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穢れた勇者の魔王ライフ  作者: シュレ
登場人物紹介※ネタバレあり
3/12

魔王への道

「勇者、今のあなたには何の目的もなければ、生きる意味もない。ただ追手から逃げて彷徨い歩いているだけ…そうですね?」


「そうだけど?」


宰相が言う事は事実だが、言い方がこう何というか…気に入らない。思わず手が僅かに動いてしまったが、ただ事実を言っているだけの相手の首を刎ねるのは、さすがに私もどうかと思う。


なので殺す気は今のところないが、私の一瞬の殺意を見逃さなかった宰相は、その冷徹そうな顔を強張らせ、冷や汗を流す。相変わらず敏い魔族だ。これが普通の魔族なら、気にも留めないような行動の一挙一動をじっとりと観察している。本当に、何故その知謀を駆使して私達を本気で殺しに来なかったのか不思議なくらいだ。


「それでもあなたが生きている理由は…恐らくただの生存本能でしょう。ただでは死にはしないという、意地。それが今のあなたの原動力です」


言われてみれば、そんな気もする。暗殺者だった頃は、確実に標的を殺すこと、失敗したら即座に命を絶つことを教わってきたが、一番熱心に教えられたのは任務に成功して、誰にも見られず、誰にも知られずに、無事に帰還することだった。


優秀な暗殺者を育成するのには手間がかかる。使い捨ての駒ならばそんな教育は必要ないが、長く使うのならばきちんと生き残る方法を教えることが必要なのだ。当然、私も教わったことだ。


そして勇者時代も、私は自分が生き残ることを重要視していた。目的を達成するためには戦闘続行が不可能になるような大きな怪我を負うような真似はできなかったし、それに何よりも、生きて帰らなければ、意味がなかったからだ。



今の私は、暗殺者ギルドに帰ることもなく、故国に帰ることもない。帰還する場所など何処にもないが、それでもいつの間にか、生きる、生き残る、という意思は私の体にこびり付いて離れなくなっていたようだ。


生きる希望を失っても、何故自分で命を絶つような真似をしないのか、自分自身で不思議だったが、宰相の言葉でようやく納得がいった。


私はただ、本能で生きていただけだったのだ。



「…それで?」


だけど結局疑問は何も解決してはいない。そこから何故、私を魔王にという話になるのか。そもそもこの話はそんなに長いのだろうか。あまり長い話は聞きたくないのだが、退出してもいいのだろうか。


ちらりと扉の方に視線を送った私に気付いた宰相は、勿体つけるのを止めて、焦りながら本題を話し始める。


「そ、それでですね。人は生きることに一々意味を求める生き物と聞いています。今のあなたの様子を見るに、その定説はあなたにとっても例外ではないはず。でもだからと言って、あなたは簡単に死ぬのは嫌なのでしょう?

それなのでしたら、魔王として生きるのは、どうでしょうか」


「……?」


やっぱり意味が分からない。どうしてそこで私を魔王にという発想が出てくるのか。大体、魔王というのは何をすればいいのだろうか。私の知る魔王とは、脳筋な魔族の中で最も強い脳筋で、何らかの方法を使って世界中に瘴気を撒き散らすという存在なのだが、そんなこと、人間ができるのだろうか。


魔族の王だから魔王なのではないだろうか。人間の王が人間なように、魔族の王は魔族にしかできないのではないだろうか。


色々な疑問がぐるぐると頭の中を回っているが、答えなんてものはでない。これ以上考えても何の益も出なさそうなので全部放棄してもいいだろうか。そう思い始めたところで、宰相の話声で意識を呼び戻される。


「魔族はこのままでは滅びます。それを避けるためには強い指導者、魔王が必要です。ですが、今の魔族には反論をおさえつけ、魔族を率いられるような人材はいない…。魔族は空中分解して、人間に各個撃破されるのが落ちでしょう」


「そうだね」


むしろ、魔族の滅亡が目的で人間は勇者を担ぎ上げたのだから、間違いはない。人間がこの世界に繁栄するためには魔族は邪魔でしかない。天敵をいつまでも生かしておくほど、人間は間抜けな生き物じゃない。今までは、獣を刺激しすぎないように小さな反抗を繰り返すだけだったが、獣が弱っている今、一気に叩いて潰して滅ぼす気だろう。


宰相は、それをよく分かっている。強ければ大丈夫だと漠然と考えている魔族とは違う。



「…しかし、魔族にいないのならば、外部から引き入れればいい。そうは思いませんか、勇者」


「知らない」


同意を求められても知ったことか。

私の反応が思ったものと違ったのか、宰相は一瞬固まる。

しかし、すぐに気を取り直し、私を説得するように優しげな口調で語りかけてくる。


「つ、つまりですね、勇者。あなたを魔族の王として迎え入れれば、魔族は生き残れるのではないのかと、私はそう考えているというわけです」


「そう。頑張って」


宰相も色々と大変らしいのは分かった。私を魔王に云々は色々と不明瞭な点が多かったが、何で私がそんな面倒臭そうなことをしなければいけないのか分からないので、これ以上考えなくてもいいだろう。


私の思考を自分の思う通りの方向に動かせないのが不快で仕方ないのか、宰相の額にぴしりと青筋が入る。

だけどすぐに宰相は顔を伏せ、長く重い溜息を吐く。


「分かってます…分かってました、あなたがそういう人間だと言うことは…。あなたにはもっと直接的に、メリットとデメリットを正確に提示する必要があるようですね」


宰相は眦を上げ、普段よりも二割増しな冷徹な表情で、今度は無駄を省き、虚飾も遠回しな言葉もなく、率直に話しかけてくる。


「あなたは生きる目的がない。私達は王がいなくて困っている。そして、あなたには王になれる素質がある。…ここまで言えば、さすがのあなたも分かるでしょう。

勇者、魔王になれば、また昔のような充実した日々を送れるかもしれませんよ?」



魔王になれば、生きる目的があれば、また昔のようになれる?


今の私は、暗殺者だった頃の私と同じだ。ただ惰性で生きている。だから宰相の言う昔とは、勇者時代のことだろう。



…勇者だったころの私は、今とは全く違っていた。


色々と大変だったことはあったが、何か、暖かいものに満たされていた。

今とは、全然違う。



…魔王になれば、もう一度あの頃のようになれる?



「…それ、本当?」


「ええ、本当ですよ、勇者。それに、間違いだったのならば、あなたはこの私の首を刎ねて、恨みを晴らせばそれでいいのではないですか?」


確かに、宰相の言う通りかもしれない。デメリットは、ほとんどない。今の私は何も持っていないからデメリットがないのは当然だけれど、それでも無駄なことはしたくない。でもそんな怠惰な気持ちを一瞬で消し去ってしまうほど、宰相が提示したメリットは魅力的だった。



「魔王になれば…」


「魔王になれば、あなたは満たされるでしょう。私が確約します」


私よりも遥かに頭のいい宰相がここまで言うのだから、相当の自信と根拠があるのだろう。


…一度、一度だけなら、少しだけなら、やってみてもいいかも…?



「おいおい、何勝手に話を進めてんだよ!っていうか何で俺を完全無視してるんだよ!口はさむ隙がなくて最後まで話し聞いちまったじゃねえか!」


鼓膜に響くがなり声に釣られ、不快の為に眉を顰めながら、声の方向を向く。

うるさく吠えていたのは、やはり若い青年の魔族だった。



「俺は最初っから言ってるが、そいつの受け入れには反対だ!大体どうしてそいつがここにいるんだよ!俺らがわざわざ集まってんのも、皆こいつのせいだろ?それがどうして魔王だの何だのって話になるんだよ!」


「うんうん、やはり気高い魔族の王が人間というのは格好がつかないよね」


「然り、然り!」


若い魔族が言っていることは至極正論だと私でも思う。一瞬、宰相の話術に流されかけたが、やはり私を魔王になどと言う話はおかしすぎる。何かの罠かもしれない。

それと坊ちゃん魔族は髪を弄び過ぎだ。鬱陶しいなら切った方がいいんじゃなかろうか。赤い鎧の魔族はさっきから然りしか言ってないが、本当に話を理解できているんだろうか?


先程まで考えていた重大な決断を放り出し、思考が脇道に逸れ出す。私は一度に複数の事柄を同時遂行するのが苦手なのだ。一度に一つのことしか考えられない。今私の頭を占めているのは、三人の思考回路がどうなっているのかということだけだ。



「…この脳筋どもが…」


「まあまあ、少し抑えるんじゃ。ここが踏ん張りどころじゃよ?お主が勇者を説得できんなら魔族は滅びるだけじゃ」


横で何やら宰相と爺さん魔族が何やら話しているが、今の私の興味を引くほどではない。



「だーかーらー!俺は反対だって言ってるだろ!」


「あらあら、血気盛んな坊やは嫌いではないけれど、今この状況でそんなことを言うなんてお馬鹿さんね。反対できるような状況だと思っていて?」


「然り、然り!」


「お前、さっきは俺の言葉に同意してたんじゃねえのかよ!」


あ、やっぱり何も分かってないんだな。色っぽいお姉さん魔族に同意する赤鎧魔族を見て、そう思う。きっと反射的に頷いているに違いない。でも、私にもそういうことはあった。適当に頷いていたら、何故か近隣の魔物退治を任されていたことが何度かあった。


懐かしい昔を思い出していると、気を取り直したらしい宰相が若い魔族を窘める。


「彼女の言う通りですよ。今の魔族の弱体化ぶりは見ていて痛々しいほどです。一昔前の感覚でちっぽけな力を振りかざして行動するのは止めていただけませんか?」


「なっ…。魔族は今でも人間より強えだろうが!そりゃあ、長もいなくなったし前よりは、よ…よわ、くなった、かもしれねえ。そ、それでも!人間を、ましてや勇者を魔王にするほど落ちぶれてなんかいねえだろ!」


「何を言っているのですか。それほど落ちぶれたんですよ、魔族は。各種族の長は大概が勇者に自ら突っ込んで行って倒されたんですよ?後に残ったのは、勇者に真っ向から挑むのは馬鹿のすることだと知っていた数少ない頭の回る魔族と、君らのようなまだまだひよっこの魔族です。これが落ちぶれていなくて何なんです?」


「……ふむ。つまり、魔族の現状はかなり美しくない…ということかな?」


坊ちゃん魔族が宰相の言葉を一言でまとめる。実に分かりやすいまとめ方だ。確かに昔は強かった獣が、四肢を落とされもがいている様は美しいとは言い難いだろう。今の魔族はそんな状態だ。


「…本当に現状を正しく理解できているのかは疑問ですが…概ねその通りでしょう」


「なんてことだ!魔族が、この僕が美しくないと!むしろ醜悪だと!ああ、なんてことだ!」


周囲に薔薇の花弁を撒き散らしながら、坊ちゃん魔族が芝居がかった大げさな仕草でばたりと倒れる。

しかし、随分な魔力を使って派手な演出をしている。私にこの魔力があれば、街を一つか二つほど壊滅させることができるだろう。やはり魔族は、色々と残念だ。


「……彼は現状を把握できたようですので放っておくとして…あなたはまだ理解できませんか?」


「お、おう。やっぱり勇者が魔王ってのは納得がいかねえ」


宰相の言葉に少しは心を動かされたようだが、若い魔族はまだ納得できないところがあるようだ。私も全然納得できていないので当然と言えば当然のことだ。



「はあ…。脳筋な上に無謀で無駄にプライドが高いあなたにも理解できるように説明するしかないということですか」


「ああ!?何だ喧嘩売ってんのか、ゴルア!」


「はいはい、坊やはすこぅしお姉さんと一緒に大人しく話を聞きましょうねー」


激昂した若い魔族が宰相に飛びかかる前に、色っぽい魔族が若い魔族を自分の胸元に押し付ける。

かなり大きな二つの頂の感触を受けた若い魔族は、僅かに覗く耳を髪の色と同じように真っ赤にさせて、そのまま動かなくなった。これ幸いにと、そのまま宰相が話し始める。


「いいですか。今、勇者以上に魔王に適任な人材はいません。魔族の中に圧倒的な強者は無く、戦力は乏しい。魔族の中から才能を持つ人材が育つのを待つ暇はありません。


しかし、人間は黙って待っていてはくれません。そもそも、魔族の強者達が連携も作戦も立てずに勝手に勇者に突っ込んでいったお陰で、各個撃破された上に、勇者を無駄に成長させてしまったのが失敗です。お陰で、人間側は勇者という巨大な戦力を使うだけで魔族を衰退させることができ、自分達の力はほぼ温存することができてしまったのです。

今や魔族と人間の戦力の彼我は明らか。勇者がいなくとも、人間は魔族を滅ぼせるでしょう」


いつの間にか、若い魔族の耳の赤みは少し薄れている。宰相の話で魔族がどれほど危険な状況に置かれているのかやっと理解できたのだろう。私だって、魔族の危機は分かっていたというのに、なんという鈍さだろうか。


でもどうしてそこで、私を魔王にする発想が出て来たのだろうか。



「魔王になれる者はなく、時間もない。なら他から引っ張って来るほかない…ここまでは先程も言った通りです。あなた方の疑問は、何故魔王を倒した勇者なのか…という点ですか?」


こくり、と未だ色っぽい魔族の谷間に顔を埋めたままの若い魔族が頷く。


「では逆に聞きますが、そんなことが何の問題になるんです?」


「んん?どういう意味かな?」


倒れた時に髪にひっついた薔薇の花弁を指先で優雅につまんで取り去りながら、坊ちゃん魔族が問いかける。


「魔族は力こそ全て。弑逆による魔王の交代など何度もあったことです。それが勇者に変わったとして、何の問題があるのですか?」


「そうであるな!魔族は力こそ全て!勇者が魔王より強いのならば、何も問題ないのである!」


赤い鎧の魔族が、初めて然り以外の言葉を喋った。まともなことも言えるんじゃないかと、私は少し目を見開いて驚く。



「で、でも、だからってよ…」


ようやく双丘から解放された若い魔族が、情けない顔で何か反応しようとしていたが、宰相がそれを容赦なく叩き潰す。


「何ですか?あなたはまさか、ちっぽけな自尊心を優先させて、魔族最大の掟を破るつもりだと?勇者が人間であれ何であれ、前魔王よりも強いのは確かです。それでもあなたは拒否すると?」


「ぐっ……だ、だからって、勇者が俺らを裏切らない保証はねえだろうが!魔王にしといて俺ら魔族の情報を人間側に売り渡したらどうするんだ!?」


脳筋にしては珍しく頭を使った発言だ。確かに、つい先日まで敵だった者を懐にいれておいて、そのまま刺されてしまってはただの間抜けだ。それは容易く受け入れる方がおかしい。


例え魔族が強者を尊ぶとはいえ、魔族も生き物だ。生存本能がないわけじゃない。例え自分よりも強くとも、自分を殺そうとする敵には頭を下げることはない。



「その点は心配ありません。勇者は人間のために戦ったわけではないのですから。勇者、あなたが魔族と敵対したのは義侠心からですか?それとも…」


「私の個人的な感情」


どうせこの宰相は私が答えるまでねちねちと手を変え品を変え干渉してくるに違ない。そんな面倒なことを何度も繰り返したくないので、さっさと問いに応える。

私が勇者となり、魔王を倒したのは、何も人類を繁栄させたかったわけじゃない。完全なる私情で、私欲だ。大体、私が他人のために自分の身を削るなんて意味が分からない。どうしてそんなことをしなくてはいけないのだろう。



「率直な返答、どうもありがとうございます。…それで、勇者をその気にさせてしまえば裏切る可能性はほとんどないと分かっていただけましたか?」


「今ので分かれってのか!?」


「今ので十分でしょう?」


十分なのか?今の一言で何が分かったのだろうか。あれで本当に私の考えが分かったのなら、宰相の頭脳はどれほど優れているのだろうか。私も洞察力は職業柄鋭い方だとは思うが、それは宰相とはまた別の鋭さなのだろうか。



しかし宰相は、一体どうやって私をその気にさせるつもりなのだろうか。私は、魔王なんていう面倒臭そうで益もない地位に就く気は全くないのだが。先程のあれは一瞬の気の迷いに違いない。


「それでは、私の案が駄目なのならば、変わりの案を出していただきましょうか。勿論、何か具体的な案があって、反論しているのですよね?」


「そっ、それは…」


若い魔族の目が分かりやすいくらい動揺して泳ぐ。どうやら、隠しごとはできないタイプのようだ。宰相の案に逆らっていたのも、特に考えもなく条件反射的に逆らっていたのだろう。

そんなことだろうと思っていたとばかりに、宰相が見せつけるように溜息を吐く。


「他に案がないのならば、今は私の案に従ってください。後でこれよりもいい案が出たのなら、その時にお聞かせ願いましょう。ですが、それまでは我々魔族の懐に勇者を引き入れるのが、魔族にとって最善だと分かっていただきたいものですね?」


「ぐ…な、納得できねえが……分かった…」


遂に若い魔族が宰相に折れ、消極的ながらも肯定の返事を返した。他の反対していた魔族も、心から納得したわけではなさそうだが、渋々認めるしかないという表情で頷いている。



「はあ……お待たせして申し訳ありません、勇者。長い話に飽きて途中で暴れ出すかと思いましたが、大人しくしていてくださってありがとうございます」


「暇」


今の私は特にやることもなく暇を持て余している。やることと言えば、生命維持のための食材集めや水や寝床の確保だが、今日はこの魔王城から搾取することが私の中で決まっているので、もうほとんどやることがない。ぼーっと外を眺めているより、宰相の話を聞いていた方が幾分か有益だ。


「暇、ですか…。敵対する理由がなければ、勇者はまったく戦おうとはしないのですね。いえ、私にとっては好都合ですが。そんなあなただからこそ、私はあなたが魔王として魔族の頂点に君臨するだろうと確信しているのです」


「そう」


相変わらず宰相の言っていることは訳が分からない。どこをどうしたらそういう結論になるのだろう。私は宰相が相当に頭が切れると思っていたが、実は馬鹿なのではないだろうか。私達勇者一行を倒せずに、魔王を倒されたのは何か他に特別な理由があったからではなく、ただ単に策が失敗してたのかもしれない。


私の中で、宰相の評価がぐらぐらと揺らぐ。



「勇者。あなたは、本当に現状に満足しているのですか?あなたの過去は知っています。暗殺者だったことも、とある理由のために勇者になったことも。そしてその理由を手酷い裏切りによって失ったことも」


ああ、やはり、これだ。宰相の情報収集能力は見事なほどに素晴らしい。私が暗殺者だったことは、本当に一部の人間しか知らなかったことだ。暗殺者を止める時に、暗殺ギルドの面々は皆殺しにしたし、私は過去を辿れるようなものを入念に消し去った。


それでも情報と言うものは漏れるものだけれど、勇者となったことでその漏れた情報も他の者が揉み消してくれた。民衆や他国の者に、人類の希望である勇者が元暗殺者であるなどと、知られるわけにはいかなかったからだ。それがどんな不利益をもたらすか、どんな馬鹿でも少し考えれば分かることだ。


だからこそ、他に漏れるはずもない情報だが―――宰相は知っていたようだ。こういうところが油断ならない。

私の中で、宰相の評価が元通りのところに収まる。



「勇者、あなたには他の全てを犠牲にしてでも手に入れたいものがあった。そうですね?」


「……それが?」


しかし宰相は先程私が言ったことを忘れているのだろうか。私は先程過去を蒸し返すようなことは言うなと警告したはずだが…言っても分からないのならば、斬ってもいいだろうか。ゆるりゆるりと、右手が剣の柄へ伸びて行く。


私のその行動を見ても、宰相は先程のように慌てず、余裕の態度でにっこりと笑って話を続ける。



「あなたが手に入れたかったもの――――それが魔王になれば与えられるのならば、あなたはどうしますか?」


私が欲しかったもの。私がかつて、指先にその存在を感じながらも、結局手に入れられなかったもの。


……本当に、宰相はそれを与えられると言うのか?

にわかには信じがたい。


剣の柄から手を離さず、だけど剣を抜くことはせずに、じっと宰相を睨みつける。


「信じられないのも、無理はありません。本来それは、望んでも手に入りにくいものなのですから。ですが勇者、それは人間の中のお話です」


それは、人間の話?

…魔族は違うとでも言うのか。


実は、私は魔族についてそれ程多くを知っているわけではない。いや、人間の多くが魔族のことを深く知っているわけではないだろう。それでも、私は魔族については知識がある方だと思っている。勇者となった時に、そして旅の最中に、魔族のことを知る機会が多くあったからだ。


魔族に関して端的に述べるのならば、力が至上主義の脳みそまで筋肉でできている種族。物事を深く考えずに感情のままに行動する種族、といったところだ。私を段階的に成長させるがごとく魔族の中の弱い種族の長から順々に襲ってきたことからもそれが分かる。


恐らく、弱い相手には戦いを挑む価値すらない。あいつが倒されたのならば戦う価値がある、とでも判断していたのだろう。実際に、戦う前にそんなようなことを言っていたし。



魔族に関して私が知っているのはそれくらいで、ほとんど戦闘に関することだけだ。宰相が言う、人間と魔族の違いがよく分からない。何故人間の中では手に入りにくいものが、魔族の中では手に入りやすくなるのか?


私の頭の中は疑問だらけだが、心の奥底で、もし本当にそうならば、と思ってしまった。もし、本当に手に入るのならば、一度思い浮かんだ言葉は中々消えてくれない。もし宰相の言葉が間違いだったとしたら、私はまた無駄なことをしてしまったということになるのに。


また、裏切られるかもしれないのに。


いつの間にか私の右手は剣の柄から離れていた。



「勇者、魔族とは実に単純な種族なのですよ。今回はその単純さ故に滅びの危機を迎えているわけですが……その性質を利用すれば、勇者を取り込み、再び魔族がこの大陸で覇権を握ることも可能というわけです」


「…本当に?」


本当に、そんなことができると思っているのだろうか。かつて敵だった私を魔王にし、人類が攻勢を開始すれば即座に滅んでしまいそうなほどに弱体化している魔族が、本当に再生できると?


私の問いに、宰相は力強く頷く。


「魔族を甘く見ないでいただきたい。あなたさえ魔王になっていただければ、魔族が一つにまとまることができれば、人間なぞに負けはしません。例え勇者にほとんどの強者を倒されていても、それで容易く滅びるほど魔族は弱くはありません」


先程まで魔族を脳筋脳筋と言っていた宰相だが、魔族に対しての誇りや自尊心は十分にあったようだ。冷徹そうな目には似合わない輝きを灯して、普段はにこやかな仮面を剥ぎ取り、素の顔で熱く力説する。


……ああ、宰相には、普段の自分を捨ててまで、そんなふうになれるようなものが、自分の中にあるんだ。



……私とは、まるで違う。

私には、私の中には、もうそんなふうになれるものは、残っていない。



「勇者」


「…?」


いつの間にか俯いていた頭を上げる。宰相が、驚くほど近くまで迫っていた。攻撃を考えるのならば危険な距離だが、私のはもう間を空けようと思う気力すら残っていない。


「魔王になりなさい。魔族はあなたをきっと受け入れるでしょう。その証拠に、私はあなたを受け入れます。私はあなたが魔王である限り、あなたを裏切ることはありません」


そう言って、宰相は私の手の中に何かを握らせる。手の平を開いてそれを見ると――――それは魔族にとって命とも呼べるもの。魔族の生命力の根源とも呼べる、魔力の核。普段は魔族の体の中に溶け込んでいるが、死ぬ時に結晶化するものだ。しかし、取り出す方法がないわけではない。特殊な儀式を用いれば、可能だと聞いたことがある。


そしてこの魔力の気配は――――。


驚きに目を見開き、宰相の方を見る。

宰相は、いつものように、にこやかに微笑んでいた。



「…私に、これを預けることが、どういうことか、」


「分かっていますよ、勇者。それにあなたが思う以上に、それは魔族にとって大事なものなのです。ですがあなたはこれくらいしないと、私を信じていただけないと思いましたので。でも、これで私を信じていただけますね、勇者」


重い。軽いはずの、手の平に収まるほどの小さな球体が、重く感じる。少し強く握れば容易く砕け散りそうなものが、宰相の命なのだ。


私は、こんなものを渡されて、どうすればいいのか。何もかもが分からない。ぐるぐると思考が回る。



「ほほ、宰相もやりますのぉ。そのような奇抜なやり方でおなごを口説くとは。それでは、わしからは、変わらぬ忠節を誓わせていただきましょうかの」


小さな爺魔族が、その体を更に小さくさせて、床に跪く。

気高い魔族が膝を屈することなどない。例え敗北して命を失ったとしても、魔族が本当に屈することはない。

そんな魔族が、今、私の前に跪いている。


「あら、仕方ないわねぇ。(わたくし)からはこの体と、同じく変わらぬ忠節を誓わせていただきますわ」


豊満な二つの山を故意に揺らしながら、色っぽい魔族が、上品なドレスを汚すことに頓着など見せずに、跪く。


「むううん!忠節こそ騎士の誉れ!仕えるに値する主が居るのならば!喜んで跪くのである!」


がしゃん!と重い鎧を強く床に叩きつけ、赤い鎧の魔族が跪く。


「っふ、美しい僕がより輝くためなのならば、美しいものに仕えるのも一興というわけだね。ああ、僕の美しさを存分に味わってくれたまえ!」


まるで物語の中の王子のように、芝居がかった仕草で、だが絵画の一幕のように、優雅に坊ちゃん魔族が跪く。


「っち、認めたわけじゃねえが、他に何も思いつかねえ。お前が強いのは俺も分かってる。だから、しょうがねえから俺も、お前に従ってやる。せいぜい俺を失望させないようにしろよ」


言葉とは裏腹に、綺麗な礼で、若い魔族が跪く。


「はあ、やっとこれで肩の荷が下りるな。後は任せたからな。俺は臣下としてこれから仕えよう」


あ、そういえばいたっけ少年殿下。完全に存在を忘れ去られてた少年殿下が跪く。


「この場にいるのはみな、種族の代表として来たものだけです。つまり、あなたの前には魔族が平伏しているということ。あなたが求めているものは、今ここにあります。さあ、どうぞ私達の忠節をお受け取りください。新たな魔王よ」


一番他人に跪く場面が想像できない宰相までもが、私の前に跪く。


…全ての魔族が、今、私に平伏している?

全ての魔族が、今、私を求めている?



―――普段は、使用しない、心を読む加護が、いつの間にか発動していた。そしてその加護は、彼らの言葉に全くの嘘偽りがないこと、人間のように裏表など全くないことを、証明していた。


これが、魔族と人間の違い?

これが、私の望んだもの?









「…分かった。受け入れよう宰相。これが本当に私の望んだものかは私にも分からない。けれど、あなたの言うことを信じてみよう」


本当に全てを信じたわけじゃない。でも、信じてみようという気持ちにさせられた。一度だけなら、もう一度だけなら、例え最後に裏切られるのだとしても、信じてみようと、そう、思った。



「我ら一同、新たな魔王の誕生を祝福致します」


「「「祝福致します!」」」



この決断がどういう結果をもたらすのか――――それは、私にも分からない。

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