それともすぐに消えてしまう類のものでもあるような不可思議なものだった。


黒い獣は跡形も無く消え、興奮の冷め遣らぬ体は痛みも感じず、ぼうっとした熱に浮かされた状態で垣間見た光景もまた想像だにしなかったもので、…はっきりとした夢の世界、といった感じが一番近いようだった。


周りの雑音は消え、地面は消失している。そして先ほどの銀光が、幾分和らいだ色で周囲を満たしている。

―つぶさに見せてもらったよ。時差は少しあったが、それは我々で少し細工をしておいた。損なわれること無く、間に合って良かった。

という声が響く。しかし、その声には全く聞き覚えが無い。

いや。なにかに、似ている。

「剣の守護?」

ライが思わず口走った言葉を聞いていたのか、

―そうだね。我々の力はそのような形で干渉していたかもしれない。

と答えが返ってきた。

「なぜ干渉など?ミハシラは我々にこの地球を任せ、新たな惑星開拓に旅立って久しいではありませんか。」

その声の発せられたほうに目をやると、銀髪、銀眼、

「ヤスさん?」

ライが思わず問いかけてしまったが、その人物は煩そうに一瞥をくれただけだった。

(違う。)

銀髪、銀眼、そして白衣の、ライの知る耶州理宇によく似た、しかし全く違う雰囲気の男だった。

(耶州さんは?)

周囲を探すと、居た。対峙するかのように、すこし離れた場所でよく似た先ほどの男を見ている。

「それがそもそもの間違いだ。我々と、貴方は言うが、白き民はもう一人も居ない。」

とヤスさんは、言う。とても悲しそうだ。

「一人も居ないなど、世迷言を!今もこの様子を賢人会議が見守って。」

―彼の言うとおりだ。ここにはこの場所に居る、6人しか生命反応はない。

ミハシラ、といわれた声の調子もとても、寂しそうだ。

…ん、6人と、は。

「6人?何を馬鹿な!この場には我々も含め多くの」

そう言う、白衣のこの建物の主は先の言葉を遮られた。

「6人だろう?あなたはそんなことも、忘れ去ってしまった。それが差異なき社会の、毒だ。」

そう言って、メタファルク、と呼ばれた黒衣の、ライの知るヤスさんは、続けて言った。

「貴方と私は、作られた生命だ。最初から人ではない」

白衣の人物はよろめいた。

「思い出してみるがいい。我々は同じ名だ。私はメタファルク・4TH。あなたは3RDと呼ばれていた。確かに、私は黒き民を管理する立場だったが。芽生えた命を無に帰す前に、可能性を見出してみるべきだと思った。最初は気まぐれだった。」

「待て、なんだそれは。何を言っている?…私は管理者だ、この星の管理者として。」

―もういい。4THから、彼の見た千年の資料を受け取り、我々はこの場所の、彼らを見守らせてもらったよ。3RD、君の主張は我々の過去の、凝り固まった選民思想そのものだ。いいか、管理者など我々は一切置いていない。外宇宙に移住した我々は、恥ずかしい話だがいまだ分裂し争っている。過酷な環境で、持つものと持たざるものが生じ、それぞれが手を取り合おうとはしない。長いこう着状態だった。

更に、明け方のひかりのように弱くなった銀光に、争う人々の姿が映し出された。ミハシラの話にあわせて舞台は様変わりしてゆく。

―だが、君たちの物語は、我々に希望を与えてくれた。許し、理解し、そして希望を抱く。そんな簡単で大切なことを思い出させてくれたよ。君たちの世界、変容し、感じあい、そして…まだまだ未発達の、熱のある社会。我々も、その心をもう一度思い出してみようと思う。

「何?なんの話だ、一体。わたしは管理者ではないと?そんな馬鹿な!」

3rdと呼ばれた白衣の男は、頭上に満ちた銀光に向けて叫ぶ。応えはとても悲しげだった。

(千年の孤独は、我々が細心の注意を払って作った意識すら歪ませるものか。…とにかく2人ともご苦労だった。明暗の分かれた干渉を受けた、君たちの世界。未完であるがゆえの輝きに満ちたものだ。…こちらから、出来うる限りの修復はさせてもらおう。)

言葉と共に、周囲に満ちた光はますます強くなり、肌に痛いほど、目を閉ざしても白の残像がいつまでも張り付くような凶暴さになり。…そして、暗転した。


後、エピローグにて完結です。

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