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第五話:魔物と戦うために必要なたった一つのもの

この物語には、親御さんになった方々が反感を買うような表現、あるいは耳の

痛いかもしれない表現が多々掲載されています。気分が悪くなった際はすぐに

読むのをやめて、ウォーキング等の気晴らしに出かけることをオススメします。

 踏み越えた戦場の数だけ、あなたは強くなれる。

 受けた傷の数だけ、あなたは優しくなれる。

 しかし、戦場を越えただけでは、傷を受けるだけでは、強くも優しくもなれない。

 強くなるか、優しくなるか……決めるのはあなただ。

 知るだけでは意味はない。体験して、傷付いて、魂に刻み付けて、学ぶのだ。

 この世の全ては、あなたが強く優しくなるために存在しているのだから。





 古賀三日月は、凹んでいた。気分が落ち込んで浮上しなかった。

 ぼんやりしながら独りで帰宅し、すぐに不貞寝した。

 姉は面白そうだとからかってきたが、母の一喝で大人しくなった。つくづくウチのかーちゃんはすげぇなとぼんやり思ったが、思うだけだった。

 店番をサボり、花の手入れも放ったらかしで、如月と鮫島に経緯だけをメールし、気が付いたら休日が終わっていた。

 緩慢に、漫然と、月曜日の気だるげな空気が漂う学校に向かい、隣のクラスを覗き、佐々木桜子は今日は休みだと小耳に挟んで、なお凹んだ。

 授業中も、ほぼ生きる屍になっていた。

 クラスメイトはなぜ古賀が凹んでいるのか分からず怪訝な顔をしていた。与一は三日月が振られたことを吹聴する男ではないし、鮫島も興味ありげにこちらを見ていたが、さすがに真正面切って聞く度胸はなかったようだ。

 携帯が何度も鳴っていたが、体を起こすのすら億劫だった。

(……みっともねぇな、おれは)

 振られたら振られたで、すっぱりと諦めたい。諦めて、気分を切り替えたい。

 そんなことができたら苦労はしない。それは分かっていたが……ここまで落ち込むとは思っていなかった。

(それだけ、本気だったってことだよな……)

 チャイムの音を聞いて、ゆっくりと立ち上がる。

 昼休みになったが、誰かと話をしたい気分じゃなかったので、誰もいない場所に向かった。

「……とはいえ、誰もいない場所なんてどこにもねぇよな」

 結局、消去法で『誰もいない場所』ではなく『余計なことを聞いてこない奴』がいる場所に向かうことにした。

 図書準備室と呼ばれる……本を保管しているだけの、物置の扉を開けた。

「よ、ゴロ。暇か?」

「あ……三日月君」

 万年図書委員の彼は、三日月の姿を見るなり、微苦笑を浮かべた。

 植草五郎。同じクラスで、三日月の斜め後ろの席にいる男子だ。

 控え目に見ても目立つ少年ではない。細い顔立ちに男子にしては低めの身長。体の線も細くたくましさは皆無。勉強も運動も苦手ならば、一番苦手なのが真正面を向いて歩くというごくごく当たり前のことで、常に伏し目がちで気弱な少年である。

 趣味は読書。その趣味の延長線上で図書委員などをやっているらしい。

 永遠に片付かない書庫の片づけを、先生や先輩に押し付けられて、やっている。

「ちょっと教室に居づらくてさ……ここで弁当食わせてもらっていいか?」

「うん」

 五郎は、微笑みを浮かべて許可を出すと、本の整理に戻った。

 席に座って、机の上に弁当を広げる。弁当を見て遊園地で食べた桜子の弁当を思い出して一瞬だけ息が詰まったが、それでも無視して弁当を食べた。

 弁当を食べながら、ちらりと五郎の様子を伺う。

 特に気になったわけでも、視線を感じたわけでもない。ただ……自分がこうして凹んでいるのに、五郎はいつも通りにマイペースで、普通通りで変わらなかった。

 与一ですら、心配そうに様子を伺うくらいはするのに。

「ゴロはさ……あんまり、ゴシップとか興味ない方か?」

「んーん。興味はある方だよ……興味があってもなくても、同じことだけどね」

「………………」

 五郎は愚鈍な男だった。三日月の見立てではあるが……明らかに、某青い猫型ロボットに助けを求める少年の方が、スペックが高い。

 困ったような表情を浮かべて、五郎は話を続けた。

「三日月君がなんで落ち込んでるのかもよく分からないし。落ち込んでる所を無遠慮に聞くわけにもいかないって、思うし」

「無遠慮に聞いてくる奴らもいるんだから、気にしなくていいんじゃないか?」

「普段勉強教えてもらってるのに、そんな無礼なことはできないよ……」

 曖昧に笑って、五郎は番号を確認しながら、本を棚にしまっていく。

 三日月としては勉強を教えているつもりはなかった。分からない所を聞かれて、答えただけである。何回も聞かれて鬱陶しいとはほんの少し思ったが、それだけだった。

 むしろ……分からない所をちゃんと教わって、えらいと思ったくらいだ。

 溜息を吐いて、三日月は腹を括って口を開いた。

 いい加減に、凹むのはやめて認めなければならないことがある。なにも聞いてこないのなら自分から話してしまおうと、思い立った。

「んじゃ、勝手に喋るから聞いてくれ……実はさ、告白して振られたんだ。隣のクラスに佐々木桜子っているだろ? デートしたんだけどさ……振られちまったぃ」

「佐々木……ああ、副会長か。知ってる知ってる」

「知ってるのか?」

「知ってるよ。よく怒られて、結構辛かったよ……あはは……」

「………………へ」

 結構辛かった。意外なその言葉を聞いて、三日月は眉をひそめた。

 五郎は苦笑を浮かべながら、言葉を続ける。

「佐々木さん、中学時代はなんていうか……余裕がない人でさ。ぼくは押し付けられて学級委員長とかやってたんだけど、プリントの提出とか遅れると睨まれたり、すごく棘のある言い方をしてたんだよ。素行は良いから教師には好かれてて、人当たりもいいからみんなから好かれてるけど……僕みたいな『できない』人からは、敬遠されてたよ」

「そう……なのか?」

「うん。でも、それは中学時代の話で、今の佐々木さんには関係ないからね? 三日月君にだって、忘れたい過去の思い出くらいはあるでしょ?」

「あ……うん……はい」

 優しいながらも嗜めるような五郎の言葉に、思わず三日月は畏まってしまった。

 姿勢を正して、五郎の言葉を待った。

 辞典と辞書を重そうに抱え上げて、五郎は言葉を続ける。

「正直、ぼくとしては佐々木さんに良い印象は持ってないけど……それでも、佐々木さんがそんなになったのは、家がものすごくキツいっていう理由があったからなんだよ」

「家がキツい?」

「教育熱心なお母さんだったらしくてね、色々あって副会長が体を壊して、一週間くらい学校に来なかったことがあったんだ。……休んでからはそんなにキツくなくなって、表情も柔らかくなったんだけどね」

 辞書と辞典を床に落として、拾い直して一部は机の上に上げる。

 五郎はイマイチどころか、かなり要領が悪い男だった。

 彼を見ていてイライラするという意見もあるが、三日月にはよく分からなかった。

 チマチマと、三歩進んで一歩下がるような書庫整理をしながら、五郎は苦笑した。

「それでも、ぼくは佐々木さんのことは苦手だね。やられたことを、言われたことを、都合よく忘れるなんてできないしね……忘れられたらいいのにね」

「………………」

「我ながら女々しくて、嫌になるね」

 自嘲気味に苦笑しながら、五郎は書庫整理を続ける。

 少しずつだが、恐らく他の人間より時間はかかっているのだろうが、地道に、決してサボることなく、少しずつ仕事を続けていた。

 不意に、意を決したように、五郎は口を開いた。

「三日月君は、どうして佐々木さんを好きになったの?」

「え? いや……どうしてって言われても……可愛いから、かな? 色々理由はあるけどさ、佐々木さんのこと本気で、すげぇ好きだったんだって……そう思ってる」

「……そっか」

「如月や鮫島にも協力してもらったんだけど……はぁ……凹むわ」

「………………」

「ん? どうした? いきなり神妙な顔になって」

「ちょっと待ってて。なんかメール届いた」

 言うが早いが、五郎は携帯を取り出してなにやらメールを打ち始めた。

 指の動きは凄まじく早い。普段の五郎の動きからは想像もできない程の速度である。

(うわっ……早っ! キモっ! なんか指だけ別の生き物みたいだ!)

 三日月はそう思ったが、友達のことを慮って口には出さなかった。

 メールを送ったり受け取ったりで三分程が経過したあたりで、五郎は口を開いた。

「ごめんね、話してる途中でメールしたりして。……嫌な奴からメール入ってさ」

「嫌な奴?」

「如月与一」

 気弱な少年の曖昧な笑顔はそこにはなかった。きっぱりと名前を告げた五郎の横顔は、歴然たる憤怒で染められていた。目を細めて、口元を歪めて、怒っていた。

 その表情に気後れしつつ、三日月は口を開いた。

「如月のこと、嫌いなのか?」

「嫌いじゃないよ。優しいし良い人だし友達思いだしね。……ただ、好きでもない。ぼくが気にしてることをズバズバ言ってくるしね。仕方ないことだけど」

「気にしてること? なんか嫌なことでも言われたのか?」

「んーん。嫌なことじゃないんだ。敵以外にそういうこと言う人じゃないしね。ぼくにとってはキツいってだけ。図星突かれて怒ってるってのも狭量で嫌になるんだけど……で、話を戻すけど、佐々木さんに告白した時、どういう状況だった?」

「どうって……観覧車に乗ってる時に、付き合って欲しいって言おうとしたら、やめてくれって言われたよ……はぁ……やっぱり、まだ早かったかな。そもそも、おれには恋愛なんて無理だったのかね……くそ」

 がりがりと、頭を掻いて溜息を吐き、ちらりと五郎の方を見て……仰天した。

 五郎は顎に手を当てて、薄く目を開いて虚空を見据えていた。

 直感ではあるが、ただの勘ではあるが、三日月は自分がなにかとんでもない地雷を踏みしめてしまった気がした。

 にっこりと、いつもの笑顔を偽装しながら、五郎は言った。

「三日月君」

「え……あ、はい。な……なんだろう?」

「嘘を吐いたから謝らなきゃいけないね。ごめんなさい」

「へ?」

「佐々木桜子が苦手っていうのは嘘。……ぼくは、佐々木桜子が大嫌いだ」

「……へ……えっと……」

「死ぬほど嫌いだ。死ねばいいと思ってる。中学校時代、何回殺そうと思ったか分からない。男らしくないと、執念深過ぎると、自分に言い聞かせてやめた。やめなきゃ良かったと今でも思ってる。……だから、今から吐く言葉は三日月君への助言やアドバイスの類じゃなくて、佐々木桜子への悪意から生じているものだと思って欲しい」

 何千何万と心の中で繰り返したような、地獄の底から響いてきたような怨嗟の言葉。

 背筋に寒気が走るような薄ら笑い。恐怖すら覚える憎悪に、三日月は喉を鳴らす。

 五郎は、薄く笑いながら、きっぱりと悪意を吐き出した。


「もう一回告白してみたら?」


 書庫に沈黙が落ちた。三日月は唖然としていて、五郎は笑っていた。

 薄く笑いながら、彼は言葉を続けた。

「っていうかさ、振られてないじゃん? 言おうとしてやめたって、『告白した』って行動に入る? 好きだごめんなさいなら分かる。でも……言おうとして遮られたって、それを告白とは、ぼくは死んでも認めないよ?」

「いや……でも、泣かれて全力で逃げられたんだぜ? 今日も休んでたしさ……」

「諦めるんだ? まだ好きか嫌いかも聞いてないのに、諦めるの?」

「おれだって諦めたくなんかねーよ! でも……仕方ないだろうが!」

「仕方ない? 相手は泣こうが逃げようが粘着質に追ってきて、ネチネチ責め立てるクソ女だよ? なんで諦めるのさ? 中途半端な振られる素振りされたからって諦めるの? 逆でしょ? チャンスじゃないの? なんで振った側がショック受けて休んでるのかとかちゃんと考えた? 受け入れ難い『なにか』があって、それで拒絶されただけでしょ? その『なにか』を切り崩せば付き合えるってことでしょ? あと一押し二押しあれば楽勝に切り崩せるでしょ? あとちょっとじゃん? 楽勝じゃん? なのに諦めるの?」

「ぐっ……っ」

 たたみかけるような疑問の羅列に、三日月は圧倒された。

 悪魔の囁きのような言葉。陳列される勝機に、三日月は喉を鳴らす。

 どんなに悪しき様に言われようが……佐々木桜子のことは好きだ。今も断言できる。

 好かれている確信があったから、告白した。それは自分の思い込みだと思い知らされて週末は凹みに凹んで、今も凹んでいて……正直に言えば、びびっている。

 振られた直後に、もう一度告白などできるものかと、心が叫んでいる。

「だっ……大体! 『なにか』ってなんだよ!? 人の告白ブチ切って、泣いて逃げ出すような『なにか』なんて、おれには想像もできねぇよ!」

「きょうふ」

「…………は?」

「一言で言えば『恐怖』だね。怖いってことだよ。なにが怖いのかは、本人に直接聞けばいいと思うよ? そんな面倒くさい女願い下げだって言うなら、諦めればいい」

「………………」

 五郎がなにを言っているのか、三日月には分からなかった。

 それでも、理由ができたのは確かだ。

 本人に直接聞く。告白の返事も含めて聞かなきゃいけないと、三日月は思った。

 結果が振られたでも構わない。……でも、ちゃんと聞かないと、前に進めない。

「ゴロ」

「なに?」

「お前は佐々木さんのこと嫌いかもしれないけど……おれは、佐々木さんが好きだ」

「それでいいと思うよ。ぼくは……やられたことは絶対に許せないけど、それは三日月君とは一切関係ないことだからね」

 いつものように軽く微笑んで、五郎は本を掴んで本棚に収め始めた。

 不意に、五郎はにへらと、だらしなく、曖昧に、苦笑した。

「ねぇ、三日月君」

「ん?」

「個人的な願望だけどさ……もしも、佐々木さんと付き合えたらさ、優しくしてあげて欲しいんだよね。考え得る限り、最っ高に優しくして欲しいね」

「……ゴロ、お前本当に佐々木さんのこと嫌いなのか?」

「大っ嫌いだよ。それは確信を持って言える。……だからね、これも悪意の一部だ」

 薄く目を開いて、五郎は意地悪っぽく笑った。



「悪意をふりまいて、ぼくに迷惑をかけたぶんだけ、幸せになってしまえ」



 佐々木桜子は失意のどん底にいた。茫然自失で生きていた。

 あの場から逃げ出し、遮二無二家に到着した後、服も着替えずに生きていた。

 泣き喚きはしたが、暴れたりはしないし。記憶が飛んだりもしない。

 漂白された表情のまま、休日を過ごして、学校に行こうとして妹に止められた。

『お姉ちゃんは今日は絶対安静! あと、服は着替えてね!』

 よく考えると……節目節目にいつも助けてくれたのは、妹だったような気がした。

 結局、学校は休んだ。学校に行けば嫌でも彼の顔を見ることになるだろうから、きっと今日だけはこれで良かったのだろうと……桜子は思う。

(……あーあ……駄目だ。もう駄目だこりゃ。こりゃいかんわ。薄々勘付いてはいたけど私はメンヘラになってしまったようです)

 メンヘラがなんの略か知らない桜子だったが……自分が相当駄目な人間になってしまったことだけは、よく分かった。

 望んでいた告白からバックレるとか、尋常じゃない駄目人間だ。

 S級バックラー(金銭を盗む等、犯罪行為を行った後逃走すること)には及ばないかもしれないが、B級バックラー(自分が重要なポジションに付いた頃に逃走すること)を軽く凌駕しているであろうことは、間違いない。

 被害の範囲は少ないかもしれないが、一人の少年に一生モノのトラウマを負わせたことを考えると、殺されても文句は言えないような気がした。

「というか……私は、本当に酷いなぁ……」

 勘違いが酷かった中学校時代は、特に酷かった気がする。

 素行は良かったが、それは単純に『良い子』を演じていたに過ぎない。自ら進んで演じていたのだが、今思えば拒絶していた物こそが、求めていた物だった気がする。

 お洒落も友達も彼氏も、全部が羨ましくて……だからこそ拒絶した。

 あの木になっているブドウは酸っぱい。そう思い込みたかったのかもしれない。

「…………はぁ」

 ベッドにごろりと横になり、桜子はゆっくりと目を閉じた。

 もうなにも考えたくない。起きているのが億劫で、生きているのが面倒だった。

 息を吐いて、息を吸う。かれこれ十時間は寝たが……まだ寝られるかもしれない。そんな風に思いながら、桜子は目を閉じた。


 ピンポーン。


 インターフォンが鳴って体がびくっと震えたが、無視した。

 新聞の勧誘に構っている暇はない。そのうち立ち去るだろうと踏んで、枕に顔を押し付けて寝入ろうとした。

 ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン。

「……っ……誰よ、もうっ!」

 ベッドから起き上がり、玄関に向かう。

 時計を確認する。昼を少し過ぎているがまだ授業中だ。三日月は授業をサボれるような人ではないのできっと違うだろうと踏んで、ドアスコープを覗きこんだ。

「っ!? なっ……なんでっ!?」

 三日月は学校をサボるはずがないという予感は当たっていた。

 しかし……三日月じゃない誰かが、学校をサボって自分の家にわざわざやって来るわけがないと、桜子は軽く考えていた。

 気配でドアの向こうにいるのが分かったのか、彼はドアをノックした。

「おーい、佐々木さん。開けた方が身のためだよ? 色々と準備もあるだろうし」

「………………」

 桜子は、ドアにチェーンをかけて、扉を開いた。

 チェーンをかけたのでドアは完全には開かない。それでも……彼はそこにいた。

 十人並程度のさえない顔立ち。真っ黒な目。笑うと可愛いと思えなくもないが桜子の好みからは外れる。メイド服は似合っていた。あれだけは評価する。遊園地ではなんか格好をつけていて、鮫島ひばりとよく二人で行動している男。

 制服を着た如月与一が……そこに立っていた。

「や、こんにちは。早速だけど二時間以内くらいに話を済ませちゃいたいから、ちゃっちゃっと家に上げてくれないかな?」

「……何の用ですか?」

「お説教。それから古賀ちゃんが授業終了と同時に告白に来るから、警告しに」

「………………は?」

 頭の中が真っ黒になる。なにを言われたのか分からなかった。

「そ……そんなわけ、ないでしょう? 古賀君が……だって……」

「とりあえず家に入れてくれない? 色々話したいこともあるし」

「い、嫌です!」

「あっそ」

 与一は溜息を吐いて、鞄の中からなにやら物々しい刃物を取り出した。

 キザキザの、怖気をもよおすような形状。それがものすごく重厚な鋏だと桜子が認識する前に、与一はその鋏でチェーンを挟みこんで、力を込めた。

 防犯用のはずのチェーンが、軽い音を立ててあっさりと切れて、落ちた。

「…………へ?」

「はいはい、お邪魔しますよっと」

 ズカズカと、平然とした顔で佐々木家に上がり込む与一。

 玄関の周囲を見回して、それからじろりと、桜子を睨みつけるように見つめた。

 物怖じしながらも、桜子は声を荒げた。

「な……なんですかいきなり! これ、不法侵入ですよっ!?」

「入れてくれないのが悪い。それより佐々木さん。二日前と同じ服で着たきり雀でくっせーから、さっさとシャワー浴びるなりなんなりしてくれば?」

「人の家の防犯チェーン壊した上に、臭いって失礼過ぎるでしょ!?」

「じゃあ発言を修正。女臭い。せめて化粧は落とせ。目元がマジ怖いから」

「っ!?」

 半日ほど泣きっぱなしで、それからなにもしていなかったことに気づく。

 玄関にある鏡で自分の顔を見ると……目は真っ赤で、顔はぐしゃぐしゃで……とても人前に出れる状態じゃなかった。

 目の前の男は人じゃなくて犯罪者に近いそれなのだが、それでもみっともない所を見られた気分で、なんとなくばつが悪かった。

 与一は目を細めて、言った。

「言っておくけど……今回の僕は善意で行動している。一番迷惑で僕も毛嫌いしている善意の押し売りだ。目的はただのお説教で君の体面を少しだけ保ってやろうという、それだけの話だ。心遣い以上でも以下でもない」

「………………」

「さっきも言ったけど、古賀ちゃんがもう一度告白に来る。話が気になるなら顔だけ洗って来い」

「っ……分かったわよ」

 胸のいらつきを抑えながら、拳を握り締めて、桜子は風呂場に向かう。

 洗面所でメイク落としを使ってぼろぼろのメイクを落とし、顔を洗う。ついでに着ている服を脱ぎ、乾かしておいた部屋着に着替えると、少しましになった気がした。

 来客があった時に使ったりする、まだ見れる方の部屋着である。

(……なによ……あいつ)

 遠慮しない、物怖じしない、ずけずけとした物言い。腹が立つことこの上ない。

 そもそも、最初に見た時から気に食わなかった。古賀に懐いているところといい、人間関係で『お上手そう』に立ち回っているところといい、見てて不愉快だった。

 不愉快さを息を吐いて押し殺し、玄関に戻った。

「ああ、こっちこっち。勝手にお茶もらってるよ」

「あなたさっきからなんなのっ!?」

 勝手に茶の間に上がり込んで、我が物顔で冷蔵庫を開け、コップに麦茶を注いでいる与一を見て、桜子は叫ばずにはいられなかった。

 恐怖よりも怒りが先に立った。

「チェーン切って家に上がり込むわ、勝手に麦茶飲むわ……なに考えてるのよ!」

「大丈夫。新しいチェーンはちゃんと買ってあるから」

「そういう問題じゃないでしょっ!?」

「いやいや、そういう問題だぜ? っていうかさ……僕が今やった理不尽には真っ向から怒れるくせに、自分の内側にある『モノ』には怒れんのかねェ?」

「っ!?」

 息が詰まった。不意に核心を突かれて、頭の中がパニックになる。

 麦茶を飲みながら、与一は言葉を続けた。

「本当は時間をかけて学ばないとなんの意味もないけど……これだけは、はっきり言っておこう。佐々木さんの恐怖は一生引きずるし、誰も理解してくれない」

「っ……なによ、それ……べ、別にそんなの如月君に関係ないでしょ!?」

「なにかに怖がっている自覚はあるんだな? 結構だ。話が早くて助かる」

 コップをテーブルの上に置き、与一は見据えるように桜子を見た。

 真っ黒い目の奥に、なにかが燃えているような気がした。

「悪いとは思ったけどちょっとだけ調べた。佐々木さんの妹さんはべらべらと家族のことを喋るような子じゃなかったけど……自分のことには饒舌だったよ。すげぇ良い妹さんだな。ウチのと取り替えてくれとは言わないけど、良い妹さんだ。自慢に思っていい」

「……それは、分かってるわよ」

「だからといって、梅っちがいつも助けてくれるわけじゃねぇんだ」

「妹をあだ名で呼ばないでくれる?」

「佐々木さんとの区別で名前で呼んだら怒られたんだから仕方ないだろ。……まぁ、それはともかくだ……佐々木さんは、自分の中の恐怖と戦わなきゃいけないんだよ」

 自分の責任で積み上げたわけじゃないけれど。

 誰かの強要で作られたものだけれど。

 誰の助けも得られない。孤独で、暗く、どこまでも続く……辛い戦いだけど。

 戦わなきゃ、一歩も進めない。

「自分は変わらない。自分は変えられない。自分は自分のままだ。だからあるもので戦うしかない。戦わなきゃなにも変わらない」

「戦うってなによ……。私には戦う相手なんていない。自分と戦えとでも言うの?」

「そうか? いるだろ? 少なくとも、目の前に」

 目の前には一人しかいない。桜子は目を細めて、彼を睨みつけた。

 如月与一を、睨みつけた。

 その視線を受け止めながら、与一は口元を歪めて言葉を続ける。

「僕以外にもいただろ? たくさんいただろ? 『あなたのためを思って』なんて言葉で自己顕示欲を満たそうとする母親や、その母親のご機嫌伺いしかできねぇ父親が。勝手に産んで、勝手に期待して、勝手に失望する連中が」

「………………」

「両親にとっちゃ子供の生存と健康と幸福が一番嬉しいんだろ? それ以外に子供になにかを欲しがる奴は親をやる資格がない。子供に恨まれても厳しくしっかり育てようとか、そういう発想が欠如してて中途半端なことをするからおかしくなるんだ。老後の自分の世話をしてもらおう? 子供に自分ができなかったことをやってもらおう? それはエゴだ。子供にとっちゃ害悪だ。姥捨て山に捨てられても文句が言えない所業だ。……そんなもんに大人しく従ってて、悔しくなかったのか? 憤りを覚えなかったのか?」

「………………」

 カチカチ、と、歯が鳴っていた。

 目を見開いて、桜子は与一を見ていた。集中して、与一の言葉を聞いていた。

 肩をすくめて……与一は言葉を続ける。

「できたのに頭を撫でてくれない親なんて子供にしたらなんの価値もねぇよ。できなかったら『次はできるよ』と励ましてくれない親なんて子供にしたら害悪以外の何物でもねぇよ。子供より頭が悪い親より頭が良くなる必要なんてねぇんだ。……そんなもんに何年も付き合わされてさ、怒らないってのはおかしいだろ? おかしくさせられたんだよ。『あなたのためを思って』なんていう、クソみたいなエゴを善意で塗り固めて押し付けられた結果、おかしくなったんだ。もう一生直らない負債を、無理矢理抱え込まされたんだ。……優しい暴力と世間では言うけどな、確実に暴力以上だと僕は思う。なにも知らない子供に手本も背中も見せず『あなたはこうでなくてはならない』なんて、おかしいだろ」

「………………」

「と、まぁ、頭の良い佐々木さんならこれくらいは知ってるかな? じゃあ……次は知らない話をしようか。これからの話だ。僕には関係のない話だ」

「………………」

「授業終了と同時に古賀ちゃんがもう一回告白に来る。今度は逃げるな」

「…………なん、で?」

「なんでもへったくれもあるか。自分が見初めた男だろ? 古賀三日月はチビで童顔で毒舌が行き過ぎるが……あれは男の中の男だ。本物の男はいつだって諦めが悪いんだよ」

「でも、私は……古賀君に酷いことをして……逃げて……」

「今度は逃げずに謝れ。謝るのが嫌なら、もう死ねよ」

「…………っ」

「怖いのは分かる。僕なんかに分かられたくないだろうけど、分かる。あっちこっちにっちもさっちもいかない感じでさ、誰かに常に責められてるような気分で、あれもこれも全部怖くて、幸福も不幸も全部怖くてさ、嫌で嫌で仕方がなくて、それでも頑張ったのに誰も褒めてくれなくて、言われる言葉は『次も頑張れ』でさ、そのくせ失敗した所は容赦なく叩かれて、悔しくて悔しくて仕方ないのにその表現すら許されなくて、腹の中にぐつぐつした真っ黒いものが溜まっていってさ……それが一生続くんだ。死にたくなるよ」

 真っ黒い瞳の奥深く、底にある虚空。

 キャラクターという虚構で塗り固めて、無理矢理生きている誰か。

(……なによ、それ)

 自分よりもよっぽど酷いくせに、自分より強く生きようとしている誰かがいる。

 そのことに……尊敬でもなく、羨望でもなく、もっと黒くて重いものを感じる。

 目を見開く。湧き上がるなにかがある。久しぶりに感じたものがあった。

 与一は口元を緩めた。

「でもさ、今回はちょろいじゃん? 二文字口にする、もしくは頷くだけで終わるんだから。鴨が葱背負ってやってきたってのはまさにこのことだ。今回だけ戦えばいいんだぜ? いつもいつでも戦ってる恐怖に比べたら、楽勝過ぎて反吐が出る」

「……簡単に、言わないで」

「簡単そうに聞こえるだろうけど、簡単には言ってねぇぞ。それとも、要らんのか? 喉から手が出るほど欲しくないのか? 欲しいだろう?」

「………………」

「佐々木桜子。お前は、古賀三日月が欲しくないのか?」

 いつだって負けてきた。これからも負けるだろう。負け続けて、時に勝って、一生付き合わなきゃいけないものを、桜子は抱えてしまっている。

 それはもう、どうしようもないものだと目の前の男は語る。

 けれど……そう、絶対に曲げられない、これだけは譲れない理由があるのなら。

 戦って勝ち取らねばならないものがあるのなら。

 今あるもので戦うことは……できる。

 怖いけど……苦しいけど……心の底から断言できる。

 私は、アレが欲しい!

「そうそう、それでいい。その目でいい。……じゃあ、お節介で善意の押し売りついでに大サービスだ。ちょっくら、怒る練習をしてみよう」

「怒る?」

「目の前にいるだろ? ずけずけとした口調でむかつく奴が。古賀ちゃんとやたら仲良くべたべたしててむかつく奴が。一言言いたいどころか、ぶん殴りたい奴が。限界まで怒ってる時に、都合良く殴りたい奴がいるなんてさ、マジでラッキーだよな? そもそも告白だって二度目のチャンスなんて本当はねぇんだ」

「………………」

「自分が際立って運が良いことに、産んでくれた両親に感謝しながら、殴れ」

「……そう、ね」

 桜子はようやく認めた。沸々と胸の奥から湧き上がる、たった一つの感情。

 それは憤怒だった。逃げ場を失って桜子の中で増え続けた、怒りの感情だった。

 生まれて初めて、敵意と害意を持って、桜子は拳を握った。

 目の前が真っ赤に染まる。言いたい放題言われて、いい加減に限界だった。

「うああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 獣のような咆哮を上げ、拳を振り上げながら、桜子は思う。

 自分はずっと……こうやって、母親を殴りたかったのだと。

 怒りに任せて目の前の男の子を殴りつけて、ようやく認めることができた。



 自分は、ずっと怒っていたのだ……と。



 当たり前の話だが、女は男ほど単純ではない。

 ある意味では単純なのだが、故に、だからこそ複雑怪奇なのだった。

 人を殴ったからといってすっきりはしない。むしろ殴った拳の方が痛かったし、罪悪感が増すばかりだった。確かにその時は衝動的に殴りたいと思って殴ったが、それでも薄々『殴らせてくれたのだ』と分かっていたし、そのおかげでここにいられる。

 お人好しとは、よく言ったものだ。

 殴りながら大声を出して大泣きして、桜子は少しだけすっきりした。

 すっきりしたついでに……覚悟も決まったような気がした。

「ごめんなさい」

 本当に家にやってきた三日月を自分の部屋に招き入れて、桜子は頭を下げて謝った。

 膝を折り、手と頭を地面にこすりつけ、謝っていた。

「告白とか初めてで、びびって逃げちゃいました。本当に申し訳ございません」

「……いや……佐々木さん。土下座はやり過ぎだから」

「なんなら踏んでくれてもいいから……いえ、むしろ踏んで!」

「キャラ変わってないっ!?」

 振られる覚悟を決めてのこのこやってきた三日月の方が、面食らっていた。

 あるいは、こちらの方が桜子の素なのかもしれないと、ほんの少しだけ思った。

(っていうか如月……お前、一体全体なにをやらかした?)

 その辺は後で追求しなければいけないだろう。……というか、後回しにしなければならないだろう。

 ちらりと頭を上げて、桜子は口を開いた。

「えっと……実は、それだけじゃなくて……」

「お……おう。もうこうなったらなんでも、どんと来いだぜ?」

「告白を撤回するなら今のうちだよ? 多分絶対確実に引くと思うし……私は、古賀君に嫌われると思う。私は謝らなきゃ気が済まないだけだけど、絶対に迷惑だと、思う」

「あー……それはさすがに、おれを舐め過ぎだな」

「え?」

「好きなもんは撤回できないし、どうしようもない。多少の幻滅があったところで、また他の良い所を探せばいいだけだろ? おれは自分の見る目が確かだとは思わんけど、人に迷惑かけまくって平気な顔してる馬鹿を好きになった覚えはないし、佐々木さんが他の誰かに迷惑かけられる性分じゃないことは、見れば分かる」

「………………」

 やだなにこの子。今日はえらく格好良いことを言いやがる。可愛いなちくしょう。

 そんなことを思いつつ、桜子はパソコンの電源を入れた。

 三日月のパソコンとは違い起動にやたら時間がかかっている。なんとなく手持無沙汰になった三日月は、こっそりと桜子の部屋を見回した。

(フツーに散らかってるな)

 脱ぎ捨てられた衣服。ゴミを適当に押し込んだビニール袋。ファッション雑誌がテーブルの上に一冊だけ置かれていて、残りは不必要とばかりにビニール紐で縛られて部屋の隅に置かれていた。勉強用であろうデスクの上には各種参考書。本棚には無難に流行した作品がきっちり揃えて置いてある。クローゼットとタンスの中身が気になったが、それは男の性なので仕方ない。意外なのはゲーム機いくつかが置かれてることくらいだろうか。

「佐々木さんって、ゲームとかするのか?」

「う、うん……ちょっとだけね?」

「……その反応は知ってる。クソみたいにやり込んでるゲーマーの反応だ」

「ほ、本当に大したことないよ? プレイ時間も二百時間だし……今回のは正直、スリルがちょっと足りてないから、前作と比べるとあんまり。狩猟に対する飢餓感っていうか、ただフィールドを大きくして広間を作っちゃった感がすごくて、初期の『このエリアで戦ったら圧倒的不利だから移動するまでなんとか持ちこたえる』みたいな」

「その話絶対に長くなるよな!」

 彼女(未満)がゲーマーでした。引きましたか? いいえ、大好きです。

 結論は一瞬で出ている。もじもじしながら顔を赤らめてるところとか、可愛いとしか言い様がない。

(新田は毎日こんな感じなのか……すげぇな、新田。やっぱりあいつ、新田じゃなくて新田(改)とかなんじゃねーの?)

 かなり失礼なことを考えていると、どうやら準備が整ったようだった。

「前もって謝っておくね。……ごめんなさい。本当にごめんなさい」

「なにに謝られてるのかはよく分からないけど……ん?」

 PCの画面に近づいて、映し出されている映像をよく見る。

 再生されていたのは動画だった。再生時間は六分。どうやら編集を行っているらしく、抜粋されたシーンが次々流れて行く。

 そこに映し出されている人物に、三日月は心当たりがあったというか。

 鏡の中で毎日見ている。

 ちらりと桜子を見る。桜子はばつが悪そうに顔を背けて、ぽつりと言った。

「ごめんなさい。私はかれこれ半年ほど……古賀君のストーキングをしていました」

「……マジっすか?」

「マジっす」

 桜子は認めた。苦しい反面、なぜかとても楽になった。肩の荷を下ろせた気がした。

 再度膝を追って、頭を下げて、土下座の姿勢になり、謝った。

「私はホント……文化祭で古賀君に一目惚れしてから、かれこれ半年声もかけられずに後を尾けながら撮影ばっかりしてて、撮影した映像を見ながら悦に浸ってた、最低で変態でヘタレでクズだったのです。ごめんなさい。本当にごめんなさい」

「……いや、全っ然気づかなかった。マジで? おれ、ガキの頃変質者に襲われたこととかあるからすげぇ警戒心強いんだぜ?」

「YESショタコン。NOタッチ!」

「実際ショックは受けてるから、もうちょっと真面目に謝ろう?」

「ごめんなさい」

 土下座の姿勢は崩さない。今だかつてここまで三日月にへりくだった女子はいない。

 もちろん、ショックは受けているが……三日月は別に意味でショックを受けていた。

(……今、普通にサラッと一目惚れって言ったよな……)

 社会倫理的にはアウトだし、ストーキング行為はもちろん駄目だし、半年の長きに渡って粘着していたというのは引いて嫌って当然という気がしないでもないが……その期間、全く迷惑はかかっていない。郵便物を盗まれたこともなければ、誰かの粘着質な視線を感じたこともない。撮影されてることにすら気付かなかったほどだ。

 どうしたもんかと悩みながら、後ろ頭をぽりぽりと掻きつつ、三日月は口を開いた。

「とりあえず、頭は上げてくれないか? 目を合わせないと話ができない」

「…………うん」

 桜子は顔を上げた。半泣きどころかほとんど泣いていたし、鼻水も出ていた。

 いつぞやの時と同じ状況だと思いつつ、三日月は桜子にティッシュを渡す。

「……ありがと」

「うん。……で、さ、なんで謝る気になったんだ? おれになにも言わずに、知らせずに、付き合うなり振っちゃうなり、いくらでも方法はあったと思うんだけどさ」

「後ろめたいものがあるなら全部吐き出せって……後ろめたいまま付き合って、それで楽しめるなら思う存分黙っていればいいって、そう言われたから」

「それ言ったの、確実に如月だよな?」

「……でも、私もそう思ったの。決めたのも、私だから」

 嘘を吐いて、黙ったままでも良かっただろう。桜子もそうは思っている。

 嘘を吐くくらいは楽にできる。実際多かれ少なかれ女子はそうやって生きている。桜子も人に言わずに黙って、嘘を吐いたりすることは、結構ある。

 それでも……今回のことは、謝りたいと思った。

 誠心誠意、心が伝わらなくても、嫌われてもいいから、頭を下げたいと思ったのだ。

 そもそも知り合ったきっかけから後ろ暗いことばかりで、自分のせいで振り回して、傷つけて、それでもこうして自分に告白したいと言ってくれる三日月に。

 謝りたいと、思った。

 ぼろぼろと涙を零しながら、桜子は言葉を絞り出すように、思いを告げた。

「古賀君に嫌われたくなくて、引かれたくなくて、気持ち悪いって思われたくなかった……でも、でも、ずっと苦しくて……辛くて、古賀君と一緒にいるのがすごく楽しいのに、自分の汚い所とか、嫌な所がすごくすごく嫌で……こんな私じゃ嫌われるって……そんな風に自分のことばっかりでっ……自分のことばっかりのくせに、古賀君を振り回して、迷惑掛けて、逃げて……うぐっ……うぅっ……」

「………………」

 三日月は泣きじゃくる桜子を見つめて、小さく溜息を吐いた。

 自分ばっかりでいいじゃないかと三日月は思う。人を想うというのは、まず自分を思い遣ってなんぼだろうと思っている。自分を大切にして、他人を大切にできるんじゃないかと、三日月は……そういう風に、思っていた。

 どうして、桜子がそんなに怯えているのか、三日月には分からない。

 分からないけれど、やらなきゃいけないことだけは、分かっていた。

 膝立ちになり、蹲って泣きじゃくる、桜子の頭に手を置いた。くしゃりと撫でた。

「ほら、やっぱり思った通りだ。佐々木さんは人に迷惑をかけられる子じゃないよ。自分のことばっかりって……おれのことしかさっきから言ってないぜ?」

 そういえば、誰かの頭を撫でたのはこれが初めてだと、ふと思い立った。

 頭を撫でながら、三日月は言葉を続ける。

「おれは迷惑なんてしてないし、そりゃちょっとショックだったり傷付いたりもしたけどさ、おれだけじゃないさ。佐々木さんが一番苦しんでるだろ」

 話を聞いていてもいなくてもいい。泣いている子に話を聞けと言うのは酷だろう。

 声が、想いが届いていればいい。三日月はそう思っていた。

「おれはさ、そういう優しい佐々木さんが好きだし、付き合いたいんだ」

「………………っ」

「嫌なら諦める。でも、友達付き合いは続けようぜ? 今は辛いかもしれないけど、いつかはちゃんと納得して諦めるから。振った振られたで縁を切ったりは、したくない」

「っ………古賀、くんっ」

 涙を全力で抑え込み、ぐちゃぐちゃになった顔をティッシュで拭いて、鼻をかみ、まるで子供のようにしゃくり上げながら、桜子はそれでも覚悟を整えた。

 握り締めたティッシュが皺くちゃになるほどの力を手に込める。

「古賀……古賀、三日月、くん!」

「うん」

「私と、わたしっ……ごほっごほっ……私と!」

 思わず咳き込んでしまったが、それは無視して、桜子はようやく。

 遮二無二、言葉を吐き出した。


「私と……私と、結婚を前提にお付き合いしてひゃい!」


 沈黙が落ちた。桜子の背筋に今だかつてないほど冷たい冷や汗が流れる。

 肝心な所でやっちまった。失敗した。またやらかした。馬鹿か、私は。

(けっこ……結婚って! 重過ぎるでしょ! しかも噛んだ! 告白なのに噛んだ!)

 覚悟、決意、全力、気力、全て振り絞って完全に失敗した。どうしよう、言い直した方がいいよね? 言い直さなきゃ。言わなきゃ。言え、今だ! ここで言え!

 全力の向こう側、普段絶対に使わない力を振り絞り、口を開く。

 が、その前に、三日月は桜子の手を握った。

 あっさりと、手を握った。


「うん。付き合おう。今日から彼氏彼女だ。よろしくな」


 小さいが力強い手だった。頬を染めてはにかむ三日月は、格好良かった。

 ストン、と桜子の腰が落ちる。力が抜けて、腰も抜けた。

「おっとぉ!? ちょ……佐々木さん、大丈夫か?」

「……はい」

「え?」



「……ふつつか者ですが、よろしくお願いします」



 こうして、一つの戦いが終わる。

 そして、新たな戦いが始まる。

 が……それは、彼女のための、彼女だけの戦いであった。

人に怒って良いし、憎んで良いし、傷つけたって全然いい。

その許可を心の中で出せず、苦しみ抜いている人は結構います。

根まで叩けとは言いませんし、真っ向から戦えとも言いませんが、心の中で

ちゃんと怒っているんだということを認めて、愚痴くらいは吐かないと人間は

壊れてしまいます。心の健康を保つためにも、喜怒哀楽とはちゃんと向き合って

付き合って行かなきゃいかんと、自分は思います。


まぁ、お堅い話はともかく。

次回でエピローグ。雨降って地固まるとか、そんな感じでよろしくww

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