第一話:古賀三日月は恋をした
というわけで、誰が主人公になるかよく分からん物語開幕。
今回の主人公は佐々木桜子という普通の子と、古賀三日月というショタ野郎に
なります。
ガシャーン、バリーン。
「なぁ、新田よ。彼女ってどうやって作るんだ?」
放課後の漫画部部室にて、彼は不意にそんなことを言い放った。
彼……ウチのクラスのショタ担当こと、古賀三日月である。
背は低く、童顔で、長い髪を三つ編みにまとめている。どこの漫画キャラだとツッコミを入れるととんでもねぇ毒舌が返って来る。それが古賀三日月という男だ。
クラスのマスコットだが……凶悪過ぎて嫌っている女子も多い。
そんな彼は『女性』という存在を嫌悪しているがごとく、当たり前のように毒を吐き、一部の女子には温かい目で見られ、一部の女子には蛇蝎のごとく嫌われ、当然のように恋人など作る気配もなく今に至っていた。
そんなわけで……古賀ちゃんのその一言は、僕らにとって意外だった。
部室が沈黙に包まれる程度には、意外だった。
その沈黙を打ち破ったのは、漫画部の主の彼氏こと……新田俊介だった。
「どうやってって……えっと……惚れたら告白して、お付き合いみたいな?」
新田の目は完全に泳いでいた。
新田俊介と相沢みやび。二人が付き合い始めたのは二週間ほど前のことだ。
噂は野火のように広がり、一時はからかう連中や、新田が相沢さんと付き合うに当たり部活を辞めたせいでちょっかいをかけてくる先輩方がいたのだが、それを見咎めた龍崎火難という女が物理的に鎮火した。そのせいでロッカーが一つ鉄くずになった。
人は、物理攻撃の前では口を閉ざすしかない。
ペンが剣より強いのは、剣の前に立たない時限定である。
そんなこんなで……新田と相沢さんの仲は、無理矢理公認のものとなった。
元々人前でイチャつく奴らでもないので、先輩方はともかく、からかう連中はすぐに消えただろうけども。
新田の答えに、古賀ちゃんは眉をひそめた。
「そりゃ分かってるよ。ちょっと言葉が悪かったかな……おれが知りたいのは、新田の体験談なんだ。なんで新田は相沢に惚れたんだ?」
「惚れた理由は色々あるが、一言で言えば超可愛いからだな」
「……かわ……うん?」
古賀ちゃんは首を傾げた。相沢さん本人がいるのに滅茶苦茶失礼だった。
相沢さんは美少女ではない。根は暗く、髪はくせっ毛で、手足は細く痩せていて、背は低く、胸は大平原で趣味は漫画だ。
一般的な男子から見れば『ブス』の領域に入るだろう。
僕は、平気で人を傷つける美人の馬鹿よりも、人を慮れる自己嫌悪の強い子の方が好きだけど。
新田の説明では絶対に古賀ちゃんは納得できないので、フォローを入れる。
「良し悪しが分かるまで時間がかかる人もいるんだよ。新田なんて見た目いかにも頼りになりそうだけど中身は滅茶苦茶ヘタレだし、鮫島はお馬鹿でもわりと可愛いだろ?」
「…………あー」
「くっ……」
古賀ちゃんは納得してくれたが、新田には滅茶苦茶睨まれた。
睨み返しておく。フォローしてやっただけありがたいと思え。
新田はイケメンの部類に入る。細い顔立ちでやや垂れ目気味。髪の毛はショートだが毎日ヘアクリームを使って少し固めている。服やお洒落にも気を使うタイプの男だし、元サッカー部ということで均整の取れた筋肉の付き方をしている。
少々意地っ張りな所と、時折すごい馬鹿をやらかすこと以外は……良い男だろう。
古賀ちゃんは首を傾げて、遠慮なく口を開いた。
「んじゃ、女と付き合うとなんかいいことあるのか?」
「あるある。滅茶苦茶ある。良いことしかないと言っても過言じゃない。毎日弁当作って来てくれるし、勉強も教えてくれるし、週末になるとデートもしてくれるんだ。こんな良い彼女いねぇよ。マジで女神だよ。俺が高校時代にやりたかったことは全部叶ったね」
「……新田、相沢が顔真っ赤にして机に突っ伏してるけどいいのか?」
「あれ? みやび? 俺、なんかまずいこと言った?」
まずいことは言ってないが、褒め殺しは根暗な人間には特に効く。
相沢さんはゆっくりと体を起こし、新田を部屋の隅まで連れて行くと、顔を真っ赤にして新田の頬をつねっていた。
痴話喧嘩開始から二分。すぐに終わったようで、二人は席に戻った。
二人が席に戻ると同時に、古賀ちゃんは口を開いた。
「んじゃ、相沢はなんで新田でOKしたんだ?」
「ぶっ!?」
自分の方に話を振られると思っていなかったのか、相沢さんは思い切り吹いていた。
顔を真っ赤に染め、目が泳いでいた。
「ええええっと……ほ、ほら、私って永久にモテそうにないし、このチャンスを逃したら絶対にお付き合いとか無理だなって思って……その……俊介君可愛かったし?」
「でも、結構色々酷いこと言われてたじゃん?」
「それは未来永劫責め続けるけど?」
「……普段の行いって、本当に大切だな」
ちらりと古賀ちゃんは新田を見る。新田は沈痛そうな面持ちで遠くを見ていた。
それで納得したのか、古賀ちゃんは話題を変えた。
「そもそも、なんで付き合うことになったんだよ? きっかけとかあったのか?」
「図書館で勉強教わる機会があってさ……それでまぁ、色々あって惚れたというか」
「今はともかく、部活に入ってた頃の新田ってそんなに勉強熱心じゃなかっただろ。赤点取ってても平気の平左で笑い飛ばしてたじゃねーか」
「さすがに点数がヤバ過ぎたんだよ。かといって、家じゃ集中できんし、教室でこれ見よがしに勉強してるとからかわれるじゃん?」
「ふぅん…………なんか、新田のキャラと違うような気がするけど、まぁいいや」
不承不承ではあったけど、納得してくれたようだ。
新田俊介と相沢みやび。彼と彼女の馴れ染めは人に語れるものではない。そういう時の予防線として馴れ染めをテキトーにでっち上げた。他人は他人の話など、話し半分として聞いているから『実際にありそうなこと』を話しておけばいいというわけである。他人の馴れ染めに、深く突っ込んでくるような奴はそんなにいない。
しかし……この手の話は『ありそうなこと』であり、実際には体験していないことなので、個人個人のキャラクターに沿わない所が多少出てくる。もちろんキャラ付けなんてものは人間が対外的に付ける仮面でしかないので『へー、この人ってこういう面もあるんだぁ』で普通の人は片付ける。……が、中には違和感に気づく鋭い人もいる。
古賀三日月。ショタキャラではあるが、意外と勘が鋭い男なのだ。
確かに昔の新田は赤点を取っても笑い飛ばすようなキャラではあったが、ヘタレなので内心ではかなり気に病んでいる。しかし、学校で勉強はしない。家で猛勉強して補習で巻き返すタイプの男だったのだ。『勉強ごときに本気にならない俺』の演出である。
実に格好悪い。
ただ……そんな男が『相沢さんと同じ大学に行きたい』という理由で勉強を始めたことに関しては、本当に心の底から称賛を贈りたい。
まぁ、それはともかく。恋愛にまるで興味がなさそうだった古賀ちゃんがそういう話題を振って来たってことは……つまり、そういうことなのだろう。
「古賀ちゃん。好きな人でもできたの?」
「…………んー」
僕がストレートに聞くと、古賀ちゃんは渋面を作った。悩んでいるようである。
腕組をしながら、ぽつりと呟くように言った。
「産まれて初めてだから、よー分からんが……素敵だなと、ちょっと思った人がいる」
「もうちょっと詳しく」
「隣のクラスの佐々木桜子って人なんだけど、ウチの店の常連さんでさ、よくケーキを食いに来てくれるんだ。この前、財布落としたって言ったじゃん? その財布を届けてくれたのが佐々木さんでさ……それからちょっとずつ話すようになった……感じ?」
「なんか、戸惑ってる感じだね?」
「おれ、女大っ嫌いだからさ。ぶっちゃけ恋愛とか、ねぇと思ってたし」
女体は好きだが女は嫌い。こういう男はわりと多い。逆もまた然りかもしれない。
特に、古賀ちゃんは低身長な上に同世代からも頭を撫でられるようなマスコット的存在だ。コンプレックスも強いし、そりゃ毒舌にもなろうってもんである。
脹れっ面になりながら、古賀ちゃんは言葉を続けた。
「女が素敵とか、マジでねぇんだが……うん……佐々木さんは可愛いと思うんだよ。でもおれみたいなチビに好かれても困るんだろうなー……とか、考えるとイライラする」
「あ、それ確実にラヴだわ。もう告っちゃえよ♪」
「軽過ぎるだろ! もうちょっと神妙な、切実な悩みなんだよ!」
「悩んでも古賀ちゃんの身長は伸びないし、ショタ属性は消えないし、毒舌も治らない。僕に彼女ができないのと同じように」
人は、今持っているもので勝負するしかない。
今持っているありったけで、勝負を賭けるしかないのだ。
「人はそう簡単には変われない。そこの新田のように、好きな子と同じ大学に行きたいという理由だけで一年の科目から勉強し直すようなことはできない。変われないならどうするか? 変わらないまま積み重ねるしかない。素敵で可愛いと思ったのなら、その気持ちを持ったまま、相手に好かれるように努力するしかないのさ。チビでもショタでも毒舌でも、魂が死んでいても、好きなら好きで仕方がないまま、努力するしかない」
「……如月らしからぬ言葉だな」
「神妙で切実だと言われたからね。神妙で切実に返しただけだよ」
キャラなどいくらでも偽装できる。エロで馬鹿な僕も、僕だけど。
基本的に僕は根暗で後ろ向きで、どう足掻いても普通には生きられないけれど。
それでも、友人のために言葉を贈るくらいは、できるのだろう。
「まずは、会話の機会を増やすことだね。常連さんなら最低一週間に一度は話す機会があるだろうし、ケーキで繋がりがあるんなら『美味しい店を知ってる』とかなんとかテキトーに話をでっち上げて、自宅以外の甘味所に誘うのも悪くない。勉強を教えてくれでもなんでもいいさ。……好意をあからさまにするとやっかんだりからかう奴がいるから、それと分からないように立ち回る必要はあるけどね」
「分かったけどよ……如月に言われると、なんとなくイラッとするな」
「普段の行いって重要だよね」
普段から古賀ちゃんをかいまくっているので、僕に言われても説得力は皆無だろう。
それでも納得はしたのか、古賀ちゃんは大きく息を吐いて、僕を睨みつけた。
「まぁ……ありがとよ。参考になった」
「それから、話したりするうちに相手の『素敵でも可愛くもない所』が見えてくるかもしれないけど……それはそれで、ちゃんと受け止めてあげないと駄目だよ? 受け止めきれないと思ったら、引き下がる努力も忘れないように」
「安心しろよ。別に女に夢見てるわけじゃねーよ。誰も彼も人間だろ?」
古賀ちゃんはわりと冷めた男なのだった。
まぁ、そういう開き直り方は嫌いじゃない。むしろ夢を見ないぶん好印象だ。夢を見ないまま相手に幻想を抱かないまま好きになる……恋愛補正はかかっているだろうけど、ギャップは少なければ少ないほど、長期間の恋愛は上手くいきやすい。
あの人はこんなに素敵な人に違いないと錯覚した上に勘違いして、理想を押し付けて勝手に幻滅する奴よりは、よっぽど上手くいくと僕は思う。
……と、誰とも付き合ったことのない僕は思うのだが、誰とも付き合っていない時点で説得力は薄い。
聞きたいことを聞いて満足したのか、古賀ちゃんは席を立った。
「んじゃ、おれは帰る。ありがとな」
「こちらの経験者の方々にもうちょっと聞いていった方がいいんじゃない?」
「バカップルの逢引を長々邪魔するほど、無粋じゃねーよ。どうせ如月もすぐに帰るつもりなんだろ? 水無月と卯月に気ィ使って掃除サボりまくってるしさ」
「ば、馬鹿を言うなよ、テメー。そんなわけねーだろ……」
「如月はお人好しだな。んじゃ、また明日ー」
ひらひらと手を振って、古賀ちゃんは漫画部の部室から出て行った。
むぅ……見透かされてた。すげぇ恥ずかしい。
現在、教室で二人きりで掃除しているのは、水無月正人というやたらモテる朴念仁と、その幼馴染の卯月水面という騒がしい女の子だ。水面は正人に惚れているが、正人はそれに気づいていないという、どこのギャルゲーだ死ねという事態になっているので、僕はちょくちょく掃除をサボって、二人きりにしてやっている。
ちなみに同じ班の他の面子は率先して掃除をサボタージュする連中なので、僕がサボれば必然的に正人と水面で二人きりになる。
……まぁ、本音を言えば、僕が掃除サボりたいだけなんだけどね。
古賀ちゃんが出て行くと同時に、漫画部部室の空気が弛緩する。新田は大きく息を吐いて、相沢さんも胸を撫で下ろしているようだった。
机に突っ伏しながら、新田は口元を歪める。
「ようやく古賀に春が来たか? なんて思って甘く見てたぜ……聞いて欲しくない所をクリティカルに聞いてきやがるとは……かなり焦った」
「古賀君はかなり頭良いからね。如月君連れてきて正解だったでしょ?」
「ああ……全くだ。危うくボロが出る所だった。みやびに従って正解だったな」
言いながら、新田は相沢さんの頭を撫でて、相沢さんは口元を緩めた。
いや……彼氏彼女だからいいんだけど、テメェら惚気けたりイチャ付くのは、人目のない所でやれよ? 目の前でイチャ付かれるとさすがの僕もムカつくからね?
そんなことを言いたかったけど、邪魔な言葉なので発言は控える。
相沢さんはゆっくりと息を吐いて、部室の天井を見つめた。
「古賀君の好きな人……佐々木さんだったかしら? ちょっと聞き覚えがあるわね」
「ウチのクラスの龍崎火難とか、空野君とか、龍崎さんの喧嘩相手の乾風香とか、頭がイっちゃってる七咲七海とかよりは有名じゃないよね?」
「問題児じゃなくて、ウチの学校の生徒会長みたいに、良い意味での有名人よ。佐々木桜子。容姿端麗成績優秀運動神経はそこそこ。私と中学校が同じだったんだけど……三年生の頃には生徒会副会長なんかも務めてたし、人当たりもいいから、もててた記憶があるわ」
「へぇ」
ウチのクラスの面子のように、個性が強いわけじゃないのだろう。隣のクラスということもあってか、古賀ちゃんに聞くまで僕は佐々木桜子という名前は知らなかった。
才女がウチのクラスのマスコットとお近づきにねぇ……。
まぁ……熊ちゃんと龍崎さんくらいの凹凸カップルじゃなきゃ、なんでもいいけど。
僕は鞄を持って、席を立った。
「さてと、それじゃあ、僕も帰るね。さすがに邪魔するのも嫌だし」
「邪魔じゃないってば。私は今日仕上げたいイラストがあるから、俊介君の勉強の世話を頼もうと思ってたんだけど、頼めないかしら? 俊介君がお昼ご飯奢るから」
「まぁ、そういうことなら……」
僕が許可を出しそうになっているのを見て、新田が目を輝かせた。
「よっしゃ、それじゃあ数学を頼む。今度の中間で平均七十点以上を取るとみやびからご褒美がもらえるシステムなんだ」
「知るかァ!」
まさに『知るか』である。冗談ではなく知ったことではない。
バカップル同士、いちゃつきながら受験で爆ぜろ。マジで爆発しろ。
新田が惚れてるのにウダウダやってたのにイラッときて尻を蹴り上げたのは僕だが、それ以上は知ったこっちゃねぇよ!
「なんで僕がお前のエロスの体現に付き合わなきゃいけねーんだよ! そういうことなら普通に断るわ! 家帰って屁ェこきながら煎餅齧ってテレビ見てる方が有意義だよ!」
「如月。俺は真剣なんだ。今度の中間で七十点取れれば、なんかこう……すごい要求が通るかもしれないだろ? お前も男なら分かるだろうっ!?」
「分かるけど知るかァ!」
「お前には慈悲がないのか!? 俺は本当に真剣なんだぞ!」
「そういうのは二人きりの時に個人的に相沢さんに頼めや! あと、さっきから言おう言おうと思ってやめてたけど、やっぱり言うわ。気ィ抜いてるからって、さりげなくエロ行為すんなよ! バカップル通り越して、お前だけ馬鹿丸出しだよ!」
「……エロ行為? いや、別にエロいことは何一つしてないぞ?」
「してるよ!? 髪の匂い嗅いだり、指絡めて手ェ繋いだりとか、誰が見ても十二分にエロ行為だからな!? 無意識だかなんだか知らんが、新田の目が時折マジっぽくて正直引くわ! もうちょっと和やかな空気の時に二人きりでやれよ!」
「お前、みやびサンなめんなよ!? みやびサン、すげー良い匂いするんだぞ!」
「お前だけが知ってりゃいいことを僕に言うなや! 『すごい要求』の時点で相沢さんがオーバーヒートしてるからいいけど、後で存分に怒られろ!」
「みやび、怒ると怖いんだよな……だがそれも良い!」
「あ、これ完全に調教済みだわ。手遅れだわ」
完全に調教済みの人間になにを言っても無駄なので、仕方なく……本当に仕方なくだけど、大人しく勉強を教えることにした。
教科書とノートを取り出す。せっかくだから宿題もやってしまおう。
「なぁ、如月」
「あんだよ?」
「古賀、大丈夫かな?」
「大丈夫だろ」
溜息を吐いて、僕は肩をすくめた。
そして、常々古賀三日月に対して思っていることを、ぽつりと漏らした。
「古賀ちゃんだから、大丈夫に決まってるさ」
どんな人間も、心の中に己の刃を隠し持っている。
その刃を抜くか、抜かずに切られるか、抜かないまま闘うかは、人次第だけど。
佐々木桜子は焦っていた。尋常じゃないほどに焦っていた。
安心できるはずの自分の部屋にいるはずなのに、焦っていた。
口から心臓が飛び出るくらいに焦ったのは人生でかなりの回数に登るが、その回数が最近はぐんぐんと数値を伸ばしていた。
(ま……まずい……)
緩みそうになる頬を尋常ならざる力で押さえつけて、変な表情を浮かべていた。
最近は、あまりに焦り過ぎてストーキングは中断していた。
ストーキングしている相手から好意的なメールが度々やってくるという異常事態に、桜子はパニック寸前になりながらも、ぎりぎりで応対していた。
頻度としては、一日に二通程度。
内容はわりと薄いもので『ダチが抱きついてきて鬱陶しい』とか『この問題が分からんのですがどうしたらいいかな?』みたいなものなのだが、メールが来る度に心臓が飛び出そうになるほどびっくりしている。
好きな相手に好かれているかもしれないという、高揚感と。
悪いことをしている自分は好かれてはいけないという、罪悪感と。
色々なものが混ざり合って、桜子は日々かなり消耗していた。最近では授業が手に付かなくなり予習復習もおざなりになるほどである。
「……はぁ」
なんとかメールを返信して、桜子は自室のベッドに寝転んだ。
どうしてこんなことになってしまったんだろう……そんな風に思って、漫画を開く。
見飽きた漫画ではあるが、読み流して意識を逸らすにはちょうど良かった。
「……チャンス……なのかな」
ぼんやりと、そんなことを呟く。
確かに、古賀三日月のことは好きだ。見ててときめく。わくわくする。可愛い。
最近は話す機会も増えた。もしかしたらこのままお付き合いなんてことも……という夢想もする。
ただ、自分がやってきた悪いことが、どうしても引っかかる。
「…………ふぅ」
溜息を吐いてパソコンを見つめる。
ハードディスクをフォーマットする。データを全部消す。一瞬そんなことを考える。
「でもなぁ……古賀君のお店、定期的に制服変えちゃうしなぁ……」
普段着や制服ならまだいい……惜しいが、我慢できないこともない。
しかし、過ぎ去った服はもう元には戻らないのだ。自分のハードディスクに収まっているデータが全てで、あのフリフリエプロンも、あの大正ロマンも、あのメイド服も、消してしまえば全てなくなってしまう。自分の頭の中だけでは色褪せてしまうのだ。
てっきり一ヶ月ごとのローテーションで一年周期で回しているのかと思っていたが、そんなことはないようで、毎月新調しているのだとか。
時間がない月は新調せずにマイナーチェンジをしているそうだが、それはつまりマイナーチェンジ前の衣装はもう見れないということでもある。
今消してしまえば、もう二度と見ることはできない。
なぁに。お付き合いしてしまえば、やり様によっては要求などなんぼでも通せる。彼氏にこっそり女装してもらう彼女がいてもいいではないか。
そんな邪心が頭を掠めるが、普段の三日月を見る限りでは、彼女だろうが国家元首だろうが、誰からの要望であっても女装などしてくれないだろう。
なにより、嫌われたり呆れられたりしたくない。
「うぬ……ぐぬぬぬぬぬ」
他人から見れば至極どうでもいいジレンマではあるが、桜子は必死だった。
データは消さず、古賀三日月となんとか仲良くなりたいというのが本音ではあるが、そこを良心が邪魔をしている。
漫画本を閉じて、ベッドから起き上がり、大きく溜息を吐いた。
「……まぁ、悩んでも別にお付き合いできるわけじゃないし……」
結局、そういう結論に落ち着いた。
胸の奥深くが痛むし切ないが、それはそれとして、自分のような浅ましい女が誰かとお付き合いしようだなんておこがましいと……桜子は本気で思っていた。
水を飲もう。そう思ってベッドから重い腰を上げて、立ち上がった。
ヴヴヴヴヴヴヴッ!
マナーモードに設定していた携帯電話が机の上で暴れて、派手な音が鳴った。
口から心臓が飛び出しそうな程びっくりして、慌て過ぎてタンスの角に小指をぶつけ、涙目になって悶えながらも、桜子は電話を取った。
広告かなにかに違いない。今日はもうメールが二通来たのだ。古賀君からじゃない。その淡い期待は『無題』というメールのタイトルで打ち砕かれることになった。
「……っ痛ぅっ……えっと……え?」
メールの本文を見て、頭が真っ白になる。
最近の数学がさっぱり分からんので、明日数学教えてください(゜д゜)
ケーキ奢るんで、食いながら軽くでいいんで、お願いします。
少なくとも、無題で済ませて良いメールではない。
一回、二回とメール本文を読み返し、桜子は口元が引きつるのを感じていた。
「ど……どうしよう……」
胸を越えて、胃がぎりぎりと痛み始めるのを、桜子は感じていた。
小動物にも、牙や爪はある。
佐々木桜子は、そんなことも分からない普通の女の子だった。
怖いもの、怖くないものは人によって変わっていて、自分が怖くないからと
いって、他人にそれを押し付けるのは本当によくないことだとか思ったり、
思わなかったり。
次回に続きますww