川蝉の外套は砂漠を目指す
「ああ、ライ。間に合ったんですね」
サラナーは後を追ってきたライに驚きもせず、まるで待ち合わせていたかのようににっこりすると、頭だけ出していた外套をするすると脱ぎ去った。少し覗いていた口元から、肌が白いなとは思っていたが。目の前にいるのは大層な美少女だ。
生成りの質素なワンピースから伸びた手首も細くて白く。にっこりほほ笑む顔は小さくてかたどる髪は淡い金髪。目は青く、鼻筋は控えめに形良く。
眠気は瞬時に引いてしまった。
「あれ?でも、目的地はワイノスって言ってなかったっけ?」
「よく覚えてましたね!」
「昨日聞いたばっかりだろ。さすがに忘れないよ。」
ちょっと間が空いて、サラナーは返して言う。
「ここは観光でちょっと。叔父の店があるので顔出しも兼ねてです。」
「そうなのか。でも珍しいな。おれのところじゃ、親族は固まって暮らすもんだったけど。」
「叔父は、変り者なんです。…ここにはちょっと詳しいですよ、よかったら案内します。」
まず、叔父のメゾンに行かなくては、とサラナーは言う。
「?店の名前?何屋やってるの?」
「まあ、大きな服屋です。」
メゾンという名の服屋なんだな、とライはついて歩きながら看板を探してみる。
人ごみの中でも、サラナーの見事な金髪は目立つ。見失いはしないだろう。
そう思ってついて歩いていたが、数歩進んでサラナーのほうから歩み寄られたかと思うと。さっと腕をからめてきた。
「え!ちょっとこれ」
「だってあなた、迷子になりそうですから。」
と上目使いで微笑んでくる。
「叔父の店までこうしていましょう。」
腕の柔らかさと、胸に当たりそうな距離感に思わず身を引こうとした瞬間、
「最近、妙な気配が消えなくて。ボディーガードも連れていたのですが、はぐれてしまって。少しの間だけ、こうしていて下さい。」
と早口に囁かれて、身を引きかけて留まった。でも、護衛なんか、居たっけ?
「連れが居なくなったってこと?それ、いつ?」
「船内で合流したんですが、この町に着いて、一緒に降り立って、で、気づいたら一人です。」
「なんだって?」
そんな妙な事、あるものだろうか。
「…何かの間違いで、もう船に戻ってるかも。後で確認しよう。俺、調理場で雇ってもらったし、聞きやすいと思う。」
そう言ってサラナーを見ると、複雑な表情をしている。
「なぜだか、最近こんなことが多くて。居るはずの人が居ない。持っていたものがない。向かった記憶もない場所にいつの間にか居る…そんなことが、なんだか日ごとに増えるんです。で、最近は常に傍らに誰かが居るような気がしてならなくて。」
そう言い募るサラナーはどんどん顔色を失っていって、軽く組んでいたはずの手が痛いぐらいに掴まれていた。
「大丈夫か?なんか顔色も悪いよ、サラナー?」
覗き込むと、はっとしたように瞬きをして、
「あ…大丈夫、です。不思議とあなたといるとその、…記憶が安定するみたいです。いつもならああなってしまうと暫く何もわからなくなるのですが。」
と驚いたように、はにかんだ笑顔を向けてきた。今までの物言いからはちょっと意外な、無邪気な表情とセリフだったので、不意になぜかライは胸苦しくなった。
「ああ。付きました。叔父の店です。ちょっと中でお茶でも飲んでいて下さい。」
そういって促されるままに見上げた店は、まるで城のような外観のきらびやかな建物だった。
それから後は、もうライには何が何だか意味不明だった。門扉(としか言いようがない)を開けた途端にいらっしゃいませ…と左右から優雅に歩み寄る従業員。サラナーは手慣れた様子でお茶をこの方に、と言いつけてさっさと店の奥に消えてしまい。一人残されたライは、そこかしこに飾られた溢れんばかりの花に眩暈を覚えながらテラスに案内され、どうやって持てば良いのか悩むような華奢なカップを睨みながら、かなりの時間を過ごした。やっとサラナーが現れた時には何十時間も経過したような気になっていたが、まだポットからは湯気が立っていたので、実際はわずかな時間だったようだ。
「仕事任されちゃいました。まったく叔父も人使いの荒い…ニケ号の早い入港はもう噂になっているみたいです。どうせ時間は余っているんだろうですって。」
そう言いながら、向かいに座って書類を捲る。見る間に眉間に皺が寄って、
「あのひとは、まったく!ちょっと、貴方も一緒に来てください!」
と言って、勢いよく立ち上がるとライを引っ張った。
出来ればこの建物から今すぐ連れ出して貰いたかったのだが、思いとは裏腹にどんどん奥へと伴われて行ってしまった。色とりどりのドレスをまとった等身大の人形、花、帽子、床一面に広げられた布、間を泳ぐように行き交う極彩色の婦人、対照的なモノトーンの従業員たち。ライは、アシュアス大陸の故郷の村、似たり寄ったりな村々を回った二年の旅を思い出しながら、…世界は広いなあ、とぼんやりしみじみ考えた。
「叔父さん!…何ですこの趣味の悪い冗談!」
いつの間にか立派な部屋に躍り込んでいた。正面にはアシュアスでは王侯貴族しか纏わないであろう豪奢な装束を着こなした壮年の男性が立っていた。
「おお、さっそく揃って採寸に来てくれるとは。いや、いいねえ、お似合いだよ。」
「なっ…。」
サラナーが絶句しているのを横目に、男性はライににこやかに歩み寄ってくる。
「はじめまして、サラナーの叔父の、サルマンと言います。」
「あ。はじめまして。ライと言います。…あの、採寸って?」
「おや、サラナー、説明せずにお連れしたのか?それにそんなにあせって飛び込んできて…。喜んでもらえて嬉しいよ。」
「違います!嬉しくないです。いつもの仕事は?」
いつもの?とライはサラナーを見やったが、
「いつもあんな仕事ばかりではね。前から言っていただろう?折角こうして恋人を連れて来てくれたんだ、これを機会にあんな危険な仕事は廃業しよう。」
サルマンは表情を改めて、幾分強い口調で言った。
「常々、廃業を勧められていましたからその件は分かりますが…なんですこのも…模擬挙式モデルって!」
「だから。ライ君と、サラナーで新郎新婦役を、やっていただいて。新作のウェディングドレスモデルを探していたんだが、縁起が悪いとかでさっぱりなり手がなくて。」
「そんなの!本気で探せばすぐ見つかるでしょうが…。」
ライもまったくその通りだとは思ったが黙っておいた。もう少し成り行きを見守らないことにはフォローも入れられない。
「そうだ、じゃあそのモデル、セットで探すのを仕事にしましょう。」
とにかくとっても嫌がっているようだ、とは充分分かったので、ライも会話に加わってみる。
「えっと、サルマンさん、おれの居た地方でも婚礼前に花嫁衣裳着るのって縁起が悪いって聞いたことがあります。彼女もそれが気になっているんじゃないでしょうか。」
おや、とサルマンがライを見て言う。
「いやあ。うちの姪のことをそんなに気にかけてくれる彼がいるなら問題ない…というか本当に挙式したらどうだろう?」
「叔父さん!!」
悲鳴を上げるサラナーに、さすがにこれはまずい、とライも感じてきた。この規模の服屋なのだから、目立つことこの上ない盛大な祭りだろう。で、我が身はお尋ね者…。
「あの!モデル、希望者を見つけてきます!おれなんかよりもっと…そう!背も高い方がいいんじゃないですか?」
「もっと似合う…ねえ。う~ん。すぐに見つかって、うちのデザイナーが乗り気になればいいけど。」
「じゃあ!ちょっとこの話は保留でお願いします。おれ、目立つのすごく苦手なんです。」
そういって、ライはサラナーを引っ張ってその店を離れたのだった。
「だから。お前本当に命知らずだなあ。死ぬぞ?」
ハザトはライの話を聞いて即答した。
「船長にウエディングドレスのモデル依頼だ?…まあ、確かに時間はあるし、この機会に新しい人脈を発掘したいとか、言ってはいたが…。」
試してみても死なないかも!とハザトはニヤニヤしながら言った。
「まあ、失敗してもこっちは痛くもかゆくもない…いや、お前結構器用だ。調理場的には困る。切られるなら、足にしとけよ!」
という返答だったので、とりあえす、セルゲイに当たってみた。
「…それは…やっぱりやめた方がいい。確かに人脈の点ではいい話だが、あの人にそんな色気のある話を持ち込んだ例を俺は知らん。」
と真顔で警告された。その際初めて聞いたのだが、先ほどの服屋はハスティアといい、世界に名だたる高級仕立て屋で、オーダーメイドで一着、小さな国なら丸ごと買収できるくらいの品物なのだという。
「それよりも適任がいるぞ、いい具合に。」
セルゲイによると、船のガードが不具合を生じたことに責任を感じた紗羅がまだ船内にいる、頼んではどうか?ということだった。
「颯に一端頼んでみて、セットで行ってもらえばいい。そのハスティアに。面白いことになるから。」
船長には話をしておくから、早速あたってみたらどうだ?
そう言われて、当たってみると。
「…。紗羅どのと船長が良いなら、引き受けても差し支えはござらんが。」
颯の部屋にはサラナーと話をしに行った。ついでと言ってはなんだが、サラナーの記憶が時々途切れることを相談してみて、健康上の異常は見受けられない、という回答をもらい、その足で三人で紗羅に話を持って行った。
「え、あの、それ…ほんとうに!本当にあのハスティア、しかも、…ウエディング!」
まさか1日で航路の大半を消化してしまうとは思いもしなかった紗羅は。実のところ一週間を休暇として申請したのだが帰途はそれでは済みそうになく、今まで溜まっていた有給の申請書類の作成に久しぶり過ぎて手間取り、ひどく不機嫌だったのだが。ものすごく驚き、かつ次の瞬間には初対面のサラナーの手をひし、と握ると
「本当に、いいの?ああもう減給されてもいいからそちらの都合に合わせます!」
とものすごい笑顔でぶんぶん握手をしたのだった。
その日の夜。
「セルゲイ、わたしは別に出てもよかったんだが?」
とフィーザが軽くセルゲイを小突いて言う。
「デザイナーはあの二人を気に入った様子です。まあ、船長の服も作ってみたいと言ってましたね。」
フィーザとセルゲイも二人に付き添って、首尾よくサルマンとコネを作るのに成功した祝杯と、2人は船長室で向かい合って酒を酌み交わしていた。
もっとも華奢な船長がブランデーのオンザロック、厳ついセルゲイは紅茶という、傍から見るものが居れば滑稽な光景だったが。
「あなたにドレスなど、着せられません。大体…」
大体似合う服などないか、とフィーザはなぜか自嘲気味に言った。
「あの日から、わたしは肌など晒したことはないからな。」
それはセルゲイとフィーザだけの秘密で、誰にも知られていないことだった。
とは言っても、セルゲイにとっての秘密とフィーザのそれとは、事実は一つだが各々の捕えた像は違っている。
フィーザは『自分のせいで血を分けた姉が死んだ日の秘密』を思い。
セルゲイは『フィーザの自由を奪った呪われた女の妄執』を思い返していた。
どちらも起こったことは同じ、一人の、フィーザに似た女の死なのだが二人の事実はこんなにも違う。それは幸か不幸か、今はまだ、そしてこれからもひょっとすると解らないことであったが。
互いに黙したままグラスを傾けていたが、ふとフィーザが口を開いた。
「やっぱりわたしは女に見えるのかな?まあセルゲイは昔馴染みだし聞いても無駄か…。」
「そりゃ…はじめから分かっている問ですから公正な答えにはならんでしょう。」
「違いない。」
「ところで、ライが連れていたあのサラナーって子、いつ乗船したのか係のクマルに確認したんですが、いまいちうやむやなんです。」
「連れのボディーガードが居ると言っていたが、その人物には確認したのか?」
「それが。連れは最初から居ません。」
「颯が異常なしと見立てたと聞いたが…。」
「ライが言うには、記憶が抜け落ちがちになるそうですよ。あの御嬢さんは。」
そしてセルゲイから、ライが剣の力で追手を撃退したときの騒ぎに乗じて乗り込んだのではないか、という推論が出た。
「目的地は砂漠か。…不思議な娘だな。強力なコネも出来たし、利害で考えれば別にこのまま乗って行っても良いんだが。…なにかしら、悪い予感はするな。」
「砂漠には悪魔が集う卓があるという言い伝え、ご存じですか?」
唐突にセルゲイが言う。
「最終目的地のワイノスに寄港する船が極端に少ないのは、こいつのせいだと思うのですが。ま、おかげで利益はけた違いですし今までは気にしていませんでしたが。今回は裏をとってみようと思っています。」
「何か…あるのかもしれないな、確かに。」
ブランデーの氷がからん、と大きな音を立てる。
手元のグラスを見ると。大きめの氷が真っ二つに割れ、沈んでいく。