文
船宿の二階。露台は川面につきだしており、せせらぎが真下から伝わる。
木造築百年は悠に過ぎている。窓枠も勿論味わいぶかい木製。
眺望は上々。壁に枠いりの水彩画を飾ったようだ。
その一角の空間は静ひつな美術館と似通っている。
年期のはいった窓枠に腰掛け、流れにしたっていた。それだけで水を行く稚魚のような心地に満たされる。
「配達屋、何用か」
配達屋は代筆仕事を生業とする文の元に仕事をもってくる連中だ。
「失礼。お邪魔をしては無粋かと思いましたが…」「能書きはよろしい。依頼ならば断る」
「あらすじも訊かず、後悔しても知りませんよ」
文は縁から降り、文机に散らかした紙を脇の火鉢に投げ入れる。
炭の中くすぶっていた火が、これは得たりと勢いをあげ、白地を灰と化していく。
文はキセルをくゆらせ、配達屋に流し目をよこす。
「ほぉ、後悔とな」
「はい。選びに選んだ今回は、貴方好みのご依頼です」
黒字に紅白の椿柄が翻る。はだけた裾もとから白子のごとき文の素足が見え隠れした。
障子戸を閉め、文は瓢箪を手にする。
「一杯飲んでいくかい」
「いえ、勤務中ですから」失礼するよと言いながら、文は遠慮なくなみなみと湯飲みに酒を注ぎ、一気にあおった。
「あたいの好かない話とみた。違うのかい」
「さすがは文姉さん。お見逸れしました」
「おだてても無駄さ。新参者とはいえ、配達屋。しっかり厳選してもらわねば困りものだ」
「へぇ、その通りで」
文は細い管に口をよせ、紫煙を吹く。
配達屋は笑みを絶やさず続ける。
「先程も申しました通り、よりすぐった仕事でございます」
「何回も同じことを言わせるきかい」
イライラとキセルを火鉢の縁にたたき付け、湯飲みにあふれんばかりに注いだ酒をこぼれないうちにと、急いて呑む。「恋文の代筆をあたいにさせる気かい」
「はい」
引き受けないと告げているにもかかわらず、ぬけぬけと配達屋は大きな黒の鞄から、二通の封筒を取り出した。
「一通が依頼で、もう一通は文姉さん宛ての手紙です」
「めずらしいね。同業かい」
「そのようなところでしょう。ご自分でお確かめになればよろしいのでは」
「わかっておるが、あたい等代筆屋に手紙とは珍しいからね」
ムキにかる文を、目深にかぶった鳥打ち帽の下で配達屋は愉しんでいるのだろうか。
「見分けがつかなくなっては、代筆屋失格です」「青二才の分際で少々口が過ぎるのではないかい」
「もっともですが、才がなければ仕事になりませんから」
失言も致し方ないことだと配達屋は肩をすくめてみせた。
「ご安心なさい。残念ながら、待ち人からの便りではありません。私の知り合いのおなごからです」
おなごと聞いて、文はあざ笑った。
「ほぉ、早くも引退するきかい」
配達屋も、代筆屋も、は恋をすると引退する習わしになっている。
「いえ、彼女は貴方の才を受け継いでしまった方ですから、助力を貸してるだけですよ」
皮肉にも、妬みにもとれるがどちらもやんわりと返している。
「気に入ったね」「まぁ、そうとも言えますね」
文はキセルを吹かし、封筒を受け取った。そのまま瞑想して、火鉢へ封筒を放った。
新たな灰が雪のように山を築く。火は塵に消されたか、未だくすぶりねむってあるのであろうか。
「なるほど、依頼はこの子にまかせたらどうだい」
「逃げる気ですか」
「いい加減におし」
叱責されたが、配達屋は笑みを深くした。
「お前、そのつもりできたんじゃないのかい」
「そうかもしれません」
何事もはぐらかすのが配達屋共通の嫌なところだ。
「では、次の候補者にもちかけてみます」
「それで礼儀は通したと」
「そういったところですね」「そうかい」
納得顔の文に配達屋は口端を歪めた。
一応は配達屋、代筆屋にも序列があるというものだ。筋を通しとかないとあとあとややこしいことになっては困るというものだ。
「そうそう、師匠が急病で倒れて忙しいのでそろそろおいとまいたします。言づてがあれば承りますが」
「さっさとくたばれ」
「では、『あんたはあたしの専属なんだから、さっさと戻っておいで』お大事にと伝えておきます」
「どう解釈したら、そうなるをだい」
焼けた栗のような文に配達屋は油を注ぐ。「貴方の場合、心の中と口が反していますから、引っくり返した言葉こそが本音なんです。師匠がおっしゃっていたことですから、信頼度は高いでしょう」
「もう、さっさとでておいき」
恥ずかしそうな文に追い出されながら、配達屋は師匠にいい土産話ができたとほくそ笑んだ。