心配事
瑠璃の身体を心配する芹歌と浩之の出会い
一体 何があったの?あんなに臆病な瑠璃がほんの数日前に出会った金城と関係を持つなんて、余程の事がない限り有り得ない。これは美帆も同じ想いの筈だ。大学時代から七年。私達は肉親以上の親密さで付き合っていた。
私と浩之は都内の実家に住んでいるが、美帆と佳樹は故郷の愛媛から大学受験で上京してから一人住まいだ。ただ、二人は今一緒に住んでいる。
お互い辛い過去を共有し、知りすぎるほどの悲しみを分かちあったもの同士。
瑠璃が海を失って以来、男性に心を許していない事も、仕事以外では男性と話もしない事も知っている。
まだ、立ち直っていないことも・・・・
その瑠璃が・・有り得ない・・・ことなのだ。
「取り合えず、明日 国際電話を入れてみるよ。蒼さんの携帯の番号は知っているから」
浩之が頭を抱え呟いた。
「そうだね。やはり、御両親には話しておいた方が良いだろう。あの時は どうして知らせてくれなかったのかと小夜子さんに責められたんだから・・・
どんなに離れていても、いや離れているからこそ娘の事は心配なんだから。」
佳樹がベランダで夜の闇に煙草の煙をはきだした。
美帆が、瑠璃を覗いて
「熱が下がったみたい。寝息が落ち着いてきてる。今夜は私が泊まるから芹歌達は帰った方が良いわ。私は明日は休みだけど、芹歌も浩之も明日も収録在るでしょ? 佳も接待で朝早いんだから・・ね?」
確に もうすでに日付は変わっている。
土日が休みの佳樹や美帆と違って浩之と芹歌の職場は、定期的な休みが取りにくい。
芹歌は明日の夕方のニュース番組を持っているし、俺も明日は朝から夜まで特番の収録が入っている。
「でも、美帆だけだったら何かあったとき大変じゃない?」
芹歌はまだ化粧も落とさず、昼に局の廊下で会った時と同じ格好をしている。家に一度も戻っていないのだ。クールな美貌と完璧なプロポーションが人を寄せ付けない雰囲気を放っているが、彼女程優しく寂しがりやな女性を知らない。
「私も今夜は此処にいるわ。着替は瑠璃のを借りるし、やっぱり気になるから。」
「そうか?じゃあ ゴルフが終わったら真っ直ぐ此処に帰るから頼めるか? 」
佳樹は美帆が運転してきたアウディで俺を成城の自宅迄送り、自らのマンションに帰っていった。
浩之は自分のBMWを、必要になるかも知れないからと、部屋に残っている芹歌達の為に置いてきた。
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瑠璃のマンションでシャワーを浴び、洗濯乾燥器に入っていたTシャツと短パンに着替えた芹歌の為に、美帆が温かいミルクを入れていた。
「瑠璃は?」
「うん 落ち着いている。睡眠薬も入っていたらしいから。 ユックリと眠れば良いんだけど。」
瑠璃のベッドのサイドテーブルには睡眠薬の殻がいくつもあった。
キット薬に頼らないと眠れなかったんだろう。
「夢も見ずにグッスリ眠れたら、少しは回復するのに・・・」
ソファーに背を預けラグに座り込むと、
「芹 もういいの?浩之のことは?」
久々に二人だけで話す機会に美帆は 芹歌に尋ねた。
芹歌は学生時代から浩之のことが好きだったのだ。
「あー もうとっくの昔に諦めたわ。諦めたって言うより彼じゃないって解ったの。前は優しくてスマートな浩之が好きだった。
さりげなく上質な物を身に付けて、育ちの良さがいい意味で仕草に表れている彼の側に居ることに少しばかりの優越感があったことも確かだわ。 けど、それだけ。 私は唯一が欲しいの。
私だけの人は、浩之じゃなかった。彼を愛しいとは想わなかったもの。」
芹歌はいつものように爽やかな笑顔で答えた。
・・・無器用で美しい女性・・・
もっと貪欲に欲すれば良いのに。
芹歌の美貌は何者にも負けない武器になる。
彼女は同姓からの妬み、男性からのアプローチにいつも悩まされていた。
今回の番組編成で夕方のニュース番組のアンカーを任された時も、根も歯も無い噂が流れた。プロデューサーに色目を使っただとか、スポンサーに体を売っただとか・・・誰よりも潔癖で崇高な彼女はそんな噂に惑わされず自分の努力と熱意でそれらを跳ね返した。
しかし、下種な噂を払拭するために浩之が影で動いた事を芹歌は知らない。
浩之はそう言う男だ。
人当たりがよく、誰にでも好かれる性格。しかし、彼は自分の懐に居るものに対してへの攻撃には冷淡にシビアに徹底的に反撃する。 あのTVのバラエティで見る優しい爽やかな笑顔の奥には、まだ私たちも知らない浩之が居るのかも知れない。
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翌日の朝、瑠璃は又、熱を出した。仕事が休みの美帆が瑠璃の部屋に残り、芹歌が瑠璃の保険証を持って香月の病院に出掛けることになった。香月はT医大病院の医者なのだ。土曜日は本来なら休診日だが、香月の診療科は開けてくれていた。
「すみません。美村瑠璃の代理の者ですが。」
芹歌は香月に言われた通り、第一内科の診察室に声を掛けた。
薄暗い診察室には人の気配が無い。
(早すぎたかしら・・)
芹歌はテレビ局に入る前にもう一度瑠璃の様子を覗く予定で、予定より早い時間に病院を訪れたのだ。
・・コンコン
ヤッパリ未だいらっしゃらないんだ。
「あの 香月先生に御用ですか?」
ドアの前で突っ立っていると後ろからバリトンの声が響いてきた。
「あっ はい。昨夜、香月先生に診て頂いた美村の代理です。お薬を頂きにきました。」
芹歌は薄暗い廊下で一人の男性と向かいあっていた。
(・・何?・・この感じ? この人 初めて会った人よね?どうして 声が出ないのかしら・・・私・・・ 変・・・)
(・・・あれ 何なんだ?彼女から目が離せない・・・)
「あの 貴方は?」辛うじて絞り出した私の声は、上ずっている。
驚いたように目の前の白衣を着た男性はビクッと身体を緊張させ口を開いた。
「私は当直医で研修医の青木です。香月先生は、急患で今 四階のICUに行っているのですが・・少しお待ち頂いたら戻ると思います。」
「お時間は大丈夫ですか」青木と言う研修医は白衣のポケットからカードキーを出し、香月の診察室のドアを開けた。慣れた手付きで壁際のスイッチを押し、部屋の灯りを着ける。
「美村さんがお見えになることは聞いています。保険証をお持ちですか?宜しければコピーを撮らせて頂きたいのですが? 」青木医師は早口で話しかけた。何だか焦っているように感じる。
芹歌は瑠璃の保険証をバックから出し、青木に手渡した。指先が触れた途端、雷のような電流が身体中を駆け巡った。
「きゃ!」
思わず手を引いた芹歌の足元にパタリと保険証が落ちた。
「ご免なさい」芹歌は屈んでそのカードを拾いかけた・・・
青木の顔がすぐ目の前にある。
彼も保険証を拾ろおうと屈んでいた。
ふと柔らかい感触が芹歌の唇に触れる。
・・・私達はとうとう出逢ってしまった・・・・
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浩之の携帯に美村蒼から連絡が入ったのは昼過ぎだった。
朝早く、彼の携帯に留守電を入れていたから返事をくれたのだ。
まさか、蒼さんが日本に滞在しているとは考えてもいなかった。
三村蒼は友人の結婚式に出席するため大阪のホテルに滞在していた。浩之が瑠璃の状態を説明すると絶句し、直ぐ上京すると即答してくれた。浩之は瑠璃の身体の事を気にしながら、バラエティー番組の収録をそつなくこなし昼の休憩を迎えた。
「お疲れ様です。」タレント達に人当たりの良い笑顔を振り撒き非常階段の踊り場へ向かった。
「もしもし。美帆?瑠璃はどうしてる?」携帯に耳を当てて煙草の火を付けた。
『ああ浩之 さっき一度目を覚ましてお粥を二口ほど食べたんだけど、直ぐ吐いたの。芹歌が病院に行ってくれたんだけどお薬は出なかったらしいわ。その代わり、夕方先生が往診してくれるって。水分を採って安静にしておくようにって。』
「そうか。こっちが終わったら直ぐ戻るよ。それから、蒼さんに連絡がついて夕方迄にはコッチに着くそうだ。・・そのつもりで。な?」
―五分前です!―
ADがタレントの楽屋に回っている。俺も行かないと・・
「じゃあ 行くわ!」
『あっ 浩之? 芹歌が何か様子が変なの。チョッと気にして置いてくれる?』
???芹歌が???
「解った」
思ったより収録が長引き、番組が終ったのは4時前だった。
芹歌は6時からのニュースの準備に入っているだろう。 浩之がそんなことを考えながら、アナウンス室の珈琲を飲んでいると芹歌が自分の顔を掌でパチパチ叩きながら歩いてきた。眠いのか?確かにいつもの芹歌ではない。
美し過ぎる程の美貌と完璧なスタイル。
並大抵な男では太刀打ち出来ない彼女の心の中には、少女の様な純粋さがあった。
「よっ!飲むか?」芹歌はキョトンとした顔をして浩之の顔を見つめていた。
そして、真っ赤になり掌で顔を覆ってしまった。
?何?ん?確かに変だ?
「芹歌?どうかしたか?」疑問符だらけの頭をふる回転して考えるが、徹夜明けには辛いものがある。
「ううん。何もないわよ。もうすぐ本番だから気合いを入れないとね?」
首をかしげニコッと笑った芹歌は途轍もないフェロモンを放っている。長いこと友人をしている俺でさえクラクラ来そうだ。
(今日何があったんだ? )
ああ―違う。 今はそれより瑠璃だ。
「芹歌?今日は誰の誘いも断って直ぐ帰れよ!蒼さんが来るから。」
今日は芹歌を独りにしてはいけない。
「あっ浩!車のkey返すわ。地下の駐車場のB37に停めてるから。」
芹歌は自分のデスクの引き出しから浩之の車のkeyを取り出した。
私服に着替えた浩之はエレベーターで地下の駐車場に下りた。
薄暗い駐車場の中を歩いていると男女の声が聞こえる。
「やめてください。放してください。」
「良いじゃない。食事に行くだけだからさ。一緒に行こうよ。ね?」
あれは俺が出ていた番組の出演者だ。女癖悪さで定評のあるお笑い芸人の東側だ。先月、週刊紙にアイドルとの密会をスクープされていたはずだ。性懲りもなく又誘ってるよ。
(アノコは・・・)
付きまとわれている女の子も浩之の番組の出演者だ。スタジオの隅で居心地が悪そうに座っていた。時々、幸せそうに笑った顔は天使の様に純粋に見えた。
「東側さん?何やってるんですか?さっきエレベーターで週刊紙の記者と一緒でしたよ。また、FOCUSされちゃいますよ。」
俺はいるはずの無い記者を探しているみたいに視線を泳がせた。
「えっ!ウソ?あいつら居るの?」動揺を顔に丸出しして、辺りを見回す。
「ごめんね。じゃあまたね。」ソソクサと逃げるように走っていく姿は滑稽にしか見えない。
「有り難うございました。」幼い少女は震えながらも丁寧に礼を言った。
中学生なのか? スタジオの中では大人っぽい衣装とメイクで二十歳前後かと思ったが、私服になると余りにも幼い。
「君 あの番組に出ていたよね。」
「はい。友達がアイドルとして初めて出るからってついてきたんですが、スタッフの人がついでだから私も一緒にって・・・すみません。」泣き出しそうに下を向いている。まるで先生に叱られた生徒のように。
「ははは。良いじゃない。今日は特番だから百人以上の出演者がいたんだし、1人ぐらい増えてもどうってことないさ。 ところで君は中学生?」
キョトンとした少女は真っ赤になって
「ちっ違います。17歳です。これでも高校三年生ですよ。」ムキになって怒ってしまった。
「ごめんごめん。いやあ小学生かなとも思ったんだけどね。余りにも可愛かったからさ。」ムキになって怒っている彼女が本当に可愛くて意地悪を言ってしまった。
ぶーと膨れっ面をした顔も可愛い。やはり、17歳には見えない。
「アハハハハ悪い。悪い。お詫びに送って行くよ。」一頻り笑った後で浩之は彼女にそう告げた。
「いっ・・いいです。バスで帰ります。」
「友達は?」
「事務所の人がついでだから挨拶回りをしようって連れていきました。彼女 来週グラビアデビューするんです。」
「じゃあ 君もタレント志望なの?」
「まさか。私なんか。」ブルブルと首を振って否定した。
「余り 振ると取れちゃうよ。」
「へっ?」本当に人形のように首が取れそうだ。
「俺はこの局のアナウンサーで関屋 浩之。大丈夫。送るだけだから。ね?こんな可愛い子を独りで帰したら危ないでしょ。」
浩之は自分の社員証を見せて自己紹介をした。社員証には写真も印刷されている。彼女を安心させるためだ、仕方ない。
何故、俺は初めて会っただけのこの少女を助手席に乗せているんだろう。
美帆と芹歌と瑠璃以外の女性をこの車に乗せたことがない。佳樹達以外の友人と遊びに行くとき等は家の車を使っていた。
「そう言えば君の名前をまだ聞いていなかったね?」緊張して助手席に座っている少女の名前。
「あっ!すみません。一之瀬 唯です。」学校の自己紹介のように大きな声で教えてくれた。
二人の物語は、別のお話として展開する予定です