つまり、そいつは転校生。14ページ
「…………今回も、いつもの様に異常無しですね。あるとすれば、成長障害くらいですか」
「勝手な判断をするなヤブ医者」
そう呟いて、俺は首を動かした。真っ白で、清潔感の漂う床、綺麗な壁。その壁には、取り外し忘れなのか、インフルエンザの予防接種を推奨するポスターが有った。
「おや、そんな事を言うのですか?……全く、誰が脳科学的、精神学的、心理学的、生物学的に重要サンプルになり得るあなたを、定期健診とその報告だけで済む様に取り計らったんだと思ってるんですか?」
やれやれと言う様に、目の前の男はわざとらしいため息を吐く。
「はっ!その定期健診は実際月一で良いのに、わざわざ週一で来てやってる良心溢れるこの俺の知ったこっちゃないね」
清涼学園から数キロメートル、山場総合病院の一室で、俺は回転する椅子でクルクルと周りながら、目の前で椅子に座り、眼鏡を掛けたいかにも病院の先生ふうの男と話していた。
「全くあなたと言う人は、この一年で性欲どころか思いやりの心まで失ったのですか?」
「忘れた訳じゃないさ。ただここには思いやる相手がいないからな」
「高校二年生なら、社交辞令でも覚えておきなさい。……全く、一年前はここの看護婦相手に、顔を真っ赤にしながら『トイレの仕方が……分からないんですが』と言う程可愛げがあったのに」
「オイコラ。看護婦さん達の間でその話が広がって行くのは分かるが、なんであんたまで知ってるんだ。盗み聞きしたのか?ストーカーでもしてるのか?変態か?」
「性転換したからって、御学友と戯れたあなたに言われたくないですね。診断書に色々書き足して、苦い薬を大量に処方しましょうか」
「そんな事をしたら懲戒免職喰らうだろ」
そう、話していた。
この目の前の白衣を来たいかにも病院の先生ふうの男は、伊坂 浩二。約一年前から、俺の担当医である。学校の健康診断から二日、もう大分見慣れた顔を相手に、俺はむすっとした表情で向かいあっていた。
「まさかあんたが妻子持ちだとは思わなんだ」
「そうですか?自分で言うのもなんですが、顔は悪い方では無いのでね。それに、医者ですし、居てもおかしくはないでしょう」
「ああそっか。高収入か」
「ま、それだけではありませんが」
そんな風に軽い会話をしながら、紙に色々書きこんでいく俺の担当医。名前からわかるように、彼は伊坂友晴の父親だ。もっとも、その事がわかったのは、二日前の健康診断の時だが
。
「そう言えば、あんたは一年前から俺の担当医をしてるよな。なんでわざわざ今年、いさ……友晴を清涼学園に?」
紙に走らせていたペンを止め、眼鏡を押し上げた伊坂先生に、俺はふと気になった事を問いかけた。
「私は手続きを行っただけですので、理由は本人に聞いてください。……まぁ、理由を聞くときは、清涼学園では聞かない方がいいでしょう」
「なんで?」
「聞けばわかります」
伊坂先生はそう言うと、大きく背筋を伸ばした。今日の検査は終了。もう俺は帰っていいと言う事だ。俺は回転する丸椅子で遊ぶのをやめ、荷物を持って立ち上がる。
あー、やっと終わったよ。この検診。帰りにロールケーキでも買って帰るか。あ、そうだ。そう言えば。
「なぁ、伊坂、先生」
「何ですか?」
「ある特定の人物が気になるって、どんな時に起こるんだ?」
診察室の出口で足を止め、振り返らずに、俺は伊坂先生に問いかける。背後で、キィと椅子が軋む音がした。
「……ほう?」
後ろから聞こえた声は、落ち着いていて、それなのに、何かを期待したような声。俺は、何か変な事でも聞いてしまったのだろうか?
「その気になる特定の人とは、学園の人ですか?」
探る様な声、どんな顔をしているかは分からないが、悪い顔をしているはずだ。
「ああ、まぁ、そうだけど」
カチリ、と、後ろから音が聞こえた。
「それは……ようやくと言った感じですね。私はてっきり、あなたの感性、身体的特徴などは、変わらないものだと思っていました。一年たって、ようやく……」
「………………」
感心したような声、ようやく謎が解けた学生のような声。何をそんなに喜んでいるのだろう?
「ああ、すみませんね。帰っても大丈夫ですよ。それにあまり気にしなくてもいいです。これは観察者側の出来ごとですので」
「………………」
後ろで作業をしている伊坂先生が何を考えているか。それはそれはとても気になる事なのだが、彼が出す子供じみた雰囲気に、どうしてだか気圧されて、俺は病院の廊下につながる扉を、ゆっくりと開いていった。
正直、伊坂先生に帰ってもいいと言われてから、俺は、自分が何を考えて行動していたかを、全く覚えていない。